「たいようのものがたり。10」


「じゃあ! かんぱーい!」


 老若男女入り乱れたかんぱーいの叫びとグラスを打ち鳴らす音が高く響く。言っても、俺のグラスに注がれているのはコーラなのだが。未成年の飲酒、ダメ、ゼッタイ。


「いやー今回の公演も大成功って言っていいんじゃない!? 最年少団員くんはどう思うかねー!?」

「いやあ、良くて成功くらいじゃないですかねー」

「その心は?」

「俺が主役だったら大成功! って胸を張って言えた的な?」

「調子に乗んなこんガキー!」

「おーし捕まえろ!」

「逃すなよー! 朝陽にゃここらで歳上の威厳を物理で示してやらなきゃいかんなと思ってた所だったんだよなー!」

「よーし脱がせ脱がせ!」

「あたしも脱がすー!」

「わたしもわたしもー!」

「冗談です冗談ですっ! だからやめちょほんとに脱がそうとしないでマジで! た、助けてー! 誰か助けてーっ!」


 無数の手に全身を掴まれた。いや怖っ。ゾンビ映画かよ怖っ。


「ほらほらみんなやめる。朝陽くんの可愛い彼女に殺されちまうぞー」

「うるせー!」

「知らねー!」

「さっさと結婚しろ!」

「好き放題言ってくれますね!? っていうか! 申し訳ないんですけど、自分は乾杯だけで先に帰らせてもらいます!」

「はー?」

「空気読めねーなー朝陽ー」

「色々あるんだよ、そう言うなって。具合、どうなんだ?」

「まあ、ぼちぼちです」

「そうか」


 俺、というか、俺の彼女の事情は、団長には伝えてある。上手く説明出来なかったもんでどうにも嘘臭くなってしまったが、団長は理解を示してくれたし、協力を約束してくれた。


「というわけで俺はここで! お先に失礼します! 次の公演も頑張りましょー!」


 おーとかおうよーとかお疲れーとかを聞きながら、うちの劇団行き着けの飲み屋を出る。すると直ぐ、待ち人の存在に気付いた。


「あ、人妻発見」

「その言い方やめて」

「あ、団地妻発見」

「もっとやめてそれ」

「いてっ」


 肩を小突かれた。乱暴だなあ、山吹由紀さんは。


「もういいの?」

「乾杯だけでお願いしますって頼んどいたから」

「そ」

「早く帰らねえと」

「だね」


 同じ方向を向き、並んで歩き出す。お互い、自然と早歩きになってしまっている。


「連絡した?」

「したした。もう起きてるみたいだ」


 数ヶ月前、俺の彼女と同日に買った文明の利器、携帯をポケットから取り出して、メール受信ボックスの一番上にある物を検める。


「ごはん作って待ってる! だってさ」


 雰囲気で使ってる感全開の顔文字にサンドイッチされたメッセージから漂う圧倒的嫁感。いやいや好きだろこんなん。好き。


 っていうか携帯ってスゲーな! どこにいても誰とでも電話出来るとかヤバくね!? しかもメールってなんだよメールって! 手紙って郵便ポストにブチ込むか下駄箱に入れとくか鳩に括り付けるもんだろ!? それがボタンガチャガチャするだけで届くとかマジか! スゲー時代に生きてんよなあ俺ら!


「色々心配だねそれは」

「火傷したり切り傷作ったりしてなきゃいいんだけど」

「上達はしたんだけどね、家事全般」

「頑張ってるからな」

「ほんと頑張ってるよねー」


 あんま適当やってっと、自分だけの道を歩き始めたあいつに顰めっ面させる事になっちまうからな。


 そんなツラさせるわけにゃいかねえ。次に会う時は、笑顔で。そう約束したんだから。


「今日くらいは頑張り過ぎないでいて欲しい所だけど。体調悪化したらと思うと気が気じゃなくてなあ……」

「過保護だねー朝陽は」

「んな事ねえよ。あいつが守ってあげたくなる系女子なだけ。つまりあいつが悪い。あー嘘悪くない。それもあいつの無数にあるいい所の一つだからな」

「ぞっこんだね」

「おうよ!」

「清々しいなあ」


 くすくすと笑っていらっしゃるけど、あなた、人の事言えないくらい自分の相方にぞっこんじゃないですか。言ったらまた小突かれそうだから言わんけど。


「あ、由紀。今日の録画預かったから」

「ケイトに送ってくれって言うんでしょ」

「それそれ」

「はいはい任されましたよー」


 気安く引き受けてくれてるけど、マジでそんな事出来んのスゲぇなあ。 時代の進化ヤベーなマジで。


 うちの劇団、公演した舞台をカメラで録画した物を劇団員全員に頒布してんだけどさ、俺が出演した作品全ての録画を送って欲しいってアメリカに帰ったあいつからお願いされたんだわ。だもんで、ハイスペックなパソコン持ってる由紀にお願いした次第だ。何度でも言う。文明の利器スゲー!


