新米コックさんの野望

 誕生日。


「あと十秒ー」


 人間やってれば誰にだって訪れる、特別な一日。その日になるとあら不思議。普段ぞんざいに扱われがちなあの子もその子も、たくさんのおめでとうと言う名のスポットライトに当てられて、あっという間に主役になる。


「五秒ー」


 なるほど、そいつは素晴らしい。


「よーんっ!」


 良い日じゃないか、誕生日。


「さーん」


 でも、だ。


「にー」


 ちょっと待って欲しい。


「いーち!」


 これは、少し特殊なケースの話なのだが。


「ぜろー! おめでとー美優ー!」

「修ちゃんおめでとうっ!」


 自分の誕生日になっていないのにも関わらず、誕生日おめでとうと言われる場合は、一体どうしたら良いのだろうか。


「ありがとー」

「ありがとう……」

「まーた今年も妙ちきりんな顔してんなー修は」

「だってさ、俺の誕生日さ、ぴったり十二時間後だからさ。なんかさ……」


 本日。十一月十二日。土曜日。


「とうとうピンクの暖簾の向こうに行けるようになったかーあたしもー」


 バカな事言ってる美優の誕生日。その真昼間。時計の長針も短針も一番上を指している。この十二時間後。時計の針がくるりと一周し、もう一度一番上を指して初めて、桃瀬修爆誕デーとなる。


 だから、ほら。おかしいんだよね、色々と。そういう話がしたいのです僕は。


「その話は何回もしたろーが」

「二日続けてお祝いとかめんどくさいから美優と修の誕生日のちょうど真ん中でお祝いしよ! その方が楽だから! って」

「わかってるけどね……」


 今更何を言ってんだこいつと言わんばかりに首を傾げる元気と千華。君らは誕生日離れてるし、この祝いの場を設ける側だからわからないだろうけど、なかなかに変よこれ。


「不貞腐れるなよなー修。今夜はふじのやファミリー総出で豪勢な飯用意してくれるんだからそれでいいじゃんか」

「それ、今日と明日にすればよくない?」

「ふじのやの材料だって無限じゃないよー! ほんとは修ちゃんの誕生日になってからも大盤振る舞いしたいけど……」

「あ、はい。俺の負けです誕生日迎えました本当にありがとうございます皆さんこれからもよろしくお願いしますはい」

「急に物分かり良くなるのな」


 リアルマネーの話なんてされたらもう何も言えないでしょ。ふじのやの売り上げは白藤家だけの問題じゃないんだから。


「修ってば、夏菜の言う事には素直に頷くんだねー」


 本日のもう一人の主役、美優がおちょくってきた。何か言いたいそうだね?


「美優がふじのやの冷蔵庫の在庫を保証してくれるなら頷いたりしないんだけど?」

「よーっし、今夜は食べるぞーっ」

「聞いて?」

「って事で解散ー」


 うーいとか、出掛けてくるーとか、勉強しなきゃーとか、お腹空いた! 余は糖分を所望する! あ、誰も聞いてないねこれ!? とか。美優の号令を受けた四人は、あーだこーだ言いながら俺の部屋を後にした。


