第88話 鏡


「うわー、すっごい人だよ!」


「人、人、人! 人ばっかりなのですよ!」



 脱衣所と呼べる場所には、多くの人で溢れかえって

いた。

 それを見て、サラとラフィーネが目を丸くさせ口をポカーンと開く。

 だけどこの人数には、私もティデリアも驚いてる。多い、いっぱい人がいる。それに艶っぽく湿らせた髪の女性からは、温泉の独特とした香りがする。

 そんな温泉の匂いが鼻から体内に入ってくると、どうしても、早く熱い温泉に浸かりたいと気持ちが高ぶっちゃう。



「早く行こ」



 人の多さにまだ驚いてる二人を置いて、私とティデリアは脱衣所の中を歩く。

 ずっと寒い場所にいたんだから、早く温まりたい。

 今まで着ていた少し汗とモンスターの血の匂いが含んだ服を脱ぎ捨て、白生地のタオルを身体に巻いて、浴衣を置いて私とティデリアは準備を済ます。



「ちょ、ちょっと二人とも、用意するの早くないっ!?」


「二人が遅いのだ」



 慌てた様子で服を脱ぎ捨てるサラに、ティデリアはふんと鼻を鳴らして言う。

 その通り。と私も腕を組んで頷く。

 そして四人ともが準備を終えると、私はモクモクとした煙を隔てた扉を開く。すると、モワッとした熱と、温泉の独特とした匂いが脱衣場よりもはっきりと感じられた。


 温泉がこの世界樹でも沸いてるセーフエリアはあった。だけどそれは人工的で、この沢山の温泉が並ぶ場所を見てしまうと、どうしても紛い物のように感じてしまう。



「うわー」



 サラは温泉を見て阿呆っぽい声を出してる。



「ほら、まずは身体を洗っちゃうわよ」



 それを大人の雰囲気を出して、私は身体を洗いに向かう。飛び込みたい。すぐさま温泉に飛び込んで、体の芯まで温まりたい。

 そんな気持ちを押し殺して、マナーを守って身体を洗いに行く。


 横並びで髪と身体を洗う。

 そして洗い終えると、私たちは同じ温泉へと向かった。

 足下からゆっくりと。この十三階層は気温が高いのに、それよりも熱い温泉に浸かった足、太股、全身は、その熱すらも気持ちよく感じられる。



「はあー」



 肩まで浸かると、私は天井を見つめながら長い息を吐く。

 周りの騒がしさなんて気にしなくなるほどの気持ち良さに、私たちは、少しの間だけ話すことを止める。



「いやー、これはこのセーフエリアに止まる人の気持ちもわかるね。最高だよ、ほんと」


「そうなのですねぇ。すっごく熱いのに、どうしてこんなに落ち着くんでしょうか……モルルンも、嬉しそうなのですよ」


「モル……モルゥ」



 ラフィーネの頭の上に乗ったハムちゃんが、平べったくなってぬくぬくしてる。可愛い。だけど可愛いというよりも少しブサイクに見えた。



「ねえねえ、あっちも見に行こうよ?」



 サラは立ち上がり違う色合いの温泉を指差す。



「私はまだここにいるわ。ゆっくりしたいのよ」


「えー、ティデリアは?」


「わたしも同じだな」


「んー、じゃあラフィーネ行こう?」


「はいなのです! 全部の温泉を堪能するのですっ!」


「だねっ! んじゃあ後でね、二人とも」



 二人は楽しげに別の温泉に向かう。

 もう少しゆっくりしていけばいいのに、とも思うけど、他にも温泉があるから他も堪能したい、という気持ちはわかる。


 すると、いつもは口数が少ないティデリアは、のそっと隣に近付き、



「一つ、聞いてもいいか?」



 と言って私を見ずに問いかけてくる。



「……どうかした?」



 質問をする時、いつものティデリアなら何も聞かずに用件を尋ねてくる。


 ……だから何かおかしい。


 そう思ったから、返事をするのに反応が遅れた。それをティデリアもわかってるのか、そっぽを向きながら、躊躇うように口ごもりながら質問してきた。



「……ルクスに、その……想いは伝えないのか?」


「……は?」



 そんな話だろうな、とは思ってたけど、まさか二人っきりになってすぐに聞かれるとは思わなかった。



「……」



 それに聞いていいのか駄目なのかを迷っているようだから、適当に話を流すのも少し気が引ける。

 だから私は、天井を見ながら質問で返す。



「なんで、そんな事を聞くの……?」



 別に答えないわけじゃない。だけど、どうしてそんなことを急に聞くのか、それを聞き返したかった。

 すると彼女は、熱い温泉の中へ首もとまで浸かりながら、



「……少し、気になってな」



 と、理由は答えなかった。


 ティデリアは、いつも明るくて陽気な雰囲気のサラとも、誰になんと言われようとも真っ直ぐなラフィーネとも似ていない。どちらかというと、彼女は私と似ている。


 自分の気持ちに素直になれないところとか、ティデリアの好きな相手であるヴェイクにキツく当たるところとか、私がルクスにキツく当たってるのと全く同じだ。

 だけど結局のところ、私と一緒で素直になれないティデリアは、私を映す鏡のようだ。


 だからこそ、ティデリアのこの質問は、私のことが気になってるからなんかじゃないってことぐらい、すぐにわかった。



「私がアイツに言わない理由を聞いて、自分も同じだって思いたいわけ?」



