6. レット・イット・ホーネット ①
「……まさか、これって!」
蜂たちが飛来する刹那。珠飛亜の脳裏に、3日前のハチの巣事件のことが蘇る。――やはり、あれは自然のものではなかったのだ。この『敵』が仕掛けた攻撃だった。
「ッ!」
珠飛亜は瞬時にブラウスの背中のボタンを外し、純白の翼を広げる。
『空に逃げようってかぁ? なるほど確かに、飛行の性能じゃあ俺の兵隊どもは敵わねえかもしれねえがなぁ…………飛び立つよりも前に、翼を潰してくれるまでだぜッ!』
声が号令をかけると、蜂の群れは二手に分かれ、それぞれの翼に向けて突撃する。
が。
「……はぁっ!」
珠飛亜はその場で一回転し、翼で群れを弾き飛ばす。
『……やるな。だが、これはどうかなッ!』
先行していた蜂は削り取られたが、後続の蜂たちは珠飛亜の回転の動きに合わせて飛行し、翼にとりつく。
『もらったぜッ!』
びっしりと翼に張り付いた、オレンジと白の体毛を持つ蜂たちが、一斉に羽根に針を突き入れる――
しかし。
『なぁっ!?』
ボキリ、針は固い反発に叩き折られた。
『バ、バカなぁ!』
「悪いけど、見かけよりあたしの羽根カタいんだよねっ! 遠慮なく逃げさせてもらうからっ!」
針を失った蜂たちを振り落とし、まだ痛みに苦しむ理里の襟首をひっつかみ、珠飛亜は空へと舞い上がる。
『ケッ、そうは問屋がおろすかよ!』
いっとき後退した蜂たちだったが、すぐさま追撃へと行動を切り替える。
翼を動かし、5メートル、10メートル、15メートルと上昇しながらも、珠飛亜は考える。
(どうしよう……? このまま家に戻っても、ハチの群れをみんなにけしかけることになるだけ……。希瑠お兄ちゃんか、綺羅ちゃんあたりの能力ならなんとかできるかもしれないけど、これだけの群れを殲滅できるかどうかは分からない……
……だったら!)
意を決し、珠飛亜はさらに高度を上げる。
渡り鳥を追い抜き、目指すは灰色の雲海。されど、蜂の群れは追撃の手を緩めることはない。通常の蜂では辿り着くはずがない高度でも、彼らはものともせず追って来る。
(――いや、そうでなくっちゃ困る)
珠飛亜は内心でほくそ笑む。
雲海が見えてきた。躊躇せず、翼をはためかせる。
ぼふう、と澱んだ雲に突入した。ファンタジー絵本で見るようなふわふわとした感覚は無い。霧の中を通り抜けているように、ただ灰色が過ぎ去っていくのみ。
ひゅう、と雲を抜け、真っ青な空に視界が塗り替わったその時。
(――今ッ!)
珠飛亜は、右手を眼下の雲海にかざした。
「『
瞬間。
右手をかざした先の雲海の一部が、
『な!?』
いまだ雲の中を飛んでいた蜂たちは、その「水の雲」に捕らわれた。
「いくよっ……"
珠飛亜の掛け声と同時、群れを閉じ込めた水の塊が、ゆっくりと渦を巻き始める。
『こ……こいつは、まずいっ』
すぐさま蜂の群れは水中から脱出しようとするが、強力な水の流れに動きを阻まれる。
その間にも、だんだんと渦の勢いは激しくなってゆく。はじめは水面に生まれた小さな渦のようだった流れが、しだいに大河、濁流、そして渦潮もかくやの激流へと変貌し、捕えた小さきモノたちの身体を千切り飛ばしてゆく。
「いっけえぇえぇぇ――――――――――ぇッッ!!!!!!」
螺旋。旋。旋、旋、旋、旋、旋旋旋旋旋旋旋旋旋旋旋――――水の竜巻とまで形容できるほどに凄烈な渦流。並の動物はおろか、低級の怪物であろうとも耐えられぬほどの激流に、たかが羽虫が耐えられるはずもなく。
――ぱんっ、という破裂音。
渦は
「事前にあたしの異能力、調べてたんだと思うけど。こういう応用があるってことも想定しとかないと、戦士失格なんじゃない?」
堕ちてゆく蟲の欠片を眺めながら、珠飛亜は呟き――ふいに聴こえた
しかし。珠飛亜の緩んでいた警戒心が張り詰めた時には、すでに遅い。
「――――っ!?」
視界に急接近してくる、一匹のオオスズメバチ。対応する間もなく、それは珠飛亜の体感的にはゆっくりと、しかし実際は急速に、彼女の眉間に到達し。
腹部の針から毒液を、
「っああッ!?」
珠飛亜の両眼を激痛が襲う。
「あああぁぁああぁあああァ―――――ッ」
思わず両眼を抑える。と同時に、左手で掴んでいた理里のブラウスの襟が、離れた。
「あっ……!」
一瞬、目を開けようとする。しかし凄絶な痛みに襲われ、すぐに目を閉じてしまう。
「ぐうっ……待って‼」
最早羽ばたくことも忘れて、落ちるように珠飛亜は彼を追った。守ると決めた彼を、必ず自分が守ると決めた彼の命を、落としてしまうなんてあってはならない。私が、あの子を殺してしまうなんて。そんなことになれば、自分は生きていられない。
目も見えない。最初に刺された脊骨にも激痛が走り続けている。それでも、わき目もふらず、びゅうびゅうとうるさい風の中、ただ感覚だけで彼を追い――
ふいに、前方に「ざぱん!」と大きな音、顔にかかる泥臭い
そして――珠飛亜は水面に、顔面から叩き付けられた。
