第25話ようじょ、来年の目標は赤ワインにする

「寧子ちゃーん!」

「いえっす、まむ!」

「今日は仕事じゃないよ……?」


 と、朗らか声で答えてくれたのは、バイト先のワインバーの店主で、結構美人なラフィさん。

 脊髄反射のように、答えてしまう自分に苦笑いな寧子だった。


「グラスを磨いて収納ケースにいれておいてね」

「はいなのです!」


 気を取り直してこの一年間で色々なワインを満たしただろうワイングラスを一つ一つ丁寧に磨きあげてゆく。

今年はどんなワインが注がれたんだろう? どんなお客さんが飲んだんだろう?

そんなことを考えながら磨くと凄く楽しくて、量が沢山あっても全く気にならなかった。


 寧子がグラスを磨いている間に、ラフィさんは店の床をくまなくモップがけする。


 今日は年の瀬。ワインバー:テロワールの営業も、年内は昨晩で終了。

寧子とラフィさんは、いわゆる大掃除というものに勤しんでいた。


 二人での作業は相応に時間がかかったものの、夕方前には全て終えることができたのだった。


「ふぃー、お疲れさまー。寧子ちゃん、手伝ってくれてありがとうね」

「いえ、とんでもないのです。今年の後半はラフィさんにとってもお世話になりましたですからね。沙都子ちゃんもいれば良かったのですが……」

「まぁね。でも帰省だから仕方ないよ」


 いつもは山梨の実家に帰っていない沙都子は、年末年始もバイトに入るつもりでいたらしい。

しかし来年は成人式。着物のことやらなんやらで、沙都子は渋々と言った様子で山梨の実家に帰っていた。

 ちなみにクロエは本人いわく「母国へ強制送還ネ! ワタシ、ガチなフランス語喋れないのネー!」ということらしい。


「寧子ちゃんは帰らなくて良いの?」

「まぁ、良いんじゃないですか。たまには」


 大掃除をラフィさんが一人ですると聞いたら、黙っていられなかった。

だから寧子は今年は帰省せずに、こっちに残ってラフィさんの手伝いをすることに決めた。


 寧子が年末年始に帰らないといったら、電話越しで大号泣した父親の声を思い出す。

これを言ってしまうとラフィさんが気を使いそうなので黙っておくことにした。


 と、掃除の余韻に浸りながら、暖かいお茶を飲んでいたところ、店の扉がゆっくり開いた。

そこにはにっこり微笑むラフィさんのお子さんの「拳一くん」と、


「お疲れ。家の掃除終わったぞ」


 拳一くんをそのまま大きくしたような、黒髪のたくましい男の人がいた。


 菅原 拳さん――株式会社OSIROのバイヤーで、彼が噂のラフィさんの”旦那さん”である。


「お疲れ様です、拳さん!」


 ラフィさんは弾んだ声をあげてぴょんと立ち上がり、嬉しそうな笑みを浮かべる。

もしもラフィさんが尻尾があったらぶんぶん横に触れていたはず。

何故かそう思う寧子なのだった。


「ムーさんとリーちゃんはどうでした?」

「あの二人はメーカーさんの忘年会に呼ばれちまったらしいぜ。ラフィには”ごめん! 新年会で宜しく!”だってさ」

「そうですかぁ。せっかく仕込んだのに残念です……」

「ねぇねぇお母さん、早く―!」


 拳一くんがラフィさんのスカートの裾を引っ張って何かをねだる。

ラフィさんはくるりと踵を返した。


「寧子ちゃん、もしよかったら、今夜私達と一杯どう? ちょっとした忘年会的なことをこれからするんだ! 美味しいローストビーフとワインもあるよ?」

「勿論なのです! 参加したいのです!」


 ワインと聞いちゃ黙っていられない寧子は返事一つで了承する。

 

