74. 紅蓮心華

 女の放った言葉に、理里は顔の筋肉で『?』を描いた。


「なんだって……? いったいどういう」

「何のつもりだ、!!!!」


 問いかけようとした理里を、手塩の大声がさえぎる。


「なぜだ、なぜ貴様がヒッポノオスを攻撃する! おまえは、の人間ではないのか!!」

「……口を慎めよ、人間如きが」


 ルピオネ、と呼ばれた女は舌打ちする。


「貴様とわれでは英雄としての次元が違う。吾は夜天より再臨せし星将の一角、それも太陽神の加護を受けた至高のつわものだ。その吾に意見するか、並の英雄ごときが?」

「立場など関係ない! 彼は……ヒッポノオスは、私の部下だ! その処断は私に決める権限がある!!」



「いいや。つい先ほど、その男は十二神裁判フーデリスにかけられた」



「なん、だと……!?」



 手塩の表情が、変わる。愕然と彼は崩れ落ちる。



「その男は神々に対して反逆の意思を示した。よってオリュンポス十二神は円卓に集い、その男の処遇を決定した。

 罪状は反逆罪。判決は満場一致で有罪。刑罰は死刑深淵タルタロスにて無限落下と確定。そして、近くに居た私がその執行を任された」


「そん、な……私には、何の連絡も」


「見ればわかることだ、必要ない。貴様に伝えれば、何らかの邪魔をしてくることが予想されたからな……情に厚すぎるのだよ、おまえは」


「きさま……きさまァッッ!!」


 手塩はずかずかとルピオネに歩み寄り、その胸倉を掴む。


 が、


「おいおい、まだ罪を重ねるつもりか? わたしの行動は神の思惑。それを邪魔するというのなら、貴様もまた反逆罪に問われるが?」


「……っ」


 籠愛に突き刺さっていた槍は、いつの間にかルピオネの手元に戻っていた。手塩の腹筋に、その先端が突き付けられている。


「……ああ、そこの女もな。そいつを治療しようものなら、それは神々への反抗とみなされるぞ」

「っ!!」


 薬瓶を取り出していた麗華は、すぐにそれをを背中に隠した。


 手塩が声を荒げる。


下衆ゲスが! 貴様もそこのトカゲ男と変わらん、ただの化け物だろうが!」

「……なんだと? その妄言、女神ガイアへの冒涜と知っての狼藉か」


 じりじりと近づく、ふたりの

 ついに手塩が、拳を振りかざした時――



「……申し訳ございませんっ!!!」



 麗華が、高い声をあげた。


「数々の無礼、お許しくださいルピオネ様……わがあるじは、悲しみのあまり錯乱しております。どうか寛大な御心にて、お見逃しくださいませんでしょうか」

「麗華さん、何を」

「黙ってっ!!!!」


 叫んだ。


 麗華が叫んだ。嗚咽まじりの、涙声で。


「どうかお許しください……この通りでございます。どうか、あなたさまのお慈悲を我が主に」


 麗華は、土下座していた。凍った地面の上に、脚と手の平をつけて。


「……その風習は、この国特有のものだろう? 異邦人たる我らがそれを共有しようとは、いささか滑稽だが」


 ルピオネが鼻で嗤い、麗華を軽蔑のまなざしで見下す。


「…………も」


 低い声。


 手塩が、ルピオネの胸倉を放した。そして彼は、ゆっくりとその場に膝をつく。


「申し訳、ありませんでした……」


 麗華と同じように、彼は両手と頭を地面に付けた。


 ふたりの英雄の土下座。それをルピオネはまじまじと見ていたが、


「……ふむ。そこまで謝意を示されては、吾も腰のすわりが悪い……

 許す。無礼は全て不問としよう。オリュンポスの神々にも、特に報告はせんよ」


 やがてそう告げた彼女の顔は、狡猾な笑みに歪んでいた。


「さて、吾はそろそろ帰るとしよう。こやつの処理もせねばならんし」





「ちょっと待てよっっっ!!!!」





「……あ?」


 少年の声が、響きわたる。

 理里だ。理里が、最後の力を振り絞って、あらんかぎりの声をあげた。


「おまえ……黙って見てりゃ上等じゃねえかよ! こいつらがどんだけ頑張ってたか知ってんのか! 犠牲者を減らすために、敵である俺たちとも手を組んだ! 部下を救いたい、でもできないからオレに殺してくれって頭を下げた! それでようやく全部うまくいったんだよ! それを、それを全部無駄にしやがってお前、許されると思ってんのかよッッ!!!!」


 黙っていられなかった。


 理里は全て、全て全て見てきたのだ。手塩がどれだけ勇気の必要な決断をしたのか。この大事件の収束に向けてどれだけきたか。それを理里はずっと、間近で見ていたのだ。

 その同盟者がやってきたことがすべて水泡に帰した。この赤い女のせいで。あげく、この女は彼らを侮辱した。そんな理不尽が許されていいのか。



 だが。



「……ああ、思うが?」



 当然のように、彼女はそれを肯定した。



「神は正しい。神は絶対だ。オリュンポス十二神の意思こそこの世界の正義なのだ。それを疑う余地などないだろう?」

「てめえっ……!」


 理里は立ち上がろうとする。が、足が動かない。身体はもう限界だった。


「本来であれば、こやつらも罪に問われているところなのだぞ? 下賤な怪物と手を組んだ罪でな。だが、神々はこやつらの判断の合理性を認め、これをお許しになった。

 むしろ彼らは感謝すべきなのだ。わたしの槍が、自分の首を飛ばさなかったことにな」

「でもヒッポノオスは死んだ!!」

「ああ。それが神々のご意思だからな。神に反逆しようなど、おまえたち獣にも劣る愚かしさだ……いや、同じか。貴様らも神に反逆していることには変わりなかったな、あーっはっはっは!!!」


 女が、切れ長の目を細めて嘲笑する。理里は、怒りを抑えきれなかった。


「おまえ、ゆるさないぞ……! 絶対に俺が倒してやる! この左眼で、お前を石に変えてやる!」

「やってみるがいい。……貴様が一歩でも動けるならな? あーっはっはっはっは!!」


 そう、意地の悪い笑い顔を浮かべて、ルピオネは理里たちに背を向けた。


「どこ行くんだよ、まだ話は終わってねえぞ!」


 理里が叫ぶが、ルピオネは一瞥いちべつもくれずに歩み去っていく。


「今すぐその首ねても構わんが、それは私の役目ではない。そこにいる凡骨どもの役目だ……管轄外の仕事は、私はしない主義でね。いずれ命じられたなら、その時はあいまみえようじゃないか。


 ではさらば……ああ、そうだ。しばらくしたらが見られるから、それまで意識を失うなよ? あっはははは……」


 "鎧"を担ぎ、わらって去る彼女の背には、さそりの刺青が刻まれていた。


「ルピオネ、覚えたぞ……! おまえの顔も、名前も、その刺青タトゥーも!!!」


 理里は歯を食いしばり、去りゆく星将を睨みつづけていた。

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