clutch
俺は、祭りが好きだ。だってよ、凄くね? 祭り本番が超楽しいのは当然としてもよ、準備段階でさえ超楽しいじゃん? そりゃあ好きにならずにいられねえっしょ。なあ?
「だっる……疲れた……」
「もう飽きたー暑いー」
「お前らヘバるの早過ぎだろ!?」
俺に聞こえるよう調整したボリュームでぶつくさ言ってやがる美優と千華は、同意見じゃないらしいな。軍手を嵌める姿のまあ似合わねえ事。
「だって暑いんだもん」
「暑いんだもーん!」
「みんな同じ条件だろーが。いいからキリキリ手を動かす! 終わったらばあちゃんが店でかき氷食わせてくれるっつーからよ、さっさと終わらせよーぜー」
「いや、かき氷に釣られるとか……小学生じゃないんだか」
「任されたー!」
「釣られてるし」
「ちょろ」
食いもんに釣られたアホキッズ千華が一気にピッチを上げた。この分ならさっさと終わりそうだな。
俺たちは今、十号棟の一階にある古っちい商店街、夢モールの隅っこにシートを広げ、月末にある川原町団地祭りで飾る提灯の動作確認と軽い掃除と、ごちゃごちゃになっている配線を整える作業の真っ最中だ。
提灯の設置や電気の配線やテントの設営だったり阿波踊り用の櫓の設営だったり。この辺りは旧知の電気屋さんだったり金物屋さんだったりうちの会社だったりが中心にやる事になっている。なにせ、年に一度の祭りだ。絶対に失敗出来ねえもんな。
「っていうか、提灯下げんのあんたんとこが引き受けたんじゃないの? なんであたしらまで巻き込むのよ?」
「暇そうだったから」
「あたしめっちゃ忙しかったんだけど」
「ゲームしてただけじゃねーか」
「それを忙しいって言うのクソチビ」
「んだとー!?」
「元気! いいから手を動かすっ!」
「お前は適応し過ぎだろ……」
チョロい千華と、なんだかんだ言いながら手を止めない美優を引っ張り出した俺の有能さはもっと褒められてもいいと思う。小さい頃は好き好んでこの手の準備に顔突っ込んでた二人だからな、無駄口叩きながらでも超手際いいし。
「お? お袋からラインだ……あとちょいで親父たちがこっち来るってさ」
「じゃあそれまでしかやらないから。来たら交代だから」
「充分充分! サンキューな!」
「お礼要らないからアイス買ってアイス。ハーゲンがいいなーあたしー」
「かき氷あるつったろーが」
「食べたいものは食べたいのー。あとリンゴの模様が描かれた魔法のカードも欲しいなー」
「それはお前のママに言えや!」
「あたしバビンスがいい! 十段くらい重ねたのがいい!」
「それも知らねー!」
「なんで!?」
「バビンズが近くにねえからだよアホ! あっても買わねえけどな!」
「酷い! 優しくない! チビ!」
「うるせー! お前も俺と大して身長変わんねーだろ!」
「はい元気バカー! それ自分で自分の首絞める発言ですぅー! この天才美少女と変わらない身長とか男の子として恥ずかしくないんですかぁー!?」
「うるせーうるせー! 天才美少女とか自分で言っちまうお前の方が恥ずかしいわ!」
「ほんとのことだもんねー!」
「あんたらうるさい。さっさと……おろ?」
「どした美優……おろ?」
「おろろー?」
どっかの流浪人チックな声を出す美優が凝視している方向に目をやると、おろ? と言いたくなるようなものが目に入った。
それは人で、背が高くて、生まれた日からの付き合いの女の子だった。両手に買い物用のエコバッグをぶら下げている姿も見慣れたもの。俺らに存在を気付かれた事に驚いたのかなんなのか知らんけど、慌てて柱の陰に隠れてしまった。存在感だけ出しておいて、こっちに顔を出さずに部屋に戻ろうとしているらしい。なーんか怪しいぞー?
「元気、確保」
「おうよ!」
美優に言われるまま、軍手を脱ぎ捨てダッシュダッシュ。
「あ! わわ……!」
「よっ、と! よう! どした夏菜!?」
今日も今日として俺よりずーっと背の高い幼馴染、夏菜が、見慣れたテンパり方でチョロチョロしてる間にマッハで前に回り込んでやった。うん! やっぱ俺、足速ええわ!
