第32話 聖女のお散歩

 アクアとアリシアが授業を受けていた一方その頃。かつて京都と呼ばれた聖都グランブルーでは一人の女性が自由気ままな散歩を楽しんでいた。


「らん♪ らん♫ らん♬」


 どうやら、女性は非常に上機嫌らしい。鼻歌を歌いながら歩いていた。と、そんな女性に聖都の住人が声を掛けた。


「アレクシア様。今日はお散歩ですか?」

「ええ、そうね。こんなに良い天気なのだもの。家に引き篭もっているとキノコでも頭から生えてきそうでしょう?」


 アレクシア。そう呼ばれた女性は紫外線対策の日傘をくるくると回しながら楽しげに住人の問いかけに答える。そんな女性に、街の住人も空を見上げる。確かに、雲一つない快晴だった。


「そうですねぇ……あ、そうだ。そう言えばちょうどパンが焼き上がった所なんですよ。お一ついかがですか?」

「あら、良いわね。一つ頂くわ」


 アレクシアはどうやらパン屋の店主らしい女性から焼き立てのラスクの入った袋を一つ貰う。そうして、彼女はそれを片手に再び歩いていく。


「美味しいわね。あそこの店は」


 さくっ、さくっ、という小気味よい音を立てながら、アレクシアは楽しげに歩いていく。買い食いはお上品ではないが、そんな子供っぽさがまた彼女の人気の秘密だった。

 そんな彼女はやはり英雄だからか、行く先々で声を掛けられまるで貢物の様に様々な物をプレゼントされ、気付けば彼女の周囲にはいくつもの果物やお菓子が浮遊していた。


「ちょ、ちょっと貰いすぎたかしら……」


 幾らアレクシアが英雄だからと言っても、肉体そのものは人間のそれと大差がない。故に食べられる量は無限ではない。単に不老不死というだけだ。

 いや、これは確かに正しいが、間違いといえば間違いだ。まず何より、彼女の容姿だ。普通、人体は左右で均整が取れていない。にも関わらず、彼女はほぼ完璧に左右対称の肉体だ。その上、美しさは確かにアリシアとも比較にならないほどだった。

 確かにアリシアの血縁だからか似通っている。外見的な年齢もあるだろうが胸はアリシアより更に大きく、母性をも感じさせる。彼女の母であるカリーナを若くして、大学生ぐらいにすれば似てくるだろう。

 が、彼女の美しさはそれでも現代のヴィナス家の三人と比較に出来ないだろう。比較対象となるのであれば、間違いなくアクアだ。アリシアがかつて内心で比較したのも頷けるほどの美女であった。


「うーん……ツヴァイかドライを連れてくるべきだったかしら」


 浮かぶお菓子を見ながら、アレクシアは困った様に呟いた。やはり英雄にして最も敬愛と親愛される聖女だからだろう。

 彼女を見かけた者達は率先して食べ物を献上してくれていた。それもできたてが大半であったわけだが、それ故にこそすぐに消費せねばならない物も多かった。


「うーん……あら」


 どうしようか、と悩んでいたアレクシアであるが、ふとこちらを見る少年少女達に気が付いた。まぁ、お菓子や果物を浮かべている美女が公園に居れば気にもなるだろう。


「……いらっしゃいな。一緒に食べましょう? お茶もあるわ」

「「「!」」」


 やはり子供達は純粋だ。アレクシアの邪気のない笑みと浮かぶお菓子を見ながらの問いかけに、一目散に駆け寄っていく。そうして、瞬く間にお菓子と果物は無くなってしまった。


「ありがとうございます、アレクシア様」

「この事は一生忘れません」

「この子達にも良い思い出になります」


 まぁ、そんなお茶会じみた集会なのであるが、大人達もすぐにやってきた。といっても勿論、流石にこちらはお菓子がお目当てではない。

 アレクシアに対してしきりに感謝を述べていた。そんな大人達に、アレクシアは柔和に微笑みながら首を振った。


「良いのよ。皆さんがくれるから貰ったのだけど……ちょっと私一人じゃ食べきれない量になってしまったものね。可能なら私が食べきるのが良いのでしょうけど……腐らせるより皆で食べた方がよほど良いわ。それにお店なら覚えたわ。後で使者にでも買いに行かせるから、ごまかしも任せておいて?」