「がばぁっ!?」
そのままびしゃり、ばしゃりと水面を転がり、三度目の着水で、ようやく身体がどろどろの水中に沈む。
「ぶはっ、はあっ――はあっ」
浮かび上がり、口に入った藻を吐き出して、目蓋を開けると、そこは近所の公園のため池だった。着水の際に目に入った毒は流れたらしく、まだ少し痛いが、視力に支障をきたす程ではない。
「りーくん! りーくんっ!」
呼びかけながら辺りを見回して、数メートル先に浮かぶブラウスの背中を見つけた。痛みを押して、水中をもがき、彼のもとまで泳ぎ着く。
そのまま彼を抱え、苦し紛れに水を掻いて、背の高い草が群生した岸まで行き着いた。
「りーくん! 大丈夫!? ねえ、りーくんっ!」
「げほっ……かはぁ」
両肩をひっつかみ、身体を揺さぶりながら声をかけると、理里は咳をし、泥水を吐き出した。
「ああ、よかった……りーくん……りいくぅん……!」
濡れた身体を抱きしめて、珠飛亜は弟の体温を確かめた。少し冷えているが、暖かみがある。生きているモノの温もりがある。
「ごめん……ごめんね……本当に……ごめん……」
まだ意識もはっきりしないだろう耳元に、涙声で謝った。痛みよりも何よりも、後悔、そして申し訳なさが、珠飛亜の中には募っていた。
「お姉ちゃん、手を放しちゃった……! 守るって言ったのに、絶対に誰にも触れさせないって言ったのに! わたしが、手を離しちゃったの……。でも、生きててよかった、本当に……」
理里は返事をしない。おそらく、言葉を発する気力さえもないのだろう。
「さ、とにかく、帰ろう? さっきので敵はいなくなったはずだから、もう心配な……っ、」
彼を助け起こそうとして、ぬかるんだ岸辺に膝を滑らせた。泥飛沫が飛び散り、湿った地面にうつ伏せに倒れ――そして、あることに気がついた。
「あれ、れ……? か、からだが、うごかないや」
珠飛亜の肉体は、かなり消耗している。だが、動けなくなるほどではなかったはずだ。彼女の耐久値は、怪原家でも3本の指には入る。
しかし、動くはずの体は、ただ
「――やれやれ、やっと毒が回ったか」
「っ!? 誰っ――」
若い男の声に、顔を上げようとするが、首が震えるだけで動かない。
代わりに視線を上げると、茂みの向こうから姿を現したのは。
――珠飛亜がよく見知った、男だった。
「タイガ……くん…………?」
ぐしゃぐしゃにパーマがかかった、黒髪混じりの金髪。まだ幼さの残る童顔。ボタンが全て開けられた、黒い学ランのようなジャケットと、「
その姿は、珠飛亜の生徒会での後輩・
「ご無沙汰です、珠飛亜先輩。いや……怪物『スフィンクス』」
ふてぶてしくポケットに手を突っ込み、棒付きキャンディをくわえた大河は、あまりにもいつも通りで。それゆえに、珠飛亜は未だに信じられなかった。
「なんで……? なんで手塩くんだけじゃなくて、大河くんまで……? わたしたち、いっしょに生徒会がんばってきたよね? 文化祭も、球技大会も、みんなでやって……すごく、すごく楽しかったよね?
卒業式のときは、始まってすぐに大河くんが泣いちゃって…………しょうがないなって、みんなで笑いあって。
あれが、嘘なわけないよね……? まぼろしなんかじゃ、ないよね?」
「……いいや。ありゃあ全部、まやかしですよ」
大河は、無慈悲に珠飛亜を見下ろした。
「最後まで真実を知らねえってのも気の毒だから、今教えときますけど。……俺や手塩だけじゃねェ。生徒会のメンバーは、お前を除く全員が"英雄"だ」
「っ……!?」
呆然とする珠飛亜に、大河はゆっくりと歩み寄る。
「お前は
何かが、壊れていく音がした。自分が、自分たちがあの1年を投じて造り上げた
「そん……な……みんな、みんなが」
「そういうわけで、あんたには死んでいただく。……悪く思うな。これも世界のためなんでね」
そう告げた大河が左手を掲げると。茂みの奥から、新たな蜂の群れが現れる。
「あ……ああ…………」
「あれで全滅だと思ったか? そりゃあ甘い考えだぜ。
俺の異能"
掲げた左手を、大河が振り下ろそうとした刹那。
「……あぁ? 何だ、死に損ないが」
うつ伏せの状態で。珠飛亜のそばに倒れていた理里が、大河の右足首を掴んでいた。
「おまえ……許さない、ぞ……」
「……オイ、離しやがれ」
大河が脚を振るうが、理里は離れない。離さない。
「おまえは……おまえらは……集団ぐるみで珠飛亜の心を踏みにじった……。珠飛亜がどれだけ生徒会を大事にしてたか……その、珠飛亜の一番大切な場所を、お前は粉砕したッ……!」
「ンなこと知るかよ。
「おまえは……おまえはアァ――――――――ッッ!!!!!」
叫ぶと同時に、理里の左目が、黄色く染まる。蛇のごとく瞳孔が細くなった虹彩から、金色の光が漏れはじめ。
黄金の閃光が、辺り一面を染めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます