背中の色

「あ! 奏太だー!」

「おかえりー!」

「いっしょにあそぼ!」

「サッカーやろ!」

「やるかー」


 歳上のお兄さんに向けて完全タメ口で遊ぼうぜと言ってのける団地キッズたち無敵ではないだろうか。かるーく乗っかってしまう俺もどうなんだ? どうでもいいか。


「じゃあ俺たちこっちチームね! 奏太は一人チーム!」

「ちょい待てはりきり坊や共。それはチームと言わないのだが」

「いいんだよー!」

「奏太大人だし!」

「サッカー上手いし!」

「制服似合うし!」

「お、そうか? なら仕方ねえなあ」


 制服似合ってるなんて初めて言われたから、ここを妥協点にしてやろう。悪い気しないし。


 あ、一つ訂正。大人だって言われるのも初めてだったわ。


 何時大人になったんだ、俺?


「やろやろ! 奏太が負けたら俺たちにアイス買ってね!」

「俺肉まん!」

「僕プリンがいい!」

「スイッチ買ってスイッチ!」

「それはパパママに言いなさい。俺が勝ったら何買ってくれるんだ?」

「何も買わない!」

「俺たちお金ないもん!」

「小学生に奢ってもらおうとか奏太ダッセー!」

「そうだそうだー!」

「よーしいい度胸だガキ共ー。お兄さん本気でやっちゃうぞー」

「大人げねー!」

「大人げねー!」

「大人げねー!」

「大人げねー!」

「やかましーいっ。さーてやるぞー」


 ちょうどいいや。なんか体を動かしたかったんだ。程よくいじめてやるぅ。


「よーしみんなー! いくぞー!」

「おー!」

「おー!」

「おー!」


 頼むよ、ちびっこ共。俺の中のモヤモヤを晴らす手伝いをしてくれ。


* * *


「奏太つえー」

「めちゃくちゃうめー」

「全然ボール取れねー」

「ズルしてるでしょズル!」

「んな事するか。まだまだだなーチビ共ー」

「ムカつくー!」


 キーキー喚く汗だく団地っ子四人。こっちも負けじと汗だくになりながらしっかりばっちり手玉に取ってやった。大人気ないと呆れるなら呆れてどうぞだ。制服汚しちまったのはもうしょうがねえ。大人しく母さんに怒られますかね。


「もっかい!」

「俺たちが勝つまでやる!」

「スイッチ買ってもらえるまでやる!」

「そーだそーだ!」

「買わねえっての。仕方ねえなあ……もうちょっとだけ……」


 俺と遊んでくれと言おうとした口が、仕事をサボった。視覚に飛び込んできた情報の影響だ。


 公園の外。ラフなセットアップスウェットっぽいのだが、上下共に燃えるような赤い色をしているもんで目立ちまくりな男性が一人。大きなサングラスを掛けたその人はどうやら、俺に視線を向けているご様子。


