第341話 友チョコ(後編)


 放課後。


 料理サークルのメンバーは、緑依風に教わりながらガトーショコラを作っている。


 本に書いてあったのは、ホール型の丸いガトーショコラだったが、切り分けてラッピングしやすいようにと、今回はパウンド型を使った、長方形状に作ることにした。


 これまで、パンケーキやクッキーといった、簡単なお菓子作りなら作ったことのある料理サークルメンバーだが、初めて本格的なケーキを作るということで、今日はいつもより緊張した面持ちで手順を確認したり、材料を刻んだりしている。


「メレンゲ……上手く混ざってたかなぁ……」

「松山さんに確認してもらってたし、大丈夫だと思うけど……。私も粉がダマになってないか、ドキドキする……」


 ガトーショコラは緑依風がお手本で一本、亜梨明と楓のペア、星華と晶子のペアで、協力しながら一本ずつの、合計三つ分を焼いているのだが、皆不安なのか、使い終わった調理器具を片付けながら、オーブンの中をじっと眺めている。


「う~っ、失敗したらどうしよう~っ!」

「私達の分は、亜梨明さんの彼氏も食べるんだものね……」

 亜梨明と楓がギュッと顔に力を込めて言うと、「大丈夫だよ~!」と緑依風が言った。


「ちゃんと膨らんで来てるし、味見もしやすいためにって、四角い形で焼くことにしたんだから。それに万が一失敗したとしても、その時は明日私の家でもう一回作り直そう?ねっ?」

 緑依風が亜梨明の肩を優しく叩くと、「うん!」と亜梨明は頷き、ボウルの水気をふき取った。


 しばらくすると、調理室いっぱいに甘いチョコレートの香りが広がり、不安いっぱいだった部員達の表情も、ほわんと緩やかになってきた。


 オーブンのアラームが鳴り、火傷しないように気を付けながら取り出し、冷ましているうちに、今日の活動レポートを書いておく。


 粗熱が取れたら、雪のように白い粉砂糖を上からふりかけて――。


「おぉ~っ!」

「すごい、ちゃんとガトーショコラです!!」

 星華と晶子がはしゃいだ声を上げると、「あとは味……」と、亜梨明が再び硬い表情になり、八等分に切り分ける。


「カットできたら、早速味見しようか!冷蔵庫から泡立てた生クリーム持って来て……あっ、写真も撮らないと!」

 後で梅原先生に写真を送り、印刷してもらうために、各々自分達が作ったガトーショコラを撮影する。


 写真を撮り終えると、五人は椅子に座り、ガトーショコラの試食会を始めた。


「うっわ、うまっ!」

「おいしい~っ!」

「チョコの味がすごく濃厚……!」


 どうやら全員上手くできたようで、星華、晶子、楓が目を大きく見開きながら感想を述べている。


「よかったぁ~!これなら安心して爽ちゃんに食べてもらえる!」

 亜梨明も嬉しそうに目を細め、「早く爽ちゃんに渡したい」と言いながら、ガトーショコラを口いっぱいに頬張っていた。


 *


 ラッピングを済ませ、戸締りをしていると、先に部活を終えた風麻と爽太が、調理室前まで緑依風と亜梨明を迎えに来ていた。


 靴を履き替えに移動すると、爽太の靴箱にはまたもやバレンタインのプレゼントが入れられており、彼は参った顔で苦笑いし、「もう……」とため息をつきながら、お菓子の入った紙袋を取り出した。


「もらったものはちゃんと食べてあげてね」

「知らない人からの手作りは不安だから、お店で買ったやつだけにしとくよ……」

 爽太はそう言って、鞄の中に紙袋をしまい込み、来年以降は何か対策をしないとと考え始める。


「俺は心配しなくても、一個も入ってないぞ!!」

 風麻が両手を腰に当て、ふんぞり返るような格好で言うと、緑依風は「それ、自分で言ってて悲しくない?」と笑った。


 *


 薄闇に染まる道を歩きながら、風麻は緑依風が作ったガトーショコラを食べている。


「はぁ~っ、疲れた体にチョコの味が染みわたる~っ!!」

 亜梨明は十四日にガトーショコラを渡す予定だが、緑依風はつい先程風麻に「私からのフライングバレンタイン!」と言って、渡したのだった。


「当日はもっと気合い入れたやつあげるからね!」

「本命は明日作るのか?」

「ううん、味を馴染ませた方が美味しいやつだから、今日の晩に作って、一日寝かせてから日曜に風麻んちに持ってく。そのガトーショコラも、実は明日の方がもっとしっとりして美味しいんだよ?」


 緑依風が説明すると、風麻は「えぇ~っ、それ早く言ってよ!もう全部食べちった……」と、がっかりした顔になった。


「じゃあ、私の残りの分明日食べれば?まだあるよ?」

 緑依風が自分用に取っておいたガトーショコラを渡すと、風麻は「やった~!サンキューっ!!」と喜んで受け取った。


 そしてその夜。


 夕食を済ませた緑依風は、北斗の調理室を借りてチョコレートのバタークリームケーキを作っていた。


 日付が変わる頃、緑依風が四等分に薄くスライスしたスポンジケーキに、チョコレートと合わせたバタークリームを塗っていると、「ただいま」と、北斗がドアから顔を覗かせた。


「お父さん、おかえり」

 緑依風が顔を上げると、「バレンタインの?」と北斗が聞く。


「うん……あっ、これスポンジの切れ端で、こっちのクリームも味見てもらえない?」

 緑依風が北斗に味見を頼むと、北斗はそれをまず別々に、そしてその後はスポンジケーキにクリームを乗せて確かめる。


「……うん、いい味だ」

 父の感想に緑依風が安堵すると、「緑依風が作るケーキは、優しいね」と言った。


「えっ?それってどういうこと?」

「クリームの甘さ、ケーキの食感……これは、風麻くんの好みに合わせた味なんじゃないか?」

「な、なんでわかったの……」

 緑依風が少し恥ずかしく思いながら表情を歪めると、「わかるよ。父さんが教えたレシピの味じゃない」と、北斗は言った。


「……それって、やっぱりお父さんからするとイマイチってこと?」

「確かに、これを木の葉で出すって言われたら売り物にはできない。うちの商品にするなら、全体的にもう少し甘さを抑えて欲しいし、スポンジに使うチョコレートの種類も変えてもらいたい。……けど、このケーキは緑依風が“食べてもらいたい人のためだけのケーキ”だ。風麻くんが喜んでくれることを考えて、改良したんだろ?」

「……うん」

 緑依風が頷くと、北斗は寂し気な微笑みを浮かべ、ケーキを見つめる。


「大切な人のためのケーキなんて、俺はもう何年作ってないだろう……」 

「…………?」

「――さて、父さんはご飯食べてくる……っ、いたた……」

 北斗は長年重労働な生活で痛めている腰をさすりながら、調理室を出ていく。


 緑依風は、微かに聞こえた父の独り言の意味が気になったが、すぐに作業を再開し、このケーキを食べてくれた風麻の喜ぶ顔を思い浮かべた。


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