第339話 ラブレター
翌日。
調理室では、料理サークルのメンバーが一か所に集まり、緑依風が持って来たお菓子作りの本を眺めながら、何を作るか、材料費にかかる予算はどのくらいにするかなどを話し合っている。
「あんまりお金かかっちゃうようなものはナシね。本にはカカオ何パーセントのチョコレートとか書いてあるけど、普通の板チョコ砕いて使っても美味しく作れるから」
緑依風が言うと、「ケーキがいいな!」と亜梨明が言った。
「でも、ケーキって難しそう……上級者向けじゃない?」
楓が上手く作れるか不安そうに顔をしかめると、「私はトリュフがいい~!」と星華が言った。
「確かにトリュフや生チョコの方が簡単だけど、あれはガナッシュを冷やし固めるのに時間がかかるから、それならケーキ系の方がいいかも。チョコケーキにも色々あるけど、この辺なら時間内でも簡単にできて、切り分けもしやすいかな?」
緑依風が本のページを捲って指を差すと、亜梨明達がレシピを覗き込む。
三つのチョコケーキのレシピを見比べた結果、難易度が低く、材料費も安く済みそうなガトーショコラに決まった。
「ねぇねぇ!楓ちゃんも誰かにあげるの?好きな子いる?」
亜梨明が興味津々に聞くと、楓は「別に好きな男子とかはいない、けど……おじいちゃんとおばあちゃんにあげようかな」と答えた。
「いいですね!最近のバレンタインは好きな人にあげるばかりではなく、友チョコや感謝の気持ちを示すために渡すことも増えてますし」
晶子が言うと、星華は「もはや誰にでもチョコをあげれる日でもあり、誰からでもチョコをもらえる日……」と、日本のバレンタインの多様化に引きつった顔で笑った。
「晶子は?誰かにあげるの?」
緑依風が聞くと、晶子は少し天井を見上げた後「私は……利久くんにあげようかなと」と答えた。
「えっ!?晶子もしかして、やっと利久のこと……!」
緑依風が期待した表情で言うと、「いえ、『余ったら欲しい』と言われたので」と、淡々とした声で否定した。
「なぁんだ、つまんないの……」
「晶子ちゃんからの恋バナ聞きたかった~」
星華と亜梨明はがっかりした顔でため息をつき、緑依風も残念な気分で肩を落とす。
緑依風は、利久が晶子に対して友達以上の感情を持っていることを知っているが、晶子の方は彼に対してそんな素振りは見せないし、感じさせたことも無い。
緑依風は風麻と交際を始めた頃、晶子に本当に利久に対してその気は無いのかと、深く問い詰めてみたこともあるが――。
「今のところ、利久くんを意識したことは一度もありません。まぁ、もしかしたら今後そんな可能性もあるかもしれませんが……。利久くんが望む関係になろうとか、そのために自分を変えようとは思いませんよ。私と利久くんは、きっとそこまでの関係なんです。それで充分楽しいですから」
そう話す晶子の口調は穏やかだったが、どこか冷めた感情も入り交ざって、『これ以上は踏み込むな』という圧を感じた。
昔はそんなものを感じたことは無かったが、ある時からふと、彼女は自分の恋愛について聞かれると、空っぽのような目と声で、その場の空気に合った受け答えしかしなくなった。
しかし、それ以外の話題に関してはこれまで通り。
むしろ、人の恋には世話をやきたい性分のようで、緑依風も彼女のアドバイスや行動に何度も助けられていた。
「(ま、友達にも言いたくないことのひとつやふたつ、誰だってあるよね……)」
少々寂しい気もするが、かと言って、晶子との友情を壊してまで知りたいとは思わない。
いつか、晶子が自分から恋愛について相談したいと思った時に、今までしてもらった分の恩返しができればいい。
緑依風は、そう思うことにした。
*
二月十一日。
この日は祝日で、学校が休みのため、緑依風は朝から亜梨明と一緒に、冬丘のショッピングモールへラッピングに使う袋や箱などを買いに出かけた。
必要な物を買い揃えると、亜梨明が緑依風に相談したいことがあるため、緑依風の家に寄らせて欲しいと言った。
「実はね、お手紙も添えてチョコを渡したいなぁ~って思って!」
どうやら亜梨明は、日頃の感謝の気持ちを文字にしたためて、爽太に伝えたいと考えているらしい。
