62. 八岐大蛇

「舞え……蛇竜蠢動ヤマタノオロチ


 恵奈がそうつぶやくと、ごう、と黒炎の鎧が燃え上がる。生まれたのは、8本の巨大な炎柱。

 それらは蛇のようにうごめいて、上空の籠愛に襲いかかった。





「……何っ!?」


 籠愛も、下界の異変に気付く。迫り来る8本の火柱……いや、『黒炎の蛇』に。


(エキドナめ……"黒燄煉劫儛レイム・オブ・リブレイズ"を、使ったか!)


 その異能は、籠愛も調査資料で見たことがあった。

 使用が確認されていない、恵奈の第二の異能。あるものに関する記憶ひとつを代償に、黒炎の鎧をまとう能力。


 あれは確か、具現化型の異能だったはず。綺羅の『青い炎』と同じく、風でも水でも消せない。触れるもの全てを焼き尽くし、炭化・溶解・消滅させるまで消えない炎。使用者の意思の具現化なので、それを纏う恵奈にはダメージも無い。


(具現化型は、私との相性が最悪の能力だ……どうしたものか)


 『空気の支配者エア・ドミネイター』は物理攻撃にめっぽう強いが、『意思が映像を得たもの』である具現化型の異能には、まったく対抗手段がない。どんなに風を吹かせようと、魂の力は止められない。


 仮に対策があるとすれば、一度攻撃を受けたうえでそれを治すか、異能によって起きる状態変化を何らかの手段で止めるか。……だが、ネクタルはもう残っていない。となると、燃焼そのものを止めるしかないが……。


(いや……それも難しいだろう)


 物質の燃焼は、可燃物と酸素の反応だ。一般的な『火』は、可燃物と酸素が結合することによって起きる『現象』である。反応は熱によって促進される。なので、①可燃物を除去する、②酸素供給を断つ、③水をかけるなどして熱を奪う、④特殊な薬剤で反応を抑制する、のいずれか4手段で消すことができる。


 だが、あの黒炎は『火』ではない。水をかけても消えないし、『空気の支配者エア・ドミネイター』で酸素を奪っても意味がない。あれは言わば、恵奈の『魂』の延長であり、魂の内部世界から無尽蔵に熱と酸素を供給するものだからだ。可燃物の除去と反応の抑制については、特殊な薬など持っていないし、まして自分の体を不燃物にできるわけがない。


(くっ……立場逆転、か)


 籠愛は身を翻し、旋回する。


 炎の大蛇が追ってくる。民家を、木々を飲み込み、氷を融かし、白い煙をあげながら。


「っ……こうなったら、なりふり構ってはいられない……!」


 黒焔の蛇竜から逃げる英雄ベレロフォン。その視線の先では、蒼炎の獅子が咆哮していた。

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