第五回 今日の日、出航の日、これまた好日なれや His Memorial Day

※スタブです

白く大きな生き物が、我が物顔で空を飛んでいた。


討伐隊の兵士たちが皆逃げていく。


大蛇のような長い胴。鹿のように立派なツノ。ナマズのような長いヒゲ。おどろおどろしい顔と声。鷹のように鋭いツメ。上等の錦鯉のような、固く光沢のある、白く美しい鱗。


四人は皆、その白く大きな生き物が何だか知っていた。


いや正確に言えば、知識としては知っていたが、自分の目で見たのはこれが初めてだった。


それは、洪福寺の廊下に描かれていた、"白い龍"の姿とまったく同じだった。


「助けて・・・くれたのか?オレたちを」


四人が呆然と見ていると、龍は喋りはじめた。龍は人の言葉を話すのか。


「江流、三蔵法師。仲間、人間、三人。四人。

四人、我乗る。乗る、四人、生きる。乗る、ない、四人、死ぬ。」


その龍の声は、男とも、女とも、子どもとも、老人とも、若者とも似ていない、この世ならざる奇妙な声であった。


李定が、龍の呼びかけに答え、叫んだ。

「大きな龍よ。私たち四人に、お前の背にしがみつき、乗れというのか?」


龍が李定をにらみ、さらに答える。

「龍、背中、違う。我、船なる。四人、船乗る。四人、船変わる、待つ。」


龍が大きく息を吸い込んだ。


「ノウマク・サダルマ・フンダリキャ・ソタラン・・・」

龍がなにやら呪文を唱え始めた。


「変成七曜・アヴァタールチェンジ!」

龍がなにやら叫び声をあげた瞬間、

白い龍の全身が虹色に輝きだし、煌めく虹色のカタマリになってしまった。

その虹色のカタマリは地面に垂れて、そのまま地面の上で形を作っていった。


見ていると、虹色が白になった。


その白いものは"飛行船"だった。


飛行船が機械的な音声を読み上げた。

「インターステラシップ・巨門星メラク!」


飛行船の横の扉が自動で開いた。

と同時に、中から女の声が叫んだ。


「皆さま、こちらです。お早く!」


開いた扉の中から4人を呼ぶ声がした。

それは、長安で江流が出会った、不思議な少女の声だった。


四人は飛行船の扉めがけて走った。


扉の中には殺風景な部屋があった。

そこには座り心地の良さそうな、背もたれの長い座席が左右に三つずつあった。

つまり、全部で六つの席を作っていた。

座席のそれぞれに、両肩から股間まで伸びるタイプの、本格的なハーネスがついていた。


部屋はボンヤリと薄暗かった。屋内照明のタグイも見当たらなかった。入口の扉を閉めてしまったら、この部屋は真っ暗になるだろう。



六つの座席の目の前には真っ白なスクリーンが掲げられていた。

座席の左右の壁には大きなガラス窓があったが、さらに外側にシャッターが下りているので、外の景色は見えなかった。


それは船というより、劇場のタグイに江流たちには見えた。

長安にある見せ物小屋に、少し似ていた。


「皆さま、ただちに座席について、ハーネスを降ろしてください。」

どこにいるのかわからない少女の声に、4人は大人しく従った。


声の指示に従い、江流、烏巣、張梢、李定の4人は左右に分かれ、それぞれの2つの座席に座ってハーネスを降ろした。カチリと音がして、ハーネスが固定された。


江流たち4人が着座し、ハーネスを降ろすやいなや、船体が大きく揺れ出した。


4人は自分のハーネスを両手で握りしめて、座席にしがみついた。


入口の扉が自動的に閉まり、暗い部屋は本格的に真っ暗になった。

「発進5秒前、4、3、2、1」

少女のアナウンスが部屋をこだまする。


ブー。サイレンがなった。


「皆さま、発進いたします!」

少女の声が叫んだ。


かつてない大きな揺れとともに、とてつもない重力が4人を座席にめりこませる。


そして座席の前に鎮座するスクリーンがチラチラ光りだした。


江流は前にこれと似たものを長安で観たことがあった。

"影絵"というやつだ。部屋を暗くして人形の後ろから光を当ててやると、スクリーンに人形と同じ影が映るからくりだ。江流が観た影絵はこんなに手の込んだものではなかったが、まあ多分同じようなものだ。


