第340話 友チョコ(前編)
二月十二日、金曜日。
緑依風が風麻と共に学校へ向かう途中、後ろから相楽姉妹と爽太が「おはよう」と声を掛け、五人揃って校門を通り抜ける。
上靴に履き替えるため、それぞれのクラスの靴箱へと移動した後、四人の中で唯一クラスの違う爽太が、「あの……」と、困った表情で三組のロッカー側へとやって来た。
緑依風達が爽太に振り向けば、彼の手には二つのラッピングされた箱や袋が存在し、「靴箱開けたらもう入ってて……」と、困惑した様子で立ち尽くしている。
「まさかのフライングバレンタイン……」
「彼女持ちってわかってても入れる女子すげぇな……」
緑依風と風麻が、爽太の熱烈なファンの行動に顔を引きつらせると、「アイドルか……」と、奏音も冷ややかな目つきでプレゼントを睨む。
「しかもその袋の方、リボンにメッセージカードまで一緒についてるよ?」
「えっ!?」
奏音の指摘に亜梨明が反応すると、爽太はペランと裏向きになったカードを捲り、文面を声に出して読み始めた。
「……いつも日下先輩と相楽先輩のこと、とっても素敵だなと思って見ています。二人は私の憧れです。私もいつか彼氏が出来たら、先輩達のようなカップルになりたいと思っています。これからも陰ながら応援してます。相楽先輩と食べてください……って」
メッセージを読み終えた爽太が、キョトンと目を丸くして顔を上げた。
「これはつまり……亜梨明ちゃんと日下、二人のファンってこと?」
緑依風が聞くと、爽太は「あははっ!」と笑って、「こういうチョコレートなら大歓迎だ!」と嬉しそうに言った。
*
昼休みになると、誰と誰がカップルになったとか、誰が失恋したとかいう噂が飛び交ったり、友チョコを教室で食べ合う生徒がいたりと、甘くて苦い雰囲気で校内は包まれている。
「はい、二日早いけど友チョコ~!」
去年と同様、アニメ漫画オタクの朝倉美紅が、推しキャラ二人の小さなチョコを配り歩き、「もしこのカプ気になったらいい本貸すよ~!」と、布教している。
「去年の男の子達と違う絵だね」
亜梨明が包み紙を見つめると、「中身は同じティロルチョコだけどね……」と、早速一個食べ終えた星華が言った。
「友チョコ文化ねぇ……」
奏音が頬杖をつきながら、呆れた顔でお菓子を食べ合うクラスメイトを眺める。
「まぁ、いいけど……こういうのって本来の目的無視しててどうかと思う」
「でも、もらったら食べるんでしょ?」
亜梨明に聞かれると「まぁ、もらったらね……」と、奏音は気怠そうな声で答えた。
「けどさ~、別にチョコレートなんて年中いつだって買える時代だし、わざわざ友達同士でまでイベントにすること無くない?お店で売ってる安いチョコならまだしも、手作りのマズイのもらって、我慢しながら「美味しいよ」なんて嘘ついて食べて、ホワイトデーになったら「お返しは?」って聞かれてさ……。正直、めんどくさい……」
奏音が自分の経験から、苦々しい口調で意見を述べると、それを知らない星華は、「奏音は女子力を全部亜梨明ちゃんに持ってかれたの?」とからかうように聞く。
「ほらもう、そういう空気がめんどくさ~い!女の子だからバレンタインを楽しまなきゃいけないだとか、お菓子は手作りじゃなきゃいけないとか、暗黙のルールみないなのを振りかざされてさ!こんなのやりたい人だけやればいいだけのハナシなのに~っ」
奏音がうんざりしながらため息をつくと、彼女の背後から「相楽……」と、男子生徒の声がした。
奏音と亜梨明が振り向くと、クラスメイトの加藤孝文が立っていた。
ちなみに、加藤の相楽姉妹の呼び分けは、亜梨明にだけ“さん”と敬称を付けるため、今の呼び方で用事があるのは奏音の方だ。
「なに?」
奏音が体を斜めにしたまま聞く。
「明日ヒマ?」
「午前中は部活があるけど、昼からなら空いてる」
「姉貴の墓参りに行きたいんだけど、ついて来てくれるか?」
「いいよ」
二学期に和解して以来、奏音と加藤は定期的に彼の姉である、綾の墓参りに通っている。
小さい頃、目の前で綾が転落事故に遭い、その直前のやり取りから、姉の死は自分のせいだと責め続け、思い出すことすらできずにいた加藤だが、最近はやっと綾の遺影や、姉弟で一緒に撮ってもらった写真を見れるようになってきたという。
それでもまだ、全身の震えや吐き気、硬直などの症状が出ることも多いため、奏音も彼を放っておくことができず、加藤に頼まれるたびに付添人として、一緒に綾の墓を訪れていた。
「時間とかは、あとで連絡する」
「オッケー」
奏音がそう返事をして、正面に向き直ろうとした時だった。
「あっ、あと……これ……っ!」
加藤は声を上ずらせ、後ろ手に隠していた物を突き出すように奏音に渡す。
「はっ?なにこれ??」
赤い包み紙と白いリボンでラッピングされた四角い箱を見た奏音が、目を点にして聞くと、加藤は照れた様子で、「と……友チョコ……」と言った。
「えっ?」
「友チョコって言っても、今までの礼も兼ねてだから、お返しとかいらねぇし……まっ、松山さんの店の生チョコだから、絶対……美味しいはず……」
「はぁっ!?」
「じゃ、明日よろしく……」
「えぇっ!?」
奏音が顔を赤くして椅子から立ち上がると、それ以上に真っ赤な顔を隠した加藤は、逃げるように教室から走って出ていった。
「あちゃ~、あれはさっきの話聞いてたね……加藤タイミングわる~っ……」
星華が苦笑いしながら、加藤が出ていった方角をを眺める。
「えっ、え……?友チョコって、女子同士のものじゃないの?」
奏音は予想外の出来事に動揺し、オロオロとした様子で聞いた。
「まぁ……男女の友情でもあるとは思うけど……」
緑依風はそう言いつつも、加藤のあの素振りからすると、それだけではないと察しており、亜梨明も「んもぉ~っ!加藤くんったら、やっぱりそういうことだったんだ~!」と頬を緩め、嬉しそうに言った。
「なっ、何言ってんの……!友チョコでしょっ!!と、も、ちょ、こ!!!」
奏音は机の横に引っ掛けている鞄にチョコをしまうと、むず痒そうな表情をしながら俯き、その日は一日、加藤やチョコレートのことが頭から離れなかった。
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