60. Lover's suffering


 ――と。


 炎の獅子の視線が、滞空する珠飛亜を見上げて静止する。



「え……うそ」



 もしや。よもや。まさか。



 見つかった。



「GOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!」



 咆哮する混沌キマイラ。巨体の青い炎が、さらに燃えさかる。

 その、貯水塔のごとくそびえる脚を浮かせ、は走りはじめた。家々を踏み壊し……いや炎の脚で透過して、飛んでいる珠飛亜に向け。


「うそでしょ――――っ!!!!」


 全速。絶叫、可能な限りの全速力で、珠飛亜は翔んだ。


 あの炎の塊となった綺羅に取り込まれれば、いくら珠飛亜でも自身の解凍はできないだろう。氷を溶かしたところで、周りは青い炎一色。すぐ再び凍らされるのが落ちだ。


 今はただ、逃げねばなるまい。理里を、綺羅から、守らなくては。



「蘭子ちゃん、お願いだから早く来て――――っ!!!!!」



 悲鳴をあげつつ、必死に翼を動かす珠飛亜だった。






 いた。あのひとが。


 わたしの愛するあのひとが。


 いつも優しい、そしてどこか哀しい目をした、あのひとが。



(おにい……ちゃん……)



 混沌キマイラは、そう呼んだつもりだった。だが、喉から出たのは醜い唸り声。


 自分は、こうも醜悪に変わってしまった。熱い。身体中が熱い。喉の中で巨大な毛虫が転げまわっているようだ。


 苦しい。あと少しで手が届きそうなのに。その私の手は、今やの前脚だ。



(たす……けて……。おにいちゃん……たすけて、よぉ)



 炎の身体では涙も流れない。ごうごうと目元が燃えるだけ。


(あつい……あつい、よう。くるしい、よう)


 たすけて。この寒くて熱い炎の牢獄から、わたしを連れ出して。


 わたしのことを、もっと見て。わたしは、あなたのことがすき。わらっているあなたをみているのが、しあわせ。あなたがいるだけで、しあわせ。


 あなたのためなら、この世界だって滅ぼせる。だから今、あなたの笑顔が、ほしい。いつもみたいに、笑って手を差しのべてほしい。そんなところにいないで、こっちを向いてほしい。


(おにいちゃん……おにい……ちゃん――)


 混沌キマイラの慟哭は届かない。蜥蜴は眠ったまま、それを抱く天使はぐんぐんと離れていく。

 蒼き炎の心臓で。浮世を氷に包む劫火の種が、ふたたびともろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る