第9件目 どの世界にも煙草があるのは何故か


 煙を夜闇に溶かし舌先の甘みを堪能する。


「何それ? 煙草?」

「ん? アンか。どうした。」


 トイレで用を済ますと店先に出て独りの休息を楽しんでいたのだが、そこに何故かアンがやってきた。


「変わった葉巻を吸ってらっしゃるのですね。とても甘い香りが致します。」

「ちょっ、ロッタ。今は外なんだから出てきちゃ駄目!」

「ふっ……お前達はいつも騒がしいな。」

「……車の中の匂いってそれだったんだね。」

「あぁ、煙草は嫌いだったな。」


 先日のアンの言葉を思い出し、吸うのを止める。


「別に。それ煙草の匂いじゃないし。そんな匂いの電子タバコってあるんだね。」

「これは一応煙草とは違う。ニコチンもタールもなく、出てくるのは煙になった甘味料だ。つまり、綿菓子みたいなもんだよ。」

「へぇ! 甘いの? じゃあ私にも吸える?」

「あー……どうだろうな? 店では一応電子タバコって名前で売ってるし……。」

「ニコチンもタールも無くて臭くないなら吸っちゃ駄目な理由なんてないでしょ。一回だけ吸わせてよ。」

「……は?」


 予想外な申し出に思考が一時停止する。だが、脳の再起動に余程負荷が掛かったのか、オブラートに包むことも出来ないまま生の考えを口にしてまった。


「お前、あれだけオッサンとかキモいとか言ってたのに……。」

「オッサン菌なんて私の聖なるオーラで浄化出来るから。」

「どういう理屈だよ。」

「いいから貸して。」


 俺のに向けて差し出された手。断る理由は……あるっちゃあるが、此処なら誰も見てないしいいだろう。


「……内緒だからな。多分、未成年が吸ってはならないと思う。」

「言いふらす訳無いし。……これ、どうやって吸うの?」

「握って親指が当たる所にあるボタンを押しながら吸うだけだ。」

「ふぅーん。」


 店先を照らす看板の光が彼女の顔を照らしている。大きな瞳、伸びた鼻筋、そして、張りのある唇。そこに筒状の吸口が触れた。やがて、ジュッと音がするとスーッと気体を取り込む音がする。しかし……。


「ゲホッ!!」

「やると思った。最初から吸いすぎだ。」

「ケホッ、コホッ…………甘い。」

「そう言ったろ。」

「……嫌いじゃないかも。」

「始めるんだったら二十歳になってからな。」

「……。」


 何故か黙り込み。俺にソレを返すと目が合った。離せない。整った顔だ。異世界の住人と言われても納得出来る。しかし、この瞬間にどんな意味がある。


「……戻る。」

「ぉ……おう。」


 何だったのか。踵を返し店に戻ろうとするアン。少々混乱しながらも俺は短く返す。


「ねえ。」

「ん?」


 此方へ向きもしていないが、恐らく俺に呼び掛けたんだろう。既に冷静になりつつあった俺は今度こそ平然と返事が出来た、と思う。


「昨日は……ありがとう。」

「……。」


 不意打ちだった。咄嗟の対応は出来ない。だが、なんとか言葉を絞り出す。


「どう致しまして……だ。」


 それを聞き届けたのか。彼女は足をヒョコヒョコと庇いながら店に戻っていった。


 俺は……自分を落ち着かせる為に、それと自分を戒める為にそれから数口吸ってから戻ったのだった。



*****



「はぁー……今日は楽だねぇ。」


 十五時。回収任務控室で伸びをするムーンランド。


「アプリコットちゃんのお陰で楽な任務が回ってきたんだ。お礼を言わないとな。」

「それは誤解を招く言い方だスィトゥー。」


 隊長ゴッドだけは今依頼者に挨拶している。今日は俺達だけの実働作戦だ。ハルサポートチームはいない。


「私の怪我を考慮して任務が選ばれたって事ですか?」

「ほら見ろ!」

「いやいや、アプリコットちゃんが足を引っ張ってるって意味で言ったんじゃねえよ?」

「……足は引き摺ってますからね。」

「お前! アンを侮辱したら引っこ抜くわよ!」

「な、何を!?」

「ちょっと待ってロッタ! ごめんなさい。冗談のつもりだったんだけど。」

「わかりづらい冗談やめてよ!」


 ロッタのツッコミに全員が頷いた。


 ……彼奴ちょこちょこコミュ障発揮するな。


「それより、今日は俺が作戦の説明をする。」

「はーい! 元魔王が暴走して空虚なる闇ヴァニタス・ブラックを使った時はどうしたらいいですか!」


 意気揚々とフザけた事を抜かすスィトゥーにより、脳の血管がはち切れそうになる。


「――我が処す。」


 俺は手に握ったデジタルボード用のタッチペンをスィトゥーに向けて振りかぶる……が。


「良い質問ね! ベルウッド様が空虚なる闇ヴァニタス・ブラックをお使いなされた時は、人智栄えし時から生まれた絶望の万象を全て唱えあがないながら死す事こそせめてもの礼儀よ! そうすれば魂が魔に染まり、ベルウッド様の配下の下っ端が踏み躙る塵芥程度には転生出来るかもしれないわね!」


