第90話 似た者同士


「……どうせ、少しは酔いも覚めてんでしょ?」



 ずっと無言だったエレナに歩きながらそう言われ、俺は「まあ」と小さく答える。



「だったら一人で歩いてよ。暑いのよ」



 不機嫌だ。まあ、いつもよりは少しだけ優しい感じだけど。

 夜だと思えないほどお店の明かりが灯るセーフエリアの中を、俺はエレナから離れて歩き始める。



「ねえ」



 小さく声を発したエレナが俺を呼ぶ。その表情はよく見えない。なにせ彼女は呼んでおいてそっぽを向いてるのだから。



「お酒、美味しかった?」


「え、まあ……」


「そう」



 なんだろう、いつもとちょっと違う。怒りの沸点が最高潮に達した、というわけではないと思う。だけどいつもとどこか、よくわからないけど、なんか違う。

 すると、普段とは違った雰囲気がしたのは外見もだと気付く。



「エレナ、その服装……」



 そう伝えると、エレナはビクッと肩を上げるように反応させ「……なに」と小さく声を漏らした。

 普段とは違って見える服装は、このセーフエリアで暮らす人々が着てる浴衣というやつだろう。ヴェイクがニヤニヤしながら「美人がああいう服を着ると目を奪われちまうな」とか言って説明してくれた。

 たしかに美人が着ると目を奪われる。

 だからスラッとした体型に大人っぽい顔付きのエレナが着てると、その姿に見惚れてしまう。



「似合ってるね」



 そう、思った事を口にしてしまった。

 するとエレナは足を止める。

 横を歩いていたら見えない彼女の表情も、斜め前を歩くことになったから、横顔だけはっきりと確認できた。


 このエリアの気温とは関係のない、赤く染めた頬。


 そして返事は、



「あっそ」



 とだけ。


 また怒らせてしまったかな、とか思ったけど少し違った。

 ゆっくりと歩き始めて、さっきまで空いていた距離を縮めるように隣に立つと、



「この靴、歩きにくいのよ……」



 足下をすっぽり覆う靴とは違って、エレナの履いてる靴は足の指に紐が通されていて、歩けば、カタッカタッと音を鳴らし、たしかに動きにくそうだ。



「だから、もう少しゆっくり歩いてよ」



 ムスッとした表情でそう言う。

 エレナのその反応も少し慣れてきたもので、こういう時は優しくすると、顔には出さないけど少しだけ嬉しそうにする。


 だから俺は隣を歩きながら、



「手、貸そうか?」



 と左手を前に出して伝える。

 支えてあげたら、少しは歩きやすいかなと思った。だけどエレナは、顔を下げ。



「手じゃなくて……腕を借りるわ」



 小さく消え入りそうな声を漏らして、俺の腕に自分の腕を組む。さっきよりも密着した体勢。なによりエレナの熱がはっきりと感じられる。

 肩を借りてる時も密着してたが、俺の腕を組み、ギュッとしがみついて歩くのはドキドキしてしまう。



「歩き、やすいかな」


「……ええ、たぶん」



 しどろもどろな声をかけると、エレナはいつも通りの反応を示す。たけど俺の腕を指先でギュッと掴んで足下を見るエレナも、恥ずかしさと緊張してるのがはっきりと伝わる。


 それに周囲の視線も、いつもより気にしてしまう。


 これではまるで──あれだ。

 だけど、そんな事を考えてしまうと、エレナを見れない。

 目線を正面の少し上辺りに合わせながら、俺とエレナは歩いていく。



「なんで、あんたに支えられなきゃいけないのよ」


「それは……でも、俺もエレナに腕を掴んでもらってると楽だよ。歩きやすい」


「そう、それならいいけど。ねえ、ヴェイクたちと何を話してたの?」


「何って、別に普通の話だよ」


「いつも通りの馬鹿話?」


「まあ、そうなるかな。エレナたちは?」


「似たようなもんよ。……だけど、そういう話ができるだけいいのかもね」


「そうだね。これからも、こんな馬鹿話をしていきたいね」


「そうね」



 いつまでもこんな感じで。

 すると、エレナは歩きながら、



「ねえ、馬鹿話ついでに、私の昔話していい?」



 エレナから自分の昔話をされるのは珍しい。というよりも、エレナは自分の事を話そうとしない。

 二人でいる時も。世界樹の外にいる時も。皆と世界樹に来てからも。

 お酒は……呑んでないかな。顔が赤いのはこの気温と恥ずかしさがそうさせてるんだろう。



「エレナがいいなら」



 俺はそう答えて、エレナが話してくれるのを待った。

 そして俺の二の腕辺りを握る手に力を込めたエレナは、俺にだけ聞こえるような小さな声を漏らした。



「モーゼスさんとリュイスさんの一件からさ、私、よくお父さんの夢を見るのよね」


「お父さんの……?」


「ええ。ずっと昔の……もう、思い出なんて何も覚えてないんだけど、たった一つだけ、覚えてる記憶があるの」


「それは?」


「お父さんとお母さんと、三人でいた頃の思い出……この世界樹の中での記憶だと思う」


「そう、なんだ……何階層か覚えてたりは、してないの?」


「うん、だって赤ちゃんの頃だったから。ただ、凄く綺麗な景色だったなってのは覚えてるの。青白く光った花が周りにいっぱい咲いてて、お父さんも、お母さんも、すごく笑ってたのよ」


