祭りの錯綜。

 オジサマのお店が異様な盛り上がりを見せた夜から四日後。突っ伏した木製のテーブルに着けたほっぺから伝わるヒヤリとした感触を味わっていた。身体が重いと感じるのは風邪や疲れでは無いだろう。お腹をソッと撫でると、ポッコリと膨らんでいるのが分かる。


「もう四日……何で出ない……」


 買った薬を煎じて毎日飲んでいる。美容にも効果がある便秘解消ストレッチもしている。食物繊維を摂る為に野菜中心の食生活を送っている。それでも出てこないもんだから、ナイスなバデェは今やポテ腹である。


「オススメ通り高価たかい方にしとけば良かったかなぁ……」


 店主の余計なひと言が無ければ買ったかもしれないが、知人が側に居てあんな物媚薬なんぞ貰った日にゃぁ余計な波風が立ち兼ねない。だからあの時は買わなかったのだが、安価な薬がこうまで効かないとは思いもしなかった。


「仕方がない。買いに行くか」


 重くなった身体をよっこいしょと持ち上げ、ウォーキングの効果も期待しつつお店に向かう事とした。




 お祭りの準備で慌ただしかった街中は、ほとんどがその準備を終えたみたいで少し落ち着いた様に思える。大河から吹く涼やかな風が、店の軒先や街頭代わりに取り付けられた提灯の様な物を揺らし、下層と中層を隔てる城壁の垂れ幕を波立たせていた。その垂れ幕には、『豊穣祭まで後三日』の文字が書かれている。っていうか、双眼鏡も使わずに幕の文字が見えるなんて、アレ相当でかくね? 王様も相当浮かれているな……


 お店に道を訪ねて再びやって来た『フアルマコ』。ドアを開けるとガラランッと来客を示すベルが鳴り、相変わらず明朗な声が掛けられる。


「ヘイ、らっしぇいっ!」


 その姿も相変わらずで、魚屋さんのソレに近い姿だ。


「──と、この前の別嬪さんじゃぁねぇか。となると、コレが欲しくなったんだろ?」


 そう言ってカウンターに茶色の不透明な小瓶を置いてスッとスライドさせるご主人。推しまくってるな。


「違います。私は──」

「ああ、分かってるって。効かなかったんだろ?」


 アンタ。効かないの知ってて売ったんか?!


「ありゃぁな。ウチで調合したヤツじゃぁなくてな、錬金術にどハマリした貴族サマが作ったシロモンなのさ。そいつぁウチに出資してくれてるから、断るにも断れなくてなぁ……売り文句は『低価格の常備薬』だそうだ」


 その常備薬には、風邪薬や胃腸薬など元の世界でも馴染みのある薬もあるそうだ。なるほどね、そういう訳だったのか。


「それじゃぁ、コレな。オマケしておいたから上手く使いなよ」


 そう言ってご主人は紙袋を差し出しそれを受け取る。


「一包飲んで二、三日様子を見てくれ。それでもダメならまた飲む。連続で飲まないでくれよ。でないとマジやべーぜ」


 何がマジやばなのかは知らないが、スンとご主人の表情が消えた事から本当にやばいらしい。


「わ、分かった。二、三日様子見てから、ですね」

「おうよその通り。ま、何かあったらまた来てくれやサービスすっからよ。それじゃ、幸運を祈ってるぜ」


 ウンだけに。と言ってガハハと笑うご主人に、やかましいわと内心でツッコミを入れつつ店を出た。


「そういえば、おまけって言ってたけど何をくれたんだろ……?」


 ガサリと袋の中身を見てみると、小さな小さな瓶に白い粉末が入っている。ご主人からのメッセージによると、中身はどうやら例の媚薬らしかった。要らんわこんなもんっ。




 豊穣祭が始まった。しかし、私の便意は未だ始まらない。高価たかい薬を飲んで三日ほどが経ったのだが、今日もアレは姿を現さなかった。ポテ腹もまた少し大きくなり、妊婦。とまではいかないものの、それなりに目立ってしまっていた。当然スカートなんか履ける訳がなく、ワンピースでの誤魔化しもそろそろ限界を迎えようとしていた。