「……っていうか」

「うん?」

「前から聞きたかったんだけど」

「うんうん」

「先の事とか考えてるの?」

「先の事っつーと?」

「そのまんまの意味。あんた自慢の彼女との、これからの事」


 先の事。これからの事。


 言いたい事はわかる。とってもわかる。ここで言う、先の事これからの事をしっかり形にした由紀が言うんだから、そらもうとってもわかるってもんさ。わかるんだけども。


「……色々考え中」

「……そ」


 それ以上の追求をしない由紀と並び、愛する我が家へと急いだ。


* * *


「ただいまー」

「おかえりー!」

「好き」

「どわーっ!? ア、アサヒー!?」

「いやお前エミーバカお前ほんとお前エプロン姿でお出迎えとか好きだろそんなんほんとまじではー好き超好き実にけしからん好き」

「意味わかんないー! バカじゃないー!」


 とかなんとかいいながらもハグから逃げる素振りを見せない俺の彼女、さては可愛いな? いや! 超可愛いな!?


「体調は大丈夫なのか? 熱はないのか? 目眩がするとかそういうのは? ちゃんと薬は飲んだか?」

「全部だいじょーぶ! たくさん寝た! 元気になった!」

「ほんとに?」

「ほんとほんとー! んっ!」

「んっ、ってなんだ? チューか!?」

「ちーがーう! 違わないけどちーがーうーのー! おでこ! あっちくないよ!」

「おお、そっちか。どれどれー」


 前髪を上げてデコを見せたので、負けじとこちらもデコを出してごっつんこ。


「……うん。大丈夫そうだ」

「アサヒ心配性ー!」

「いきなり熱出して倒れる姿を見せられて心配にならないヤツなんているかー」

「ほ!? あたたたたたたた!」


 後頭部に手を添えてデコ目掛けてデコでグリグリ攻撃してみたら、北斗神拳の伝承者みたいな声出しよった。可愛い。


 四日前、エミーは突然倒れた。例のアレだ。三日前はベッドから出られなかった。一昨日はトイレ以外はほとんど寝たきり。昨日になってようやく座って食事が出来るくらいに回復した、からの今日だ。心配にならないわけがないだろう。


「とにかくよかった……よかったぁ……」

「心配させてごめんね、アサヒ」

「いいんだよ……」


 攻撃性を排除してもう一度、華奢な体を抱き締める。エミーも応えてくれる。はーもう……ずっとこうしていてえなあ……。


「で、あんたらバカップルはいつまでイチャ付いてんの?」

「おお、いたのか山吹さん」

「いたのかー! 山吹さん!」

「その呼び方もやめてって言ってるでしょ……」


 しかめっ面作ってみてもほっぺ真っ赤なんでダメダメのダメ。去年の春先に入籍してから今日まで何度も何度も弄られてきたってのに、今だに弄られ慣れない山吹由紀さん可愛い。


