16. Heretical white



「…………」


 怪原恵奈は、半人半蛇の姿をとどめたまま、先ほどまでに降り立った。


 清流がきらめき、モミジやクヌギなどさまざまな植物が生い茂っていた谷間の姿は、すでに其処そこに無い。木々はその根を張った大地もろとも小川に滑り落ち、川は倒木と土砂によって寸断されてしまった。


 そして、大きく削り取られた山の中腹。蘭子が叩き付けられ、埋められた場所を、恵奈は怜悧れいりな瞳で見下ろした。


「哀しいものね、自らのはやさに殺されるなんて。『おごれる者も久しからず』とは、よく言ったものだわ」


 己の策略で葬っておきながら、恵奈はうそぶく。


 ……と、そこに、ずるずる、と何かが這うような音。


「母上ー! 首尾は如何どうなりましたか!?」


 次女のひゅである。編み込みの解かれた長い黒髪を振り乱して、せかせかと恵奈の方へとくる。


 彼女の姿もまた既に、人のソレでは無い。恵奈と同じく下半身が蛇になっているが、しかしその鱗の色は母と対照的な純白だ。さらには、腰の辺りから6匹の大蛇がのたくり、頭にも角のように小さな蛇が2匹、顔を出している。


「上出来よ。無事、生き埋めにできたわ」


「それは重畳ちょうじょう! これで我が宿敵理里の勝利も決まったということですな、はっはっは!」


 腰に両手を当てて、吹羅は高らかに笑う。


「……そのまわりくどい話し方、何とかならないのかしら……」


「ほよ? 何かしなところなどいましたか?」


(なぜなの……普通の言葉でも難しく聞こえる気がする……)


 小首をかしげる吹羅に、恵奈は頭を抱える。


「……ほら、貴方も女の子なのだから。もう少し女の子らしい振る舞いをしてもいいのではないかしら……と思って」

「あーっ! 母上、この現世うつしよにおいてそのような発言、今はご法度はっとなのですよ! 男らしさとか女らしさとか! そういうのを押し付けるのは"せくはら"なのですよー!」

「そ、そうなの……?」


 ふふーん、と吹羅が得意げに、中学生にしては大きすぎる胸を張る。


 あまりメディアに触れることがない恵奈は社会の情勢にうとい。もっとも、「人間社会」に限った話ではあるが。


「そうです! あまり表立ってそういうことを口にすると、社会的に抹殺されてしまうのです……おお、表現の自由などあったものではない……なんと恐ろしい世紀末!」

「そ、そんなに言論統制が敷かれている感じはしないけれど……あ、その辺り。アタランテが埋まっているところよ」

「にゃんとぉ!?」


 驚いた吹羅が、長い身体をエビのようにらせて跳び退く。


「母上、もっと早く教えてくださってもいいではありませんか! いきなり復活したらどうするんですかぁ!」

「だって、あなたがあまりまくしたてるものだから……言うタイミングを失ってしまって」

「いやいやいや、我の命にかかわることじゃないですか! 真っ先に教えてくださいよう! あー怖っ」


 恵奈の横で尾を体育座りのように抱え込んで、がくがくと震える吹羅。


「……命にかかわるって、そもそも貴方あなた死なないでしょう」

「はっ! そうでした! そう、我こそは誰人にも滅されぬ永劫不滅の蛇竜! その名もヒュドラ! またの名を……"時の裁定者クロノス・ルーラー"! わーっはっはっはっは!」


「よくも毎度毎度違う二つ名を考えられるわね……感心を通り越して呆れるわ」


 低い声で高笑いをする吹羅に、恵奈は嘆息しながらも続ける。


「まあ、さすがにアタランテが復活することは無いと思うわよ。山の3分の1近い土砂を被せたのだから……仮に死んでいなかったとしても、当分は動けないわ。これも吹羅ひゅーちゃんのおかげね、実行したのはあなただもの」


 座り込む吹羅の頭をぽんぽん、と恵奈は撫でる。


 蘭子を土の下にうずめたのは、恵奈が「プランB」としていた作戦である。仮にスタート地点で希瑠がしくじった場合の保険として立てておいたものだ。恵奈が蘭子の動きを監視し、ポイントにたどり着き蘭子が無力化されたところで合図を送る。その指笛を受けて、吹羅は先日の豪雨によって緩んだ地盤のかなめを爆薬で刺激して、土砂崩れを引き起こす……というのが作戦の概要だ。


 無論、予備プランは他にいくつも有る。一つ目は失敗に終わったものの、二つ目が功を奏したので一安心、というところだ。


「ぐふふ、そんなに褒められると照れちゃいますぅ……」


 吹羅が満足そうに目尻を落とした――その時。



 が、恵奈の耳に入る。



『う…………随分と勝った気でいるじゃあないかァ、オイィ…………!』


「!?」


「っ!? 誰だ!」

 聞き覚えのないその声に、吹羅は辺りを見回す。だが恵奈には分かる。


 傷ついていながらもなお強さを失わない、ハスキーな女性の声。スタート地点で初めて耳にし、そしてつい先ほどまで、己の膝元で聞いていたはずの声。そう、それは紛れもなく――