スクリーンに、江流が3年前に会った、あの幼い8歳の少女の姿をした玉龍が現れた。


姿だけでなく声も聞こえた。あの恐ろしい龍の声ではない。まぎれもなく、あの幼い8歳の少女の声だった。


玉龍は両手を広げて何か語っていた。声の方はどこから出ているのだろう。


「皆さま、突然のことでさぞ驚かれていると思います。

数々の無礼、どうかお許しください。

ですが、皇帝の放った討伐隊から皆さまの命を守るにはこうするしかなかったのです。どうか、ご理解下さい。」


「私たちは、あなたに感謝しています。龍のお嬢さん。本当にありがとう。」

禅師が皆を代表して、総意の言葉を述べた。


「光栄に存じます、烏巣禅師さま。

では、話のつづきをば。

ひとまず、現在の私たちの状況を簡単に説明させて頂きます。

皆さま、目の前のスクリーンを引き続きご覧ください。」


スクリーンの映像が切り替わり、緑色の草と一本道が映った。それは4人がよく見慣れた震旦の草原った。


だが、すこしおかしい。草原がスクリーンからどんどん遠くなっていくように見えた。


「現在この艦は、震旦の引力圏を脱出するため、地面に対して垂直に浮上しております。

約2分後には、震旦の大気圏外に出られる予定です。」


スクリーンの草原はどんどん遠くなって、やがて消え失せた。


代わりに空の雲が映った。


そして、2分後にはそれも消えた。


「本艦は今、震旦の大気圏を無事脱出いたしました。左手をご覧ください。」


左側のシャッターが開いて、窓の外が映し出された。


暗い夜空の中に、綺麗な緑色の球体が浮かんでいた。これは確かに震旦の姿だ。

江流は前に、図書館の本で読んだ記憶がある。

震旦は海の面積が少なくて、地表のほとんどを草原が占めているがために、外から見ると緑色に見えるのだと、何かの本に書かれていたのを読んだ記憶がある。


「さて皆さま。震旦を出たばかりで申し訳ありませんが、皇帝のさらなる追手から逃れるために、本艦はまもなく緊急亜空間航行に入ります。

皆さま、今一度ハーネスの固定を確認し、可能であれば唾を飲み込んで下さい。

航行中何があっても、決してお席を立たないで下さい。」


江流は玉龍の説明を上の空で聞いていた。自分が震旦を離れようとしているという事実が現実ではないように思えていた。


江流はなにげなく宇宙船の右窓を見た。右窓はシャッターが下りているので、外の景色は見えなかった。スクリーンの光と左窓外からの明かりがガラスに反射して、鏡のように江流自身の姿を映していた。


鏡の中の自分は笑っていた。笑いながら何か言っていた。

その姿を見て、江流は青くなった。


「こいつはオレじゃない。お前はオレじゃない・・・」


「オレじゃない~?違うね、オレこそが本当の江流児さ。」


「違う、オレがオレを傷つけるようなことを言うはずがない・・・」


「嘘つきの江流児!自分勝手な江流児!かわいこぶりっこの江流児!

お前が自分の声に耳を塞いで、自分から逃げようとするから悪いんだぞ。

オレはお前が考えてることを、お前の代わりに言葉にしてやってるだけだ。」


「違う、お前はオレじゃない、オレじゃない・・・」


「・・・お前なんて、生まれて来なかった方がよかったんだ。

いや、お前は生まれてすぐに、籠ごと揚子江に流されたよな?揚子江の江流児。

きっと実の親もお前なんかを育てたくなかったんだ。だから籠に入れて捨てた。

そのままお前が揚子江で水死体になっていれば、お前以外みんな幸せだった。」


「違う・・・オレは和尚さまの子どもだったんだ・・・」


「ああ、お前が変な術で和尚を騙して、ずうずうしく自分を育てさせたんだ。

生まれたときから自分勝手でかわいこぶりっこな奴だったんだ、お前は。」


「違う・・・和尚さまはオレの家族だっだんだ・・・あれは運命だったって和尚さまも言ってたんだ・・・」


「お前さえ余計なことをしなければ、和尚が殺されることもなく、烏巣禅師は皇帝のお気に入りとして震旦でちやほやされながら、震旦で死ぬことができたんだ。

和尚も、禅師も、付き合わされる張梢李定も、殺された洪福寺の坊主連中も、みんなみんなお前のことを恨んでいるぞ。」


「違う・・・皇帝が悪いんだ・・・みんな皇帝のせいなんだ・・・オレのせいじゃない・・・」


「現実から逃げるなよ江流。"お前が"和尚さまを殺したのを忘れるな。

皇帝じゃない。兵士でもない。まぎれもなく、お前が殺したんだ。

お前は自分が生き残るためなら、平気で他人の命を奪う"寄生虫"なんだよ。」


「違う・・・殺したのは討伐隊の兵士だ・・・オレは殺してない・・・オレじゃない・・・」


張梢の言葉が、江流の脳裏にくっきりとよみがえった。


「江くん。残念だけど、和尚さんを連れたまま僕たちが逃げるのは無理だよ。

ここに和尚さんを葬ってやろう。」


和尚さまを埋める穴を掘った、そのスコップの感触が、江流の両手に残っていた。

和尚さまを置いて逃げたこと、その自分への怒りと憐れみが、江流の胸に残っていた。


江流の視界は、あふれ出した涙で霞んでいた。


いつのまにか、窓ガラスに映っていた江流自身の姿は、塔で出会った羅什三蔵の姿に入れ替わっていた。

羅什三蔵の若すぎる顔が、江流の目に焼きついていた。

羅什三蔵が若すぎる声が、江流の耳に焼きついていた。


「オリジナルの夢幻泡影経の力は、きみの使っている不完全写本(レプリカ)の比ではない。

きみがオリジナルの力を我がものとしたとき、きみの世界から、"不可能"の文字は永遠に消え失せることだろう。

経典の力は、きみの命じるままに、ありとあらゆることを可能にすることができる。

きみが命じれば、石はパンに、水はワインに、錆びた鉄は輝く黄金となるだろう。

君が命じれば、くたびれた杖は大蛇となり、憎むべき敵を飲み込むだろう。

そして・・・」


江流はその先をちゃんと聞いていた。覚えていた。


「君が命じれば、死んだ人間は何度でもよみがえり、温かい身体で、愛する人とふたたび抱き会うだろう。」


・・・もしオレが経典を手に入れたら、和尚さまにつぐなえるのかな?

・・・失った時間も、戻ってくるのかな?

江流の疑問に答えられる人間はどこにもいなかった。


「和尚さま、オレをゆるして・・・」

江流は、涙声でつぶやいた。


まさに、その瞬間だった。


江流の小さな身体が漆黒の闇に包まれ、その意識は青白い亜空間の高速道路を、光の速さで駆け抜けていた。


玉龍の亜空間航行が、始まったのだ。


***

MNEMOSYNE -ネモジーン-


第一章 江児出遊品 完

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