第25話 おさがり
五月のゴールデンウィーク。
松山家は飲食店を営んでいるので、この連休は稼ぎ時だ。
オーナー兼シェフパティシエの父、北斗は、この日も朝早くから仕事に行き、副店長の母、葉子は、学生アルバイトが、たくさんシフトに入ってくれたため、久し振りに家でゆっくりと体を休めていた。
この時期、旅行には無縁の松山家の子供達は、各々自由に休暇を過ごしている。
緑依風の二歳年下の妹、
そして、緑依風はというと、急に暑くなった気温に対応するため、自分の部屋で少し早い衣替えをしていた。
まだ五月だというのに、真夏のように暑い日もあり、今日も、涼しい風が入るように窓を開け、目隠しのブラインドを半分下げながら、半袖になって活動している。
部屋には松山家と同様に、家が飲食店で、ゴールデンウィークの旅行に無縁の従姉、青木海生が、着られなくなった服などを持って遊びに来ていた。
*
「どう、似合う?」
海生が持って来た、服を着た緑依風が、くるりと回りながら聞いた。
「うん、いいんじゃないかしら」
「助かったよー……去年のシャツ、殆ど丈とか胸元が合わなくなっちゃったから……」
一年で10センチ近く背が伸びてしまった緑依風は、同じく、成長が早い従姉にお下がりを求め、連絡をしたのだった。
「下着も……ブラジャーだけ、私が着けれなくなったやつ持ってきたんだけど……」
「やった、一番助かる!」
「ふふ……やっぱり私の言った通り、緑依風は胸もすぐ大きくなったでしょ?」
黙っていれば涼やかな顔立ちをしているのに、少し天然の入った海生は、ホワホワした声で笑った。
「笑えないよ!前にもらったこれ、可愛くて気に入ってたのに、二ヶ月で合わなくなっちゃったんだから!」
服を脱ぎながら緑依風が言うと、「立花にあげたら?」と海生が言った。
「立花、入るかなぁ……?」
「あの子にはまだ、少し大きいかもしれないわね」
緑依風は、小さな青いドット柄のブラを外して揺らしながら、「イジメだー!」と怒る立花の姿を想像した。
「海生は今、何カップ?」
「この間測ってもらったら、D〜Eの間って言われたから、Eカップのサイズを買ったわ」
海生は、持って来たブラジャーを、絨毯の上に並べながら言った。
「海生と同じペースで成長してたら、来年はそのくらいになるか……。ここの所、肩こりが酷くて、湿布がいくつあっても足りないよ……」
緑依風は肩を揉み解しながら、ため息をついた。
「緑依風は測ったことあるの?」
「あー……初めて買いに行った時だけかな。その頃はまだ、Aしかなかったけど」
サイズがすぐに合わなくなってしまい、いちいち買い直していては破産すると思った緑依風と葉子は、発育の良い海生に、小さくなったブラジャーを譲ってもらっていたので、最近はあまりお店で買うことは無かった。
「Bが小さいなら、Cかな?」
緑依風がCカップのブラを手に取り、試着してみる。
海生自身も、あまりこのブラをつける期間が長くなかったため、見た目はほぼ新品だ。
「ん?」
試着してみると、胸が潰されて、変な形になった。
「これ、サイズCだよね?アンダーは?」
「65かしら?少しキツイ?」
「ちょっとだけ……」
「じゃあ、こっちの70はどう?」
別のブラジャーを着けてみると、今度は緩いのか、胸元とブラジャーに隙間ができてしまった。
「え……ええ〜〜……」
「せっかくだし、今から一緒に下着買いに行かない?サイズも測ってもらいましょう?合わない下着は体にも良くないし、胸も形が悪くなっちゃうし」
「でも、ブラジャーってそこそこ値段するし……」
緑依風が悩んでると「おばちゃんおばちゃん!」と、海生がドアを開けて、部屋から出て行った。
「おばちゃん、緑依風に新しい下着を買ってあげて!」
テレビを見ていた葉子に、海生が近付いた。
「あら、海生のお下がりは?」
「私のお下がりじゃ合わないのよ……ちゃんと測ってもらわなきゃ。いつもお下がりじゃ可哀想だし、たまには新しいやつ買ってあげて」
海生が「お願い」と、手のひらを合わせて、小首傾げでお願いすると、葉子は「そうね〜たまにはいいかもね」と承諾した。
「やったー!」
緑依風と海生は、両手を挙げてガッツポーズした。
「海生も買ってらっしゃい。いつもお下がりくれてるからお礼よ」
葉子はそう言って、二人に五千円ずつ渡してくれた。
*
電車に乗って、冬丘街のショッピングモールに来た緑依風と海生は、下着専門店に足を運んだ。
緑依風はティーンズ向けの下着を見て、「かわいい〜!いろんなのがある!」と、感動した。
水色のチェック柄、淡いピンクに、レースが付いたものなど、ブラジャーというのは、ある意味洋服よりも、繊細で可愛らしいデザインが豊富だ。
「まずは、サイズ測ってもらいましょうか」
海生は店員を見つけると、「すみませーん!」と声をかけた。
「この子のバストサイズ測ってくれますか?」
「かしこまりました」
緑依風が久しぶりに測ってもらうため、ドキドキしながら立っていると、「お客様、こちらにどうぞ」と、若い女性スタッフが、緑依風をフィッティングルームに案内した。
服を脱ごうとすると、「薄着なのでこのままで大丈夫ですよ」と言われ、緑依風は赤面した。
今度は「両手を挙げてください」と言われたので、バンザイをした。
「……C〜Dの中間ですね、Cカップならアンダーを70、Dなら65ですね」
スタッフはメジャーを首にかけながら言った。
「あれ?さっき試着したら、Cの70が合わなかったんですけど……」