「自重しろよ有名人……」

「奏太ー?」

「わりい、ちょっとみんなで遊んでてくれ」

「えー?」

「勝ち逃げってヤツだー!」

「いけないんだー!」

「そんなんじゃねえって。ちょっとお客さんだ。後で戻ってくるから」

「しかたねーなー!」

「逃げちゃやだよー!」

「わかってるっつの」


 ぷんすか怒る子供らを公園に残し、敷地の外で笑う派手なおじさん目掛けて急ぎ足。


 不思議だ。なんでか今日は、緊張する。


「よう。またデカくなったな、奏太」

「久し振りですね、朝陽さん」

「だな」


 東雲朝陽さん。あいつの父親。あの人の旦那さん。団地産まれ団地育ちの、日本が誇るスーパースター。


 や、何で当然のようにいるのさ。


「随分派手な出で立ちですね」

「似合うだろー」

「褒めてもいますけど、もっと目立たないカッコで出歩いてくださいと言いたいんです」

「言ってくれるな。お前の親父たちから耳にタコ出来るくらい言われまくってんだから。着たい物を好きな時に着れなくて何がお洒落だ芸能人だ。俺は俺を曲げねえぞ」

「あーはいはいカッコいいカッコいい」

「あ! おま! 雑に俺を!」

「喚かないでくださいよ。俺に会いに来たって感じじゃなさそうですけどちょっと話しましょうよ」

「いんや。お前に会いに来た」

「マジ?」

「正確にはお前と千華に。あいつらの子供たちには昨日会ったけどお前らには会えなかったからよー。ん」


 顎先で示した青いベンチのご厄介になるつもりらしく、真っ赤な背中は俺を待たずにずかずか進んで行く。


「何用です?」

「顔見に来ただけだなー」

「軽っ」

「重たい理由で来られてもめんどくせえだろ」

「まあ確かに。っていうか仕事は?」

「今日はもう終わり」

「のんびり体休めた方が良いのでは? 昨日散々飲んだんでしょ?」

「あんな程度じゃまだまだよ。いいんだよ、ホテル戻っても楽しい事ねえし。ここなら楽しいからな」

「あっそうですか」


 昨夜、父さん母さんにあいつらにねこちゃんまで交えて、ふじのやでどんちゃん騒ぎをしていたとは聞き及んでいた。相当張り切っちまったらしく、母さんは酷い二日酔いになっていた。あの生真面目な母さんが朝起きられないとか相当だぞ。どんだけ盛り上がったんだが。


「お前はどうした? いつものあいつらと一緒じゃないのか?」

「昨日、突如現れたどっかの有名人の対処する為に反故にしちまった約束の穴埋めだったりに追われてるんですよ」

「ほーん。あ、なんか飲むか?」

「悪びれろ大人。悪びれろ」

「うっせーなー。ほれ、どうすんだ」

「とりあえず生ってぇ!?」

「お酒は二十歳になってから!」

「言ってみただけなのに……ゴチです」

「うい」


 人の後頭部を叩いた事も昨日あいつらに手間を取らせた事も一切悪びれる様子のない大人にどっかの天然水を奢ってもらい、アイスコーヒーを買った朝陽さんと並んでベンチに座る。ここからだとさっきのチビ連中の姿がよく見える。更に団地っ子たちが合流したのか、グラウンドの中を駆け回るシルエットが増えている。あいつら全員と俺一人で勝負なんて事ないよな? あるんだろうなあ。


「あれ? 朝陽さんが来てるって事は、ケイトさんも?」

「打ち合わせだなんだと忙しなく動き回ってるよ。日本にいられる間に済ませておくべき事が山のようにあるんだってさー。よく知らんけど」

「いや知らんのかい」

「だってあいつが全部片付けちまうんだもん。俺なんてお飾り社長だよお飾り社長。ほーんとに優秀な社長秘書よーあいつ。俺が何もしなくたって仕事バンバン取ってくるしスケジュール管理バッチリだし。なんで結婚出来ないんだろなー」


 クセ強めな性格になっちゃったのもあるだろうけど、あなたがちゃらんぽらんしてる分あの人が昼も夜もなく駆け回っているから、単純にそれどころではないのでは。


 とは言わないでおこう。実情知らんし。


 こんな自由人朝陽さんだけど、芸能事務所の社長さんだったりする。アメリカにて自分で立ち上げたんだと。あまりに胡散臭かったからネットにて真実を確かめた覚えがある。社名ググったら本当に朝陽さんの名前書いてあるんだもんなあ。社長であり役者、なんてウィンキーペディアに書かれてたっけ。カッコいい響きだなあ。


 あ、そうそう。これは割と最近気付いた事なのだが。旗揚げの日付が、えっちゃんが亡くなって割と直ぐだった。まあ、だからなんだって話だけど。


 話を戻す。事務所のボスは当然朝陽さんなんだけど、実際に全てを動かしているのはケイトさんなんだってさ。


「ケイトはアレ。副社長兼代表取締役兼社長秘書兼看板娘、みたいな感じだから。俺が遠方へ行く際は必ず俺と一緒に動いてんだ。わかるか?」


 どうして朝陽さんが日本にいる時はケイトさんも必ず日本にいるのか。そう尋ねた所返ってきたこの答えを信じるなら、そういう事らしい。いやわかんねーわ。わかんねーけど、なんかスゲーんだなって事は理解出来た。