「照れるなよー山吹さん!」

「照れるな照れるなー! 山吹由紀さん!」

「えいっ」

「痛ってぇ!? 脇腹にグーパンは殺意高めじゃないかな山吹さん!?」

「あんたの大事な彼女にお見舞いする分も込めたからしゃーない」

「山吹さん乱暴……怖いわぁ……」

「山吹玲くんのお嫁さんの山吹由紀さんこええー!」

「エミーの煽りスキルなんなのほんと……あーそうですそうですよ。あたしが山吹玲の奥さんの山吹由紀ですよ。学生結婚なんてしちゃいましたよ。それが何か?」

「お、この匂いなんだ?」

「ご飯作ってみたの! けっこーじょーずに出来た! たぶん!」

「スルーですかそうですか……」

「マジかー! さっすがだなあエミーは!」

「でしょー!?」

「おうおう!」

「えへへー!」

「んふふー!」


 得意げに歯を見せて笑うのが可愛すぎたので頬擦りしてしまったが、エミーも応えてくれんのがなーほんとなー。いやー参っちゃうねーほんと。ふへへ……。


「はいはいお熱いお熱い。そういうのはあたしの見てない所でやってよねー」

「山吹夫妻がそうしてるみたいにって事ですか?」

「事ですかー!?」

「よーし殺す」

「物騒な事言うなってー! 仲良いのはよきよきな事じゃねーか!」

「仲良いとか……別に…………普通だし……」


 口を尖らせる団地妻由紀さん、素直に可愛い。ほんと、良い嫁さんもらったよなあ、玲くんてば。


「照れるなって! っていうかよー山吹さんと山吹くんはさっさと同棲始めたらいいと思うよ朝陽くんは」

「ワタシもそーおもー!」

「そんな事言われても……」

「二人とも実家ここだし大学遠くないしってのは理解してるけど、そういう細かい事気にせんでいいと思うぞー。親父さんたちだってそうして欲しいって気持ちはあるだろうし。玲だってその気はあるみたいだぞー」

「え? それ、玲が言ってたの?」

「うん」

「ほんと? 嘘じゃない?」

「ほんとほんと!」

「そ、そっか…………そうなんだ…………そうなんだぁ……」

「なんだったら二人でもう一度相談してみたらどうだ? おじさんたちも交えて話してみるのもいいと思うぞ」

「う、うん…………や、結構そういう話するんだよ? するんだけどね? なんかちょっとまだ早いかなとか色々考えちゃってね? パパとママもいるし……あたしたちこの団地好きだし……でもでもっ、ゆくゆくはそうしたい……みたいな……あーでもねでもねっ、玲ってばそういう話すると直ぐに照れちゃうの。だからねあのねっ」


 うわ始まった。こうなると長いんだ。この変化球惚気。あータチわりー。


「おっと! エミーが作ってくれたご飯が冷めちまう! って事でじゃーな由紀!」

「じゃーなー由紀ー!」

「へ? あ! ちょ、ちょっと待って待って!」


 玄関前で絶賛お惚気中だもんで玄関閉めたろうと思ったのだが、両手と右足で止められてしまった。


「なんだよ?」

「そういえば、ちゃんと言ってなかったなって思って……」

「何を?」

「今日の朝陽、結構イケてたよ」


 ほほーん? 嬉しい事言ってくれんじゃん。


「玲とどっちがイケてた?」

「そんなのあたしの旦那に決まってんじゃん。自惚れんな、バカ朝陽」

「手厳しいなあ」

「アサヒもカッコいいよー!」

「あーうんうんそうそうその通りだよエミー。じゃああたしは。今日の公演、マジで楽しかったよ。お疲れさま」

「おー! サンキューなー!」

「おやすみーユキーっ!」


 しっかりバッチリ惚気倒して由紀は、俺とエミー二人の家の扉をゆっくりと閉めた。


「相変わらず仲良しだよなああいつら」

「ね! でもでも!」

「んー?」

「ワタシとアサヒもちょー仲良し!」

「だなー!」

「ほわ!?」


 可愛く驚くエミーを前抱っこしてリビング入ると、より強くなった夕餉の香りが鼻腔を撫でた。


「おお! これは……なんだ!?」

「卵焼き! ちゃんと出来てる!」

「……黒くない?」

「ちょっと焦げてるのが美味しいの!」

「じゃあこっちは?」

「生姜焼き!」

「……ほんとに生姜入ってる? 焼肉のタレ的な匂いがスゲーんだけど?」

「ほわ? あのタレ、生姜入ってないの?」

「入ってないなあ」

「じゃあ焼肉って事で!」

「よーし! なんの問題もないなよーし!」

「食べよ食べよ!」


 約半年前までこの家で台所番長を務めていたケイトが見たらお説教案件だなこりゃ。まだまだ発展途上って事で大目に見てほしい。でもこのポジティブさは見習っていいと思うよ、ダウナーな少年少女たち。


 今までケイトが座っていた場所に俺が腰を下ろし、エミーは変わらず指定席に腰を下ろし、向かい合わせに座る。いつの間にかこうするようになっていた。


「いただきまーす」

「いただきまーすっ!」


 ちゃーんと手を合わせる。礼儀作法にもうるさかったからね、あのアメリカ人。


「ふむ……」

「どう? おいし!?」

「……うん! 肉だ!」

「美味しいの!?」

「とっても肉だからとっても美味しい!」

「やたー!」


 当然生姜の味なんかしないしちょっと焦げてるけど、美味しいもんは美味しい。嘘なんかじゃねーかんな。卵焼きだってそうだ。少なくとも半年前よりしっかりふっくらな仕上がりになるようになったんだからよ。マジで進歩してんだから、俺の彼女。


