17. Beauty and the Beast, Lolita and the Reptile
生き埋めにされる前に比べれば、速度はかなり遅くなっている。しかし、それでも時速百キロはゆうに出ているだろう。
ゴールの大滝までは、残り約2km。果たしてそこに辿り着くまでに、
蘭子が後ろを振り返ると。
その両手に……何か、光るものが見える。
(何だ、なにか仕掛けてくる気か? ……そういえば奴の姿、どことなく違和感があるような)
そして、次の瞬間――恵奈の両腕が、消えた。
……いや、消えたわけではない。超人的動体視力を持つ蘭子には、何が起こったのか容易に
すぐに目で追う。
(ああ、
違和感の正体が。恵奈が投げたものと同じ宝石が、じゃらじゃらと付いた恵奈の
つまり……そこに付いていた2つを取り外して、投げた。
ただの宝石でないことは容易に予想がつく。閃光弾か、はたまた爆弾か?
と、予想した
「ははぁ……」
どうやら蘭子の想定ほど、物騒なものではなかったらしい。要するに、アクセサリーを模した
「そんなものでこのわたしを止められるとでも? 貴様如きの
宝石の軌道を計算。狙われているのは恐らく……両脚。その予想着地点から外れるよう、蘭子は前に向き直り、少し左に移動して――
ぐさり。
「な――――」
右
(馬鹿なッ! 刃は確かに
そう思い、蘭子は己の右脚を見遣り――
そして、驚愕する。
「……これは……!」
先ほど、蘭子の右側を通り過ぎて行った2つの宝石……その先端に付いていた刃だけが、1本、蘭子の右脚に突き刺さっている。
よく見ると……その刃の
(そうか……そういう
孔に結ばれた糸の向かう方向は2つ。一方は、すでに道路に転がっている宝石へ。そして、もう一方は後方の恵奈へ。
つまり……投げられた宝石は、糸で恵奈の手元に繋がっている。それを引くことで、刃を外し、飛んでいく方向を変えられるというわけだ。
だが、しかし。
(この女……私が油断することを分かっていたとでもいうのか)
刃の方向を操れると言っても、刃を外すタイミングを誤れば、標的に命中させることはできない。しかし、この女の『タイミング』はあまりに完璧すぎる。何せ、刃が脛のど真ん中を貫いているのだから。
まるで、蘭子の動きを全て
「……ぐっ!?」
と、思い至った蘭子に。続けざまに2発、3発、宝石の
それを見た
「フハハハ、見たか
「
絶叫じみた声で、恵奈は飛行しつつも叱責する。いや、懇願にも近いだろうか……。
だが、聞こえてしまったものは仕方ない。
「み、未来予知、だとっ……ぐっ、ごほっ」
蘭子は走りながらも吐血する。脇腹に刺さった一本が効いた、のか。
(……恐るべき女だ)
その能力も、
(いや、
荒い息を吐き、身体を大蛇に拘束され、刃をいくつも突き立てられながらも、蘭子の心は明鏡止水。冷静に状況を分析する。
とはいえ、絶体絶命の状況には変わりない。不死身の蛇に
逃げることはおそらく不可能。今の蘭子の速さでは、すぐに追いつかれて終わりだ。向こうは飛び道具も使ってくることだし。
最早、
(――いや)
宝石の刃を構えた恵奈が、最後の一撃を下そうと飛来する中。蘭子は、思いついた策にほくそ笑んだ。
☆
ヴァイオレットに光る宝石の暗器を両手に構えて、
恵奈の視界には今、5秒後までの蘭子 (と
この能力を持つがゆえに、恵奈は上空から蘭子を監視する役を請け負っていた。希瑠が最初に失敗しなければそれで終わりだったが、それ以降は土砂のトラップで蘭子を確実に捕えるため、吹羅と「もう一人」に指示を出す役割を担っていた。
そして、その「山崩し」作戦さえも破られた今。ついに恵奈は、
どれも捨て鉢の作戦だったわけではない。全て、確実に仕留めるつもりで考えたものだ。
だが、だがこの女は、その全てを
ならば、こちらもまた膂力で彼女を破るまで。この"
「終わりよ、アタランテ!」
すでに彼女の動きは視えている。今、
突如、見知った顔が視界に
「……え?」
恵奈の思考が停止する。
自分によく似て切れ長で、
その少女は、恵奈の視界に投影された像をなぞって、恵奈の前に突き出された。
「なっ……?」
彼女もまた、何が起きたのか理解できていない。ただ、気づいたら目の前で母親が刃物を振り上げている。そんな状況。
その、小さい頃の恵奈によく似た顔を――少女が少し、ほんの少し恐怖に
恵奈は掲げた刃を、振り下ろすことができなくなった。
「ひ……卑劣なっ」
「甘いわアアアアアァ!」
鋭い蹴りが、吹羅の脇から飛び出し、恵奈の腹部をえぐる。
「がっ、あ……」
恵奈の身体が「く」の字に曲がる。いや、蛇である下半身を含めれば「ろ」だったり「る」であるかもしれない。
その隙を、蘭子は逃さない。
「ハアッ!」
腰が折れ曲がって
「ああっ!」
一撃で、それぞれの翼の骨が砕け散る。
「あっ…………痛っ……」
恵奈はそのまま、アスファルトの地面に突っ伏した。あまりの痛みに、起き上がることすらできない。
さらに――投影された『5秒後の視界』が、恵奈の希望を奪う。
「…………」
「"