「あの男は誰かが見ていないと好き勝手やるからな。母国へ来ると余計にその傾向が強くなる。なので日本での仕事の際は必ず同行するようにしているんだ。君たちにも会えるからな」


 とは、今より口撃控えめだったいつかのケイトさん。


 朝陽さんからケイトさんに頼み込んで、まったくのゼロから二人で企業。今では何人もの売れっ子タレントを抱えたビックな芸能プロダクション。んでその社長は神奈川の片隅から徐々に名を売って、今ではその名を知らない者などいないってくらいの有名人。


 なんだ? ドラマか?


「誰か紹介してあげればいいじゃないですか」

「いやさ? 俺もそう思ったのよ。結婚願望そのものはあるらしいからさ? だから紹介しようとか出会いの場に連れてこうとするじゃん? 余計な事すんなってキレんのよあいつー。おっかしいよなあー。俺ら以外ほとんど友達いねえってのになーにを意固地になってんだか」

「友達、ですか」

「友達っつーか親友だな、あいつは。だから何も気にせんと、大人しく俺ら頼っとけってのによお……」


 一応上司と一応部下。だけど、親友。


 なんか、いいな。いい関係だな。


「ケイトさんにも色々あるんでしょう」

「その色々が気になるんだよお。婚期なんてとっくに逃してるしなあ……諦めちまったのかなあ……」

「どうなんですかね」

「あ。所でお前さあ、昨日どこ行ってたの?」

「え、雑。ビックリするくらい話の切り替え雑」

「うだうだ言うんじゃねー。んで?」

「昨日はですね……」


 はちゃめちゃに可愛い女の子と二人きりで文化祭デートをして、帰り道にお互いの事を話して、理解を深めて。んで、一歩踏み込んだり。一歩引いたり。


「ちょっと青春してました」


 そういうのを一言で表すなら、これで間違ってないと思った。


「河原で殴り合い? それとも女?」

「想像に任せます」

「生意気」

「痛てぇ!? 今のデコピンは流石に理不尽なのでは」

「うるせーうるせー。ま、奏太が楽しく学生やれてんならなんでもいいけどよー」

「やれてますよ。毎日楽しいです」

「うん。そいつが一番だ」


 楽しい学生生活を謳歌してると、本心から思っている。あとは将来の事とかバチッとキマれば、ってとこかなあ。


「なーなーいきなりだけどよ。俺と始めて会った日の事、覚えてるか?」

「覚えてますよ」


 あのアホが小学校で嫌な思いをして、珍しく凹んでたっつーレアな一日だったからな。


 たーじいに励まされていつものテンション取り戻して。何故か千華と手を繋がされて。父さんと母さんが帰ってきて。みんなで話してる前に現れたのが、上下真っ白のスーツにサングラスっつー前時代の任侠映画に出てくるヤの人チックな出で立ちの男の人。


 ヘンテコというか不気味というか、ちょっとした恐怖心を感じさせたその白い人は、千華に向けて言ったんだ。


「俺は君のパパだ。はじめまして」


 こんなの、忘れられるわけがない。


「実はよお、あの日が始めてだったんだ。千華の顔見るの」

「え、そうなの?」

「名前とか誕生日とかは知ってたけど顔は見た事なかった。奏太もそうだし、あの子達の顔も」


 何それ初耳。確か俺らが十歳になるかどうかってくらいの初エンカだったと思うんだけど……じゃあそれまでずっと、千華の顔すら知らなかったの? ずっと海外で仕事してたっての知ってたけど、それにしたってどうなんだそれ。


