第38話ようじょ戦いの果てに――
「ね、寧子ちゃんどうしたの!?」
「うわぁーん、沙都子ちゃん。やっちまったのでぇ~す。助けて欲しいですぅ~……!」
沙都子はすごく心配そうに寧子の肩を抱き、部屋へ招き入れた。
寧子の手に握られていたのは、ラベルがボロボロのワインボトル。そのコルクはほんの少し浮き上がっただけの状態だった。
中心から少し外れたところには、大きな穴が空いていた。
つまり抜栓は大失敗。コルク栓の代わりに、ソムリエナイフのスクリューが抜けてしまったのである。
最初は佐藤に助けを求めようとOSIROへ向かったが、生憎閉店後であった。
そこでこのワインの惨状を何とかしてくれるのは沙都子以外にはいないと思った。
夜遅くに、しかも約束無しに押し掛けるのが気が引けた。
しかし沙都子は快く、寧子を招き入れてくれた。沙都子が女神のように見えた寧子なのだった。
沙都子の部屋は寧子の部屋よりも少し広めの1DKだった。
本人は部屋が汚いと言っていたが、別に汚部屋というわけではなかった。勉強熱心な彼女の部屋の床には、本棚に収まりきらなかった書籍が積みあがっていたのである。
リビングの座卓の前に通された寧子は、これまでのコルク栓との戦いを嗚咽交じりに説明する。
「なるほど。分かったよ。なんとかしてみるね!」
寧子の話をきちんと聞いてくれた沙都子は頼もしい返事をしてくれた。
彼女が引き出しから取り出したのは、二本の長さの違う刃を持ったH型の金具。
【挟み抜き式ワインオープナー】であった。
沙都子は布で瓶口に着いていたコルク屑をふき取った。挟み抜き式を手に取り、コルクと瓶の間に差し込んでゆく。
慎重に、ゆっくりと引き上げると、ボロボロになったコルクが徐々に浮き上がってくる。
「とれたよ!」
そして無残にもボロボロになったコルクはあっさりとワインボトルから抜けるのだった。
「コルク凄いふかふかだね。大変だったね」
「コルクってこういうものなのですか……?」
すると沙都子は「こんなのは珍しいよ」と答えた。
「古いワインのコルクって凄く脆くなってるんだ。だから古いワインの時は、この【挟み抜き式オープナー】を使うと良いんだよ」
「そうなのですか、知らなかったです……」
「寧子ちゃん、大丈夫……?」
茫然自失な寧子を、沙都子はすごく心配そうに見ている。
すると沙都子は突然立ち上がり、再びキッチンへ消えた。
そして彼女が持ってきたのは真新しいキャップシールを被った白ワインのボトルだった。
「ソムリエナイフは持ってるかな?」
寧子は一応首を縦に振った。ジャケットのポケットに入った真新しいソムリエナイフを少し重く感じる。
「丁度コレを飲もうと思ってたんだ。開けてくれるかな?」
「えっ? でも……」
失敗はコルク栓と同じく寧子の心を穿ち、更にぽっきり折っていた。正直、大好きなワインだが、今は目を背けたい。
「大丈夫。今度こそ開けられるよ。私がみてるから。ねっ?」
同い年の筈なのに、まるでお姉さんのような頼もしさ。沙都子がいればきっと今度こそ大丈夫。
背中を押して貰った寧子は再び真っ黒なソムリエナイフを手に取る。
キャップシール剥がし、スクリューを三分の二ねじ込んで、金具をひっかけ上向きに力を籠める。
するとあっさりコルクが浮き始めた。スクリューが浮かび上がってくることもない。屑も出ない。残り三分の一のスクリューを差し込んで、同じことをしてみれば、更にコルク栓が浮き上がってくる。
最後に手で残りの部分を抜く。音も無く、スマートにコルクが抜けたのだった。
「開いた……ですっ!」
「やったね! 私の出る幕はなかったね」
「ありがとうなのです、沙都子ちゃん!」
「どういたしまして。寧子ちゃん、ちゃんと栓が抜けるよ。これからもきっと!」
「はいです! ありがとうなのです!」
寧子は精一杯の笑顔を浮かべて、元気よく御礼を告げる。
沙都子は優し気な、まるで女神のような笑顔を返してくれた。
「それじゃあ私もそのワイン、一口貰ってもいい?」
と、ちゃっかりものな沙都子へ寧子は、
「勿論なのです!」
そうして始まった、二人だけのワインの夜会。
グラスに満たされ二十年以上も前のワインは、淵に成熟感を感じさせる、オレンジ色が見えた。
香りも果実の風味だけではなく、ほのかにスパイスのような雰囲気を感じる。