「げ、元ちゃ……」
「なんだなんだーコソコソしてよー。って、ニット帽かそれ? なんでそんな暑苦しいもん被ってんだ?」
なんかさ、白いニット帽をさ、おでこ隠れるくらいに深々と被ってんだよね。オシャレに疎い夏菜がこんな帽子を被る事そのものがレアだし、このクソ暑い中に被るのはもっとレアだ。
「や、その…………オシャレかなと思って……つい買っちゃって……」
「買っちゃってって、秋冬もんだろ? いつ買ったんだよ? つーか絶対暑いだろそれ。蒸れそう」
「平気平気! 大丈夫だから!」
「ってかさ、それ夏菜ママのじゃね? なんか見覚えあるんだけど」
「…………ち、違うよー?」
「いやわかりやすっ!」
「なるほどわかった。夏菜の専属コーディネイターのあたしが許可する。元気。その帽子、取っておしまい」
「おうよ! そりゃ!」
「え? ちょ! ま、待って!」
慌てて逃げようったってもう遅いのだ。あっという間に帽子強奪っ! なんか悪い事してる気分になるなこれ。
「やっぱり……ちょっと夏菜ー?」
「あ、あぅ……」
遠巻きに見ているだけだった美優が合流し、夏菜の顔をガン見して溜息を一つ。
「一体なんだってんだ?」
「夏菜の前髪にちゅーもーく」
「前髪……おお! ぱっつんになっとる!」
「言わないで……」
後ろの長さは変わらんのに、前髪の感じが変わっていた。バランスが悪くなったというか、バランスが整い過ぎているというか。それはもう綺麗に毛先が並んでんだ。トップもサイドも全然今までと変わらんもんで、違和感がすげぇ。
「まーたやっちゃったね?」
「う、うん……やっちゃった……」
「あたしの事頼るって言ったのはこの口ですかーそうですかー?」
「ひはひひはひみゆはんひはひよぉ」
軍手を外した両手で夏菜の頬を軽く抓る美優。や、女の子の顔狙うのはやめよ?
「また弄りたくなっちゃったかー」
「う、うん……ちょっと伸びちゃったし……それに……」
「うん」
「私なりに……可愛くなるようやってみたんだけど……失敗しちゃった……」
可愛くなるよう。確かにそう言った。美優も同じ所が引っ掛かったらしく、少々驚いたような表情になっている。
夏菜がこんなやらかしをするのは一度や二度じゃない。伸びちゃったから、鬱陶しくなっちゃったからとか、そんな理由で適当にハサミを入れては面白い仕上がりになり、美優に怒られる。もう何度も見た光景だ。
しかし、今回のやらかしは、少々理由が異なるらしい。
「可愛くなるよう、ね」
「う、うん……変かな……?」
やっぱり変わったよなあ、夏菜。前よりずっとずっと、女の子を頑張っている、って感じがする。
「いや! 全然変じゃないぞ!」
「そ、そう?」
「前髪はちょっと変だけど!」
「はぅ……」
「前向きでいいと思うぞー! 今回上手く行かなかったなら、次は上手くいくようになりゃあいいんだ! それにおかっぱも悪くないじゃんか! 可愛いと思うぞ!」
「え、や、あ、っと……うぅ……」
「なーにうねうねしてんだかしらんけど、少しの間だけでもおかっぱで通してみたらどうだ!?」
「……伸びるまで……少しの間だけ……」
「そうしろそうしろ!」
「ま、いいんじゃない? これはこれでいつもと違う可愛さがあっていいと思うし。うん、可愛い可愛い」
「ちょ、美優ちゃん……!」
美優に頭というか、前髪辺りを撫でられ照れる夏菜。なるほど、確かに可愛い。謙之介が今の夏菜見たらなんて言うんだろうな。
「あ! 元気たちいた!」
「ただいまー!」
「練習終わったよー! どーん!」
夏菜を中心にわちゃわちゃしていると、サッカーのユニフォームに身を包んだ団地っ子たちが飛び込んできた。
「おうおうおかえりおかえりー!」
「みんなおかえりー」
「おかえりみんな!」
「ただいまー!」
「あー疲れた!」
「汗すっげーなみんな。ちゃんと水分摂ったかー?」