「そりゃまたどうして?」

「ま、色々あってな」


 ぷしゅっとアイスコーヒーのプルタブを開けてゴクゴクリ。コーヒーを一気飲みする人初めて見たわ。


「そういう、色々の部分を結構話したんよ、昨日は」

「へー」

「あいつらの昔話もたくさん話したなー。お前の両親のプロポーズの顛末とか」

「自分の両親の嬉し恥ずかしエピソードなんて知らなくていいですよ……」

「あとな、あいつの話した」

「えっちゃん?」

「そ。たくさんした。今まで話してこなかった事もたくさん」

「それなら聞いてみたかったかな」


 明るくて、笑えるエピソード盛り沢山だったろうから。


「だからよー奏太にもよー千華にもよーいて欲しかったんだよー」

「連絡すればよかったじゃないですか」

「いやさ、文化祭って特別じゃん? しかもお前らにとって最後の文化祭じゃん? だから気が引けてよお……」

「意外。無遠慮の極みみたいな人なのにそういうの気にすだっ!?」

「一言余計だ」

「頭殴らないでくださいよ……っていうか、俺はまだしも千華は来ないでしょ」

「あーやっぱそう思う?」

「心底ウザがってますから、朝陽さんの事」

「はっきり言うな! 泣くぞ!」

「泣くんならどっか目立たない所で一人で泣いてください」

「酷い! 冷血人間! インスタにお前の顔と名前晒すからな! こいつに泣かされましたって!」

「好きにしてください」

「つまんない! もっと噛み付いて来い!」

「そういう面倒臭くて古臭いノリもあいつに敬遠される一因なのでは?」

「臭い臭い言うな! 加齢臭とか意識し始めるお年頃なんだぞ!」

「そういう話じゃないでしょ」


 ギャースカビースカうるせえったら。スイッチ入ってなくてもうるせえのにスイッチ入ったら何倍にもうるさくなる。ほんと、似た者親子だよなあ。


「……ちょっと出過ぎた事言わせてもらいますけど」

「あん?」

「えっちゃんの話をするなら、千華と二人きりでした方がいいと思います。俺らはその場にいない方がいいと思います」

「どうして?」

「俺らがいたら、千華は逃げるから」

「どうして?」

「……なんででしょうね」

「いやわかんないんかーい!」


 なんとなく、あいつならそうするなって思っただけ。なんとなくにしては精度が高い自信あるよ。


「わからないんだから仕方ないじゃないですか」

「清々しい開き直りだなあ!? まあ、お前が言うならそうなんだろうな。んじゃあ大人しく二人で話す機会作るかー」

「……あの」

「お?」

「俺の意見なんて話半分で聞いといてくださいよ。なんとなくってだけなんだから」

「でも、言ったのお前だし」

「いや俺ですけども」

「俺よりお前の方が知ってるだろ。千華の事はさ。父親として情けない限りだけど」


 めちゃくちゃ悔しいけど。


 そう付け加えながら、ベンチの上で膝を抱えてぶーたれ始めた。子供か。


 実際そうなのかなとか、そんな事なくねとか、そういうのよりも先に脳内に湧き出たものがある。


 言い方悪いけど。どんな事情があったのかは知らないけど。


 それ、自業自得でしょ。


 だってそうでしょ。朝陽さんがこの町にずっといてくれたのなら、朝陽さんの人生も千華の人生も間違いなく全然違うものになってたでしょ。えっちゃんの人生だってそうかもしれない。