「……なんか…………虚無」

「毎年の事じゃん。祝ってもらえるだけありがたいでしょ。贅沢言わないの」


 とは、正しく本日の主役である美優。人のベッドの上でどかーっとあぐらで構える様は主役というか、この部屋の主である。


「わかってるって」

「わかってるならその不貞腐れた顔をやめなさいっての」

「そんな顔してる?」

「してる」

「……美優は楽しそうな顔してるね」

「わかってるじゃーん」


 この前はあんなボロッボロな顔してたのになあ。言わないけど。


 あの日こそあんな感じだったけど、翌日からの浅葱美優は俺の前でも、奏太の前でも、誰の前でも、浅葱美優だった。


 どうしてかな。平常運転に戻った事、素直に喜べなかった。


 凹んでる時くらい、とことんまで凹みきってさ、誰かに甘えればいいのにね。


「ねえねえ。本日の主役であるあたしをもてなして?」

「そういうのはパパママーズにお願いして。ちょっと出掛けてくるから」

「えー」

「俺と一緒にいられなくなるからってそんな寂しそうな顔しないでよ」

「え、盛り過ぎ。大盛り。特盛まである」

「だって顔に出てるんだもん」

「ふにっ」


 ほっぺを摘んでみたけど、嫌がる素振り一つ見せない。というかこの見下ろしアングル凄いな。強調するような服を着てるわけでもないのに胸の谷間ががっつり見える。美優はエッチな女の子。知ってた。


「ひゅーもひろろころひえなひ」

「修も人の事言えない?」

「あらひのほっはいみへひょっとこーひゅんしへるのはれはれ」

「あたしのおっぱい見てちょっと興奮してるのバレバレ? いや違うわ。流石に興奮までいってないから。ちょっとムラっとはきてるけど」

「へんはい」

「変態? うんうん、正しい評価をしてもらえてるみたいで嬉しいよ」

「ふにゃっ」


 俺の手を振り解いてベッドにごろり。美優様、完全におやすみモードだ。


「じゃあ行ってくるね」

「何処に?」

「内緒」

「誰と?」

「内緒」

「男の子? 女の子?」

「内緒」

「ケチ」

「美優ってば、面倒臭い女子指数右肩上がりだね。気になるなら一緒に来る?」

「やだ」

「いやー美優はめんどくさウザ可愛いなー」

「ちょ、撫でんな、こらっ」


 寝癖混じりの美優ヘッドをぐりぐりと強めに撫で回す。撫でるなど言う割にされるがままになってるのはなんででしょうねえ。というか、誰かに撫でられる美優って新鮮かも。いつもは誰かを撫でる側だからなあ。


「修に乱暴された……」

「いつも美優がやってる事でしょ」

「じゃあもう乱暴しない方がいい?」

「俺にはしない方がいいかなあ」

「そ。じゃあもうしない」

「うんうん」


 美優はしないと言った。ならばもうしないのだろうさ。それでいい。些細な所から少しずつ、お姉ちゃんを捨てていこう。


「夜までには帰ってくるから」

「いってらー」

「……あ、そうだ」

「うん?」

「誕生日おめでとう。美優」

「ありがと」


 ゴロゴロしたまま手を振る美優に手を振り返して退室。


 さて、行きますか。何がどういう展開になるのかわからないメンツに会いに。


* * *


「どう? どうですか!?」

「……うん。美味しい。甘めでいい感じ」

「んー! こりゃ美味い!」

「やたっ!」

「やったね優ちゃん!」


 手を合わせてぴょんぴょん跳ねる女の子二人。これが百合ってヤツですか違いますかそうですか。


「黒井さん、本格的に料理始めたの最近って本当?」

「母の手伝いをしたりって事はありましたけど、自分主導っていうのは初めてです」


 俺の問い掛けに淀みなく答えて、本日俺を呼び出した人物のうちの一人、黒井優さんは可愛らしい笑顔を見せた。エプロン似合うなこの子。可愛い。


「いやほんとビックリですよ。ここまでポテンシャル高いとは……」


 とは、俺を呼び出したもう一人、みんなの愛猫、小春ちゃん。髪型変えてから女の子らしさが更に加速した感あるけど、コンタクトは背伸びし過ぎだからメガネに戻していいんじゃないかって思うよお兄さんは。


