66. Don't stop him now

「クク……もはやテセウスなど、わたしの敵ではないというわけだ」


 籠愛は悦に入る。

 圧縮空気弾。俗にいう『空気砲』。極度に圧縮した空気の塊を発射し、それによって手塩を吹っ飛ばした。

 なるほど手塩の持ち出した『パイアの皮』は、大英雄の盾に匹敵する最強の鎧だ。斬撃に対する防御としては有効だろう。……だが、鎧の中の肉体に直接ダメージを与える方法は、太極拳や骨法こっぽうなどの武術に伝わっている。弾丸のエネルギーが最も伝わる点を、鎧の表面でなく、内部に設定して放つ……具体的には、限界まで圧縮した空気をゼロ距離で解き放つ。

 パイアの皮にも、多少の衝撃吸収性能はあっただろう。だが、強化され『大気のアトモスフィア・支配者・ドミネイター』となった籠愛の異能の前では、それも無意味だった。


「また一人……思わぬ奇襲だったが、それも退けた。さて……貴様にもそろそろ退場してもらおうか、エキドナ!」


 右側。膨張しつづける炎の獅子、その向こうから、追って来る黒焔の大蛇、8匹。


(『空気探信儀エア・ソナー』……すでに貴様の位置は把握している)


 微弱な空気の波を放ち、その反射で効果範囲内の敵の位置を探る。そう、効果範囲内。恵奈は現在、籠愛の後方90mほどの位置に居る。黒炎の大蛇をおとりに、自分は後方から奇襲をかけるつもりだ。

 自分の位置が籠愛にバレているとも知らず。あげく、効果範囲の予測にも失敗している。効果範囲の拡張後、80mほどの距離から放った『空気の刃』からの想定だろうが……。


「甘い、甘いぞエキドナァ!」


 すでに彼女の周辺には、圧縮空気弾と空気の刃を多数配置。もはや逃げ場はない。『5秒後』を見通す未来視の瞳でも、空気の刃と弾丸は視えない。


 彼女の身体を覆う黒炎の鎧は、固体の武器を防御するには有効だ。金属製の剣や弾丸を打ち込んだところで、溶かし、蒸発させられるからだ。

 しかし、意志によって収束された空気の刃や弾丸はすでに気体だ。『熱』そのものが多少の防御にはなるかもしれないが、刃そのものを破壊することはできない。


「ずいぶんと貴様には手こずったが……さらばだ、怪物の母よ」


 グッ、と、右手を握る。それに呼応して解き放たれる、斬撃と衝撃。無数の不可視の刃と弾丸が、怪物の母を切り刻まんと、四方八方から放たれる。


 血が飛んだ、のかは分からない。籠愛は後方を見てもいない。……だが、彼女が息絶えたかを判断する材料は、すでに彼の視界に入っていた。


「ふはははは……! やった、やったぞ……!」


 右側。8匹の大蛇が、静止した。

 徐々に、その姿が薄れていく。黒炎は、消えていく。


「これで、残る邪魔者はアタランテとケルベロス、そしてヒュドラのみ……かが三匹で、何ができる!! あーっはっはっは!!」


 籠愛は笑う。眼の前では、はちきれんばかりにキマイラの炎が膨らんでいる。でっぷりと、割れかけの水風船のように。


 ゆっくりと、しかし確実に。柚葉市は、ふたたび死の氷炎に包まれようとしている。

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