 それに、俺の人生も。


 それくらいこの人は、大きな人なんだ。


 それと、もう一つ。


 寂しい事ですね、それは。


 ちょっと、言えなかった。


「そうですかねえ」

「俺が言うんだからそうなんだよ」

「例えばどんな事ですかね?」

「千華のスリーサイズとか?」

「知ってるわけねーだろクソジジイ」

「クソジジイ呼ばわり!? 酷い!」

「や、親でも知ってたらどうかと思う案件なんだけど今の」

「えーでも知りたくね?」

「美優と夏菜なら知りたいけど千華はいいや」

「なんで!?」

「胸元のロマンが足りないから」

「ほほーう? 奏太はおっぱい星人かー」

「オフレコで頼みます」

「勿論だ! こういう話は野郎同士でするから楽しいもんなあ!」


 俺の肩をバシバシ叩いて笑っている。人好きのする、いい笑顔だ。しかし、娘のスリーサイズに興味津々なヤバい大人である事を忘れないようにせねば。


 つーか、なんかあるか? この人が知らず、俺が知ってる事なんて。なんだろう。やっぱり何もないような……あ。そいじゃあこれは知ってるだろうか。


「そういえば千華のヤツ、高校出たら海外に渡って一人暮らしするんだって騒いでたんですけど、朝陽さんの耳に届いてます?」

「本人から聞いた。志望校はケイトに頼んで聞き出してもらった」


 核心を明かそうとしない辺りあのアホらしいが、流石に話しちゃいたのね。


「朝陽さん、千華になんて言ったんです?」

「なんてってなんだ?」

「ダメとかいいとか、そんな感じの」

「なーんも」

「なーんも?」

「あーだこーだ口出すつもりねえよ。好きな事やって欲しいしな。あ、こっち来るなら一緒に暮らそうとは言ったか。秒で断られたけど」

「なんでそんな無謀な事聞いたんですか」

「いやだってさ!? 千華と暮らしたいじゃん! 玲のバカがたまにやってるセクハラしてみたいじゃん俺も!」

「あれを朝陽さんがやったら一生口聞いてもらえないと思うんで非推奨です」

「なんで!? パパなのに!」

「好感度の問題だからなあ」

「好感度とか言うな! 傷付く!」


 けど……朝陽さん、オッケーしたんだな。あいつの海外留学。


「そっか……」


 なんで、オッケーしちゃったんだろ。


「……やめさせた方がいいと思います」

「あん?」

「海外留学も。一人暮らしも」

「どして?」

「だって、あいつですよ? あのポンコツが、一人でやっていけると思います?」

「やってけるだろ。多分」


 空になった缶のプルタブを指先で遊ばせながら、のほほんと答える朝陽さん。


「……そんな甘いもんじゃないんじゃないですかね」


 なんだよ。なんでこんなイラついてんだよ、俺。


「そんなもんだろ。たかだか一人暮らしだぞ? どんなバカでもどうにでも出来ちまうもんだろ」

「でも、千華ですよ? 米も炊けないケトルの使い方もわからないウォーターサーバーのタンクの変え方もわからないコンロの使い方もガスの元栓の存在もつい最近まで知らなかったし……」


 それにアレも。これも。それも。どれもこれもみんな。誇張なんかしていない。本当にあいつは、出来ないのだ。


 まあ、そもそも挑戦していないというか、自分が気乗りした物だけ頭に詰め込もうとしている所為ではあるのだろう。きちんと頭に詰め込む努力をすれば物には出来るのだろうが、それにしたって今のあいつには、足りないものが多過ぎる。こんなんで、上手くいくわけがないんだ。


「直ぐに自転車の鍵失くすし家の鍵も忘れるし学生証も何度も再発行したし旅行直前にパスポート失くした事もあるしそれに」

「だから?」

「え?」

「だから、あいつに一人暮らしなんて出来るわけがない。だから、あいつの留学には反対。って所か」

「…………自分でもわかりません……」


 反対かと言われたらノーだと思う。賛成かと言われたら、イエスとは言えない。だから、どう答えていいかわからない。


「まだナイト気取りか、お前は」

「は? それどういうっ!?」


 伸びてきた左腕でガッと肩を組まれたと思ったら今度は、右手の人差し指が俺を追い掛けてきて、鼻先で急停止した。


「俺の娘を舐めんじゃねえぞ、ガキ」


 なんつって。と付け足しながら、朝陽さんが笑う。怒っているようには見えなかった。


「俺が初めて千華の前に立った時も、そうやって千華を隠そうとしてたよな」

「でしたっけ」


 ボカしてみたが、しっかり覚えている。男の子が女の子を守るのなんて当たり前の事だと思っていたんだよ、あの頃の俺は。今だって、変わっていないつもりだ。それに、えっちゃんにも頼まれたんだから。千華の事を頼むって。