「や、マジで美味いよ黒井さん! これで料理初心者ってマジか! いやースゲー!」


 語彙力死に気味で褒めちぎるのは、俺を呼び出したもう一人、謙之介。黒井さんお手製の肉じゃがを頬張りほっくほく。いい食べっぷりだなあ。


 ランチ営業が終了し、夕方の再オープンまで休憩中のふじのや。この店で労働している女子高生二人と付き合いの長い同級生と、誰もいない店内で秘密の会合中。


 冗談でも誇張でもなく、黒井さんと赤嶺兄妹、それぞれから呼び出された結果、この状況である。


 正直に言います。わけわからなすぎて、軽く帰りたみあります。


「そ、そうでしょうか……?」

「謙遜しなくていいって! うちのお袋も料理上手いけど負けてないよマジで!」


 照れ気味な黒井さんに、にっこにこの謙之介が追撃を仕掛ける。すると。


「え、えーっ、そんな事ないですよーっ! 私なんてーまだまだですよーっ!」


 お、おお? 黒井さん、え、ちょ、ええ? 何今の?


「黒井さんは向上心があるんだなあ! うんうん! 上向きなのはいい事だ!」


 や、お前もなんだ。そういう受け止め方出来る所は嫌いじゃないけど、それより先に感じ入るものがあるべきでしょ?


「これは……」

「んー? どした修? もう食わないのか? 食わないなら」

「うん。早めのお昼食べて来ちゃって、あまりお腹空いてなくて。黒井さんが不服でないのなら後は謙之介に全部食べてもらおうと思うんだけど、それでいいよね、黒井さん?」


 引っ掛かる部分を多めに、少し意地の悪い聞き方をしてみた。さてどうだ。


「はい! それでいいです!」


 あ、全力で引っ掛かりにきた。むしろ嬉しそう。そんなに態度に出しちゃいますかねそこ。


 これ、もう答えは出たと言っていいかもしれないね。


「ちょっと飲み物取ってくるよ。謙之介はお茶でいい?」

「おう! サンキュな!」

「いえいえどういたしましてー。ちょうどいいや。小春ちゃん、ふじのやの奥深くに隠されているアレの場所教えて。アレの場所」

「ほえっ? アレ? あ、あれー?」


 テンパる小春ちゃんの背中を押して厨房へ逃げる。もうさっさと確認してしまおうと思ってね。


「び、びっくりしたぁ……あの、アレってなんです?」

「や、そんなのないんだけどね。ふじのやの事なら隅から隅まで把握してるし」

「は、はあ……え? じゃあ……」

「小春ちゃんに一つ質問があります」

「あ、察しました私。ばっちこいです」

「黒井さんってまさか」

「そのまさかです」

「だよね……や、あまりにも露骨過ぎるから揶揄い半分だったりするのかって可能性も捨てきれなくて……」


 いつの間に接点が出来たのかは知らないけれど、確定か。


「アレがどうたらとか修のヤツが言ってたけど、アレってなんだろうね?」

「なんでしょうねー。それより人参も食べてみてください! いい塩梅な自信ありますよー!」


 奏太となんやかんやあった黒井さんが、謙之介に、ねえ。


「いえいえ。めちゃくちゃ本気ですよ優ちゃん。本気と書いてマジと読ませちゃうくらいにはガチガチのガチです」

「意外だなあ……」

「私もです…まさか優ちゃんがうちに来た日に……吊り橋っちゃうだなんて……」

「ごめん、日本語でお願い」

「雰囲気で察してください……」

「……吊り橋効果的な?」

「そんな感じです」

「赤嶺家で一体何があったんだ……それで、俺はどうして呼び出されたの?」

「それは」

「あー違うんだ。謙之介と黒井さんに呼び出された理由ならなんとなくわかるんだ」


 謙之介の目的。少しは慣れたとはいえ、夏菜がお店にいたらやっぱり緊張しまくりで死にそうになるから緩衝材が欲しかった。


 小春ちゃん経由で俺を呼び出した黒井さんの目的。謙之介はもちろん俺とも距離を詰め、謙之介周りの情報を引き出す。純粋に謙之介に手料理食べて欲しいってのもあるだろうね。


