第342話 声は耳に、文字は目に、想いは心に
二月十四日、日曜日――バレンタイン当日。
朝食を食べ、片付けなどを済ませた緑依風は、調理室の冷蔵庫にしまっていた白い箱を取り出し、クラフト紙で作られた紙袋の中にそれを入れようとする。
「……手紙渡すの、やっぱりやめようかな」
緑依風は、紙袋に先に入れておいた風麻へのラブレターを取り出し、ぽつりと呟く。
亜梨明に提案されてから、三日間。
緑依風は何度も練習書きをしては、書き直し、読み直し、そしてまた書き直してを繰り返し続け、結局完成したのはつい数時間前――午前三時だった。
おまけに、これを読んだ風麻にどう思われるか考えてしまったら、緊張してなかなか寝付けず、今になって頭がぼんやりして眠気を感じる。
コンディションは最悪。
だが、ケーキは昨日試食用に作った物を食べたら美味しくできていたし、手紙の内容も、直接声にするより素直な気持ちを表すことができた気がする。
恥ずかしいし、正直な自分の感情を風麻がどう受け止めてくれるかはわからないし、不安もいっぱいだが――。
「……いやいや、覚悟決めよう!せっかく書いたんだし!!」
緑依風はパチンと自分の頬を叩くと、当たって砕けろと心に言い聞かせながら家を出て、お隣の坂下家のインターホンのベルを押した。
ピンポーンと音がすると、モニター画面を確認した風麻が、「お~っ、今行く」と言って、軽快な足音を立てながらドアを開けた。
「よっす!待ってたぞ!……って、どうしたそのクマ?」
緑依風の顔を見た途端、風麻がギョッとしながら聞く。
「ん?あぁ……ちょっと寝不足……でも、帰ったら少し仮眠取るから大丈夫!」
「ケーキ作ってくれんのは嬉しいけど、寝る時間削るようなもんなら……」
「あぁ、違う違う!ケーキはこの間言った通り、金曜に完成させてたから」
緑依風はそう言って、風麻の後ろを歩き、彼の部屋へと通された。
「はい。ハッピーバレンタイン!」
緑依風がケーキの箱を取り出すと、風麻は「サンキュー!」とお礼を言って、箱を受け取った。
「今年ももらえてよかった……っ!二月になってから俺、去年のことめっちゃ後悔して……っ!」
「だからあげるって言ってたじゃん。それより、早速感想聞かせてよ!」
もらえたことに安堵し、じーんと震える風麻に緑依風が言うと、彼は箱を開けて中身を見た途端「ほわぁ〜〜!!」と歓声を上げた。
「美味そう〜っ!バタークリームケーキって聞いた時は、黄色いバターを想像してたけど、チョコレートとアーモンドかぁ……!」
デコレーションには、薄く削ったチョコレートをふんだんに乗せ、アクセントに砕いたアーモンドも添えた。
「チョコレートケーキ続きだけど、こっちのはガトーショコラよりコクがあって、また違った味なんだよ!」
緑依風が説明をすると、風麻は「チョコ好きだから連続でも全然問題なし!」と言ってフォークを手にし、早速一口目を食べる。
「うっまぁ〜っ!!」
風麻が目を輝かせると、緑依風はクスッと笑った。
「味濃厚~っ!あと引く〜!!すっげ~美味いっ!!」
風麻はケーキを大きくカットしながら、次々と口に運んでいった。
「バタークリームのって初めて食べたけど、俺これすごい好きかも!!」
「それ、かなり高カロリーだから、半分食べて、明日残り食べなよ」
緑依風が風麻のカロリーバランスを心配するが、風麻は「後でランニングするから平気」と言って、パクパクケーキを食べ続ける。
緑依風は、そんな風麻を見つめながら、緊張した面持ちで紙袋の底にあった手紙を取り出した。
「あと……これも、あげる……」
「ひゃんだこれ?」
風麻がフォークを咥えたまま、緑依風から差し出された物を受け取る。
「えっと……見ての通り、手紙……」
「えっ、まさか……ラブレター?」
「かっ、感謝の気持ちっ!!」
緑依風はそう言って、恥ずかしさのあまり彼から目を逸らす。
「えと……私、口下手だから……文字にしてみたの。それに、ケーキは食べたら無くなっちゃうけど、手紙は消えないでしょ?何か風麻の手元に残るもの……持ってて欲しくて……」