 ラフィさんは「よし!」と気合を入れて、磨き上げられたバーカウンターへかけてゆく。


「石黒さんはどういう赤ワインが好きだい?」


 拳さんは少し腰を屈めて、寧子に聞く。

 最初は佐藤みたいにちょっと怖い人に見えたけど、話してみると案外優しそうな人だと寧子は思った。


「正直、まだ赤ワインのこと良くわかんないです」

「そっか。んじゃ、入門編として良いもの出すよ。ちょっと待っててくれ。代わりに悪いけど拳一のこと見ててもらえるか?」

「はい!」

「えー、お父さん、やだよー。こんなちっこい大人ー」


 拳一くんの正直な言葉に寧子と拳は苦笑いを浮かべた。

拳一くんはまるで寧子に興味を示さず、拳さんから渡されたスマートフォンを手に持って、店の中をうろうろし始める。


「ねぇ、拳一くん、それモンGOですか?」

「!」


 それまで仏頂面だった拳一くんが初めて笑った。寧子はスマートフォンを取り出して、モンGOのアプリを起動させ、これまで捕獲したモンスターを画面に表示する。


「す、すげぇ! 殆どコンプじゃん! このモンスターしらねぇ!!」

「くふふ。これは今年の劇場版限定モンスターなのです。大変でしたよ。毎晩、映画館の周りをうろうろしてようやくゲットしたのです」


 ガチャ禁も大変だった。お年玉貯金を切り崩して、本気で廃課金をしそうになった。が、それは子供の拳一くんには教えちゃいけないことだと思ったので黙っておくことにした。


「すげぇ、すげぇ! もっとみせて!!」

「良いですよ。これも結構苦労してつかまえたですね」


 拳一は寧子のスマートフォンを奪うようによって、画面を食い入るように眺め始める。

 どうやら打ち解けられたようだった。


 拳一くんの面倒を――というか、寧子のアプリ自慢が大半だったが――をみつつ、待っていると、ほくほく笑顔のラフィさんがカウンターへ、どーんと立派な”ローストビーフ”をバーカウンターへ置く。


 こんがりついた綺麗な焼き色と、香ばしい香り。


「「すごい! 美味しそう!!」」


 寧子と拳一くんはまるで姉弟のように声を上げ、ラフィさんは自慢げに鼻を鳴らす。


「凄いです! こんな短時間でローストビーフだなんて、凄すぎです!!」

「ふふ、ありがと。でもこれ、炊飯器で造ったんだよ?」

「ええ!? あのご飯を炊く奴ですかっ!?」


「うん! お肉に塩、胡椒、ニンニク、後はローズマリーで下味をつけて、一旦フライパンで焼くの。で、沸騰したお湯を保温状態の炊飯器に張って、ビニールでくるんだお肉を入れて、15分放って置くだけ。簡単でしょ?」



(今度やってみるです。それでクロエをあっと、驚かせてやるです!)


「おっ? 相変わらず旨そうじゃん」


 今度はセラールームからワインを持った拳さんが現れる。

宣言通り、真っ黒に見える”赤ワイン”のボトルを持っていた。


 ラフィさんは更にフレンチフライや、コールスローサラダを魔法のように次々と出してくる。

その脇では慣れた様子で拳さんがワインを開けている。


(仲のいいご夫婦なんですね)


 いつかこんな家庭をもてたら良いなと思う寧子なのだった。

 そうしてささやかと言いながら、かなり豪華な料理が並び、”忘年会”が始まった。


 拳さんは少しふくらみのある赤ワイン用グラスにワインを注ぎ、拳一くんへはノンアルコールの発泡性ワインを出す。


「それじゃ今年はありがとうございました。また来年も健康で、楽しく過ごしましょ! 乾杯!」


 ラフィさんの明るい一声で宴が始まる。

 さっそくラフィさんのお手製”炊飯器ローストビーフ”を頂く。


 焼き目とスパイスの香りが口の中一杯に広がって、鼻へ抜けて行く。

 外のこんがりと、中の赤みがギャップを生んで、それが意外にマッチしている。油分も少なく、食べやすく、肉のうまみもふんだん。

最高の味わいに満足しつつ、寧子は赤ワインを手に取った。


 深い深い紫色。グラスを伝うワインは綺麗な涙の滴のように、グラスの内側に軌跡を描く。明らかに”濃い”印象。


「あっ……!」


 香りを嗅いだ途端、驚きの声が上がり、思わず笑みがこぼれ出る。

 濃厚で甘い香りと、はっきりと感じられる紫果実。


 アタックもガツンとインパクトを抱き、甘みのような感覚を得る。

酸味も存在するがマイルド。

なによりも渋みが、口の中にまだある肉汁と溶け合って、絶妙なハーモニーを奏でている。


「どう? マッチョな赤ワイン?」

「マッチョってお前なぁ……」


 ラフィさんの奇抜な表現に、拳さんは苦笑いを浮かべる。


「これはアメリカ、カリフォルニア州のカベルネソーヴィニョンを使った赤ワインだ。口にあったか?」

「はいなのです! すっごい美味しいです!!」

「よかった。石黒さんぐらいの歳だと、こういうワインが好みだと思ってね」

「ほんと、マッチョな印象でぇすねぇ」


 前に飲んだチリのカベルネソーヴィニョンよりも、濃くてはっきりとした印象がある。チリのものが細マッチョなら、アメリカのものはなんとなく”むきむマッチョ”な雰囲気だと思った。