 これくらいなら推察出来るんだけど、小春ちゃんに呼び出された理由がどうにもピンと来ない。


「小春ちゃんはどうして俺を呼んだの?」

「私を助けてください」

「あ、めっちゃシンプルな理由」

「自分の兄……しかも優ちゃんじゃない人に片思いしてる兄と、自分の一番の友達と三人で過ごすなんて色々無理ゲーです。思考回路はショート寸前ですよ……」

「今すぐ奏太に会いたいよー?」

「そ! そんな事言ってな」

「しーっ。ごめんごめん」

「桃瀬先輩……意地悪です……」

「らしいね。最近言われたよ」


 意地悪ってどういうものかを教えてくれた女の子に言われたもので。


 とにかく、だ。


 俺が小春ちゃんの立場ならと考えてみると、なるほどこれは胃がしんどそう。


 黒井さんの事情的に奏太は頼れない。謙之介の事情的に夏菜も頼れない。元気と千華はちょっと頼りない。美優は後が怖い的な意味で頼りたくない。俺に白羽の矢が立つのはまあ、わからないでもないか。


「話はわかった。俺に求められているのは、この場の平和を保つ事、みたいな?」

「はい。それと」

「可能な限り黒井さんの力になってくれ」

「それです。その……白藤先輩の事もありますので……頼み辛いのですが……」

「…………ああ、うん。了解したよ」


 なんで俺が夏菜にメンタルブレイクされた事知ってるんだと一瞬悩むも、謙之介が夏菜に。夏菜が元気に。この人間関係を知っていての発言だと理解した。危ない危ない。自分からボロ出す所だった。


 っていうか、いっつもこんな役回り要求されていないか俺。人が良く見えるのか、それとも扱い易いように見えるのか。実は頼りになる人間だと思われていたり? そうだといいな。


「小春ちゃんも大変だね」

「なんだか急に人生が加速した感あって……目が回る毎日です……」

「充実してる証拠だよ」


 苦笑する妹分と手分けして四つのグラスを用意して席に戻る。なんだかんだと盛り上がってるじゃないのご両人。


「なあ、アレってなんだ?」

「謙之介に教えるわけないだろ」

「なんで!?」

「なんでって、謙之介だし?」

「答えになってねー! もしかして俺って口軽そうとか思われて」

「そんな事ないですよー!」


 食い気味な爆速フォロー。黒井さん、隠すつもりすらないねこれ。


 なら、もう少し突っ込んでみるかな。


「アレの正体が知りたいのならふじのや古参メンバーに聞いてみるといいよ。例えば、夏菜とかにさ」

「し、白藤に……?」

「そ。っていうか、この場に夏菜呼んだら良かったんじゃないの? 贔屓目無しに、そこいらの料理人が裸足で逃げ出すレベルの料理の腕前なんだからさ」


 敢えてこの場にいない人間の名前を出してみた。だ、だよなー!? とか自分の事でもないのに得意げに尻尾ブンブンする犬の方はどうでもいいとして。俺が見たいのは、新米バイトさんの反応だ。


「あーそーですねー」


 うわっ。露骨っ。桃瀬ビックリしちゃう。


「じゃあ白藤呼ぼうか? なんなら俺から連絡し」

「大丈夫ですっ! 白藤先輩は受験勉強でお忙しいでしょうしっ! いきなりだとご迷惑になるのでやめましょうね! ねっ!?」

「あ、はい」


 黒井さんの発する強めな圧に子犬になってしまう大型犬。謙之介、ここまで露骨な態度なのに何も感じないとか本当? というか本気? 脳のネジ足りてる? 