緑依風が消えそうな声でそう告げると、風麻はケーキの最後の一口を飲み込み、封筒を見つめた。
「……今、読んでいいか?」
「えっ、いいけど……恥ずかしいから後ろ向いてる……っ」
「ん……」
緑依風が背中を向けると、彼は早速封筒を開けて、手紙を読み始めた。
◇◇◇
風麻へ。
年賀状以外で、風麻にこうやって文章を書くのは初めてだね。
前も話した通り、私は五歳の誕生日の時から風麻が大好きでした。
でも実はその前から、私が怖がってできないことに臆することなくチャレンジしていく風麻のことを、ずっとかっこいいって思ってたよ。
強くて、勇気があって、優しい風麻。
私が名前のことでいじめられた時、風麻は自分より大きな体の子三人を相手に立ち向かって、私を助けてくれたね。
私の元気が無い時は、誰よりもすぐに気付いて励ましたり、笑わせようとふざけてみたりして、いつもそばにいてくれた。
だからこそ、風麻が私と同じ想いを持っていなくても、自分の気持ちを封じ込めてでも、風麻と一緒にいられることの方を選んで、風麻に好きだってバレちゃわないように必死で、嘘ばかり言って、風麻をたくさん嫌な気持ちにさせちゃったけど……。
それでも友達をやめずにいてくれたこと。
私が危ない時は、体を張って助けてくれたこと。
私の気持ちを知ってから、いっぱい悩んで私の心に歩み寄ってくれたこと……全部、全部にお礼を言いたい。
本当は声に出してたくさん言えたらいいけど、それはやっぱり恥ずかしいから。
だから、手紙で伝えます。
ずっとそばにいてくれて、守ってくれてありがとう。
大好きです。
◇◇◇
「…………」
緑依風は膝を抱えるような格好で座りながら、風麻が読み終えるのを待っていた。
カサッと、風麻が便箋を捲る音がすると、心臓が大きく揺れ動く。
風麻は今、どんな気持ちで手紙を読んでいるのだろう……?
便箋は二枚使った。
もうそろそろ読み終わるだろうと、緑依風の緊張がより一層高まった時だった。
カサッと、また紙が擦れる音がする。
そして、それを数回繰り返したところで、ズズッと鼻をすする音まで。
「(えっ、泣いてる……?)」
緑依風が振り返ると、風麻は目元を潤ませて、「あ~っ、これはやべぇ~……」と言いながら、目頭を押さえていた。
「ちょっ、なんで……?っていうか、鼻水すごすぎ……!」
緑依風が慌ててティッシュを取って、風麻に渡すと、「なんでもこうもあるかよぉ~っ……」と彼は鼻をかみ、滲んだ涙をグイッと手のひらで擦った。
「え、嫌だった?それとも感動してくれてる……?」
「感動の方に決まってんだろぉ~っ……!!」
風麻は天井に向かって涙声で叫ぶと、ズビーッと鼻音を立て、赤く腫らした目で緑依風を見据える。
「お前さ~、これはずるいよ……」
「ずるい?」
緑依風は、予想だにしていなかった展開に、まだ驚いたような顔をしている。
「だってよぉ……ここに、緑依風の俺への気持ちがめっちゃ詰まってるんだもん。それを読むたびに、全部がど真ん中にぐわ~って流れ込んで来てさ……」
風麻は自分の胸の中心を拳で軽く叩き、もう一度手紙に視線を移す。
「こちらこそ……だ」
「えっ?」
「“ずっとそばにいてくれて”って。俺だって……緑依風がいない毎日は考えられないくらい、緑依風がそばにいてくれることに安心してる。緑依風を守ることで、俺は俺自身を守ってんだ……。だから、こちらこそ……ありがとな。俺も……大好きだ……!」
「うん……!」
緑依風が頷くと同時に、風麻の両腕が彼女の体を包み込み、二人で幸せを確かめ合う。
「(手紙……書いてよかった)」
大好きな人の温もりの中、緑依風は目を閉じ、一年前のこと――今日までのことを振り返る。
そして、去年流したものとは違う涙がじんわりと滲み出し、彼の背に回した手にキュっと力を込めるのだった。
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