「っていうか今日はメシ食えるか?」

「だいじょーぶだいじょーぶ! ちょー元気になった!」

「……そか」


 玄関開けた瞬間に気付いたよ。どう見たってエミーは本調子じゃない。ただの空元気。俺を心配させるまいと、力を尽くして食事を用意し、笑顔を見せてくれているのだ。


 俺は、彼女を立てなければいけないんだろう。無理をしている姿が余計に心配させるんだなんて野暮ったい事言っちゃいけねえと思うし、わざわざそんな事言われなくとも、エ

ミーだって……さ。


「今日の公演どうだった!?」

「楽しかったしいい感じに出来たなー」

「そっかそっかー! アサヒが頑張ってるとこ観たかったなー!」

「今回はしゃーなし。また次の公演に来りゃあいいさ。その時は今日に負けないくらいカッコいいとこ見せてやっからなー!」

「楽しみ楽しみーっ!」


 にぱーっと笑うエミーちゃん可愛い好き。チューしたい。


 本当は今日のうちの舞台、由紀だけじゃなくてエミーも観に来る予定だったんだよね。しかし体調がアレなもんで、由紀一人でってなっちまった。


「ワタシ! 行かない! 我慢する!」


 今朝、元から止めるつもりだった俺と由紀が何か言うより先に、自制します宣言を笑顔でされた。


 観てもらいたかったし観せたかったけど、正しい判断だと思う。


 今日がダメなら次。それでいい。考えなきゃいけない事も油断ならねえ事があるのも間違いないけど、難しく考え過ぎちゃいけねえ。俺はいつだって、最高のパフォーマンスをし続けるだけだ。


「そういやあ、海翔に彼女出来たって話聞いたか?」

「カイトに!? 初めて聞いた!」

「同じ大学の子らしいな」


 そう、そうなのだ。あのロリコン擬きのお眼鏡に叶う逸材が、とうとう現れたのだ。


「朝陽。俺、決めたんだ。あの子に俺の子供を産んでもらうって」


 とかなんとかいきなり言われた時の俺の心境を答えよ。答え、気持ち悪い。ですはい。


 まあ色々思う所はあるが、彼女が出来たのは素直にめでたい事だ。まだ名前も知らない海翔の彼女さんは色々苦労される事だろうけど。


「ほんとなんだ! やったー! やったやったーっ!」


 万歳して喜ぶエミー可愛過ぎ鼻血出そうヤバイ。自分の事じゃないってのにこんなに喜んじゃってよお。好き!


「今度ふじのや連れてくるって言ってたぞー」

「みたいみたいー! タクマにも彼女出来た! みんな恋人いる!」


 ああ、そうだった。拓馬にも出来たんだったな。


 ダウナー系男子、ふじのやの後継者(仮)の白藤拓馬は、柚珠がふじのやに連れてきたバイトの女の子といつの間にかいい感じになっていやがった。付き合い始めたって聞いたのもつい先日だ。


「俺、あの子にそっぽ向かれたら死ぬまでまともな恋愛とか出来ない気がする……どうか別れようとか言わないで欲しい……朝陽も一緒に祈ってくれ……別れたくない別れたくない別れたくない……!」


 必死過ぎて怖かった。頑張れ、豆腐メンタル拓馬くん。


 なんだかんだと先行きが気になりまくっていた海翔と拓馬にも恋人が出来た。いいこっちゃいいこっちゃ。これで、俺はもちろん、山吹夫妻。蕗子。柚珠。拓馬に海翔。昔からつるんでるヤツ全員が恋人いる事になるんか。川原町団地、浮かれポンチばっかじゃん。ご機嫌なこった。


「だなー。柚珠なんて、彼氏のご両親に気に入られようとちょくちょく遊びに行ってるみたいだぞ。メンタル尖ってるわー」

「ユズ積極的!」

「松葉くんにガチ過ぎヤベェ。行く行くはいい感じになるのかねえ」

「なるなる! ユズとかフキコとか! そのうちユキとアキラみたいに……」

「どうした?」

「う、ううん! なんでもなーい!」

「……そっか」


 わかりやすい子だなあ本当。


 ケイトが自分だけの道を歩き始めてからしばらくは、どうにも落ち着かない毎日だった。そういう話をしてもいいのか。そういう未来を夢見ていいのか。エミーと二人きりの空間にいて、意識しないわけがなかった。