「大丈夫ですか? お姉様」


 お祭りを一緒に見て回ろうと、私を誘いに来たリリーカさんが心配そうに覗き込む。


「ちょっと便秘してて……」

「それは大変ですわね。わたくし良いお店を知っていますわ。『フアルマコ』って薬屋さんなのですが」

「ああ、おばさまに教えて貰ったから」

「そうですの。では、もう大丈夫ですわね」


 大丈夫……か。余程信頼が厚いらしいねあの店。もっとも、八百屋か魚屋ばりの応対とか、やたらと媚薬を勧める事とか。私は不安で一杯なんだが。


「そういえば、リリーカさんは会合に参加するって言ってなかった?」


 四年に一度の十二位会議が開かれる。という事で、次期七位のリリーカさんは学業をお休みして戻って来たと記憶している。


「会合と言いましても、本会議に参加するのはお父様ですし、わたくしが出席するのは晩餐会。それも明日の夜ですから今日は暇なのですわ」

「そうなんだ」

「ええ。一人で見て回るよりは、お姉様とご一緒した方が楽しいと思いましてお誘いしたのですが……」


 お嫌でしたか? と言うリリーカさんの表情に若干の陰りが見えた気がする。


「ううん。そんな事無いよ。私も初めての祭りだし、リリーカさんが居てくれて心強い」

「そう言って貰えると嬉しいですわ」


 陰りが見えていた表情が、一気パアッと明るくなる。それはまるで満開の向日葵の様だった。



 それから、リリーカさんの手に引かれて色々なお店を見て回る。射的ならぬ弓的や、当たりが稀少な品物(店主談)であるというくじ引き。勝てたら豪華商品という腕自慢。どれもこれも物珍しいお店ばかりだけれど、何処か懐かしさを感じる。


 勿論、食べ物を扱うお店も数多く出店していて、大河で漁れた新鮮な魚を使った料理や『一角豚』という魔獣の丸焼き、羊に激似の『ベェェ』という動物から絞ったミルクなど、美味しそうな香りを漂わせ、通る人々を魅了していた。


「東区の方にはサーカスも在るそうですわ」

「へぇ、サーカスかぁ……」


 こっちはやっぱり魔法を駆使しているんだろうな。と勝手に想像を膨らませる。そうして、リリーカさんと共にお店を回り舌鼓を打っていた時、突然ソレはやって来た。


 ゴルルル。その音にふと見上げる。空は何処までも青く澄んでいて、雷雲など見当たらない。気の所為かと思い、買ったばかりの串焼きに手を伸ばしたその時、ギュルルと確かな音が聞こえた。


 雷ではない内側から響くその音に、待望の時が訪れた事を悟った。


「き、来た……」

「え……?」


 私の呟きに、串焼きのタレをホッペに付けたままのリリーカさんがキョトンと見る。


「来た。来たのよリリーカさんっ」

「え。来た……? あ、まさか。お姉様っ」

「ええ、ええ。そうよ、ついに来たのよ便意がっ!」


 リリーカさんの手を取って喜んでいたのも束の間、ぶふぉっという音がそこかしこから聞こえた。直後に浴びせられる周囲からの視線。


「あ……」

「お、お姉様……」

「すっ、すみませんでしたぁっ!」


 恥ずかしさを吹き飛ばす様に声を張って謝罪し、リリーカさんの手を取ってその場から逃げ出した。



 走り出して少し、下層域のほぼ中央に位置する噴水公園へと差し掛かった所でその足を緩める。


「ハァ、ハァ……あー恥ずかしかったぁ」

「お姉様は迂闊過ぎますわ。公衆の面前であの様な事を……」


 仰る通りで御座います。だけど、今はそんな事に構っている場合じゃ無い。


「この辺に個室って無いかな……?」


 声を張った事と走った事で、お腹の中の稲妻が大分下がって来ている。その感じ具合から、家まで引き返すのは最早危うい。


「ええっと、確かそこの角を曲がった所にあった筈ですわ」

「うん分かった。ちょっと行ってくるね」

「はい。ここでお待ちしておりますね」


 私は一目散に駆け出した。リリーカさんが指差したあの角の向こうにパラダイスが待っている。待っている筈だった。しかし、視界に飛び込んできた光景は、私を天国から地獄へと突き落とす。


「な、なにこれ……」


 思わず声に出してしまう程の現象。休日のテーマパークでも連休のサービスエリアでも、ソコは混雑をするものだという事が頭からスッポリと抜け落ちていた。列を成して人々が向かうその先は、言わずと知れた公衆個室。この時程イベント事が憎いと思った事は無かった。

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