田崎蘭子アタランテ……!? いったい、どこからっ」

「……!? アタランテだとっ!?」


 声の正体を知った吹羅は動揺する。


「そんなバカな! 先ほど、わたしが埋没させたはずではっ」

「ええ……それは私も見ていたわ。確かに、確実に彼女はそこに埋まったはず。そのはずなのに!」


 恵奈と吹羅、その両者の視線が、必然的にに吸い寄せられる。



『この私が……この、わたしが…………! これしきのことで、くたばると思ったかァ!!!!!!』



 河川を上書きした、固まりつつある土の大地に、小さな亀裂が走る。それはだんだんと広がり、ひびを超えて溝、土が砂に還り――






 拳。






 強く握られた左手が、地面を割って突き出でた。



「ひいっ!?」


 吹羅が思わず後ずさる。恵奈は、苦々しく顔を顰めて、その様を睨む。


『ただ道でズッこけて、土砂の下敷きになったくらいで、このわたしがたおれるだと……? ――笑止、笑止、笑止千万ッッッ!


 われアタランテだぞッ! 月女神アルテミスの信奉者、猪狩りのさきがけにして、アルゴナウタイの冒険者の一角! そして何より最速の英雄! 凡百ぼんぴゃくのノロマ共なんぞに、負ける道理は無いわァッッッ!!!!!!!』


 土を押し退けて、泥まみれの身体が、ゆっくりとくる。そう形容できるほど、吹羅たちからはその様は異妖に見えた。


 170cmの長身が、長い手足が、土砂を破ってにょきにょきと。さながら地中から芽吹く双葉のように。


 ばさり、と仰け反って、長い黒髪が広がる。髪留めはいつの間にか解けていたらしい。



「ふうゥ~ッ………………」



 しばらく反った身体で天を仰いで……ふいに、ぐいん、と身体を戻す。髪が柳のように大地にしなだれかかる。


 俯いた蘭子、しかし視線は恵奈と吹羅を捉えて離さない。その眼を見た吹羅は、再び、「ひっ」と声を上げて身をすくませた。



 獣。それは獣の眼だった。



 飢えた獣。如何どうやって獲物の首にかぶりつき、如何どう血をすすってやろうということしか考えていない獣。その在り方を表すように、カッと見開いた瞳は絶対零度。それはまるで深淵。こちらは見つめられている側のはずだというのに、否応なく視線が吸い寄せられる底無しのうろ


吹羅ひゅーちゃん! 何をしてるの、早くを縛り上げなさい!」


 恵奈の一喝に、吹羅はハッ、と正気を取り戻す。


「は、はいっ!」


 腰から生える白い蛇たちの首をヒュッ、と伸ばして、蘭子の両腕・首・腹部をとらえる。太腿から下はまだ抜けきっていないために、今はここまでだ。


 が、動きを封じられたにもかかわらず、蘭子は不敵に嗤う。そもそも、避けようとする動きすら見せなかった。


「ふふ……蛇の怪物か。その頭の数を見るに、ヘラクレスの第二の難行にて斃れた蛇だな。不死でありながら殺されるとは、滑稽の極みよ」


「ぜ、前世の話など覚えておらぬ! ち、知識として知ってはいるが」


 声色を強くする吹羅だが、傍目はためにはいまだ怯えているのが丸分かりである。蘭子はくす、と笑って続ける。


「思えば数奇な話よなぁ。そこここの英雄どもに倒されて全滅した、魔神テュフォーン女怪エキドナ餓鬼ガキどもが、生まれ変わって再び前世の親の元に集い、我々と戦いを繰り広げている、というこの事実。無論、全員が再集結したわけではないが……まるで何者かが、神話の再演を行おうとしているようにも思えないか?」


 含み笑いを浮かべる蘭子に、恵奈はぴしゃりと断言する。


「妄言ね。そんな、個々人の運命にまで干渉できるような存在は実在しない。少なくとも、この世界には」

「ふふ、どうだかな……確かに貴様は長寿だろうが。三千年かそこらで全て解き明かせるほど、この現世うつしよやさしくなどないぞ?」


「……何が言いたいの」


 恵奈が眉根を寄せると、蘭子はフッ、と鼻で笑う。


「さてね。我々以外にも、貴様らの安寧を脅かすモノは在るかもしれない……そういう、可能性の話さ。


 ……ところで。でわたしの動きを止められると、本当に、そう思っているのか……?」


 おのれを縛る白蛇に目をやって、蘭子は視線をその始点である吹羅に向ける。


「ひいい!?」


 吹羅が動揺し、蘭子を縛る蛇の拘束が、わずかに弱まる。その瞬間に、蘭子が恐るべき脚力で大地を爆散させ――



 ふにゃ。



「……………………む?」


 と、蘭子が想定したようなことは起こらなかった。



 ……というか、何も起こらなかった。



 神速を誇る異能・"疾風が如くアルターネイティヴ・シルフィーネ"を発動しようとした途端。蘭子の身体から、嘘のように力が抜けた。


「……も、もう一度」


 蘭子は、再び異能の発動を試みる。しかし、同じようにふにゃ、と身体の力が抜けるのみ。


「? ……?」


 不可解な現象にさしもの蘭子も困惑していると。


 ハッ、と、今まで両腕を顔の前に掲げて己を守っていた吹羅が、顔を上げる。


「そ、そうだった……! 我、何も怖がらないでもよかったではないか!