「うん!」
「いっぱいおかわりしたよ!」
「ちゃんと日陰で休憩もした!」
「おーしおし! 偉いぞ偉いぞー!」
「や、やだ! 暑いから頭撫でないで!」
「暑いのはみんな一緒だぞー! うりうりうりうりー!」
「やめてってば元気ー!」
「あー! みんな見て見てー! 元気が幼女にセクハラしてるー!」
「児ポ法的にアウトなヤツだ!」
「どこで覚えんだそんな言葉!?」
「なんだか騒がしいなおい」
「やってるね、みんな」
ちびたちとやいのやいのしていると、臨時コーチの奏太と修が遅れて会話に入ってきた。ちびたちに負けじと汗だくだな。
「ちょうどいい所に! お前らも」
「さー風呂風呂! しっかり体を休めねーとなー!」
「それがいいね。ほら、みんなも部屋に戻る。汗が冷えると風邪引いちゃうよ」
「はーい!」
「じゃあねー元気ー!」
「美優ちゃんと夏菜ちゃんも! ついでに千華も!」
「あたしついで!?」
「まあお前だし……ってお前らこら!」
「明日以降手伝うからよー。多分なー」
「みんなは引き続き頑張ってー」
ちびたちを引き連れ、気怠げに手を振りながらエレベーターホールに消えていく奏太と修。ちょっとくらい手伝ってくれてもいいのによー!
「少しくらい手伝えってんだよなーあいつら。明日は絶対捕まえてやるー!」
「手伝う義務があるわけでもないんだからいいじゃん別に」
「なんだ、あいつらには甘いなあ美優?」
「ってか、あいつらがやり始めたらちびらも手伝うって言い出すに決まってるでしょ。長居させるわけにはいかないじゃん」
「おお! それは確かに! ちゃんと考えてるんだなあお前もあいつらも!」
「奏太と修は知らないけど、あたしはあんたの何億倍も頭使って生きてますから」
「そうなのか? なんか疲れそうだなそれ」
「皮肉が刺さらない……ムカつく……ふがっ」
「き、気分悪くなったからって私に抱き着かないの! ちょっと美優ちゃんっ!」
夏菜の胸元に頭を擦り付けている美優。いや、素直に羨ましいぞそれ。女だけの特権だよなー。
「ってかさー最近さー気になってたんだけどさー」
「お、なんだまだいたのかアホ」
「いるわ! めっちゃ仕事しとるわ!」
「でなんだよ? ペラペラ喋ってないでさっさと作業やれや」
「自分の棚上げ匠過ぎない!? いやさーちょい前から気になってたんだけどさー、修ってなんかあったのー?」
雁字搦め状態の配線を解きながら、千華はそう言った。
「なんかさー最近の修ちょっと感じ違うんだよねー。上手く言えないんだけどさーなんかさーそんな感じなんだよねー」
「何よそれ」
「なんとなくそう思うってだけなんだよー。でもさ、なんかわかるでしょ? みんなもそう思わない?」
まあ、わからないでもない。違和感みたいなもんはあったから。多分だけど、みんなでイリュージョンランドに行った辺りから。
沈んでるわけじゃねーし、無駄に明るいとかってわけでもねーし。じゃあ何が違うかってーと……なんだ? ちょっと軽いというか、口数が多いというか、そんな感じ。多分俺ら以外なら気が付かない、そんくらいの違和感なんだよな。
取り立てて大騒ぎする事じゃないかもしれないけど、気にならないとは言えねえわな。
「わからないでもないけどさー、修が何も言って来ないんだから何もないんじゃないの? わかんないけど。少なくとも、よっぽどの事があったらあたしたちには言うでしょ」
なんつったらいいのかなーと考えてる間に、美優がこの場の最適解らしいものを投下していた。
「まあそうなんだけどさー」
「だったらそれでいいじゃん。っていうかよっぽど気になるなら本人に聞いてみなよ」
「うーんそこまでじゃないんだけど……そこまででもあるみたいな……むむむ……」
相変わらず絡んだコードを整えながらアホが唸る。そんな気になるかねー?