 とりあえず。黒井さんは、謙之介の矢印が向いている先を知っていると。


 夏菜にバッサリフラれた俺が言うのもなんだけど。何このややこしい状況。


「でも白藤は本当に凄いんだ。小さい頃からこの店手伝ってたから、主婦スキルが人生二週目なんじゃないかくらい身に付いててさ」

「へー」

「黒井さん、白藤と話した事ある?」

「ほとんどないですねー」

「それは勿体ない! 料理はもちろん勉強も出来るし、あとアレ! 白藤は特に地元のスイーツ知識がとんでもないんだ!」

「スイーツですかー」

「そうそう! あと、無類のエモペン好き! それからそれから……!」


 誰に望まれてもいない好きな子自慢という独演会をスタートさせた登壇者に集まる視線は冷ややか。そんな事に気付く様子など一切なく、マシンガントークは止まらない。流石に笑顔を保つのが難しいらしい黒井さんは頬をピクピクさせている。


「それが白藤が小六の頃の話ね! それで」

「よーしステイおすわり待ておすわりおかわりハウスからのハウスよーしバイバイ」

「え、どしたの修くん」

「ちょっと集合」

「いいから」


 一方的に肩を組んで席を離れる。テンション右肩上がりで気付いていなかったろうけど、謙之介の妹さん顔色悪いんだわ。心労、お察し致しますよ。こっちでなんとかしますから任せてよ。


「なんだよいきなり」

「急に夏菜の事熱く語り出したからさ、早めに止めといた方がいいかなって」

「熱くなんて語ってねーけど、そらまたどうして?」

「小春ちゃんたちに謙之介が夏菜にガチ恋してるって知られていいの?」

「よ、よくない! それはえっと……うん! あんまりよくない!」


 知られたくないという気持ちはあるらしいな。もうとっくにバレバレなのにね。


「夏菜が絡むと語彙力死ぬのなんなの。とにかく少し落ち着けって。自分の妹と後輩の前なんだ。あまりみっともない所見せるのはどうなのよ」

「そ、それもそうだな……気を付けるようにするわ。さんきゅな」


 素直だなあ。流石忠犬。


「っていうか、すっかり黒井さんと仲良しだね」

「ちゃんと話をしたのつい最近なんだけどな。可愛らしいし話してて楽しいし、何より小春と仲良くしてくれる。本当にいい子だよ黒井さんは。うんうん」

「そりゃ何よりで」


 シスコンここに極まれり。こんな事を素で言っておきながら頑なにシスコンだと認めないんだからなあ。


「連絡先とかは?」

「交換したな」

「結構ライン来る?」

「来るなあ。黒井さん受け答え面白いから俺も楽しくてさ」

「へー」

「そうそうこの前なんかさ、今日夢に謙之介先輩が出て来たんですよー! 二人でお買い物なんて言っちゃったりしてました! とても楽しかったです! なんなら現実でもやってみます!? なんちゃってー! とか来たなあ」

「……へっ、へー」

「ほんとに面白い子だよなあ、黒井さん」

「ふーんそっかーそだねー可愛いねー黒井さんはねー」

「なんで棒読み気味?」

「気の所為でしょ」


 いや、重い。っていうか強い。


 それを謙之介本人に言っちゃう所とか世間話で終わらせない所とか。重い強いっていうか、ちょっと怖いくらい。知り合ってたったの数日でしょ? そんなに押してこれる普通? どんだけメンタル強いのさ。しれっと言ってるけど、知り合ったばかりの謙之介が夢に出てくるとかなかなかだよ? まあ作り話だって可能性も大いにあり得るんだけど、それは言わぬが花か。


 斜め上だろうと斜め下だろうと明後日の方向だろうと、圧が強かろうとメンタルが強かろうと弱かろうと思いが重かろうとなんだろうと、頑張る女子の恋路を邪魔してはいけないのだ。


「で、二人で出かけたの?」

「行った!」

「行ったの!?」

「そんな驚く事か? 示し合わせて小春がバイトしてる姿を見に来ただけなんだけど」

「ああそう、そうなの……」

「俺、その日が数年振りのふじのやでさ。いやーなんかこう、色々込み上げてくるものがあったなあ……昔は練習終わりにお前らと飯食いに来たもんなあ……懐かしいなあ……」


 なんか感慨深げに語ってるみたいだけどほとんど頭に入って来ない。そこ断らないとか。いやまあ断れとは言わないよ。言わないんだけど、夏菜に真っ直ぐな謙之介がねえと思わなくもない。


