第33話バリバリ仕事ができる梶原さん、ホットワインでほっとほぐれる

「今期、洋酒カテゴリーの売上が下がっているようだが何か対策は考えているのか?」


 株式会社OSIROのオフィスの一角にある、立派な営業本部長専用の個室。

 そこに営業本部長の梶原 芽衣さんの鋭い声が響いた。


 鋭い指摘を浴びたのはOSIROの実店舗の一つを任されている店長さん。

彼は持参した資料を基に、今後の対策と展望を数字交じりで答える。

 店長さんのきちんとしたプレゼンテーションに、梶原さんは納得の頷きを返す。


「良いだろう、やってみると良い。君の店は周辺のお客様からも評判が高い。加えて君は洋酒のスペシャリストだ。期待しているぞ」


 店長さんが退出すると矢継ぎ早にデスクの電話がけたたましく鳴り響く。


「どうした? ……分かった、すぐに行く。くれぐれも粗相がないようにな」


 梶原さんは慌ただしくトレンチコートを羽織り、愛用のスーツケースを手に取って、部屋を出て行く。


 営業本部長と実店舗の統括を任されている彼女の日常は、常に忙しい。


 メーカーとの商談、ワインの輸入業務から実店舗の運営指導まで多岐にわたる。毎日のスケジュールは過密極まりなく、休日以外の昼食はいつも固形のバランス栄養食のみ。昔はそんな状態でも二十四時間戦えます、の状態だった。

だけどここ数年はどうにも調子が悪いことが多い。


(歳は取りなく無いものだな……)


 そう思いつつ、目頭を押さえて目のリフレッシュを図る。

そうして再び数字がびっしり並んだパソコン画面に戻るが、やはり視界は少し霞んだまま。

窓の外は真っ暗で、あっという間に夜になってしまっていた。


「あっ、やっぱいた。お疲れ―」


 扉を開いて現れたのは、梶原さんのボス。

酒販店を基軸に、飲食店経営やワインの直接輸入にまで手を出している、この地方ではそこそこ名のの通っている酒商――株式会社OSIROのうら若き社長、御城洋子である。


「お疲れ様です、社長」

「もう誰もいないからいつも通りで良いよ?」

「分かりました……お疲れ様です、羊子さん」


 梶原さんは羊子さんが持っていたお盆に視線を寄せる。

お盆の上にある二つのマグカップからは、ほかほかと優しい湯気が上がっている。ほんのわずかに香る、甘くてスパイシーな――これはシナモンの香り。


「どーぞ」


 デスクに置かれたカップの中身は黒々とした色を呈している。

色合いと香りからして、明らかにコーヒーの類ではない。


「これは?」

「”ホットワイン”だよ。昔、芽衣が作ってくれたやつ」

「ありがたいのですが、私は未だ仕事中でして……」

「いーじゃんいーじゃん。せっかく作ったんだから、硬いこと言わずに!」

「う、むぅ……」


 立ち上るブルーベリージャムのような香りに理性が負ける。

 気づくと梶原さんはマグカップを手に取り、ホットワインを口へ運んでいた。


 温まっていても、赤ワインに存在するブルーベリーのようなニュアンスは健在。

そこへシナモンの香りが程よく溶け合ってアクセントとなっている。

砂糖のようなはっきりとした甘さを感じるのは、昔羊子へ教えたレシピ通り。

 優しい甘みとワインが元々持つ酸が、疲れた身体に沁み渡ってゆく。


「飲み残しの赤ワイン、出来ればボルドーのものへ、カシスリキュールをキャップ一杯。火にかけて軽く湯気があがったら、仕上げにシナモンを振りかけて、はい完成。私はもうちょっと甘い方が好きだから、カシスリキュールをもうちょっと加えたいね」


「それでは酔ってしまいますし、バランスが甘さに偏ってしまいます……しかし何故急にこれを?」

「ワインが余ってたってのもあるんだけどさ……実は今日お会いした料飲店のオーナーさんが、お母さんのことを知っててね」


 羊子の母親とは、OSIROの先代の社長のこと。

 かつての酒商と言えば、免許制度の庇護のもと、ほぼ独占販売状況にあった。

今では考え付かないが、お酒といえば酒屋でしか買えなかったのである。

そんなのだから殿様商売でも成り立ち、競争もあまりなく、放って置いてもポンポンとお金が入ってきていた時代があった。


 そんな時期の社長であった羊子の母親は、当時部下だった梶原さんに、実の娘である羊子さんのお世話を押し付けていた。

そして当の本人は遊びと仕事ばかりで、完全に育児を放棄していたという。


 他人の子供を、しかも上司の子供を無理やり押し付けられた気の毒な若い頃の梶原さん。

だけどそれは彼女にとってはむしろチャンスとなった。


 梶原さんは天涯孤独で何の後ろ盾もなく、苦労して入った学校もお金の都合で辞めてしまっていた。

今風にいえば”負け組”というやつだった。

 だけどそんな彼女に訪れた、社長の娘をお世話するという、なんとも訳が分からないが目立つチャンス。そんな妙な境遇を彼女は巧みに利用した。

 目立っているということを武器に、仕事にも一生懸命取り組み、結果を残し続けた。

色んなプレッシャーを跳ねのけて、そうして今の立場をつかみ取った。


――でもそうして梶原さんが頑張り続けられたのは、傍に小さな羊子さんが居たからだった。


 最初は妙な境遇に呆れながら、未婚の自分が何故? と思いながらの育児だった。

だけど時間が経つにつれ、小さな羊子さんの笑顔が支えになって、「おかえり!」の一言が嬉しくなって、いつの間にか他人の子供だけど、精一杯愛情を注いで、成長を喜んで――小さな羊子さんが傍に居たから、梶原さんは駆け抜けることができていた。