「「「あはは」」」


 おちゃめな様子でそう告げたアレクシアに、大人達も柔和に笑う。そうしてひとしきり大人達に感謝をさせて満足させると、彼女は再び歩いていく。

 とはいえ、今度は同じ轍を踏む事のない様、きちんと自制は働かせた。と、そんな所に髪を三つ編み纏めた少女がやってきた。


「あら、ドライ」

「アレクシア様。こちらでしたか」


 ドライと呼ばれた三つ編みの少女はアレクシアの前で跪くと頭を下げる。それに、アレクシアが上機嫌に問いかけた。


「どうしたのかしら……今は何も仕事は与えていなかった筈だけども」

「皇龍様と紅葉くれは様がご到着されました」

「あら、皇龍と紅葉ちゃんが来たのね。それで私を呼びに来てくれた、というわけね」

「はい」


 ドライはアレクシアの言葉にはっきりと頷いた。皇龍と紅葉。それは彼女と同じく七人の英雄<<聖なる七つの星スターズ・オブ・セブン>>の一人だ。

 アレクシアとは逆にこちらは兄妹で、アレクシアが一番最初に、それこそ実弟であるアレクセイよりも前に仲間に引き入れた最古参の二人だった。

 そんな仲間の来訪の報告を聞いて、アレクシアは再び歩き始める。が、その方角を見てドライが問いかけた。


「あ、どちらへ?」

「どこへ行こうかしらね」


 ドライの問いかけにアレクシアはにこにこと笑顔を浮かべながら歩いていく。そんな彼女は日傘をくるくると回しながら楽しげに、慌てて付き従ったドライへと告げた。


「散歩の途中なのよ。今はもう少し散歩の時間ね」

「は、はぁ……あの、ツヴァイさまが困ってらっしゃるのですが……」

「あら……」


 ドライの問いかけにアレクシアは少しだけいたずらっぽい笑みを見せる。ツヴァイというのは彼女の上官でもあり、二人揃ってアレクシアの従者でもあった。

 まぁ、有り体に言ってしまえばアレクシアの我儘や気まぐれに振り回される二人と言っても良い。アレクシアが散歩に行くので彼女が留守を頼まれていたのであった。なので動けない彼女に変わって、ドライが探しに来たという事だろう。


「なら、もう少し散歩しましょう」

「え、えぇ……」


 従者が困っているというのにそれを聞いて尚更楽しげに散歩をしようというのだ。アレクシアの勝手気ままっぷりは何時ものことと言えば何時もの事であるが、やはり困ったものであった。


「うふふ……」


 アレクシアは楽しげだ。そんな彼女の前に、唐突に巫女服のような衣服に身を包んだ少女が現れた。それは本当に唐突に現れたとしか言いようがなく、少女の見た目も相まって幻の様でさえった。


「シア様」

「あら……紅葉ちゃんに見付かっちゃったわ」


 紅葉。そう呼ばれた少女はアレクシアに対して小さく頭を下げる。その少女であるが、儚げであるが同時に芯の強さを感じさせる。血のような紅にわずかに染まる黒い髪は腰まであるほどに長く、どこかお姫様というような感じがあった。

 顔立ちなどには日本人の血を感じさせるし、名前も日本人風だ。兄の事を考えても日本人という事なのだろう。そして同時に、<<聖なる七つの星スターズ・オブ・セブン>>の一人でもあった。


「兄様がお呼びです」

「あら……皇龍のお呼びだと、仕方がないわね」


 アレクシアは紅葉の言葉に仕方がない、と方向を変える。それこそ弟であるアレクセイの呼び出しだろうが完全無視も少なくないアレクシアであるが、皇龍と紅葉の言葉だけは斟酌する。

 と言っても、別に男女の仲にあるというわけではない。単に<<聖なる七つの星スターズ・オブ・セブン>>の中でも特に親しくしているのがこの二人である、というだけだ。そうして、二人は並んで歩く事にする。と、そんな道中でアレクシアが紅葉へと称賛を述べた。


「にしても……よく出来た幻影ね。ここから見ても本物と間違えちゃうぐらい」

「これは血を編んで精を混ぜ、髪を一本媒体にした幻。<<桃源の写身とうげんのうつしみ>>。少し……自信作です。兄様にも褒めて頂きました」

「あら、良かったわね」


 どこかのんびりというか不思議なテンポで話す紅葉にアレクシアが楽しそうに笑う。この独特なテンポは嫌いではないらしく、彼女自身紅葉の事を同僚というよりも数少ない女友達と認識していた。皇龍はそのお兄さん、という所だ。だから、斟酌してくれるらしい。


「にしてもそっらは何時まで経っても仲良しこよしね。ウチはいつまでも反抗期」

「兄様は大事な方です。私の……ただ一人の家族ですから」

「うふふ……そうね。たった一人の家族だもの。大切にしないと駄目ね」


 紅葉にせよアレクシアにせよ、大戦の前には両親を失っていた。何故、というのは詳しくは誰も知らない。アレクシアの父は事故らしく、それで母も精神に異常をきたしたとの事だ。

 また紅葉達の両親の死因はアレクシアは把握しているが、特に語るつもりはないのか仲間内でも知られていなかった。と、そんなアレクシアは楽しげに弟の事を語った後、そのままドライを見た。


