第23話 朝礼

 カインがオーシャン社を通して関係各所へと協力を要請して更に半月ほど。サイエンス・マジック社、オーシャン社共に関係各所が準備を整えていた。


「……」


 こうするしかないのだ。ミリアリアは多大な自己嫌悪に苛まれながらも、自らにそう言い聞かせる。人質を取られている彼女に出来る事はそれしかない。裏社会に関わったのが運の尽き。どこまでも地獄を見るしかないのだ。


「……」


 そんなミリアリアをカインが遠目に監視していた。最愛にして主人たるアクアを狙われているというのに、彼には特段の感慨は無かった。

 当たり前だ。彼にとってみれば彼女の苦悩さえ手のひらの内。事情も全てわかっている。ついでに言えば寝返らせる方法も寝返らせた後も考えている。

 アクアがミリアリアを気に入っているのでその彼女が苦悩している事には些かの心苦しさは抱いているが、それだけだ。


「……良し。入れたな」


 ミリアリアが市販のミネラルウォーターに『魔力活性化薬』を数滴混ぜたのを見届けたサイエンス・マジック社の監視が上に報告したのを見届けて、カインは一つ頷いた。これで後数時間後にはテロリストに扮したサイエンス・マジック社の部隊がアトラス学院に襲撃を仕掛ける事だろう。


「……カイ殿」

「紫龍師範。ご助力感謝致します」

「いや……学院長殿より各所の手配が整った事、伝えに参った」

「そうですか。有難うございます」


 紫龍の報告を受けて、カインが頭を下げる。やはり開祖アルマの名は絶大だった。カインが協力を依頼した高位高官達は彼の望み通り、この地球でも有数の部隊を動かすべく動いて、そして実際に動かしてみせた。

 その部隊の動きはサイエンス・マジック社程度が到底悟れるものではなく、完全に自分達がカインの術中に嵌っている事も悟れないままだった。


「あちらとの連携は紫龍師範にお任せ致します。オーシャン社の私が統率出来るわけでもありませんし……」

「かしこまった」


 カインの要請を受け、紫龍は再び音もなくその場を後にする。出来ればカインとしても増援部隊とは顔を合わせたくない。

 いや、出来ればというより不可能であっても顔は合わせたくない。なのでこの学園でも有数かつその部隊に伝手があり、なおかつ影響力を行使出来るだろう紫龍に折衝を頼んだのであった。


「……」


 哀れだな。カインは素直に敵に対してそう思う。いや、同情は無用だ。なにせ迷惑を被っているのは自分達だ。事の次第を鑑みれば、殺されても文句は言えない。

 が、些か憐憫だけは感じていた。間違いなく、敵に訪れるのは恐怖を通り越した絶望だ。なので哀れではあった。しかし、迷いはない。


「聖戦で世界政府を心底震え上がらせた化物共の牙……存分に味わうと良い」


 一切の情け容赦無く、カインはそう断罪する。そうして、彼もまたその場から身を翻して残りわずかの時間を最後まで準備に使う事にするのだった。




 さて、それから一時間ほど。実はねぼすけなアクアが起床し彼女の身だしなみを整え、としているとあっという間に登校時間と相成った。


「アクア様。お時間です」

「はい……カイン。そう言えば一つ聞いておきたいのだけど」

「なんでしょう」

「仕事が終わってもその演技、続けるのですか?」

「……時々は良いですか?」

「ふふ。時々、です」


 カインが楽しんでいるのならそれで良いか。なのでアクアも楽しげに恥ずかしげな従者の求めに応じ頷いた。


「……では、始めましょう」

「はい、アクア様」


 カインはアクアの号令に頷くと、深々と頭を下げる。そうして、彼らは学院へと登校する事にする。その朝は何時もと変わらない。

 何時もと違うのは、二ヶ月に一回の全体朝礼があるというだけだ。アトラス学院は超巨大組織だ。学院全体で生徒は一千人は優に下らない。なので二ヶ月に一回、全体の統率や一体感を出す為にも学院全体での統率を取っていたのである。


「と、いうわけなの。来月の頭にはちょうど旧世紀で言えばゴールデン・ウィークと呼ばれる時期に入るからその前に、というわけね。次は夏休みの前、という感じかしら」

「それで、今日は朝礼は無しなんですね」

「そういうことね。全体で朝礼をするから逐一各クラスで朝礼をする必要はない、というわけ。一限目も今日は特別にミーティングになっているわね。と言っても、私達は生徒会役員だからそっちで集まるのだけど」


 朝の開始前の僅かな時間。登校してきたアクアとアリシアが話し合う。それ以外にも風紀委員も各学年の統括者達――レヴァンやヘルト――が集まるそうだし、その並びに二人も参列する、というわけらしかった。