 鏡みたいな性格だから、ティデリアは私が想いを伝えない理由を聞いて、それを自分と重ねたいんだろう。



「……別に、わたしは……」


「いいわよ、私とティデリアしかいないんだから、正直に言って」



 似た者同士なんだから、この時だけは、素直になりなさいよ。

 そう思って伝えた言葉に、彼女は温泉の熱からではない頬の火照りを隠すことなく、小さく頷いた。



「……わたしだって、あの馬鹿といがみ合いたくはないんだ」


「馬鹿って、ヴェイクのことでしょ?」


「……うむ」


「それで? 私がルクスに何も言わない理由を聞いて、どうしたいのよ?」



 わかってるけど、聞いてみる。



「……エレナは、どう、なりたいのかって……ただ、聞きたかったんだ。それを聞いて、わたしも、あの馬鹿に対する態度を変えた方がいいのかって……そう、思ったのだ」



 普段から怖そうに振る舞ってるのに、今だけは子供のように見えるティデリア。

 この言葉は彼女の真剣な質問なのだろう。ずっと、素直になれない──少し前の私の鏡の彼女。



「別に私はキツく当たりたいわけじゃないわ。ティデリアと同じで、自分に素直になれないだけよ」


「う、うむ……でも、素直にならないとずっとこのままではないか? 何も、進展がない……」



 あら、進展したいのね。意外。

 だけど何もしなければ進展がないって思ってるのは、私と違うかもしれない。



「私からは何もしないし言わない。私は待ってるわ。アイツが、ちゃんと言ってくれるのを」


「それは、好きって?」


「ええ、そうよ」


「もし好きじゃなかったら……?」


「そんなの決まってるじゃない」



 向こうが好きじゃないなら、このまま自分に素直になれないなら進展がない。そう、ティデリアは思ってるんだと思う。

 こっちを心配そうに見つめてくるティデリアに、私は笑って答える。



「好きにさせるだけよ」



 それしかないのだから。

 すると彼女は、ポカーンとした顔を数秒間だけしてたけど、すぐに笑ってみせた。



「ははっ……凄い、自信だな」


「ええ、そうよ。だって私が、アイツの側にずっといたんだから」



 皆が見てないアイツを、私はずっと見てきた。

 外れ七光りだって言われて悔しがってる時も、自分の加護ギフトに何の未来も見いだせずに落ち込んでる時も……ずっと、ずっとずっと、私はアイツを見て、隣を歩いてきた。

 周りの連中が離れて行っても、私だけはアイツの側にいた。



「それなのに私を好きにならないなんて、そんなおかしな話し、あるわけないじゃない」



 笑顔でティデリアにそう言っても、内心では不安で一杯。

 別に絶対的な自信があるわけじゃない。アイツは私の事をなんとも想ってないかもしれない。だけど。


 だけどだけど。


 私はアイツの隣にいるのが好きなんだ。

 好きだから、好きな相手には自分を好きになってほしい。

 おかしな発言だけど、私は強気でいたい。

 そうじゃないと、恋愛したことない私は、不安で不安で、アイツの側にいられなくなりそうだもの。



「だから私は待つわ。アイツから伝えてきてくれるのを」


「そう、か……それがずっと先の話でも?」


「ええ」



 私は少しだけ、ティデリアの近くに寄る。



「それに。今の関係も、私は好きだから……だから私がアイツに想いを伝えないのは、これ以上、無理をさせたくないってのもあるわね」


「無理を?」


「ええ、私が自分の気持ちを言ったら、アイツは私のことを大切に想っていようがいまいが、少しは意識すると思うのよ……だけどそうさせたら、アイツは私を守ろうとする。……自分を犠牲にしてでも、ね。だからこれ以上、アイツに無理はさせたくないのよ」



 出会った頃とはもう違う。

 ルクスは私たちのリーダーとして、皆を守ろうと必死になってる。だけど必死になればなるほど、アイツ自身が無理をして、仲間の命よりも自分の命を軽く見る。それが、私がずっと見てきたルクスの性格。

 それがわかってるからこそ、これ以上、ルクスに無理はさせたくないし、これ以上の負荷をかけたくない。


 私はアイツの重荷にはなりたくない。

 後ろから引っ張られるんじゃなくて、隣を並んで歩きたいんだから。



「エレナは、大人だな……」



 ボソッと呟いたティデリアに笑いかけ、私は立ち上がる。



「大人なんかじゃないわよ、全然……」



 全然、大人じゃない。

 本心では同じ想いを共有したいと思ってる。

 それが私が恋心を知って、初めてアイツに求めた気持ち。

 だけど、どこか私にプライドとか理想がまだあるのかもしれない。アイツから想いを告げられたい。こっちから言ってなんかやりたくない。そんな気持ちがあるから、私は何もできないでいる。


 それでもティデリアには、少しだけ余裕ぶりたかった。



「さっ、そろそろ他の所も味わってみよ?」


「そう、だな」



 それが結果的に彼女の気持ちの変化を与えられるなら、少しだけいいかなって思える。

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