第七話 誤越同舟

1.月光

 私は今、屋根の上にいます。

 マスターとともに滞在している川沿い亭は四階建てで、その屋根の上は見晴らしも良く、こうして夜の星を眺めるのにも最適です。

 ですが、私がここにいる理由は夜景を楽しむためではありません。充光のためです。自動人形は安定して稼働するために週一回、月の光を浴びて充光しなければなりません。今夜は、先日までの不安定な天候が嘘のように雲のない綺麗な夜で、さらに満月です。充光は月が満月の状態に近ければ近いほど短時間で終了します。つまり今日は自動人形が充光を行うのにうってつけの日だということです。

 私はマスターの許可を得てから三階の窓の桟を蹴って屋根の縁を掴み、懸垂の要領で上体を持ち上げ、壁を蹴った反動で身体を回転させることで屋根の上に到着しました。ここなら誰もいませんし、この街には四階建ての川沿い亭より高い建物はありません。私はフード付きのマントを脱ぎました。宿や街中で関節部分が露出するような行為は避けるようにマスターには言われていますが、この時間のこの場所なら問題ないはずです。私は開放的な気分に浸りながら、満月の光の下に自分の身体を晒しました。

 マントの下には、動きやすさを重視した比較的面積の小さな衣類を身につけています。胸部は伸縮性のあるチューブトップが巻いてあり、右側だけに肩紐が付いています。下肢はハーフパンツですが、太ももの横側がざっくりと開いています。これは着衣が蹴る動作を阻害しないためです。パンツのスリットからは、腰部と大腿部を繋ぐ大きな球体関節が露出しています。関節は片手だけでも手首込みで十五カ所、他にも胴体や足の指を合わせて全部で五十二カ所あります。人間のふりをするためにはマントをしてフードを被り(人形である私の顔は人間離れして端整な造りで人目を引きますし、目立ちにくいですが首にも関節があるためです)、手袋をして過ごさなければなりません。人と違ってストレスが溜まって病気になるようなことはありませんが、隠蔽行動を継続するのは少し息が詰まります(実際に呼吸をしているわけではありませんが)。なのでこうしてマントを外す機会は私にとってとても有益です。

 月の光を浴びながら、私は束の間のバカンスを楽しむような気持ちで屋根の上でくるりとターンし、それから長座位を取りました。

 その時、かたん、と何かが動く音がしたのを私の聴覚が拾いました。

 振り返った私はまるで人間のように、あっ、という声を出してしまいました。

 四階建ての四階に、一部屋だけ大きな部屋があることを私は理解しています。ですが、その部屋の出窓が一カ所、屋根から飛び出るように設置されていることを私は知りませんでした。そして今、振り返ってそのことを知ったのです。

 現在、その出窓は閉まっており、人影もありません。ですが先ほどの木枠の軋んだような音は、音量と方角から考えてあの出窓に間違いありません。

 四階に宿泊しているのはオーナーであるバークリィ氏です。

 ――見られた!

 私はそう理解しました。ですがもうどうしようもありません。こぼれたミルクはもう元には戻らないのです。

 私はフード付きのマントを拾い上げ、身につけました。満月のおかげで充光はもうすでに最高値まで達しています。

 私の頭の中で、早くマスターの元に戻らなければという思考と、いま戻ることが状況を悪くするのではないかという思考の二つが均衡しました。そのことにより、私は一時的に身動きがとれなくなってしまいました。

 私はバークリィ氏の行動について理解できませんでした。氏の意図も今後の行動も分かりません。分からないことがいくつも重なると私はこうして身動きがとれなくなります。対象を破壊せよ、だとか、A地点まで移動せよ、といった指示であれば即座に行動に移れるのですが、こういった理解の難しい内容に対し、総合的に判断し最適解を導き出すことは自動人形にはとても困難なのです。これは枠組み問題と呼ばれる物で、自動人形はこの問題を克服できないままにそのブームを終えてしまいました。ですのでこういった場面に遭遇すると、私はこのように停止してしまうのです。

 ただ、対処療法的な対応策として、硬直したまま四十秒経過すると、問題を一旦放棄し、活動を再開できる仕組みになっています(ただし、根本的な問題が解決しない限り再び停止してしまうことになります)。

 私はマントを羽織ったまま、屋根の上で四十秒の停止を余儀なくされました。

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