「じゃあ、とりあえず生徒会室に行きましょう。私達はそっちで集まって移動する事になるから、こちらの統率はミリアリア女史がするわ」

「はい」


 アクアはアリシアの教えに従って、生徒会室へと移動する。そこには既にクラリスと紫苑が来ており、後は二年の二人だけだった。

 なお、一年で他の生徒を入れる事になるのはゴールデン・ウィークの後らしい。流石に外部入学の生徒の才能や性質を調べるには時間が必要だ。更には部活との兼ね合いもある。通例として、外部入学組の加入は5月になるとの事であった。


「来たか。まぁ、始業前に仕事をさせるのも駄目か。始業までは好きにすると良い」

「おはようございます、会長」

「ああ、おはよう……アリシア。そう言えば父上から連絡があったが、見たか?」

「いえ……何か届いていたとは聞いていませんが……」

「そうか。では、私にだけか。となると、またあの話か……わかっていると言っているんだがな……」


 アクアとの朝の挨拶を交わしあったクラリスはそのまま引き続き、アリシアとの姉妹の会話を開始する。そうしてそんな会話を繰り広げているといつの間にか二年の二人も来て、生徒会は勢揃いとなった。

 と、その筈なのに、どういうわけか再度電子音が鳴り響き扉が開いた。そうして入ってきたのはレヴァンを筆頭にした風紀委員の各学年の統括者達だ。


「クラリス。風紀委員も勢揃いしたので、こちらに来た」

「ああ。では、これで高等部の役員は勢揃いか」

「? 風紀委員も一緒に行くんですか?」

「? そうか。そう言えば教えていなかったな」


 アクアの疑問にクラリスは一瞬呆け、しかしそういえばアクアだけは転入生だったと思い直す。そうして、彼女が教えてくれた。


「ああ。生徒会・風紀委員会の役員は揃って聞くのがアトラスの通例だ。が、知っての通り風紀委員は人数が生徒会とは比較にならないからな。各学年を代表して統括者が、というわけだ。そして別れて行く意味もない。一緒に、というわけだ」

「アクア嬢。その節は世話になったな」


 クラリスの説明を受けたレヴァンが柔和に微笑んで頭を下げる。その横には彼の補佐であり、副委員長となる女性も一緒だった。中等部の頃からの彼の副官らしい。なお、彼の微笑みだがやはり勧誘期間が終わったからか狂気を感じさせるものではない。


「いえ。レヴァン委員長もお元気そうで何よりです」

「台風一過という具合でな。今の時期が一番気を抜ける」

「あはは」


 レヴァンの冗談めかした言葉にアクアが笑う。そうしてそんな事をしているとあっという間に時間が経過して、内線により高等部生徒会・風紀委員も集合する様に学院側から指示が出た。


「良し。では、行くか」


 クラリスは立ち上がると、生徒会と風紀委員に先立って移動を開始する。移動するのは彼らだけだ。他の生徒達は各クラスの教室で聞く事になっている。

 と、その道中。やはり主人側はともかくとして従者勢は聞かされているのだろう。密かに頷きあった。


「……カイン殿」

「どうされました?」

「大奥様より、例の準備が整ったとの事です」

「ありがとうございます。ヴィナス様にもそうお伝え下さい」

「はい」


 初音の返答にカインは一つ頷いて、少しだけ気合を入れる。ヴィナス家。聖女アレクシアの子孫。その家系は当然であるが、世界政府においては最高位の地位を確保していた。なのでその彼らが今回の一件において指導者的地位に立っていた。

 カインが協力を依頼したのは、この学院の保護者会とでも言うべき組織。その中でも高い地位を保有する保護者達によって結成される『神を支える者キュベレー』と呼ばれる保護者会だった。そのトップはやはり、英雄達の子孫だったというわけである。


「……」


 これで、根回しは全て終了。やはりこの作戦において一番のボトルネックとなったのは名家の子女達が居るという所だ。何かがあってはその親達が何を言い出すかわかったものではない。

 その根回しは必須だったと言える。そうしてカインはアクアらに続いて、各部の役員達が集まる特別な建物へと案内される事になった。


「ここが、初等部から大学院までの役員が集って会合を開く時に使われる会議棟。基本的にもし他の部と何かの会合を開く時には、ここを使うと思ってくれ。また、今回の様な役員達の集まりでも同様だ。もし現地集合と言われた時は、ここに集まる。覚えておいてくれ」

「わかりました」


 クラリスの解説にアクアは頷いた。ここに、各学部の全員が集まるというわけなのだろう。見れば小学生らしい年下の少年少女らから、大学生らしい青年達も見受けられた。既に続々と揃いつつある、という事なのだろう。そうしてアクアが理解したのを見て、クラリスは解説を続けた。


