旅立ちの朝

「とりあえず、ハートの女王軍が攻めてくることがなかったことが救いだな。……さっさと旅に出て、行方をくらます方がいい。ハートの女王は誰でも、すぐに首をはねろと命じるからな。オレまでとばっちり食らう羽目になるのは、ごめんだぜ」


 ティアシオンは半ば独り言のように言って、食器を片付け始める。そしてアリスに言った。


「なぁ、玄関先に新聞が落ちてるはずだから拾ってきてくれねぇか。 情報は大いに越したことはねぇ。普段は読まないが、一応目を通しておきたい」


「ちょっと、あたしを小間遣いにしようなんて、百年早いですわよっ」


 そう言いながらも渋々、アリスは立ち上がって玄関先へと向かっていく。


「一時間後に出発する。そのつもりで準備を頼む」

「うん、それは構わないけど。……本当にこの街から旅立つの、ティアシオンさん」


 ルクアの言葉に、ティアシオンは少し考えるそぶりを見せた。しかし彼が答えを出す前に、アリスの悲鳴が響いてきた。慌ててフィアとティアシオンが玄関先に走り出す。ルクアは、椅子が高すぎて、足が宙に浮いていたため少し遅れて玄関へ走る。


 玄関扉を開けると、口を抑えて一点を見つめたアリスが立ち尽くしていた。彼女の視線を追って三人も視線を移動させる。視線の先に、一人の人物が倒れていた。いち早く反応したのは、ティアシオンだった。


「ランベイルッ!?」


 ティアシオンは叫んで、倒れている人物に駆け寄る。ルクアもそれに続いた。フィアはアリスの隣であわあわと立ち尽くす。


 倒れていたのは、昨日フィア達を逃がしてくれたハートの女王軍側にいた青年、ランベイルだった。負傷している様子で、意識がない。


「とにかく、一旦中に運び込むぞ! ルクア、手伝えっ」

「わかった」


 ルクアは言って、ランベイルの足を持つ。ティアシオンは彼の肩に手をまわして持ち上げる。二人がかりで家へと運び入れようとするルクアとティアシオンを、フィアとアリスが少し距離をあけてついてくる。


 ソファの上にランベイルの体を横たえると、ティアシオンはランベイルの怪我の具合を見ようと服を脱がせようとする。フィアは、小さく悲鳴を上げた。ルクアは身を乗り出す。アリスは恥じらいで両手を目の上に乗せたものの、それぞれの指を開けられるだけ開いて、結局覗こうとしていた。


 そんな二人を見て、フィアは大きくため息をつく。そして二人の腕をつかんで、部屋から引っ張り出そうとした。

「あ、フィアやめてよ。私、男の人の筋肉見たいんだって」

「ルクアさんっ!? 破廉恥でしてよっ! あたしは見たくはないですが、ランベイルさんが心配なので……っ」

「どっちも、わたしと一緒に、部屋を出ますよ。人の裸は、勝手に見るもんじゃ、ありません」


 フィアはまるで幼い子どもを諭すように言うと、ティアシオンに告げた。


「隣の部屋にいます。終わったら声をかけてください」


「分かった。……悪かったな、急に服を脱がせようとしたりして」

「いえ。……それだけランベイルさんの容態が心配だったんですよね。気にしないでください」


 少しだけ笑ってフィアは嫌がるルクアとアリスを連れて、隣の部屋へと移動した。


♢♦♢♦♢♦♢


「見た感じ大きな怪我はしてないみたいだし、本人の意識もはっきりしてるから、たぶん問題ねぇだろ」


 ティアシオンに呼び寄せられ、元の部屋に戻ってきた三人の前には、上体を起こしたランベイルと、いつも通り不機嫌な表情のティアシオンがいた。ランベイルは、ひどく申し訳なさそうな表情をフィア達に向けた。


「すみません、ご心配をおかけして。……大した怪我は一切してないんです。とりあえずティアシオンの家になんとかたどりついたから、安心したんですよね。それで、ここ数日不眠不休で働いていたため、体力の限界で眠ってしまったというか……」


