23. realize



「っ……!?」

 突拍子もない希瑠けるの行動に、理里りさと恵奈えなは言葉を失った。


 希瑠が噛みついた、吹羅の胸と腹部から、どくどくと血液が流れ出る。


「あ……兄上……?」


 吹羅はいまだに状況を理解できていない。うつろな目のまま、己の身体を嚙み締める犬の頭を、ただ眺めるばかりだ。


「正気か、貴様? いくら不死身とはいえ、実の妹を攻撃するとは」


 蘭子もまた驚き、スピードが少しばかり落ちる。


 その、彼女の侮蔑するような視線を。紅い希瑠の瞳が、見返した。


「攻撃……そうとも。これは攻撃だ。ただし、


「何ッ…………!?」


 次の瞬間。蘭子の動きが、ピタリと止まった。


 今まで微塵も蘭子を足止めできなかった吹羅の腰から生える蛇が、地面に根でも張ったかのように動かない。それに引っ張られて、蘭子は動くことができない。


「これは……貴様っ」

「思いついたのさ……一定以上吹羅に近づくと、結界が消滅してしまう。


 ならば……『結界そのものを、せばめればよかったんだ』」


 希瑠の周りに展開されていた、薄い銀色の炎の輪……すなわち、結界。それは今、希瑠の四つの足元のみを、それぞれ小さく囲んでいた。


 定められた法は『重力倍加ダブル・グラビティ』。レースの初めに蘭子を足止めするため、希瑠が使う予定だった技だ。


 蘭子に語るのとは別の口で、三つ首の希瑠は吹羅にささやく。


(すまねえ、吹羅……でも、こうするしかないんだ。オレもかなり限界が来てる……『重力変向倍加ダブル・シフト・グラビティ』だけで奴に追い付いて、動きを止めるには、もう……)


「……!」


 吹羅の目に入る、黒い犬の頭蓋のかぶと。その向こうに光る眼球から、血の涙が流れ落ちている。


 ここまで、希瑠は"楽園の王ロードオブシャングリラ"をフルに活用して、蘭子に追い付き、また蘭子を攻撃してきた。その代償が、ついに肉体にかかってきたというわけだ。


(『重力変向倍加ダブル・シフト・グラビティ』は、二つのことを一つの法で定める、いわば「合体技」……その分、負担も大きい。奴に届くには少し及ばなかった……


 だから、ここで俺が「はしら」になる)


 そう。言った希瑠の声に、迷いは無かった。


(吹羅。お前は「くさり」になれ。あのケモノを何としてもここにとどめるための「鎖」になれ。「柱」になった俺と一緒に、あの野獣をここに縛り付けて、理里を絶対に勝たせるんだ)


 希瑠は、犬の顔を苦痛に歪めながらもそう語った。


 彼の四つの足では、ばきばき、みしみしと音を立てて、骨が砕け散っていく。蘭子を足止めするには、今までのように希瑠の周りだけを安全圏にするわけにはいかない。希瑠自体が「重石おもし」、「柱」となって、蘭子を止めなければならない。そうとなれば、希瑠自身を重くしなければ意味がないのだ。


 己が身を犠牲にしても、必ずや蘭子を止める――その決意に。吹羅は、心を打たれた。



「……委細いさい承知しょうち!」



 きっ、と吹羅は蘭子の方を向く。


「やい、其処そこなる獅子女ししおんな!」


「あァ……?」


 今もなお、歩を進めようと踏ん張る蘭子が振り返る。その形相はまさに「鬼」。怒りを顔中かおじゅうたたえ、目に映るもの全てを喰らい尽くさんばかりである。


 しかし、吹羅はひるまない。


「貴様はこの我と、兄上が……我ら兄妹きょうだいが、一歩も動かしはしない! 例え天の牡牛グガランナに引かれようとも放してやるものか! 我が宿敵……怪原理里が貴様を追い抜く様を、指をくわえて見ておるがよいわ! わははは、わーっはっはっはっはっはっは!!!!!!」


 その笑い声は、わずかに震えている。顔色も青い。


 だが、だがその「信念」だけは本物だった。爛々と黄色い目を輝かせて、吹羅は震える手で、しっかりと。



 蘭子に向かって、中指を立てた。


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