「基本的にこの集まりでの統括は大学の総会長が取る。なので彼の指示に従う事になるのだが……総会長は二ヶ月に一度の全体朝礼においては生徒代表として、教務棟に出向する。なのでまた機会があれば紹介しよう」

「はい」

「まぁ、朝礼は単に集まって学院長らの話を聞くだけだからな。流石に役員にもなって一般の生徒と同じ様にはしゃぎまわる事は無いと信じたい。なにせ、初等部の彼らでさえ静かなのだからな」


 アクアの再度の頷きを見たクラリスは少しだけ微笑ましげに、緊張で固まる初等部の生徒会役員達を指し示す。緊張だからなのだろうが、静かは静かだ。

 無論これは静かに見えるだけであるが、彼らが静かにしているのに年上の者達が騒ぐのは流石にどうかという所だろう。それ故、この場には総会長は不必要だろう、という判断だそうだ。


「では、高等部の待合室に案内しよう。アリシアも部屋は知らないな?」

「はい。中等部の部屋なら、覚えていますけどね」

「流石に一ヶ月で忘れたら我が妹ながらどうか、と私は思うぞ」


 アリシアとクラリスはこれから起きる事を知らないからか、楽しげに歩いていく。やはりここらは初等部とは違い高等部になると慣れが見え隠れしていた。

 どうやら高等部には高等部の役員専用の待機部屋が与えられているらしく、朝礼の開始まではそこで待機する事になっているとの事だそうだ。

 というわけで、高等部の生徒会役員と風紀委員一同は連れ立って待機室へと移動する事になる。と、そうして集合の呼び出しがあるまで待つ事になるわけであるが、中々その呼び出しはない。なのでしばらくするとクラリスが少しだけ首を傾げる。


「ふむ……珍しいな。何時もなら十分足らずで呼び出されるのだが……」

「よくある事なのですか?」

「いや、私の知る限り珍しい事だ。何かの機材トラブルだと思うのだがな……」


 アクアの問いかけにクラリスは少し怪訝な顔を浮かべていた。と、そんな怪訝な顔の生徒たちの傍ら、従者達は既に手はずを整えていた。そして、それと同時。爆音が鳴り響いた。


「なんだ!?」

「落ち着け! レヴァン! 万が一は任せる! 初音は確認を頼む!」

「任されよう! ヴィーザル! 暴れる者が居れば抑え込め!」

「はっ! 委員長殿!」

「即座に確認を致します」


 鳴り響いた爆音に僅かな同様を浮かべる役員達に対して、クラリスは即座に落ち着きを取り戻して初音へと確認を命ずる。それに初音は学院の教務棟に連絡を入れて、その結果を彼女へと報告する。


「お嬢様。どうやら、いつぞやと同じくテロリストの襲撃の様子です」

「なるほど。何年ぶりか、という所か」


 カインも言っていたが、テロリストによる襲撃はそこそこの頻度で起きている。故にクラリスとしても特段の驚きも無かった。

 無論、それは彼女だけではなく他の全員が一緒だ。この場の大半が幼稚園からのエスカレータ組だ。襲撃は一度目ではなかった。故に悲しいかな、慣れが見て取れた。


「さて……そうなると、私達の出番となるわけか。アリシア。お前は初だが……」

「覚悟は出来ています」


 あぁ、やっぱりこうなるのか。カインは内心で盛大なため息を吐いた。先にも言ったが、これは何度か起きている事である。であれば、その間に誰かが学院を守っているわけだ。

 それは基本は警備員であるわけであるが、命ぜられても居ないのに勝手に動く者達が居た。それが、彼女ら。ノブレス・オブリージュを教えられ、力なき民を守る様に教育されている者達だった。そしてその実力はある。

 何より、従者と言う存在だ。間違いなく、下手な軍人より従者の方が遥かに強い。戦える。と、そんな所に待機室に設置されたモニターの電源が入った。


『……ああ、私だ。ヴィナスくん。聞こえているな』

「総会長」


 モニターに映ったのは理知的な銀髪の美丈夫だ。年の頃は大学生程度。どうやら、彼が総会長らしい。


『所定の手はず通り、お相手を頼む。私が全体の統括を行う。可能なら攻め上り、敵を撃滅せよ』

「了解。残る者たちの統率には?」

『高等部のカシワギ女史がそちらに向かう。彼女を待って行動に入れ』

「了解した」


 クラリスは総会長の指示を受けて、一切の迷いなく頷いた。彼女らにしてみればこれは当然の事だ。そして相手は所詮はテロリスト。専門の教育を受け、一流の従者を引き連れる自分達に敵う相手ではない。であれば、己が英雄の子孫であると示すだけである。そうして、一同はミリアリアの到着を待ち、行動に入る事にするのだった。

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