「それいいかも!手紙って、何かきっかけが無いとなかなか書かないよね」
少し前まではメール、最近ではアプリを使ってのやり取りが主流となった時代。
その人の筆跡や想いが形となって記されるラブレターをもらえれば、きっと爽太も喜ぶであろう。
「でね、緑依風ちゃんに相談……というか、お願いがあって」
亜梨明はそう言って、鞄の中からガサッと音を立てて何かを取り出す。
「これ、文章とか文字がおかしくないかチェックして欲しくて!」
「えっ、枚数多っ!!何枚っ!?」
緑依風が、幾重にも重なった便箋の枚数に驚くと、「十三枚くらいかなぁ?」と、亜梨明が答えた。
「本当は、もっとたくさん伝えたいことがあるんだけど……このままじゃ書き終わらなくなりそうで、なんとかこのくらいに収めたんだけど……」
「…………」
緑依風が下書き用の便箋を読み始めると、亜梨明の丸くてコロンとした筆跡が、隙間なくびっしりと並べられていて、三枚目以降は、同じような内容が何度も繰り返し書いてあって、これでは嬉しいよりも、“重い”と思われてしまいそうだった。
「どうかな?」
「……えっと、ちょっと文字が多くて読みづらそうだから、もう少し量を減らして、簡潔にまとめてみようか……」
緑依風がやんわりと書き直しを伝えると、「え~っ、これ以上減らせるとこってあるかなぁ?」と、亜梨明が手紙を読み直す。
緑依風は、十三枚分の便箋に隙間なく綴られた、ラブレターの内容を思い出しながら「あるよ!めちゃくちゃいっぱいあるよ!」と、心の中でツッコんだ。
*
「できた~っ!!」
小一時間程して、ようやく爽太へのラブレターを書き終えた亜梨明が、便箋を天井に向かって掲げながら叫ぶ。
「どうかな緑依風ちゃん?漢字も間違えてないよね?」
「うん、全部あってるし、さっきよりも読みやすくて伝わりやすいと思う!」
緑依風が何度も添削をしたおかげで、枚数は三枚まで減らすことができた。
もちろん、亜梨明が爽太に伝えたい大切な言葉はしっかり残して、堅苦しくならないよう、彼女らしい文言を選んだ。
これなら、爽太も喜ぶこと間違いなしだ。
去年のバレンタインは、あまりに苦くしょっぱいものになってしまった亜梨明だったが、今年はとびっきり甘い一日になりそうだと、緑依風が思っていると、「緑依風ちゃんは、坂下くんに書かないの?」と、亜梨明が聞いた。
「えっ?」
「ラブレター。坂下くんも絶対喜んでくれるよ?」
「わっ、私は……恥ずかしいから……」
「でもでも、ケーキは食べたら消えて無くなっちゃうよ?手紙なら、読んだあともずっと残るし、緑依風ちゃんも坂下くんへの想いを形にしてみるのはどうかな?」
「形……か」
亜梨明の言う通り、ケーキやお菓子は食べたらすぐ、目の前から姿を消してしまう。
口下手な緑依風は、風麻への想いを言葉にするのは照れくさいからと、彼のためのお菓子を作る時には、普段言い表せない大好きの気持ちを込めて作っていた。
――が、超能力者でも無い限り、そのお菓子に込めた言葉や感情なんて読み取れるはずもなく、存在しないのと同じだ。
「書いて、みようかな……」
緑依風がそう呟くと、亜梨明はにぱっと嬉しそうな笑顔を見せ、「これあげるね!」と、予備で持って来たレターセットを緑依風にくれた。
*
夕食後。
緑依風は、亜梨明にもらった便箋に書く前に、一度自分の気持ちを整頓しようと白い紙を取り出し、そこに風麻への日頃の感謝の言葉や、長年抱き続ける想いを文字にしてみる。
最初こそ、何を書こうかと悩んでいたが、直接声に出して伝えられないことを書き溜めていくと、今度は便箋三枚じゃとても収まらないような文字数になっていった。
「私も充分重いか……」
ラブレターを書こうなんて思ったのはいつぶりだろう?
幼稚園時代、風麻に『好き』と伝えたくて、覚えたての字で一生懸命書いたのに、恥ずかしくて渡せずに隠した小さなメモ用紙は、どこへ行ったんだろう?
緑依風はそんなことを思いながら、ペンを動かした。
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