 それでも今日まで、何も言えずにいた。俺が日和っていたと言っちまえばその通りなのだが、エミーが言わせてくれなかった。


 エミーだって年頃の女の子。惚れた腫れた話なんて大好物よ。


 しかし。その先。恋人以上の契約の話になった途端、この子の声は小さくなるんだ。


 そういう話題、エミーは避けるんだなんて、由紀には言えなかったな。


「……なあ、今度またうちの稽古見に来ないか? エミーと仲良くなりたいって人がちょいちょいいてさ」

「行く! 仲良くなる!」

「じゃあ調子が戻ったら! 決まりー!」

「決まりー!」


 その気はある。多分、お互いに。それでも、先は長そうだ。


 そうこうしている間に季節は進み。一つ、大きな転機を迎える事となる。


* * *


「お久し振りです。お嬢様。朝陽」

「ケイト? ケイト! 本物のケイトだー!」

「うお! マジでケイトだった! 客席にそれっぽいのいるなとは思ったけど…」


 客席に見慣れ過ぎた金髪が見えた瞬間セリフ飛ばしそうになったっつの。しかし堪えた。褒めて欲しい。


「ケイトーっ!」

「おっと。相変わらずですね、お嬢様は」

「ケイトケイトケイトーっ!」


 まさか過ぎる人物の豊か過ぎる胸元に飛び込んで頬を擦り付けるエミーちゃん。いやいや羨ましいなあそれいいないいなあ!


 つーか、泣いてないな、エミー。ちゃんと約束守れたじゃんか。次に会う時は、笑顔で、ってヤツ。


 今日も今日とて劇団赤い羽の公演。今回は神奈川県を飛び出して都内まで出張。いつもより広い会場での公演になったが、これっぽっちも緊張しなかった。今日はあいつらが観に来てねえからかな。ってそんな話は今どうでもよくて!


「色々マジかよ過ぎる……」

「マジで来ましたよ。朝陽渾身の演技、堪能させていただきました」

「いい感じだった?」

「いい感じでした」

「やったぜ。つーか! 来るなら来るって連絡しとけや!」

「そーだよケイトー!」

「この方が驚かせられるかなと思いまして。ごめんなさい」


 約一年ぶり。悪びれた様子なんて皆無な微笑みを引っ提げ、ケイト・アン・メイフィールドが帰ってきた。


「急にどうしたのーケイトー?」

「学校が長期休暇に入ったもので遊びに来ました。それでですね、まだこちらで宿を取っていないんですよ。二人さえ良ければまたあの家に」

「もちろん!」

「もちろんっ!」

「ありがとうございます」


 そんな野暮ったい確認しなくたっていいのによ。あの部屋は俺の家で、エミーの家で、ケイトの家なんだからさ。


「今は諸般の事情でこちらには来れていませんが、私の両親も来日しています。この後時間はありますか? お嬢様にはもちろん、是非とも朝陽に会ってみたいと言っていたもので。どうでしょうか?」

「構わないけど……マ、マジか……」

「私がこちらを離れてから今日までの間にどれだけ英語が上達したか見せてもらうにはいい機会ですね」

「ニコニコしながら言うなよぉ……」


 実は、ケイトがうちに住んでいた頃、ケイトに英語の教えを請うていたりした。エミーとケイトとのコミュニケーションを円滑にするって目的でケイトに頼み込んだのだが、いつからか目標は変わり、エミーとケイトの両親に会った時不自由なく会話できるように、になっていた。二人の日本語上達速度がおかしかったからしゃーなし。ケイトがうちを離れてからもエミーと二人で勉強はしてたけど……ひえっ、怖っ。


「ですが。両親に会うその前に、二人に紹介したい人がいます」

「紹介したい?」

「人?」

「はい。エド。エド!」

「江戸? 時代?」


 ケイトの胸の中で首を傾げるエミーの可愛いボケにツッコミを入れる余裕はなかった。だって、なんかめっちゃ恰幅のいい無精髭ヤベーおっさんが、のっしのっしと俺ら目指して歩いて来るんだもん。


「ハーイ! アサーヒ!」


 なんだ? 片手上げてるけど、なんだ? その大きな手で俺の命を刈り取るのか、このビッグガイは? 山育ちのハンターか何かか? 毎日熊と相撲でも取ってるのか?