「そんな綺麗な場所なら、もしかしたらヴェイクとかティデリアとかが知ってるかもね。聞いてみようか?」



 それなりにこの世界樹で生活してた二人なら、もしかしたらその場所を知ってるかもしれない。そう思ったんだけど、エレナは首を横に振った。



「ううん、聞かなくていいわ。それにもう、お母さんはいないし、お父さんも、どこにいるかわからない……だから、その場所を見つけても意味がないのよ」


「そっか」


「まあ、いつか一人でもいいから、その場所を見たいなって思うけどね。ほんと、すっごく綺麗だったのよ」



 エレナは今日初めて笑ってみせた。だけどその表情が辛そうで、彼女の本心からの笑顔じゃないのはすぐにわかった。

 寂しいのかな。もう一度、両親とその場所に行きたかったのかな。



「じゃあさ」



 俺は足を止めると、エレナは上目遣いで不思議そうな表情をする。



「俺と……その場所を見ようよ」


「え?」


「両親と見れなくても、一人よりは一緒に見た方がいいかなって。それに、エレナと一緒にその景色を見たいんだ……」



 返事が来ない。

 そして恥ずかしくなって、



「あっ、ほら、それは他の皆も一緒にって事でね。まあ、お父さんとお母さんと見た思い出はあるかもしれないけど、それに仲間と一緒に見た思い出も追加したら、もっといい思い出になるかな、みたいな」



 慌てて言い換えると、エレナはクスッと、ちゃんと笑った。



「もう、なにそれ。皆と一緒に見て、お父さんとお母さんと見た思い出とは別に、皆との思い出も追加してくれるってこと?」


「まあ、そうなるかな。だって皆での思い出って、あんまないからさ」


「ふーん、私はあるわよ?」


「思い出? そんな印象に残った事あったかな……?」


「あったわよ」



 エレナは人差し指を立てながら、楽しそうに思い出を口にする。



「例えば、世界樹の外にいた頃、ルクスが他の探索者に馬鹿にされていじけてた事とか」


「……おい、その思い出は忘れろよ」


「後はそうね。……あっ、ルクスが頭のおかしな女に騙されそうになってた事とか」


「……それも忘れてくれ。というより、それはエレナが凄い剣幕で追い払ったんだろ?」


「そうだったかしら?」


「そうだよ。あっ、それなら、エレナだって変な男にナンパされて、後ろから蹴っ飛ばしたのも良い思い出だな」



 そんな事あった? みたいな表情で考えるエレナ。そして思い出すと、ニコニコとした不気味な笑みを浮かべる。



「あー、あの時ね。あの後、ルクスってばムスッとして、口きいてくれなかったもんね」


「なっ!」



 そんなオチがあったのを忘れてた。

 まあ、エレナはよくいろんな男から声をかけられてたから、僻みだったり、まあ……少し嫌だったり、その時は色々とあった。



「だけどね」



 エレナは俺から離れて前を歩く。

 後ろ向きに歩く彼女の表情は、いつになく綺麗な意地悪い笑顔だ。



「いっつも、わかりやすい態度とってくれるから、少しだけ嬉しかったかな……。私がいなくなったら、寂しかったんでしょ? 一人になっちゃうから」



 一人になるのが寂しいからじゃなくて……いや。本当の理由は言わないでおこう。



「別に、早くどっか行けって思ってたよ?」


「もう、素直じゃないわね」


「エレナに言われたくないよ。……ほら、宿屋に到着したよ」



 宿屋に到着した。

 眠気はある。すごく眠たい。だけど、もう少しだけ話していたいと思ってしまう。エレナとこんなに笑って話したのは、なんだか少しだけ久しぶりに感じたから。



「ほんとね」


「ああ、また明日な」


「うん」



 そう言ったエレナは、宿屋へと向かう。

 だけど足を止めた彼女は、自らの髪を触りながら、



「私もね、ルクスと出会うまでずっとひとりだったから……その、嬉しかったわ」


「え?」


「誰かに必要とされるのが、嬉しかったのよ。まあ、ルクスじゃなかったらもっと嬉しかったけどね」



 また笑った。

 そして小走りで宿屋へ向かうと、彼女は振り返り「明日、寝坊しても起こしに行かないからね。ちゃんと一人で起きるのよ。おやすみ」と言って宿屋へと入っていく。


 そんな明るくなったような気がする背中を見つめながら、俺はなぜか笑ってしまう。



「そう言って、いつも起こしに来てくれるくせに……」



 誰かに必要とされたかったのは一緒だ。だけどエレナだから、一緒に居たいと思えたんだ。


 そんな恥ずかしい言葉は言えない。

 結局のとこ、俺は素直じゃないんだろう。

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