30『掛け布団を胸までたぐり寄せ』

まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・30   

『掛け布団を胸までたぐり寄せ』




「ほかに、言いようってもんがあるだろう。命の恩人なんだからよ」


 あらためて、大久保クンちにお礼に行って、帰ってきたお父さんの声が部屋まで聞こえてきた。


「でもねえ。あのときは、あの子も、ああしか言いようがなかったのよ」


 と、お母さんの声。


 そうなんだ。ひとがましい感情は、家に帰ってから蘇ってきた。


 インフルエンザで、お風呂に入れないもんだから、幼稚園以来久々にお母さんが体を拭いてくれた。髪もドライシャンプー一本使って丹念に洗ってくれた。そうやってお母さんの気持ちが伝わってくる間に、フリーズしていたパソコンが再起動したように蘇ってきた。恐怖と安心と、忠クンへの感謝と愛おしさ、お母さんの愛情、その他モロモロの感情が爆発した。

 お母さんの胸で泣きじゃくった。

「いいよいいよ、もう怖くない、怖くないよ。なにも心配することもないんだからね」

「そうじゃない、そうじゃない、それだけじゃないの……」

「分かってる、分かってるわよ。まどかの母親を十五年もやってきたんだ。全部分かってるわよ」

「だって、だって……ウワーン!」

 このとき、襖がガラリと開いた。


「まどか、大丈夫か!?」


 兄貴が慌てた心配顔で突っ立ていた。

「このバカ!」

 と、お母さん。わたしは慌てて、掛け布団を胸までたぐり寄せた。

「ノックもしないで……!」

「だって、まどかのこと……」


 二人の声が階段を降りていく。階下でおじいちゃんが、息子と孫を叱っている気配。お母さんとおばあちゃんが、それに同調している。


 嬉しかった、家族の気遣いが。シキタリに一番うるさいおじいちゃんが、自分でそう仕付けたお父さんを叱っている。

「お前は器量が悪いからなあ」

 と、いつもアンニュイにオチョクってばかりのアニキは、襖を開けた瞬間、わたしの顔を見た。火事で救急車で運ばれたと聞いて、やけどなんかしてないか気にかけてくれたんだ。分かっていながら、わたしは反射的に裸の胸を隠した。わたしは、いつの間にか住み始めた自分の中のオンナを持て余していた。

 注射が効き始め眠くなってきた。

 眠る前に忠クンにお礼を、せめてメールだけでも……そう思って携帯を手にする。「今日はありがとう」そこまで打って手が止まる。「愛してるよ」と打って胸ドッキン……これはフライングだ。「好きだよ」と打ち直して、戸惑う……結局花束のデコメをつけて送信。


――他に打ちようがあるだろ、まどか。


 そう叱る自分がいたが、ハンチクなわたしには精一杯……で、眠ってしまった。

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