61. Darkness Flame

「かっ……あ」


 怪原恵奈は、凍った地面にあお向けで倒れていた。


 空の英雄――ベレロフォンから逃げる途中、どういうわけか翼が機能しなくなり、墜落してしまった。抱えていた麗華は、どうにか恵奈が下になって落下することでかばえた……だが、次に襲ったのがこの酸欠。


(ベレロフォン……こんな芸当まで、できるなんて)


 遠のきかける頭で、恵奈は歯嚙みする。


 『空気の支配者エア・ドミネイター』は文字通り、空気の動きを支配する……と彼は語った。となれば、ある場所から空気をことも可能なわけだ。


 効果範囲が狭かった以前の能力では、あまり役に立たなかった技だろう。しかし、範囲が大幅に拡大した今では、こちらの戦法の方がスマートだ。


(って、評価している場合ではないわ。どうにか、切り抜けないと……)


 思い直す。

 恵奈は、無酸素状況でも二時間は活動できる。この真空圏から抜け出せなかったとしても、籠愛と戦うのは不可能ではない。


 だが。


(……問題はこの子、よね)


 改めて、身体の上に抱いた麗華を見る。

 すでに血管がひたいに浮いている。息が荒い。無酸素状態に入って30秒と経っていないが、もう窒息の症状が出始めている。


 どうやら麗華は、手塩や蘭子のような肉体派の英雄ではない……つまり、長い時間息を止める訓練はしていない。身体能力に関しては、一般人と変わらないようだ。

 人間は、わずか5分前後で窒息死するという。5分。そのわずかな時間で、片を付けなければならない。能力の発動元である籠愛を倒すか、あるいは麗華を『空気の支配者エア・ドミネイター』の効果範囲外に出すか。


「っ……」


 どちらも絶望的だ。


 前者については、恵奈に籠愛への攻撃手段が無いのが問題だ。彼は現在、上空50mほどの位置に滞空している……『宝石の暗器』は回収したが、彼は『風刃領域ランブリング・フェザーボール』を展開している。飛び道具は全て風の刃に弾き返される。その弱点を突く毒の粉も、もう残っていない。


 後者……効果範囲からの脱出については、おそらく籠愛は恵奈の周辺を狙って空気を無くしているので、『出る』というのは事実上不可能だろう。無酸素領域から出ようにも、領域の起点である彼自身が追ってくるし、領域そのものも恵奈たちを追ってくるだろうから、移動したところで変わらない。


 もはや、手は無い。恵奈にできるのは、ただ逃げることだけだ。5分ともたない麗華を捨てて。



 ――いや。



 、反撃の手段はある。


 さきほど、籠愛と戦った際。毒の粉の戦法を思いつく前に、踏み切りかけた禁断の手段が。


 それは――



(やはり、使うしかない……わたしの、を)



 恵奈は空を睨む。宙に浮かび、腕を組んで嗤っている籠愛を、睨む。


 その能力を使えば、恵奈の『何より大切なもの』……そのひとつを、失うかもしれない。だが、なりふり構ってはいられない。今は絶体絶命の状況。そして、その能力を使えば、打破できる状況だ。


 であれば、使わないという選択肢は、無い。



「――おこるは、我が怒り」



 口に出す。それは、その能力ちからを縛る鎖。そして、それを解く鍵でもある『言葉』。



べるは、我が決意おもい



 魂にかけた、枷が外れる。ひとつ、またひとつ。その度に、恵奈の周りの風景が陽炎のごとく揺らぐ。



「燃ゆるは、我が魂――」



 恵奈は麗華を地面に降ろし、右手を天に掲げる。すると、青白いそのてのひらから、火花が散った。



「我、此処にのたまおう。



 其は、が為にあらじ。



 其は、が為にあらじ。



 其は、が為にあらじ」



 ぼう、と。火花は小さな火の玉に変わる。冷たく青い焔ではない――しかしながら、灼熱深紅の炎でもない。


 黒。恵奈の翼や髪、鱗と同じ漆黒。全てを塗り潰し、総てを飲み込む闇の色。


「我が服膺ふくようの欠片を食らい、燃え盛れ――



 "黒燄煉劫儛レイム・オブ・リブレイズ"」



 瞬間。炎は、恵奈の全身に燃え広がった。白い肌も、髪も、牡牛のような角も、蛇の身体も、全てを黒き焔が覆い尽くす。


 なれど、恵奈は声一つ上げない。黒炎が身体を包んでも、微動だにしない。


 炎が、ついに全身を飲み込んでもそれは変わらなかった――否、恵奈は飲み込まれたのではない。主導権は炎の方ではない。


 恵奈が、黒焔をのだ。全てを灰燼へと帰す、昏き焔を。


 それは、さながら『鎧』のようだった。蛇の、そしてヒトの身体を覆った、いかなる攻撃も通さない、しかしいかなる防御も炎の鎧。


 滅龍轟哮バハムート


 それが、この凶暴なる鎧の名であった。


「さあ……反撃よ」


 黒より黒き、『魂』の黒焔。消して消えぬその焔を宿した蛇怪が、その黄色い双眸そうぼうを光らせる。

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