「まぁ、力強い味わいだから、マッチョで間違いはねぇけどな」

「なんでこんな味に仕上がるんですか?」

「まずはテロワールだな。カリフォルニアは暑くて乾燥している。たくさんの太陽を浴びるからブドウは元気良く育って、糖度も高まる。これが力強いワインを生み出すカリフォルニアのテロワールだ」


 テロワール――ブドウが生育するための、あらゆる環境をひっくるめて表現したワイン用語。

ちなみに、このワインバーも:テロワールという名前である。



「そんなブドウでワインを造ると、はっきりとした、グラマラスなワインが出来上がるんだ。あとは、あっちの文化だな。石黒さん、アメリカの食事、って言われたら何が浮かぶ?」


 アメリカ、といえば、あれしかない。

Mのファーストフードとか、31のアイスクリーム屋とか。


「ハンガーガーに、フライドポテト、コーラに、アイスクリームなどですか?」

「その通り! 基本的にはっきりとしたインパクトのある料理が中心だろ? だからワインも割とはっきりとしたインパクトのある味に仕上がるんだ」

「なるほど! だから文化なのですね!」

「おう。ワインはその土地の文化を如実に表すんだ。今の日本は食の欧米化が進んでいるから、特に石黒さんみたいな若い子はこうしたワインの方が美味しく……」

「拳さん、お喋りばっかしてないで食べてくださいよ!」


 と、ラフィさんが頬を可愛くぷっくり膨らませていた。


「わ、わりい……おっ! やっぱラフィに飯は旨いなぁ!」


(ちょっと嫉妬させちゃったですか? いや、まさか……)


 そんなことを考えながらカリフォルニアの赤ワインを流し込む。

やっぱり飲みやすくて、美味しい。


 まさかここに来て、ボージョレ以外で今のじぶんにぴったりな赤ワインが出てくるとは思ってもみなかった。


 菅原 拳さん曰く、「ワインはその土地の文化を現す」


 ならばフランスは、イタリアは、ドイツは、チリは、同じブドウ品種でも、どんな味の違いがあるんだろう?

考えただけでワクワクが止まらない。


(決めました。来年は赤ワインを探求してみるです!)


 そう決意した寧子の袖を、小さな拳さんの、拳一くんがひっぱる。


「なぁ、寧子~。もっとモンGOみせてよ~」

「ね、寧子って……」


 すっかり慣れたと言うか、既に呼び捨ての拳一くんは、食事よりもゲームが優先らしい。


「食事中にダメですよ。終わったら見せてあげます」

「えー、そんなー。なぁなぁ寧子~」

「ほら、サラダ残しちゃ、チビになっちゃうですよ?」

「寧子みたいに?」

「!! ちゃ、ちゃんとわたしは野菜食べてたです!!」

「うっそだー! 野菜のこしてんじゃん!」

「これはバランスよく食べてるだけですっ!」


 そんな寧子と拳一のやり取りをみてラフィさんはほっこりとした笑顔を浮かべていた。


「嫁、ゲットですね! 寧子ちゃんなら大賛成!」

「はぁ……ラフィ、気が早すぎだって。拳一幾つだと思ってんだよ。しかも逆源氏物語かよ」

「冗談ですよ。でも、拳一、凄く嬉しそうですよね」

「ああ、そうだな」

「お姉ちゃんはもう無理ですけど、妹か弟がいても良いかもですね?」

「え……? あ、お、おう。そうだな」

「もう一人分ぐらい養えますよね? あ・な・た?」


 ラフィさんは妖艶な笑みを浮かべる。


「――任せな!」


 菅原家の大黒柱の拳さんは、そう頼もしく答える。


 寧子と菅原一家は思う存分、食事とワインを楽しみ、過ぎゆく年の懐かしい話の数々に花を咲かせるのだった。



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