「大人に近付いた……とかじゃないかな」
「……急にどしたの夏菜ちゃん」
「え? あ、いや……なんとなく……最近の修ちゃん見てたら……ほんとになんとなく……」
自分が言った事が恥ずかしいのか自信がないのか、照れたように頬を掻きながら背中を丸めるおかっぱちゃん。
この感じ……何か知ってるな?
「まあそんな感じかもねー」
「だねー」
美優と千華も気が付いたらしいが、深追いをするつもりはないらしい。俺も、これ以上突っ込んだ事するつもりないけど。
修が何か重たい物抱えてるんなら、自分が潰れる前に俺らに声掛けてくれるだろ。修はあれで結構意固地なとこあるけど、柔軟なヤツではあるから、その辺は心配してない。よっぽど必要だなーと思ったらこっちからも行くしな。今のあの感じなら、とりあえずその必要はないな。
「まあ悪い事じゃねーならそれでいいわ」
「だねだねー!」
「っていうかそれってさー少し年上のお姉さんの夏菜さんが、修を大人の男にしてあげたって解釈でいいの?」
「う、うん? 美優ちゃんどういう事?」
「どういう事だろうね。考えて考えて」
「大人にする…………年上の女の子が……年下の男の子を…………はわっ!?」
「あ、夏菜がエッチな事考えてるー。夏菜のむっつりスケベー」
「そ、そんなわけないでしょ! 全然そんな事ないもん!」
「顔真っ赤だぞー?」
「ぐ、ぬぬ……み、美優ちゃんのバカー!」
「うわぁー夏菜が怒ったぁー」
「逃げないのー!」
両手のエコバッグを揺らしながらドタドタ追い掛ける夏菜を、軽やかなステップで美優が躱す。そのまま夏菜の部屋まで行くつもりなのか、エレベーターホールに消えていった。堂々とサボりやんのなあいつ。
「今日もイチャイチャしてるねーあの二人は。ああいうのを百合って言うのかなー?」
「それはなんか違うだろ。今のはせいぜい闘牛ごっこだな」
「夏菜も美優もおっぱいおっきいからピッタリじゃん」
「それで行くとお前に出来んのは赤い旗持って牛に轢かれる役くらいだな!」
「どこ見ながら言ってんだうっさいわ! セクハラだからねそれ! ふんっだ!」
ちびガキみたいにぷりぷりしながら配線との睨めっこを再開する千華に続く。嵌め直した軍手が蒸れるったらねえや。
「美優ってば堂々とサボっちゃってさ……あたしがこんなに頑張ってるのに……引き受けたならちゃんとやんなきゃダメじゃん……」
なんかブツブツ言い始めた。多少手が止まった時間があったけど、相変わらず集中力は高い。こいつがブツブツ独り言うるせー時は、目の前に集中しているサインなんだわ。チート記憶力活用してる時とか超うるせえもん。ただ愚痴言ってるわけじゃねーんだぜこれでも。
「なんだかんだ張り切ってるよなーお前。去年はほとんど手伝わなかったくせによー」
「そりゃ張り切るでしょ」
「なんで?」
「次にここの祭来れるの何年先になるかわかんないもん。だから少しでもいいものにしたいじゃん。そんだけ」
しれっと言いやがる。まあ、そうなのかもしれないがよ。
ずっと言っていたからな。高校卒業したらこの団地を、この国を出るって。
だからって事なんだろうけどよ……だからって……なあ?