 あー違う。違うや。理解した。


 多分だけど、謙之介と黒井さんの関係は、俺たちと小春ちゃんの関係に近いんだ。


 異性は異性。しかし、ある意味特別な異性なんだ。だから、そういう目で見る事が出来ていない。


 特別扱いと言えば聞こえはいいけど、黒井さんはそれでは満足しない。憤りさえ覚えてしまうかもしれない。もちろん、俺たちの妹分、小春ちゃんだって。


 俺たちみんな、兄妹なんかじゃないもんな。


「よし。大体理解出来た。謙之介、ハウス」

「ハウスは違うだろハウスは!」

「大きな声出してどうしたんですかー謙之介先輩ー。あと桃瀬先輩ー」

「そ、そうです……二人でこそこそしてないで早くたす……戻って来てください……」

「だってさ……」

「戻るかー!」


 お前はついでだ早く戻って来て謙之介先輩ーを隠さない黒井さんと、間違いなく助けてと言おうとしていた小春ちゃんから召集令が来た。っていうか、胃の辺り抑えながら青い顔してるんだけど小春ちゃん。強く生きてお願いだから。


「二人でどんなお話されてたんですか?」

「男同士の秘密って事で勘弁して」

「えー教えてくださいよーっ」


 謙之介のパーカーの袖を摘んでくいくい引っ張りながら、甘ったるい声を出している。いや、あざとい。あざといぞ優ちゃんあざとい。っていうかこの子、奏太と千華から聞いてた印象とまるで違うんですけど。さては、作って来たね? ウケそうなキャラを。


「ダメなものはダメー」


 残念ながら、謙之介には刺さってないみたいだけども。まあ、謙之介だもんなあ。


「謙之介先輩のケチー。そんなケチな人にはだし巻き玉子作ってあげませんっ」

「作るの!? 食べたい食べたい!」

「……そんなに食べたいですか?」

「うんうん! 玉子焼き好きなんだー俺!」

「も、もうっ! しょうがないですねっ!」


 えっ、ええー? いやチョローい。優ちゃんチョロ甘ーい。言わせたい事言わせられたのにガチ照れしちゃってるし。チョロいというか、キャラの不安定感なんなんでしょう。っていうか。さてはこの子、面白いな?


「じゃあ作って来ますね。直ぐ出来るのでまっててくださいっ」

「うん。待ってるよ」

「はいっ!」


 満面の笑みを浮かべて厨房へ駆けて行く黒井さん。その背中を見送りながらニコニコな謙之介と、げんなりな小春ちゃん。


「小春、どうした?」

「うるさい爆発しろ爆発」

「ば、爆発とは?」

「いいからおすわり。黙って優ちゃんの魂込めた一品を待つ」

「わ、わかった!」


 言われるがまま背筋を正す忠犬。生真面目な猫の方は相当気疲れしているのか、どっかりと椅子に座り込んでしまった。しばらくはずーっとこんな調子になると思うけど頑張れ、我らが愛猫小春ちゃん。


 対照的な二匹に背を向け、厨房へと歩みを進める。折角の機会だし、この場にいる全員と個人面談しておこうかなって。


「ねえ黒井さん」

「負けませんから」


 ジャブから入った俺にいきなりカウンターを被せて来た。好戦的な子だ。


「うん?」

「私、白藤先輩には負けませんっ」

「やっぱ知ってたんだね」

「仲良くなる以前から知っていました。校内では有名な話でしたし」

「それもそうか」

「けれど、それはそれです。そもそも私には関係のない話ですし。謙之介先輩には申し訳ないですけど、長年の片思いを成就なんてさせてあげません」


 強気な笑みの持ち主に割られた卵の中身たちがボウルの底に集まり寄り添う。


「欲しいものは総取り。誰かに遠慮したりとか、馬鹿じゃないですか。桃瀬先輩もそう思いませんか?」

「うん」


 どんな事象だろうと、どんなモチベーションだろうと、やりたい事をやってこそ、一度きりの人生を使い倒せるってものだ。とは思っていてもそこまで上向きになれない俺ですいません。これからの桃瀬修にご期待をば。


