槍姫
ここは早朝の訓練場。
まだ夜も開けたばかりの時刻からそこには鋭い呼吸と何かが風を切る音がしていた。
「ふっ、ふっ、ふっ……」
綺麗な構えから流れるような動きで型を行う。
そこには普段はそこで訓練しているから兵士たちの姿は無かった。代わりにそこでは一人の姫が槍を振るっていた。美しい紫檀の髪が時折吹く風に靡き、姫自身の流麗で一切の淀みのない動きと合わさりまるで一枚の絵画のような幻想的な風景を生み出していた。
「ちょっ、姫様!何やってるんですか!?服が汚れますよ!」
訓練場に走ってきた様子の侍女が今だに槍を振るう姫に声をかける。
「大丈夫よ。これ汚れてもいい服だし。それにまだ夜明けくらいよ?公務に支障がある訳じゃないしね。それに表に出るのは基本お兄様達だから私は関係ないわ」
槍を振るうのを止めずに姫は話す。
「そうじゃありません!あなたは一国の姫、つまりは王女です。しかも女性なのですから慎みのある行動をですね」
「あーあー、聞こえないわ。それに言っておくけど、私は女性だからとかそういうのが一番嫌いなのよ。そりゃあ貴族の令嬢とかは槍を振るうよりも花を愛でた方が相手の覚えも良いでしょう。でも私にはそんな相手は……居ないこともないけど……」
ようやく槍を止めたはいいのだが、最後の方がどんどん小さくなっていく。それに顔も真っ赤になっている。
正直なところ、全てを知っている侍女はこの表情が見たくてからかっている節もあるのだが、姫は気づいていないのだ。
「ですが姫様。こんなに早く起きて大丈夫なのですか?いつもはもっと遅く起きてますよね?」
「なんというかね、今日は早く起きたい気分だったのよ。備えておきたいというか。ずっとなにかソワソワしてる感じでね。何かが起こるんじゃないかって気がしてるのよ」
姫は頭を掻きながらそう答える。笑うように話しているが、目は笑っていない。
「とにかく、そろそろ戻らないと朝食に間に合いませんよ」
実際まだ夜が明けてから一時間程度だが女性、それも一国の姫ともなると着替えや化粧などで時間がかかるものなのだが……
「別にいいわよ。後で軽く水浴びをすれば。今日はどこかへ行く訳でもないんだし、それにあんな重い服いつまでも着てられますか」
姫が着る普段着のドレスとはいえ、装飾品などで重いのだ。しかもそれを一日中と考えると嫌になる。
「ですが姫様、水浴びをするならそろそろ戻らないといけませんよ」
「それはそうね。なら朝の訓練はこれで切り上げるわ」
そう言って姫は訓練用の槍を片付けると走って城まで戻るのだった。
「姫様、次は朝食ですよ」
「わかってるわよ。でもなんか今日はずっとなにかしてないと変な気分になるのよ」
「ああ、さっき言ってたソワソワするってやつですか?」
「ええ。これがなんなのか分かればいいんだけど」
さっきから姫の歩く速度はかなり早い。普段の倍はあるんじゃないかと思う。
そうこうしているうちに城の中の王族専用の食堂へとたどり着く。ここからは王都が見渡せるため、王族付きの侍女が憧れる場所でもある。
「おお、来たか。よく眠れたか?」
「はい。お父様。そちらは?」
「うむ。問題ないぞ。さて、堅苦しい挨拶はここまでにして朝飯を食おうか」
この国の王はいつもこうだ。良くも悪くもメリハリがある人なのだ。
「あらあら、今日はスープの味が濃いわね。これに少しだけ辛味のある香草を入れるとちょうど良くなるはずよ。今度やってみてね」
料理にアドバイスしているのはこの国の王妃だ。元はこの城の料理人だったのだが、かつての王太子が彼女に惚れ、見事な大恋愛を繰り広げたのは王都に住むものなら誰でも知っている話だろう。
「ところでネルハは成人の儀式については聞いたか?」
そう。この国の姫であるネルハ=ラナンサス様は近々、成人をする。この国では王族のみだが成人をすると新たに名を加えるというものがある。主に先祖の名前を取るのが慣例だが、かつては物語に出てくる英雄の名前を取った者もいたらしい。
「はい。この前ちゃんと聞いたわ。誰の名前を取るかは……ん?」
ネルハは唐突に喋るのを辞めた。その様子に王を含め不思議がる。
「ウソ、この気配は……でもあの時に……生きてた?報告では死んだって……」
彼女は震え、目は潤む。
「ね、ネルハ!?何があった!?どこが痛いんだ?お父さんに教えてくれ!」
ネルハの目から涙が流れた瞬間に、国王の王としての威厳は崩れ去り、目の前にいたのは単純な親バカだった。
「お父様、朝食の最中ですが抜けさせてもらいます。どうしても行かなきゃ行けないところがあるので」
そう言ってネルハは席を立ち、扉の方へ……ではなく窓の方へ向かった。
「お祖母様も言ってました。狙ったものが目の前にあるならば、堂々と取りに行きなさい、と。なのでお父様、しばらく席を外しますね」
そして、彼女は一切の躊躇い無しに窓から飛び降りた。
『姫様!?』
侍女たちの声が響く。
ここは城の四階に位置し、侵入者対策用に近くには高い木は生えていない。普通ならば死ぬのだが、ネルハは自身の魔法を駆使して壁を走るように降り、いつの間にか城門の方へ駆けて行っていた。
その様子を見て侍女たちは焦るものの、王妃や黙っていた他の兄弟たちもなにかを察したかのように笑顔で見守っていたのだった。
「早く……、急が……ないと」
ここまで焦ったのはいつぶりだろうか。気配を感じてからまだ十分程度。王城から港まで約三十分はかかり、ずっと走っていたがさすがに疲れた。
「はぁ……はぁ……」
ついに足が止まる。いくら鍛えているからって全力で走れるのはせいぜい十分だ。だが、彼女には走らねばならない理由がある。そのためには止まる訳にはいかないのだ。
「あと……少し。この坂を……超えれば」
王城のある辺りと港のある川の辺りをちょうど分ける丘がある。
ゆっくりと歩きながらこの丘を超える。
この丘を超えればあとは港までは下りの道が一直線にあるのだ。かつてはこの丘を無くそうともしたらしいが、なぜかその計画はなくなったらしい。
坂を登りきると目の前には真っ直ぐに港まで降りる道と朝日を浴びてキラキラと輝く川の水面、そして停泊しているいくつもの船が見える。
「はぁ……馬を使えば良かったかな……」
そうボヤくももう遅い。目的地はすぐそこだから。
「本当に……お願い、本当であって」
そう願って彼女は駆け出した。
そして、見つけた。あの時から変わらぬ姿を。あの日からずっと探し続けていた姿を。あの黒髪を。かつて似て非なる髪色だが隣の彼女に優っていると幼いながら誇ったことのある彼らを。
「やっぱり、私の直感は間違ってなかったんだ!」
そう叫び、さらに速度をあげるのだった。
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