25『寝過ごしてしまったのだ』

まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・25   

『寝過ごしてしまったのだ』

 


 教師になって、こんなことは初めてだった。


 寝過ごしてしまったのだ。


 子どもの頃から自立心の強かったわたしは、大学で要領をカマスことを覚えるまで、無遅刻、無欠席だった。大学もおおやけには無遅刻、無欠席なんだけど、個人的心情では、代返の常習者。文学部演劇科に籍を置き、教職課程をとりながら、キャンギャルやら、MCのバイトに精を出していた。これくらいの要領はカマシておかないとやっていけない。

 え、その歳なら忌引きの一つや二つはあったろうって?

 わたしの家系は、みんな元気というか、長生き。今年メデタク卒寿を迎えたお祖父ちゃんは、まだピンピン。

 この祖父ちゃん、過剰に孫娘のわたしに構い過ぎる。大学のときも勝手にわたしの口座に、学費と称して、多額のお金を振り込んでくれた。でも、わたしは、そのお金にはいっさい手を付けなかった。

 意地もあったけど、そういうバイトやら、要領カマスことまで含めて勉強だと思っていたからだ。

 お祖父ちゃんのことは、訳あって、部長の峰崎クンしか知らない。

 で、わたしは乃木坂をスカートひらり……バサバサとはためかせながら、百メートルを十一秒で走れる脚で駆け上っていた。


 緩いカーブを曲がると、正門まで三百メートル。


 あと四十秒、さすがにキツイ。しかし目の前を走る遅刻寸前の女生徒を見て、俄然闘志が湧いてきた。

――ガキンチョに負けてたまるか!

 正門が軋み、閉め始められたところで、その女生徒を鼻の差で抜いて一等賞!


 チラっと追い越しざまに見えた女生徒は、わが演劇部の仲まどか。


 昨日のコンクールでは大活躍のアンダースタディー(主役の代役) 疲れたんだろうなあ……そう思いながら中庭を抜けて職員室へ。

「貴崎先生、遅刻されるんじゃなかったんですか?」

 教務主任の中村先生が声をかけてきた。

「なんとか間に合いましたから……今から行きます」

「そうですか、一応、自習課題は渡しておきましたんで」

「ありがとうございます……」

 と、返事をして、自分が汗みずくであることに気がついた。

 膝丈のチュニックの下はいつもコットンパンツなんだけど。走ることが頭にあったので、家を出る寸前に薄手のスパッツに穿きかえた。

 でも、この汗……ラストの三百メートル全力疾走がきいたようだ。

 ロッカーからタオルを出し、顔と首を拭き、チュニックの胸元をくつろげて、胸から脇の下まで拭いた。

 われながらオヤジである。

 なゆたも今頃は……と、粗忽ながら、カワユイわが生徒のことを思う。

 どこかで、オヤジのようなクシャミ……が聞こえたような気がした。

 教頭と目が合った。ちょうど、オヤジよろしく脇の下を拭いていたときに。

 ただのスケベオヤジのようにも、教育者の先達として咎めるようにも見えるまなざしだ。

 目線をそらし、ツルリと顔を撫でたところを見ると前者のようだ。

 クルリと背中を向けて、思い切り「イーダ!」をしてやった。


 教室へ行くと、すでに里沙が自習課題を配り終えていた。


「説明も終わりました」

 と、口を尖らすのがおかしかった。

「武藤さんの言うとおりね」

 と、あっさり自習にしてやった。

 まどかのカバンから、オヤジくさいタオルがはみ出ているのがおかしくも、親近感が持てた。


 課題は、「日本の白地図に都道府県名を入れなさい」というシンプルなもの。


 レベルとしては小学校だが、案外これがムツカシイ。関東は分かっても、近畿以西になってくると怪しくなってくる。香川と徳島、島根と鳥取などで悩んでしまう。鳥取など字の順序でも悩ましい。九州など、鹿児島以外お手上げという子もいる。

 五分たった。

「地図見てもいいよ」

 と、言ってやる。


――チョロいもんよ。


 と、まどかなど何人かは出来上がったようだ。

 わたしの課題は、それからが勝負。任意に東京以外の道府県を選び、それについて八百字以内で思うところを書けというところ。

 ちなみに、わたしの教科は「現代社会」 便利な教科で、頭か尻尾に「現代」とか「社会」がつけば、なんでもアリ。

 今は、「現代青年心理学」なんか教えている。「保健」と内容的には被るところもあるんだけど、わたしのはポイント一つ。「高校時代の恋愛を絶対視するな」ということ。

「たった一度、忘れられない恋が出来たら満足さ~♪」と歌なんかにはあるけど、今の高校生は簡単に、最後の一線を越えてしまう。乃木坂のようなイイ子が多い学校もいっしょ。スレてないぶん、より危ないと言えるかも知れない。

 校長や教頭は、「いい学校=いい生徒」と思っているようだが、わたしは基本的には、どこも同じと思っている。管理職のところまでいく前に、現場の教師で、どれだけ問題を解決していることか……理事長は、さすがに経営者で、どことなくお分かりのご様子。


「できました」


 まどかが、正直な得意顔で一番に持ってきた。

「書けたら、好きなことやっていいですか?」

 などと言っていた奴らは、まだシャーペン片手に唸っている。

 まどかの得意顔をオチョクッテやろうと、読み始めた……。

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