「え、えっと…………は、はぁい……」

「ハッハーッ!」

「痛ってぇ!?」


 片手を上げて応えたら肩叩かれた。いや、痛い。マジ痛い。泣く。泣くよ? 大泣きするよめちゃ痛い死んでしまうひぃん。


「そんなに怯えなくて大丈夫です。彼はあなたを取って食うような真似はしませんよ。多分」

「ほ、ほんと? 今の一撃を胸に食らったら骨も心臓もぐちゃぐちゃになりそうな気がするのだけれど……」

「今のは、フリ、という物ですか? 彼、片言ではありますが日本語イケる人ですので、朝陽の発言のほとんどを理解しているかと」

「ハッハッハー!」

「そういうの先言ってケイトちゃんっ!」

「話が進みそうにないので私から紹介します。この人はエドワード・エバンス。エドの愛称で親しまれている人です。私の両親の古くからの友人です」

「ハローアサーヒ! エミー! ヨロシークヨロシーク!」

「は、はあ……」

「よろしくエドー!」

「イエースイエース!」


 ご、豪快に笑っていらっしゃる……なんかの童話に出てきた心の優しいドワーフってこんな感じだったなあ……って事でこの人を、エドワーフと呼ぼうと思う。心の中限定で。


「気さくな人ですが、本業の事となると鬼みたいになる事で有名なんですよ、エドは」

「その本業、ってのは?」


 当然気になるポイントだもんで迷わず触れてみたが。


 ほんの一瞬、ケイトの笑みが曇った。


 俺は、その瞬間を見逃さなかった。


「この人、いわゆる、テレビマンなんです」

「テレビマン?」

「ドラマの監督だったり、自ら脚本を書く事もありますね。最近はドラマだけでなく映画の方でも実績を残している人です。キャスティングやプロデュースも自らやってしまうんですよ。とんでもない人です。端的に言ってしまうと、私たちの母国の映像業界では、エドの名を知らない者はいない。それくらいの有名人なんです、エドは」

「……え?」


 いや、わかる。ごめん嘘わかんない。言ってる事はわかる、わかるよ? 多分。でもやっぱわかんねえや。ケイトの言う通りなら、相当凄い人なんだろ? だったらなんだってそんな人がこんな所にいるんだ?


「ねえケイト。そのエドが、どうしてアサヒに会いに来たの?」


 冷静じゃない頭でも、エミーの問い掛けのおかしなポイントに、ちゃんと気付く事が出来た。


 どうして俺に会いに来たのか。エミーはそう言った。ここにはエミーもいるのに、そう言った。


 もしかしたら、予感めいた何かがあったのかな、エミーには。


「……初めは興味本位だったんです、彼は。私の両親経由で、彼は知ったんです。この国に、役者を志している私の友人がいると。そいつはどんなヤツかと問われたもので、朝陽の初主演、初舞台となったあの作品の録画をエドに見せたんです。それ以降も朝陽の公演は全て、彼に見てもらいました」

「……エドが見たいって言った?」

「……そうです」


 どうしてか、ケイトとエミーの表情は明るくない。なんだ、なんだよ? 俺を置いてけぼりで話を進めないでくれよ。なんにもわかってねえよ俺。


「…………それで?」

「……エド?」


 ケイトに促されたエドワーフさんは、大きな頭をゆっくりと横に振り、さっき俺にしたのとはまるで違う優しいタッチで、ケイトの肩を叩いた。


「……わかりました…………朝陽」

「お、おぉ?」

「端的に……言いますね」

「お、おぅ……ん?」


 さっきまでとは打って変わり、浮かない表情になったケイトの言葉を待っていると、俺の腕に、エミーがしがみついた。


「エミー?」

「アサヒ……」


 思いっきり。力一杯。ぎゅっと。


 離すもんかと、そう言っているみたいだと、俺は思った。


「……朝陽」

「あ、ああ。なんだ?」


 どうにも歯切れが悪い。ケイトらしくない。余程言い難い事なんかな?


「エドは…………あなたの事をとても気に入ったそうです」

「それはどうも…………それで?」

「……あなたと共に仕事がしたいそうです」

「……は、はい?」

「…………朝陽」


 ああ……なるほど。言い難いはずだわ。


「アメリカに、来ませんか?」


 はっきり言い切ったケイトの瞳は、いつかの別れの時とは違い、揺れに揺れていた。

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