 そう前置きし安堵した三人に、ハートの女王軍側に自分が物語修正師候補生を逃がす手助けをしたことがばれ命を狙われたため、城から逃げてきたことを説明した。


「まったく。だから王室勤めなんてやめとけ、すぐ殺されるし、休みなくなるぞって言ったのによ。……とりあえず、無事でよかった」


 ティアシオンがランベイルから顔をそむけながら、そっけない声で言った。ランベイルはそんな彼の顔をちらりと振り返り、笑って答えた。


「ご心配おかけしました。……さて、それでは僕はこれでお暇します」


「どこか行くあてはあるのか?」


 ティアシオンの言葉に、ランベイルは自嘲めいた笑みを浮かべて俯く。


「いえ、特には。ただ、このまま僕がここに居座るのは危険でしょう。ハートの女王軍側に情報が渡れば、すぐここに攻め込んでくるはずです。僕としては、皆さんを危険に晒すわけにはいきません。……とりあえず、ここからできるだけ遠くへ離れるつもりです」


「それなら都合がいい」


 ティアシオンが言う。その言葉に、彼以外全員がティアシオンの方を見た。ティアシオンは一瞬、全員の視線が自分に向いたことに驚いた顔をしたが、こほん、と咳ばらいを一つして、少し恥ずかしそうに言った。


「ランベイル、オレたちと一緒に来い。 丁度、旅に出るということで話がまとまったんだ。正直オレだけじゃ三人を守り切れないし、面倒をみきれる自信もない。お前が一緒に来てくれるなら、戦力的にも、面倒見的にも十分だろ。お前は、ハートの女王軍から逃げる傍ら、オレたちに協力する。オレたちはお前を匿い、危険が迫ったらお前と共に戦う。……一人で逃亡生活を続けるより、よっぽどマシな提案だとは思うぜ」


 ティアシオンの言葉に、アリスの表情が輝いた。しかし、ランベイルは浮かない顔である。


「しかし。……僕がいれば、皆さんを危険に晒すことになります」

「どうせ物語修正師候補生をオレの家へお前が寄越し、オレが家に招き入れた時点で、女王の逆鱗に触れてる。今更無関係な人間を装ったところで、無駄だろ。それだったら、罪人同士、身を寄せ合って逃亡した方がいい。数が少ない方が安全な場合もあるだろうが、今回はできるだけたくさん仲間が欲しいケースだろ」


ティアシオンはその先の言葉を口に出すことを逡巡しているかのように、一度言葉を切った。言いづらそうにしているティアシオンに代わり、ルクアが言葉を続ける。


「ティアシオンくんが言いづらそうにしてるから、代わりに私が言うね。あなたは少なくとも昨日まではハートの女王軍にいた。だったら情報も豊富に持っていて、ある程度ハートの女王軍の動向を読めるんじゃない? 私たちとしては、できるだけ情報がほしい。あなたの知恵を借りたい」


「わたしも……意見言わせてもらって、いいですか?」


 フィアは言い置いて、言葉を紡いだ。


「ランベイルさんと、ティアシオンさんは、友達……ですよね? 友達なら、困っているのを助けるのは、当たり前……です。ティアシオンさんや、ルクアさんが言う内容ももちろんだけど、もっと単純な理由、『友達が困っているから、助け合おう』、それだけで、一緒に旅に出る理由は、十分なのではないでしょうか」


 フィアの言葉に、一瞬他の四人は呆気にとられたようにフィアを見つめた。フィアは、余計なことを言ってしまっただろうかと、身体を縮める。ティアシオンが言った。


「そう、そうだよな。友達を助けるのに、難しい理由なんて必要ねぇよな。っつーことで、一緒に行くぞ、ランベイル」

「……はい、お世話になります」


 そう言ってから、ランベイルはそっと、フィアの顔を覗き込んで微笑んだ。


「ありがとうございます、フィアさん。おかげで僕の迷いも断ち切れました。……これから、よろしくお願いしますね」


 こうして旅の一団に、ランベイルが加わることとなった。

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