「けど、いつまでもそれをやってちゃいけないんだ。や、いけないっつーか、自然とそれが出来なくなるっつーか」

「どうして?」

「女の子ってのはさ、ただ守られるだけのお姫様なんかじゃない、って事。特にお前の周りは気骨のある子ばっかだもんなー」


 美優。ちょっとふにゃっとしてるけど夏菜。ねこちゃん。黒井さんも。そして、千華も。どいつもこいつも、ただ守られているだけの女の子なんかじゃねえわな。


「誰もがいつか、か弱い女の子から、強い女になる。そしてフラフラと勝手気ままにどっか行っちまって、勝手気ままに帰って来たり。そういうもんなんだよ」

「……千華には、とっくにその時が来てるって?」

「そ。あいつはこの先、好奇心の赴くまま、あっちこっちにフラフラ出掛けて行くだろうよ。そんで何かを得て、次の何かに惹かれフラフラと。それを繰り返すんだ。そしてそれを、俺たちには止める事が出来ないんだ。俺ら男だって同じような事してデカくなる生き物だからよ」

「それは一般論? 経験談?」

「どっちもだ。ああ、勘違いして欲しくねえんだが、だからと言って奏太や俺たちの役割は終わったんだって言いたいわけじゃない。ただもう少しだけ、身勝手なあいつを信じてやってくれないか。って事が言いたいんだ」

「信じる、ねえ……」


 つーか役割って。別に俺、千華の保護者でもボディーガードでもねえっつの。そんな事、考えた事すらねえってのに。ただ、えっちゃんに頼まれた事をやってきただけだ。


「ま、何にしても千華は、遅かれ早かれどっか行っちまうんだ。この団地に収まる器じゃないからよ。なんつったって、俺とエミーの娘なんだから」


 ニッと、口角を上げ、朝陽さんが笑う。


「……朝陽さん」

「ん?」

「親バカ」

「お!? 最高の褒め言葉いただきました! 嬉しい事言ってくれるねー!」

「ちょ! 撫でんなクソジジイこら!」

「うーん反抗的ー! 可愛いけど汗くせー!」


 わしゃしゃわしゃしゃ言いながら力一杯頭を撫でる若めの老害。そういうのは自分の娘にやってくれよほんと。


「ふぅ、堪能した」

「いい迷惑だ……痛えし……」

「……サンキューな、奏太」

「はい?」

「ずっと、千華の事を守っていてくれて」


 ぽんぽんと二回。俺の頭に手を乗せて、朝陽さんはこちらの顔を覗き込んできた。


「一番近くにいたのが奏太がだったから、ああいう面白いガキになれたんだ、千華は。ママと会えなくなって悲しいのも辛いのも、お前が隣りにいてくれたから乗り越えられたんだ。今の千華があるのは全部お前のお陰だ。本当に感謝してる。ありがとな、奏太」


 やめろ。なんだそれ。謙遜でもなんでもなく、感謝されるような事などした覚えがない。そんな恩着せがましい事、してないよ。


「反応に困るんですけど……」

「素直に感謝を受け取れない所なんて玲にそっくりだなあ」

「親子ですから。千華が朝陽さんとえっちゃんにそっくりなのと同じですよ」

「……似てるか、俺たち」

「そっくりですよ。アホなとことか」

「あんだとー!? アホはないだろアホは! ちょっと嬉しかったのにー! いい話風な雰囲気作ったのにー!」

「デカイ声出すなっての……」

「うるせーうるせー!」

「ちょ、ま、だーっ! 暑苦しい!」


 まとわり付くおっさんを振り解いて立ち上がる。途端、一気に体が軽くなった。


「どわっ! 奏太は乱暴だなあ……もう少し年長者を労ってくれよお」

「すいません、今時の子供なもんで」

「小癪! 可愛くない!」

「どうせ俺は可愛げないですよ」

「奏太奏太ー! お話終わったー!?」


 俺が立ち上がるのに気が付いたのか、グラウンドの中から催促が飛んで来た。や、またキッズたち増えてない?