「私、やりますから。せっかく小春が可能性を拡げてくれたんです。絶対フイにするわけにはいきません」


 あ、それに関してはね、黒井さんの思いに答えようって思いと、無理無理断れない仕方ないこうしようそれしかない、みたいな諦観の念の入り混じっているから、ポジティブなメッセージだと一概に言えないと思うんだ。言わないけど。


「正直、難しいと思うよ?」

「でしょうね」

「だからこそやり甲斐がある?」

「それはそうなんですけど……少し違くて」


 ボウルの中の白身を切り裂くように走る菜箸のスピードが落ちた。


「今のまま何もしないでいたら、忘れられそうになくて」

「……なるほど」


 思い浮かぶのは、小さい頃からずっと俺の前を歩き続けていた、イカした背中。


 また、誰かの人生に爪痕残しちゃったのか。罪深い男だね、ほんと。


「それは嫌なんです。そんなまま、人生で一番楽しい年代の一つを浪費するのは嫌なんです」

「うん」

「欲しいんです。強さとか、自信とか」

「そっか」


 鏡を見ているような気持ちになってしまうのはなんでだろうか。


「っていうか、さっさと次に行かないと家にある藁人形に山吹先輩の名前書いちゃいそうなくらいなんですよ今」

「え」

「このままだとノリで買った五寸釘に特殊な仕事を命じてしまいそうですし」

「そ、そうなの……」

「出来ればやりたくないんですよねー。そういうの、可愛くないと思いますし」

「かもですね」

「そういう、ちょっとだけ病み気味な自分からちゃんと切り替えられたんだー前に進めてるんだーって結果が欲しいんですよね」

「前っ、前向きでいいと思いますはい」

「桃瀬先輩に協力して欲しいなんて言えません。けれどせめて、邪魔しないで欲しいなあ、なんて。いいですか?」

「はひ」

「あれ? 喉の調子でも悪いです? 声が掠れているような」

「昨日カラオケで盛り上がり過ぎちゃって喉の調子がね」

「そうなんですか」


 嘘ですカラオケ行ってないです。藁人形だの五寸釘だのって、何故か頭の高さまで掲げたフライパンを握り締めながら言われたら誰だって声が震えるってもんです。


 怖い。重い。あと怖い。黒井優さん、強い。逆らわないようにしよう。


「あ、今の話は」

「墓場まで持って行きます」

「ありがとうございます。って、どうして敬語なんです? 聞いてた以上にユニークな方なんですね、桃瀬先輩って」


 聞いてた以上の強キャラ、黒井優さんは、そう言って笑った。


 現在の工程で間違いなく使わないであろう包丁を片手に。


「お褒めに預かり光栄至極……」


 これ、保つのだろうか。謙之介の命。


* * *


「あれ? 修ちゃんに謙ちゃん? 小春ちゃんに黒井さんも。みんなどうしたの?」


 小春ちゃんと二人、青い顔しながら謙之介と黒井さんが作る独特の空気に耐えていると、まだ暖簾を出していない入り口が開いて、夏菜が入ってきた。今夜の仕込みで早めに来たとかだろうね。