黒いフィルムのように、アスファルトを上書きして恵奈の網膜に映し出された、『5秒後』に訪れる暗闇――それが1秒、2秒、3秒と、色濃さを増してゆく。
☆
「……凄いな、こりゃ……」
滝道に入り、山道をつらつらと(しかしながら、常人の数倍の速さで)駆け上がってきた
そこからの景色は、まさに「無残」としか表現しようがない。右手に見える山の、上半分ほどが消し飛んでおり、おそらくそこから流れ落ちて来たであろう土砂で川が寸断され
土砂は滝道にもその
その悲惨なありさまを見た理里の心に、少し、モヤモヤした思いがこみ上げる。
そもそも理里は、今回の作戦には少し不満がある。それは、この作戦のコンセプトが『遅い理里を速くして勝つ』のではなく、『遅い理里のために、速い蘭子を潰す』というものであることだ。
理里はできれば、自分の力で勝ちたかった。自分で練習して速さを身につけて、蘭子に勝ちたかった。それを、真っ向から理里の可能性を否定して、希瑠は走路妨害作戦に走った。いや、本当は彼が蘭子に復讐したかっただけなのだろうが、結果的にそういう構図になってしまった。
『家族全員に助けてもらって、ようやく勝てる』というこの状況。それは生まれ持った、『一人だけ雑魚』という劣等感を彼に思い出させた。
(……まあ、蘭子さんみたいに速くなれるわけもないしな)
理里は走りながら、自分に言い聞かせる。
彼女のスピードは音速を超えている。それはスタート地点でのあの惨状を見ればわかる。もともと弱いリザードマンである理里ごときには、一生かかっても追いつけないだろう。となれば、相手の性能を下げるしかない。
つまるところ、今回のような作戦しか選択肢は無かった。所詮自分は、誰かの助けなしには生きていけない男なのだ。
(そういや、
理里の
だが、結局のところ、あの女の言う通りだったわけだ。つまるところ、理里は家族が……姉がいなければ、なにもできないのだ。今回は
そう、理里があきらめを決め込んだとき。
「……ん?」
理里は気付いた。
土塁の
「――!」
その身柄に気付いたとき、彼は
「
「う……お兄、ちゃん……」
うつ伏せに倒れていた末の妹……綺羅。その
「おまえ……まさか、能力の」
「うん……ちょっとだけならだいじょうぶかな、っておもったけど……まけちゃった、みたい」
抱き寄せた綺羅の肌から時折、青い火の粉が散っている。それは、ほんの一瞬光ったかと思えば、小さな
血の気の無い頬を、綺羅はどうにか持ち上げて、笑顔をつくる。だが、それが理里を安心させるわけはなかった。
「俺が……俺があんな勝負なんて受けたから……俺が
「だいじょうぶ、だよ。きらは、じぶんで
「無理するな! 綺羅たちがここまでやってくれたんだ、もうあいつは沈黙したんだろう? 今すぐ母さんを呼んでくるから、お前は安静に――」
「……だめ」
きゅっ、と。小さな手が理里の体操服の
「……綺羅……?」
戸惑う理里。
それにも気付かない綺羅は、はあ、はあと息を二つほどついて、再び口を開く。
「まだ……まだ、おわってないの。あのおねえさんは、つちのなかからゾンビみたいにふっかつしたの。ママと、ひゅらが、追いかけていったの」
「……なんだって」
綺羅の言葉に、理里は戦慄する。
「だから、おにいちゃんは、はしって。きらも、がんばるから。じぶんのなかのかいぶつにまけないように、がんばるから。おにいちゃんも、がんばって」
「そんなこと言ったって……お前がこんななのに、置いて行けるわけないじゃないか! しかもお前は、俺のための作戦で、こんなことに!」
「いいの。きらが、じぶんでやりたいって、いったんだもん。だからきらは、いいの」
「いいわけあるかっ! せめてどこか、安全な場所にっ……?」
綺羅を抱き上げようとする理里。その頬に、今にも溶けて消えてしまいそうな、ひどく冷たい手が触れた。
その右手で、綺羅は、優しく理里の顔を撫でる。
「おにいちゃんは、きらに、いつもやさしくしてくれるから。だから、たまにはきらも、やさしくしたいの。
ほら……これ」
「……?」
綺羅は、震えるもう一方の手を握り、理里に差し出す。
彼女を抱きかかえていない、空いた左手の平を理里が持って行くと、ぎゅ、と綺羅はそこに何かを握らせた。
「――!」
それは、綺羅のお気に入りの、赤く細いリボンだった。
「おまえ……これは」
「これを、きらだとおもって。きらも、いっしょにはしるから。おうえん、してるから。
だから、がんばって。おにい、ちゃん」
その言葉を最後に、綺羅は目を閉じた。
「っ…………」
脈拍はある。小さな鼓動が、まだその
彼女は戦いに
「……ああ。お兄ちゃんも、がんばるよ。だから……だから綺羅も、絶対に負けないでくれ……」
妹の身体を、優しく地面に下ろし、理里は立ち上がる。
(……さっきみたいに
一歩、二歩。駆け出す度に、理里の身体が緑色の鱗で覆われていく。衣服が『魂』に取り込まれ、
快晴の空。陽光を反射する赤いリボンだけが、
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