第1章 第4節 「天馬騎士と氷の獅子」

29. Bathroom Disco



 高く、空を飛びたいと思った。

 あの、涼風すずかぜが吹き抜ける青空を。それだけで、十分だったのだ。


「ああ……私は……今頃、思い出した…………」


 雪風の吹きすさぶ宙を、青年がちてゆく。





「ふぃ~っ……」

 木製の浴槽にかり、理里は息をつく。がたがたした起伏の感触が心地いい。


 そこそこに豪邸である怪原家のなかでも、この浴室は特に作りが凝っている。壁は全て磨き上げられた御影石みかげいし、タイルも同じくだ。2人がギリギリ入れるか入れないか、という広さの浴槽は、ひのきで作られており、柔らかい木の香りが漂う。


 千利休の茶室にすら通ずる、この「和」のおもむき。これを日常的に感じられることは、怪原家に住んでいることの、最たる幸福のひとつだろう。


(……にしても本当に、勝ててよかったよなあ……)


蘭子との「かけっこ」から1週間。皆の傷も完治し、怪原家は完全に日常に戻った。この檜風呂ひのきぶろで温まる幸せも、あそこで蘭子に負けていれば二度と味わえなかったのだ。


 と、そこに……りガラスの向こうに、人影が。


「りーくん……入っても、いいかな」

「ゲェッ、珠飛亜ぁ!?」


 確認しながらもすでにガラス戸を開け、白いタオルを巻いただけの姿の珠飛亜が、遠慮がちに入ってきた。態度はひかえめであるが、行動がまったく控えめではない。


「ちょ、ちょっとタンマ……! タオル、タオル取って!」


 とりあえず股間を隠しつつ、理里は自分用のタオルが置かれている脱衣所の方を指さすが。


「えっ……いいの? うふふ、しょおがないなあ……」


 何を勘違いしたのか、珠飛亜は顔を赤らめながら、彼女自身のタオルに手をかける。


「オレのをそこから取ってくれって言ってるんだよ馬鹿ァーッ!!!!」

「はいはい、分かってるよ~♪ ちょっとからかっただけっ☆」


 理里が絶叫ぜっきょうすると、珠飛亜は素直に脱衣所に戻り、小さめのタオルを投げ渡した。


「それじゃ、お邪魔しまーす♡」


 再び風呂場に入って来た珠飛亜は、とりあえず木製の椅子に座り、シャワーで身体を流しはじめる。ニキビひとつ無いうなじや背中がまぶしく、理里は視線をそちら側に向けられない。


「……それで? 何の用だよ」


 なるたけ平静を装って、理里は問う。すると、珠飛亜はいたずらっぽい笑顔で振り向いた。


「おねえちゃんが弟といっしょにお風呂にはいるのに、理由がいるの? ……って、言いたかったけど。あはは、さすがにりーくんはするどいね!」


 空笑そらわらいをした珠飛亜は、シャンプーのボトルに手をかけつつ、声のトーンを落とした。


「りーくん、どう思ってるのかなって……蘭子ランちゃんのこと」


「えっ……ああ。蘭子さんか……」


 その名を聞いた途端、理里の表情もまた、くもった。


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