「……おいアホ」
「アホじゃないけど何?」
「考え直さねえか?」
「何を」
「進路」
「はあ……」
正面切って言ってみたら、心底鬱陶しそうな溜息が返ってきた。
「またその話ー? 元気もしつこいねー。これで何度目よ、その話するの。そのくせ俺がこの話した事は誰にも言うなとかさー意味わかんないんだけどー」
うるせえ。お前にはお前の事情があるんだろ。それが俺にもある。それだけだ。
「意味わかんねーのはお前だお前。医者だかスーパーな医者だかなんだかしらんけど、わざわざ海外に行かなくてもなれるだろ。詳しくないからあんま適当な事言えねーけどよ、日本の医療機関ってそんなにダメじゃないんじゃねーの?」
「どっちもその通りだと思うよー」
「じゃあこの国でいいじゃねえか」
ならここでいいじゃねえか。どこかおかしいか? そう思っちまう事がよ。
「ううんダメ。あたしは海外に行かなきゃいけないんだよね。どうしても」
「なんで?」
「ダメだから」
「答えになってねーぞ」
「これ以上は何も答えませーん」
「はあ?」
「乙女の秘密ってヤツですぅー内緒なんですぅーご禁制ですぅー」
わざとらしく口の前でバッテンを作ってみせやがる。乙女っつーか、ガキだな。
「乙女がどこにいんだよ? 俺以外はちんちくりんしかいねーぞ」
「誰がちんちくりんか! ここにおるじゃろここに! ってかさー元気の方こそ理由話してないじゃん。それなのにあたしにだけ話せとか一方的過ぎじゃん?」
「俺の理由?」
「海外行き止めろって言う理由。や、わかるよ? あたしがいなくなったら寂しいってんでしょ? それはわかるんだけどさーそこを具体的に言われた方があたし的には」
「そういうとこがちんちくりんだってんだよどアホ」
「どアホとは!? どアホとはー!? なんだよなんだよー! あたしのどこがどアホなんだよー! 元気のどバカ!」
「うっせーな。そういうとこがどアホなんだよお前は」
「だから具体的にどこよ!?」
「もはや全部」
「存在が!? っていうか全然具体的じゃにゃっ!? い、いへ……ひたはんだぁ……いはいよぉ……」
マシンガントークの最中に舌を噛んだらしく、涙目になるど千華。やっぱどアホじゃねーかって言われたいが為にやったのかってレベルの間の良さなんなんだ。
「ペラペラ喋ってっからだ」
「うぅ……もーやら……かきごーりたべれくりゅ……」
「迷子になるなよー」
「なりゅか! あうぅ……」
軍手を嵌めたままトボトボと遠去かって行く金髪。なんだあの、哀愁漂う背中は。
「はあ……」
溜息吐きたいのはこっちだっての。
どうしても海外に行かなきゃいけない。今日も聞いた。何度も聞いた。そのくせ志望校を決めたのはつい最近。いやいやわけわかんねーよ。つーか実は具体的なビジョンなんてねーんだろ? いいやそうだ絶対そうだ。
それでも、海外に行くと言う。そしてスーパーな医者になるんだと言う。きっと、絶対的な自信があるんだろうな。じゃなきゃスーパーな医者にーとか言わねえもんあいつ。
千華は底無しのアホだけど、決してバカじゃない。普段のナルシー的な発言から勘違いするヤツが多いが、どんなに背伸びしたって自分に出来そうにない事ならやらないし言わない。スパッと諦める。その代わり、出来ると思った事は出来ると言うし、最後までやりきる。
つまり、あいつが口にする言葉には必ず、自信と確信が詰め込まれているって事だ。だから、そのどちらかが欠けてしまえば、あいつは口を閉じてしまう。
自分が天才だという自信も確信もあるし、自分がスーパーな医者とやらになる自信と確信もあるし、自分が世界一可愛いという自信も確信もある。だからあいつは、薄い胸を張って、堂々とそう言うんだ。
意識高そうな言葉を選ぶなら、リアリストなんだ、あいつは。ん? なんか違うか? まあいいや。
「アメリカねえ……」
あいつのじーさんばーさんとケイトさんの住む国。あいつの母親が産まれた国。それだけでも充分向こうに行く理由になるのかもしんねーけど……でもやっぱ違うと思う。そもそも、誰かがいるからとかそんな理由で進路決めるようなヤツじゃねーしな。
だとしたらなんでだ? 本当に明確な理由があんのか? 考えろ。考えた。わかんね。無理。こう言う時はアレだ、他の言葉に置き換えてみりゃいいんだ。
あたしは海外に行かなきゃいけないんだよね。どうしても。だったか。これを……見方を……受け取り方を変えて……それで……そうして……。
「……アホくさ」
ある言葉に行き着いた。だから考えるのをやめた。あいつの考えてる事なんかわかるわけねーんだ。
どうしてもここにいたくない。
そんな結論にしか思考が寄らない俺自身も。千華の事も。夏菜の事も美優の事も。奏太の事も修の事も。
今日も俺は、何もわからないままだ。
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