「今行くー! 朝陽さん、そろそろ」

「子供にはモテるんだなあ奏太は」

「同年代にもそれなりらしいってミスコンってヤツが教えてくれました」

「吐かせ、チビガキ。んじゃあ俺は千華に会いに行くかー」

「そうしてください」


 俺に千華の事を話すのもいいけど、千華に自分の事やえっちゃんの事を話す時間をもっと作るべきだと思いますよ、俺は。


「じゃあ……」

「奏太」

「はい?」

「お前はどうなんだ?」

「どうとは?」

「千華が描く未来図のど真ん中には、ちゃんと千華がいる。きっとあの子たちの未来図のど真ん中にも、それぞれがいる。じゃあ、お前が描く未来図のど真ん中には、ちゃんとお前がいるか?」

「……それは……」

「わからない。多分いない。か。なんでわかるのかって? んなもん、ツラ見りゃわかるっての」


 まだなんも言ってねえってのに、なんて事ないように人の心を読みやがる。なんなんだこの人。

 

「いいか。お前の将来は、誰かに左右させんな。誰にも譲っちゃいけねえ。どんなに大切な相手がいようとも、そいつらの為だけに使っちゃいけねえんだ。俺の言ってる事、わかるな?」

「……はい」


 そんな事するつもりないよ。そんなにお人好しじゃないよ俺。多分。


「千華だけじゃない。あいつらはもうとっくに、お前が守ってやらなくても生けていける、強い子になった。わかってんだろ?」

「はい」


 俺は別に、あいつらを守ってきたつもりなんてないけどね。ただ、一緒にいたかったから一緒にいただけ。あのアホに関して言えば、えっちゃんに頼まれたからそうしてきただけ。それ以上の何かなんてない。そう思っている。


「あいつらは変わった。お前も変わった。デカくなって、強くなった。だからさ、あの頃の延長は、もう終わりにしていい。そう思わないか?」


 あの頃の延長。その曖昧な言葉はまるで。


 お前だけ、あの頃から何も変わっていない。


 そう言われているみたいで、なんだか居心地が悪かった。


「……俺は」

「おっと、それ以上は聞かないぞ。自分で考えて、自分で決めて、行動として示す事が大切だからな。ぜーんぜん難しい話じゃねえーぞこれ。とにかくっ!」


 ピッと、俺の鼻先を指差して。


「歩き続けろよ。お前が主役の物語の、ど真ん中を」


 ガキっぽく、朝陽さんは笑った。


「……やってみます」

「おう」

「……そろそろ」

「また後でな。今日はみんなでメシ食おうぜ」

「気が向いたら」

「素直じゃねーなー」


 しっしっと、虫を払うように手を振る有名人に背中を向けて、キャーキャー騒がしい子供たちの元へと向かう。


「クソ……」


 どうしてかわからないけど。今、朝陽さんに背中を見られている事が、いやになるくらい恥ずかしかった。

 

* * *


「よ」

「よ、じゃねえよ……」


 薄暗い部屋の中。侵入者、アリ。


「あのね、俺ね、もうね、寝てたのね。おわかり?」

「うん。だから遊びに来た」

「厄介ちゃんめ」

「いつも通りじゃん」

「日常茶飯事なのがおかしいんだよなあ……で、何用?」

「ちょっとお誘いにきた」

「ゲームも夜食の買い出しもノーサンキューです他を当たってください」

「どっちもハズレ」

「じゃあ何?」

「デートしよ」

「あーはいはいいつものいつ……うん?」

「よし。じゃあ明日の放課後。ブッチしたら怒っちゃうかも」

「や、待ってちょっと待って。今なんて? 俺の聞き間違いって事も」

「デートしよ。あたしと」


 そんな事もなかったらしい。


「約束ねー」

「お、おい! 美優!」

「おやすみー」


 いつも通りののほほーんとした空気を纏ったまま、浅葱美優の背中は、扉の向こうへ消えていった。

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