 だけど、それでも梶原さんと羊子さんは血のつながらない、赤の他人。決して本当の親子にはなれやしない。

 羊子さんが育児放棄をしていた亡き実母を嫌っていることは知っている。

でも今日、羊子さんは実母のことを知っている人から話を聞いて、心が揺れ動いた。

だから寂しくなって、今ここを訪れている。


 育ての親よりも、やっぱり産みの親。

 どんなに愛情を注いで、本当の親子以上の関係であっても、決して本当の家族にはなれやしない。


「心中お察しいたします。亡き先代を思いだされて、さぞ辛かったでしょう……」


 梶原さんは胸の痛みを堪えつつ、いつものように、淡々と言葉を紡ぐ。


「え? いや、全然。あの人と私が仲悪かったの知ってるくせに」


 羊子さんはあっけらかんと、あっさりそう答えた。


「でしたら何故……?」

「芽衣のことをさ、考えちゃって」

「私のことをですか?」


 羊子さんの意外な回答に、さすがの鋼鉄参謀:梶原 芽衣の鋼の心臓も、珍しくドキリと音を鳴らした。


「だって私を育ててくれて、いっつも傍に居てくれたの芽衣だし。芽衣は私にとって唯一の本当の家族だし」

「何を仰いますか……」

「それにさ、私があの人に無理やり学校を辞めさせられて会社に入れられた時も、あの人と姉さんたちが急に死んで”社長をやれ!”って言われた時も、それ以外でもずーっと芽衣は私のことを傍で支えてくれてるじゃん。芽衣以上の家族はいないって」


 羊子さんはマグカップへ視線を落とす。その横顔はどこか寂しげだった。


「なんかさ、急に怖くなっちゃったんだ。芽衣いっつも忙しそうだし、身体は大丈夫かなって。良くわかんないけど、いつか芽衣が私を置いてどっか行っちゃうんじゃないかな、なんて思ったり思わなかったり……」

「羊子さん……」


 育ての親よりも、産みの親――それは自信がない梶原さんの、弱気な気持ちが産んだ、勝手な思い込みだと痛感した。

 梶原さんと同じように、羊子さんも愛してくれていた。それを知って眼がしらにじんわりと涙が浮かんだような気がした。

だけど妙に気恥ずかしい気分になった梶原さんは、目がかすんだふりをして、目頭を指で押さえて涙を誤魔化した。


「この味、学校を辞めさせられて無理やり会社に入れられて落ち込んでた時に、芽衣が作ってくれたホットワインの味だよ。覚えてる?」


 その時はたまたま飲み残しの赤ワインがあったから。嫌なことや辛いことがあっても、甘くて暖かい、できればアルコールが入っているものを飲んだ方が良いような。当時の梶原さんは、ただそう思って何気なしに羊子へ出したホットワイン。


 高温はワインへの冒涜であり、価値を著しく損なう行為。

だけど敢えてそうするのは、飲み残して酸化し、輝きを失ったワインを蘇らせるためである。

 輝きは失っても、また違う方向で、ワインは光を取り戻し、人を癒す。


 人もまた然り。

 倒れてたらまた立ち上がればいい。違う方向で輝くのも悪く無い筈。


 もしかすると夢破れた羊子さんは、そんな想いを感じ取ったのかもしれない。

梶原さんも自然と、それを伝えたくてあの時、羊子さんへ”ホットワイン”を出したのかもしれない。


  実際、羊子さんは親のせいで料理人への道を絶たれていただが、梶原さんの支えもあって、OSIROを業界でもそこそこ有名な会社に成長させている。


言葉にせずとも想いはちゃんと通じ合ている――これ以上の家族の証があるものか。


 そんなことを考えながら梶原さんはもう一口、温かいホットワインを口へ運んだ。


「羊子さん」

「ん?」

「私はいなくなりませんよ。これからもずっと。貴方の傍に居ます」


 今更母親面するのが恥ずかしい梶原さんは、精一杯の言葉を口にする。

すると羊子さんはニカっと笑った。

 これは小さい頃からの癖――なにか人をからかったりする時のサイン。


「うん、そうして。なんてたって芽衣は私のお母さんだからね!」

「すみませんがそれは聞き捨てなりません。私はそんな歳ではありません。羊子さんほどのお子さんを産んだとしたら、今の私はいったい幾つなのでしょうか? 実年齢から換算するにお姉さん辺りが妥当かと」

「えー、なんか違うなぁ。やっぱお母さんだよ」

「ですから!」


 なんだかんだでいいコンビな梶原さんと羊子さんは、ホットワインでほっと一息。


 明日も良い日になる筈。きっと。


 梶原さんの忙しい一日が終わり、また新しい朝がやってくる。

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