 我が異能、"穢れた世に生まれ堕ちたティ嬰児の奏でる旋律は仄暗い概念と確かな唯物論を覆す"は『触れた異能力を無効化する能力』……! こうして我が縛っている限り、こやつは異能を発動できない!」



「……………………………………………………………………………は?」



 耳を疑う蘭子を余所に、恵奈が嘆息する。


吹羅ひゅーちゃん、貴女あなた自分の能力も忘れていたの? 私はそれを計算に入れて、貴女に拘束を頼んだのだけれど」

「は――そ、そんなこと我もっていましたとも!? み、見たかアタランテ! まさに我の計画通りだ、わーっはっはっは!!!!!!!」


 苦し紛れの高笑いに空気が弛緩し、蘭子は状況把握の追い付かない頭を抱える。


「どういうことだ……『異能を無効化する異能』、だと? そんなものが存在していいのか…………? いや、それ以前に、ヒュドラの能力は不死ではなかったのか?」


「ええ……それもまた、この子の能力の。どうもこの子の異能は、多面的に定義できる能力らしくてね……詳しいことはこの子自身にも分からないらしいけれど。



 ……まあ、とにかく。


 これで『詰み』よ、田崎蘭子アタランテ! 貴女の神速を誇る異能は封じられた。その命……このエキドナが、直々に貰い受けるわ!」


 びゅう、と恵奈の黒い尾がしなる。今度は脅しではない。俊速しゅんそくの彼女の尾は、必ずや蘭子の身体をしたたかに打ちつけ、その生命を滅却めっきゃくせしめる。


 しかし、しかし、しかしながら。



「ハハァ……」



 蘭子の口元には、依然変わらぬ笑みが浮かんでいる。


「珍妙な異能力だ……いくばくかは面食らったが。それでも私の勝利は揺るがんよ。

なぜって……? ならば、使だけのこと」


「な……?」


 蘭子の言葉に恵奈は戸惑う。


「何を言うの! いくら英雄とはいえ、生身の人間がわたしたちに敵うとでも!?」


「『生身』……『生身』ねェ。

 だが、英雄というのは……『生身』で強く在ったからこそ成れたものなのではないかな?」


 再び、蘭子の身体に力がもる。露出度の高いユニフォームで露わになった腹筋が引き締められ、広背筋がぐぐ、と縮み、腕を曲げてもいないのに上腕二頭筋がコブのように発達する。


「――吹羅ちゃん、拘束を!」

「ええ、すでに強めています! しかし、この力……!」


 ずるずる、と吹羅は少しずつ、蘭子の方へと引き寄せられている。蛇腹じゃばらが少しずつ砂を押してゆく。


「……チッ!」


 やむを得ず恵奈が、ついにその尾の先を蘭子へ飛ばす――



 しかし。



「!?」


 爆発音にも近い、土砂が弾き飛ばされる音。その音と同時に、蘭子の姿が、消えた。


 否、蘭子だけではない。彼女を拘束していた吹羅までもが、その場から消え去っている。


「ぎゃああああああああああああああああ!!!!!!!!」


 後方から聞こえた悲鳴にハッ、として恵奈が振り返る。その遥か彼方、滝道の上に激走する蘭子の背。


 それも、自らを縛っていた吹羅をったままはしっている。お陰で、アスファルトの道路に身体を擦られる吹羅はたまったものではない。あまりの痛みに吹羅は悲鳴を上げた、ということだ。


「ちょ、我をひきずるなあああ!!!! そのスピードで走られたら、さすがの我もギブ! ギブギブギブっ!」

「ほう……ならば放してみるか? このわたしを。その瞬間に、君の兄上の敗北が決まるがな」

「……! そ、それは困る! 決して放さぬぞおおおおおおおあ痛い痛い痛い――ッ!」

「――っ、吹羅ちゃん! その子を絶対放さないで、今私も追いつくっ!」

 すぐさま恵奈はその黑い翼を広げ、蘭子の後を追う。


 一度、二度、三度。羽搏はばたく度に、幾間いくけんも距離を詰める。


 その中で。恵奈は内心、ほとほと呆れていた。


(全く……何てデタラメな女なの? 異能無しで、手負いでさえ、まだここまで膂力りょりょくがあるなんて。


 ……けれど)


 道路すれすれの超低空を飛行しつつも、恵奈はほくそ笑む。


(ここまでは。これ以上はたとえどれだけ足掻こうと、この私から逃れることは叶わない! 私の、からは!)


 追いすがる恵奈の、睫毛が長く切れ長の目元。その黄色い瞳が、あたかも獲物を捕らえた蛇のごとく、ギラリと光る。



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