第18話 薄情な人

店に遊びに来ていた忍ちゃんの事は、不思議と何も覚えていない。

何を話したのか何がしたかったのか。

高円寺で働き出して、あまり顔を合わせることもなくなり

この頃の忍ちゃんを、私は何も思い出せないのだ。


ただ、最後に来店した日の事は、少しだけ覚えている。

珍しく『2人で話したい』と人払いをしたのだ。

もう閉店まで1時間程で、正直、私は『そんな事、家でしてくれ』と思ったのだ。

が、当時、私はほとんど家に居なかったので

話をするのは『そこ』しかなかったんだろうな、と

間抜けな事に後から気付いた。

忍ちゃんは、

『抜弁天の家から出て行く事』

『2・3日後から軽井沢にリゾートバイトに行く事にした』

と私に告げた。


まず最初に頭に浮かんだのは

『だから何だ?』だった。

『てゆーか、リゾートバイトって何だ?』

とも思った。

けれど、忍ちゃんは妙に深刻ぶった顔をしているので言わなかった。

そんな話より私は、他のお客様の方が大事だった。

早く話を終わらせて欲しかった。

その後の話が出てこないので、当たり障りないように

『リゾートバイトって何?』と素直に聞いた。

『リゾート地で働く仕事』と。

『3か月契約で行くから、帰ってきても抜弁天には戻らない』と。

なぜリゾートバイトに行こうと思ったのかは聞かなかった。

3か月後に抜弁天に戻って来られても迷惑なので

『判った』としか言わなかった。

その日も、いつも通り遊び歩いてから帰った。

もう忍ちゃんはいなかった。

それ以来、忍ちゃんには会っていない。


数年後、忍ちゃんを紹介してくれた友人から

彼に偶然会ったと聞いた。

『やっぱり金は返って来ないよね?』と聞かれたらしい。

彼女は『来る訳がないと思うよ』と

あっさりキッパリ伝えてくれたらしい。


1人暮らしは快適だった。

いつも誰かと一緒に居るのに疲れ始めていたからだと思う。

でも、仕事は楽しかった。

私は、自分が疲れ始めている事にも気付かない程に

仕事に没頭していた。



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