「ああ、でも……私はドライにツヴァイも居るものね。見て、今日の三つ編み。少し良くできたと思わない? 懐かしいわ。あの子がポニーテールにしてたのをよく後ろから近寄って三つ編みにしたものね。随分と嫌がってたのが懐かしいわ」

「……少し枝毛が混じってます」

「……あら。少し最近夜更かしさせちゃったかしら」


 紅葉の的外れに見えて、案外的外れでない指摘にアレクシアは少しだけ反省する。もう長い付き合いとなる二人であるが、それ故に彼女は二人の事を単なる従者や部下ではなく家族として見ていた。故にアレクシアがドライの三つ編みも整えたらしい。


「駄目ね。最近色々と忙しかったから……ごめんなさいね、ドライ。少し貴方にも休暇を与えるべきだったわね」

「い、いえ……私はアレクシア様の犬。猟犬ですので……」


 アレクシアの謝罪にドライが跪いて感謝を示す。猟犬。そう、彼女は猟犬だ。それが示す事は、たった一つだった。


「そう? 別に『神話の猟犬ヘル・ハウンド』の副隊長より私の従者が似合うと思うのだけど……ねぇ、一度」

「っ! いいえ、結構です!」

「あら、まだ何も言っていないわよ?」

「その後の言葉はわかっています! ツヴァイ様から何度も聞かされています!」

「あら……主人の秘密をバラすなんて……お仕置きしないと駄目かしら」


 大慌てでアレクシアから距離を取るドライに対して、にこにことアレクシアが少しだけ怒ったような顔をする。が、その怒った顔とてどちらかと言えば怒っている様子を見せているのを楽しんでいる風さえあった。


「良し。このままもう少し散歩しようと思ったのだけど……予定変更でツヴァイにお仕置きね」

「……ほっ……」

「……ツヴァイを売って良かったの?」

「うっ!」


 アレクシアのお茶目の矛先が上官に向いて一安心していた所に紅葉からボソリと言われた一言に、ドライが思わず停止する。そうして、彼女はがっくりと膝を屈した。


「……申し訳ありません……ですが、ですがっ……私もあのメイド服だけは嫌なのですっ……」


 血を吐くようにドライが上官に対して謝罪する。そんなドライが思い出していたのは、アレクシアがここしばらく事ある毎に手にしていたメイド服だ。

 それもこちらはナナセや初音が着るメイド服とは違い、二十一世紀に全盛期を迎え今なお世界の裏の好事家達に好まれるエロティックなメイド服である。アレクシアが戯れにこれを着せようとする事を、ドライは知っていたのであった。


「うふふふ。ツヴァイに似合うメイド服はいくつか用意していたけど……今日はどれを着せてあげようかしら」

「……」


 すいませんすいませんすいません。楽しげなアレクシアを横目に、ドライは内心で上官に対して平謝りする。が、露出度満点アレクシアの趣味満載のあのメイド服だけは御免こうむりたい。


「ツインテールのクーデレメイドも良いわね。でもツヴァイだとツインテツンデレメイドも似合いそうだし……あ、でもでも完堕ち後のデレデレメイドも良いわね。あ、でもそれはまだ早いかなー」

「紅葉は二番目を推します」

「あら……じゃあスカートの丈は短め、パンツは縞模様にしましょう。意外とどんくさいのよね、あの子。きっと、絶対に楽しい事になってくれるわ」


 本当にごめんなさい。ドライは楽しげな主人とその友人の密談を聞きながら、上官へと心の中だけで土下座する。と、そんな彼女は自分がアレクシアに見られている事に気が付いた。


「ど、どうしました?」

「……三つ編みメイド。やっぱり良いわね。一番年下なのがまたミソ」

「っ!?」


 何故ここで矛先が私にまで。ドライはまさかの展開に思わず身体を強張らせる。


「……シア様。これも」

「……グッジョブよ、紅葉ちゃん。メガネの真面目メイド……仕事も完璧ね。思わず私が堕としたいわ」


 つぃ、と紅葉から差し出されたメガネを見て、アレクシアがサムズアップで笑顔を浮かべる。メガネといっても野暮ったい感じはない。完全に仕事が出来る女のメガネである。


「さぁて。ちょっと私も夜更かししちゃおうかしら」

「……」


 あぁ、終わった。こういう時のアレクシア様は止められない。ドライはそれを理解して、項垂れる。そうして、この数日後。アレクシア邸にアレクシアの趣味満載の四人のメイド――半分は主人だが――が爆誕する事になるのだった。

 なお、メイド服は全てアレクシアのお手製なので、彼女は目出度く寝不足のままアリシア達の表彰式に参加することになるのであるが、それでも可愛らしいメイドを三人も見れて満足そうなのであった。

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