許すこと

 ルクアたちが、中庭へ通じる扉へと向かおうとしたその時、クレールから通信が入った。


『ルクアさん、すみません。一人取り逃がしてしまいまして、そちらに向かっているようです』

「一人くらい、どうってことないよ。ありがとう」


 ルクアは言って中庭へ通じる扉とは反対側にある、廊下の向こう側の扉を見た。するとちょうど扉が開いて誰かが入ってくるのが見えた。トゥルーがさっとルクアの前に出て彼女をかばう姿勢を取る。ルクアは、トゥルーの腕から少しだけ顔をのぞかせて、相手の様子を探る。そして相手の顔を見て、絶句した。


 入ってきたのは、変わり果てた姿のエドワードだった。ボロボロの帽子に服は擦り切れ、黒いスーツはあちこちが破けてしまっている。そして彼の体は、どことなく後ろの風景が透けているような、そんな状態だった。


 ベンジャミンはそんな彼の様子には気づいていないようで、彼との距離は置いたまま尋ねた。


「あ、エドワード! こんなところにいたんすか! あっしらをあんな目に遭わせて、ただじゃおかないっすからね!! 人肌脱ぐっすからね!」

「嗚呼……ベンジャミンじゃあないか。久しいね。あの時は、悪かった。我輩が悪かった……」


 素直にエドワードに謝られて、ベンジャミンはびっくりした顔をする。


「そ、そんな素直に謝ったって……、あっし、許さないっすから! 下手したら死んでたんすよ! 人肌脱ぐんじゃなくて、丸焦げになるところだったんす」

「それはそうとエドワード、前に会った時から随分な変わりようだけど……。何かあったの?」


 ベンジャミンがまくしたてるのをよそに、ルクアは問いかける。すると、エドワードが俯いて言った。


「我輩にもわからない。しかし白の女王は言った。我輩が我輩を作り出した物語修正師の意思に背いたから、消滅するのだと」


 その言葉とその様子を見て、ベンジャミンは初めてエドワードの姿をまじまじと見つめた。そしてぎょっとした様子で言う。


「ちょ……っ、エドワードどうしたんすか、その体!」

「……物語修正師が生み出したオリジナルの住人には、それぞれに与えられた役割がある。もちろんそれは物語修正師が作り出した設定でしかないのだが、それに背くと存在意義を失い、消滅する可能性があると家の文献で読んだ覚えがある」


 トゥルーが腕組みをしながら静かな声で告げる。


「ファクトやわたしは、あくまで魔力の泉の魔力をめぐって争いが起きないようにするために作られたのがきっかけだからそこまで制約はないが、作成した物語修正師によってはかなり細かく設定を作られている者もいるという。エドワードとベンジャミンを作り出した物語修正師も、そういった人物だったのだろう」


「我輩が間違っていたのだ、白の女王に加担して、ベンジャミンを裏切ったの罰だ」


 エドワードが嘲笑しながら言う。


「本来の役割を見失った物語の住人に、生きる資格はない。そもそも、本来の役割を辞退しなければならないほど、我輩に成し遂げたい何かがあったわけでもない。ただただ我輩は、自分の役割が気に入らなかった。それだけの話だ」

「どういった理由で、その役割が気に入らなかったの」


 ルクアの問いに、エドワードは言う。


「簡単なことだよ。我輩には、帽子屋として衣服を作る才能がないということだ」

「それは努力をし続けた結果、分かった話?」


 ルクアの問いに、エドワードが首を横に振る。


「いや、才能がないんだよ我輩には」

「才能のあるなしは、努力してから言うことだよ。確かに生まれ持った才能は、ない時もある。でも大抵のことは、毎日血のにじむような努力をしていれば、なんとかなるよ。あなたは、帽子屋という職業に向きあって努力をしたことがないんじゃない?」


 ルクアの問いに、エドワードは再び嘲笑する。


「そう……なのかもしれないね。我輩は何もせずにただ、才能がないのにどうして我輩を帽子屋として生み出したのかと物語修正師を責めた。女王付きの帽子屋を選ぶコンテストで負けたときには、優勝者を責めた。大した努力もしていないのに。すべて人の責任にすることで、我輩は逃げていたんだろうな。その方が、楽だから」


 そう言って、ベンジャミンの方に歩を進める。びくっとするベンジャミンをよそに彼はそっと手を差し出した。


「今まで君は、我輩を見捨てずについてきてくれた。設定だったとはいえ、我輩のために尽くしてくれたこと、感謝している。今までありがとう」


 ベンジャミンは戸惑った表情を浮かべて、トゥルーとルクアを見た。ルクアは言った。


「人を許すことって、難しいことだよね。……とりあえず、ベンジャミンくんが後悔しないように決めてくれるのが一番だよ。攻撃してほしいのなら、トゥルーに任せればいい」

「……汚れ仕事は、わたし担当なんだな」


 トゥルーが呆れた声で言う。ベンジャミンには真剣な表情で向きなおった。


「……自分の選択には、責任を持たなければならない。誰かが責任を負ってくれるわけじゃ、ないからな。だから今お前が選ぶ選択が後に後悔を生まないこと、それだけを願っている」


 ベンジャミンは少し考え込んだ後、一発エドワードにお見舞いした。驚いて差し出していた手の反対側の手を頬に添えて見つめ返したエドワードの手を、ベンジャミンは強く握り返した。そして言う。


「……後悔したくないっすから、正直に言うっす。設定とはいえ、エドワードと一緒に過ごした日々は、決して退屈ではなかったっす。まぁ確かに帽子屋として努力をしてくれないから、仕事がなくて貧乏暮らしなのは、つらかったっすけど。だから、機会があればもう一度、やり直したいって思うんすよ」


「我輩も、チャンスがあるならもう一度やり直したい。今度は帽子屋として、努力を忘れず頑張りたい」


 それを聞いて、エドワードの頬から涙があふれた。その雫が地面に落ちたとき、エドワードの体は、淡い光に包まれた。光が消えたあとには、見違えるようなエドワードの姿があった。驚くエドワードに、ルクアが声をかけた。


「多分だけど、あなたのやり直したいという心が、物語修正師さんに届いたんじゃないかな。だからあなたに、チャンスをくれた。今度は、チャンスを無駄にしちゃだめだよ」


「もちろん! もちろん!」


 エドワードは涙をぬぐいながら、何度も何度も頷いた。ルクアは言った。


「それじゃ、エドワードがチャンスを無駄にしないためにも、この世界に平和を取り戻さないとね!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る