「お、おう白藤! 白藤こそどうし」

「お疲れ様です白藤先輩! みなさんに料理の勉強に付き合ってもらってまして。あ、ご主人たちには許可を頂いています!」


 夏菜が来た途端尻尾ブンブンな謙之介を遮る黒井さん、流石です。そのまま夏菜の前に仁王立ち。度胸もあるなあ。


「そうだったんだね! なんだー! 言ってくれれば私もお手伝いしたのにー!」

「お気持ちはありがたいのですが、白藤先輩

のお力を借りるわけにはいかないんです」


 夏菜の顔つきが変わる。謙之介も渋い表情になる。間違いなく悪くなった空気を察して俺と小春ちゃんは冷や汗を出し、胃の辺りを抑える。


「えっと……どうして?」

「……私、負けませんから」

「え?」

「白藤先輩には、負けませんから」


 背筋を伸ばして目の前に立ち、ずっと高い位置にある夏菜の目を真っ直ぐ見据える黒井さん。なんですこのバトル漫画的な雰囲気。あの、ここふじのや。戦場違う。


「それって……」

「はい」

「私に負けないくらいお料理頑張るって事だよね!?」

「へ?」


 言葉足らずな黒井さんの事情を夏菜なりに察知したらしく、夏菜の目がキラキラに輝いた。斜め下の反応をされたらしく困惑する黒井さんの両手をガシッと掴み、夏菜は続ける。


「うんうん! 向上心あってとってもいいと思う!」

「いやそうじゃなくて」

「私でよければ力になるからいつでも頼ってね! こう見えてお料理歴長いから、結構自信あるの!」

「だからそういう事じゃ」

「始めたばかりの頃は不安だし、手を貸してとも言い辛いよね! けど恥ずかしがらなくていいの! 最初から完璧な人なんていないんだから! 私もまだまだ修行中の身! これから一緒に出来る女の子になっていこう! ね、黒井さん!」

「ああはいなんかもうそれでいいです……」


 黒井さんの敵意の一欠片すらも夏菜には伝わっていないらしく、満面の笑みだ。っていうか黒井さん、ちょっと照れてない? なんか顔赤いんですけど。


「はー可愛いなあ……黒井さん可愛い!」

「あ、ありがとうございます……」

「あの……ね?」

「は、はい」

「もしも嫌じゃなければ…………優ちゃんって、呼んだら……ダメ?」

「どうぞ!」

「どうぞ!」


 はしっと抱き合う女の子三人。え、三人? いやいや小春ちゃん謎過ぎる。何故混ざったし。しかもあの子、泣いてない? なんなんだ面白いな子猫。


 っていうか、落ちたな。黒井さん、夏菜に落とされた。全方位にチョロいのね。


「っていうかなんで小春が答えてんだ?」

「口を挟まない。動物病院に送っちゃうぞ」

「なんで!?」


 いいんだって。夏菜あるあるの一つだからこれも。


 夏菜のほんわかキャラクターっぷりに骨抜きにされるのは、何も男の子だけじゃない、って事。よく知ってるだろ?


「じゃあ私も、夏菜先輩ってお呼びしてもいいですか?」

「もちろんだよーっ!」

「ありがとうございますーっ!」

「こちらこそありがとうっ!」

「ありがとうございますー! 白藤先輩ありがとうございますーっ! やっぱり白藤先輩がナンバーワンですーっ!」


 極度のストレスに晒されて情緒不安定に陥っていたらしい小春ちゃんはガチ泣きしているようにしか見えないし、さっきまで敵意剥き出しだった黒井さんは牙抜かれてるし、新たな友達が増えた事に喜ぶ夏菜も泣いてるように見える。カオスだなあ。


「あの、これからここでみんなとご飯食べるんだけど、優ちゃんもどう? もちろん小春ちゃんと謙ちゃんも!」

「いいんですか……部外者の私なんかが一緒でも……」

「部外者なんかじゃないよ! 優ちゃんはもうふじのやファミリーの一員だもん! そ、それに……私の……友達……だから……」

「好き」

「好き」

「私もー!」


 まあ、真ん中にいるのが夏菜だからね。険悪な事にはならないだろうなと思ったけど、ここまで一気に距離を詰められるとは。


「女の子の友情ってよくわかんねえなあ」

「だね」


 俺にわかる事と言えば。他人事みたいで申し訳ないんだけども。


「面白い事になってきたね」


 これくらいかな。


「何が?」

「そういう所が、だよ」


 その、面白い輪の中心に寄りつつある謙之介は、首を傾げるばかりだった。

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