新しいワインのように鮮烈なイメージは無い。代わりにあるのは穏やかさと複雑み。
渋さも時を経て穏やかとなり、シルクのように舌の上へ溶けて消えて行く。
ちょっと酸が強いのは気になるが、十分美味しいワインだった。
「良い熟成してるね。凄く美味しいね」
「古いワインってこんな味するですね!」
次いで手に取ったのは沙都子が開けさせてくれた白ワイン。赤と同じく”ボルドー”とラベルに記載されている。
「これもボルドーワインなのですか?」
「うん。ボルドーは赤が有名だけど、白も作ってるの。ブドウ品種はエールダルジャンと一緒で、ソーヴィニョンブランとセミヨンだよ」
淡い色調と白桃やパッションフルーツを感じさせる爽やかな香り。
酸も活き活きしていて、さっぱりと楽しめる。
これもこれで凄く美味しい。
なんとなく熟成されたボルドーの赤ワインが沙都子で、若々しいボルドーの白が自分であるかのように寧子は感じた。
確かに見た目は沙都子の方が大人びている。老けているわけではないのだけれど、同い年の筈なのに、まるで年上みたいな落ち着きを感じる。
それにワインの経験だって、ソムリエ試験の合格を目指して頑張っている彼女の方が圧倒的に多い。
時間と経験が、きっと沙都子を大人っぽくみせているのだ。まるで目の前にある熟成したワインのように。
(いつかわたしも沙都子ちゃんみたいになれるですかねぇ?)
いつかなりたい。ようじょじゃなくて、沙都子のようにワインが良く似合うに女性に。
そして何よりも沙都子に出会えてよかった。寧子は改めてそう思つつ、沙都子との他愛もない会話を肴にワインを楽しむ。
夜はどんどん更けて行く。至福の時間であった。
……
……
……
「あ、あの、沙都子ちゃん……?」
「なぁにぃ?」
沙都子の甘い声が、寧子の耳元でささやかれる。
いつも大人っぽい彼女と明らかに何かが違った。
「なんでその……そんなにくっつくですか……?」
何故か小さなシングルベッドの上で、寧子の背中に沙都子がぴったりとくっついていた。
しかも何故か、寧子のぺたんこ胸をふわっと、だが、しっかりと掴んでいる。
ことの始まりは”飲んだら乗るな!”であった。
酒を飲んでしまったのだから当然ベスパでは家に帰れない。
引いて帰るのもなんだし、ということで寧子は沙都子の部屋にお泊りすることになった。
突然の訪問に加え、宿泊であるからして、
『じゃ、わたしは床で寝るですねぇ~』
『ね~いこちゃ~ん、こっち!』
と、妙にリズミカルに沙都子は言い、枕をパフパフ叩いている。
『いやベッドは沙都子ちゃんが使ってほしいのです』
『ね~いこちゃ~ん、こっち!』
『いえ、ですから……』
『ね~いこちゃ~ん、こっち!』
『さ、沙都子ちゃん……?』
『いっしょにねよぉ~! ね~いこちゃ~ん! こっちぃ~!』
しかし沙都子はひたすらベッドを進め続けていた。今日は大変お世話になったので、無下にするわけにはいかなかった。そうしてシングルベッドに二人で身を寄せての状態、に至ったのである。
「ね~いこちゃんってお花畑みたいな良い匂いするね」
ひたすら寧子の後頭部を沙都子はくんかくんかし続ける。
これはたぶん使ってるシャンプーの匂い。沙都子は寧子の匂いを楽しんでいる。しかも何故か寧子を抱き枕のように背中からぎゅっと抱きしめていた。
いつも雰囲気が違う。明らかに――今の沙都子は酔っぱらっている。
「ね~いこちゃん柔らかいし、ちっちゃくて可愛い。はぁ……いいぃ~!」
沙都子は更に寧子を抱き寄せる。むにゅんと沙都子の立派な胸が、寧子の背中を押す。「柔らかいのは沙都子ちゃんの方です!」と、言いそうになったが、彼女が満足そうなので、とりあえず黙って置いた。
「ねぇ、ね~いこちゃん?」
沙都子が耳元で囁き、ぞくぞくする。
「な、なんですか……?」
「今夜はね~いこちゃんを、もっとティスティングしても良いぃ~?」
「……はぁ!?」
夜はどんどん更けて行く。外では猫がにゃ~お、と鳴く。
今夜は満月だった。
翌日沙都子は土下座をして寧子に謝る。
どうやら昨晩の彼女は泥酔していたらしい。
大人っぽい沙都子の意外な一面を知った寧子なのだった。
●これにてチャプター4終了です。またお会いしましょう~
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