緑依風は先程、自宅で試着した時のことを、思い出しながら言った。
「メーカーや胸の形によって、ブラジャーの形や大きさが少しずつ変わりますからね。もしよかったら、いくつか候補をお持ちしましょうか?」
緑依風は、「お願いします」と言って、自分に合うデザインを、持ってきてもらうことにした。
*
隣のフィッティングルームでは、海生が、別のスタッフにサイズを測ってもらっていた。
「どうだった?」
「今度はちょうどEですって。また上がっちゃったわ!」
海生がクスクス笑いながら出てきた。
「立花が聞いたら拗ねるよ~……」
「そうね!緑依風はどうだったの?」
「Cの70かDの65だって」
「あら……。もしかしたら、去年の私より発育いいかもしれないわね」
「えぇ~、やだよ~……」
これ以上育つのは困ると、緑依風が嘆いていると「お待たせしました」と、スタッフがブラジャーを三着、持ってきてくれた。
「えっ……⁉」
持ってきてもらったブラジャーを見ると、さっき緑依風が見ていたティーンズ向けのブラジャーではなく、大人の女性がつけるような、レースや、
「あっ、あの……っ!」
「なんでしょう?」
緑依風が狼狽えるような声を上げると、スタッフは不思議そうな顔で緑依風を見た。
「こ、これっ……派手過ぎませんかっ?」
「そうですか?今人気のデザインなんですよ!」
スタッフは、とても自信有り気に説明する。
「わ、私っ……あっちのブラジャーがいいです!」
緑依風が、ティーンズ向けのブラジャーの方を指さしながら言うと、スタッフはまた、不思議そうな顔で緑依風を見た。
「でも、あれ……子供っぽいですよ?」
「子供ですっ!中学生ですっ!!」
緑依風が恥ずかしさで目を潤ませて言うと、スタッフは、「あ、そうだったんですか~!」と、声を出して笑った。
「てっきり、高校生かと……。大人っぽいですね〜!」
緑依風にとって、『大人っぽい』という言葉は嬉しさ半分、悲しさ半分の言葉だ。
昔から実年齢通りに見られず、一つ二つならまだしも、三つ、四つ上に間違われることばかりで、なんだか同級生の子よりも、自分だけ年を取ってしまったようにも感じる。
「でも、お値段はティーンズ向けとあまり変わりませんよ」
「いや、そうじゃなくて……。私には早くないですか……こういうデザイン……」
緑依風が顔を真っ赤にして聞くので、後ろで海生が笑いを堪えている。
「でも、お客様の胸の形やサイズだと、ティーンズ向けのブラジャーは浅すぎて零れちゃう可能性があるので、こういう、レースで少し深くなったものとか、後ろのホックがしっかりしたものの方がいいんですよ」
「そ、そうなんですか……って、海生笑いすぎ!」
後ろで、お腹を抱えて震えている海生を怒りながら、緑依風はそっと、ワインレッドのブラジャーを手に取った。
*
緑依風は、スタッフに正しい付け方を教えてもらいながら、ブラジャーの試着をした。
持ってきてもらったブラジャー全てを試着したところ、黒の下地に黒のレースと白い刺繍が入ったブラジャーと、ワインレッドに金色の刺繍が入った、深めのブラジャーがぴったり体にフィットした。
「……これで、もうちょっと可愛いデザインとか、カラーは無いですか?」
あまりに大人っぽすぎて、ハードルが高いと思った緑依風は、スタッフに問いかけてみた。
スタッフは「ちょっと待っててくださいね」と、言って、色違いのブラジャーをいくつか持ってきてくれた。
「黒の色違いは、パステルグリーンとホワイトで、ワインレッドの色違いでしたら、ベージュとブラックとペールブルーになりますけど……」
同じ種類でも、先程試着したものより、優しくて可愛らしい雰囲気のデザインを見た緑依風は、ホッと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、パステルグリーンとペールブルーのやつにします」
「かしこまりました!」
スタッフがレジに商品を持って行くと、「決まった?」と、海生が声をかけた。
「Dのやつはパステルグリーンにして、Cはペールブルーのやつにしたよ!」
「あとで見せてね」
「海生はどんなのにしたの?」
「私はこれよ」
海生が選んだものは、白地に白いレースと、青と金の刺繍が入ったデザインだった。
「え、一着だけ?」
「サイズが大きくなると、値段も上がっちゃうのよね……。セールでこの価格よ。でも、その代わりに、ブラとお揃いのパンツを買うことにしたわ。おばちゃんに感謝ね」
海生のブラジャーの値札を見た緑依風は、「高っ!」と、思わず声を上げた。
「これでセール品か……。ブラジャーって、本当にお金かかるよね……」
緑依風は、このまま成長したならば、来年は海生と同じく、金銭的に悩む日が来ることに、苦く笑いながら値札を見つめた。
会計をすると、スタッフが次回から使える、割引のクーポンをくれた。
お釣りと一緒にもらったスタンプカードも、溜まると割引クーポンに交換してくれるらしい。
*
緑依風は、松山家に海生と二人で戻り、葉子にどんなものを買ったのか見せてみた。
葉子は「いいじゃない!」と手に取りながら言い、緑依風と海生は、ふふっと笑った。
友達の家から帰宅したばかり千草は、海生の下着を見て「デカっ!」と、驚いている。
――そして、その後ろでは、末っ子の優菜がじーっと、緑依風の下着を見ていた。
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