 アプリコット……いや、ロッタがドヤ顔で語る痛々しい説明……説明か? それを聞き、誰もが黙る。と言うか黙るしかないだろう。


「なんだろう。あれ、先輩って何歳で転生したんですっけ。」

「俺も最初は笑おうと思ってたんだがちょっと笑えないくらいのアレだな。」

「何故止めなかった! アプリコット!」

「面白かったから。」

どうしようもないパーフェクトだな!」


 悪態すら投げやりになってくる我。


「ってかどうして貴様スィトゥーが我が術を知っておるのだ!」

「聞いた。」

「誰に!」

「私です!」

「ロッタァー!!」

「なんでしょう!」

「何故教えた!」

「ベルウッド様の御威光を知らしめる為です! ですが、ご安心下さい! 七十二の秘術につきましては一切口外しておりません!」

「それが正に口外だ!!」

「七十二て……それ全部覚えてんのか? ロッタちゃん、空虚なる闇ヴァニタス・ブラックは秘術じゃないのかよ。」

空虚なる闇ヴァニタス・ブラックは始まりであり、全てよ。これ以上は私から言えない。」


 キリッとスィトゥーからの質問を跳ね除け、我からの言いつけを守った気でいるロッタ。残念だ。お前ってこんなに駄目な子だったか? もっと凛々しく合理的で時に優しさを見せる我の愛娘だったはずが……。


「やめてくれ……。」

「あー……わりい。此処まで、その、イってるとは思わなかったから……。こ、今度飯奢るわ!」

「ハハハハハハ……スィトゥー。貴様はタブーを犯した。奢る際には私に店を選ばせ、同行者全員分を奢れ。でなければ我だけが知る全てのお前の悪行をゴッドに告げる。」

「げぇ!? ど、どれだよ!」

「……さぁな。」

「わかった! わかったからやめてくれぇ!」

「この班ってマトモな大人がいないよね。」

「アプリコットちゃん。もう少しここで働けばわかるかもしれないけど、ゴッド隊長と先輩がトップツーのここはまだマシだよ。元転生者でここで働くって人が一曲ひとくせあるだけなら良いと思えるくらいの色物ばっかり。」

「話を戻す!!」


 ゴッド隊長の様に威厳を出せたらどれ程楽だろう。と言うか、あの人なんであんな小さいのに仙人みたいな威厳が出せるんだ。さては本物の威厳臭を出せているのか? ……今度相談してみようか。


 とにかく、このまま会議が纏まらなかったら副隊長失格だ。俺は静かにデジタルボードを操作して任務の情報を映す。


「……全員端末を見ろ。」


 大人しく端末の画面を見るメンバー達。今回の流れはこうだ。依頼者には何時も通り夕食を作って貰い、そこに薬を混入。そこから、対象者の状況を確認しつつ昏睡したら回収。……よくあるケースだ。つまり、今回の依頼者は対象者の両親である。


「……これだけ?」


 アプリコットが素直な感想を漏らす。


「毒を盛った相手が倒れたら回収なんでまるで屍肉食いグールね。」


 ロッタにも不服な内容らしい。


「楽だが、ありふれた内容だ。」

「あぁ、ありがちだな。実家か一人暮らしかの二パターンに分かれるけど。」

「回収車での突撃と並ぶくらい多いですね。」

「親が……自分の子供に毒料理を食べさせるの?」

「毒じゃない。昏睡させる薬だ。それに、それを入れるのはあくまで俺達。分量を間違えられたら大事故になりかねないからな。」

「……。」


 やはり引っ掛かるか。


「対象者は学生時代イジメにあい、そのまま不登校、引き篭もりになったが一度社会復帰を果たす。」

「そこでまたパワハライジメにあって鬱、か……。運が悪いな。」

「治療要望欄にある文……なんだか切ないですね。」


 ムーンランドが言ったのは恐らくコレだ。


『無理にまた辛い思いをしてまで働いて欲しいとは思っておりません。叶うならば、もう一度笑ってくれる様になって欲しいです。昔、食事時に必ず一度は聞いたあの笑い声を我が家に戻して頂きたい。どうか息子を宜しくお願い致します。』


 ニュアンスが変わらない為にもスキャンした手書きの文章がそのまま貼り付けられている。この、所々滲んだ文字が涙による物かどうかは想像の域出ないが、この資料と想いは間違いなく本物である。俺達はこういった依頼者の要望を叶える事こそ仕事なのだ。依頼者は隊長にしか会えないが、その願いは胸を締め付ける物が多い。どうにか叶えたいと思うのだ。


「……私のにも、こういうのがあったのかな。」


 アプリコットがそう零す。自分の件が気になるのは皆同じだ。俺だって気になる。だが、依頼者に関する情報は俺達じゃわからない。


「ここは必須記入欄じゃない。必ずあるとは限らないな。」

「そっか……じゃあ、多分……。」


 それより先は言葉を続けなかった。だが、言おうとしていた事はわかる。


「アプリコット。最初に教えられなかった事だが、対象者の情報はよく見ておけ。仕事のやり甲斐や価値というのは自分が定めるものだ。」

「素晴らしいお言葉です。」

「……ロッタも、まぁ、覚えておけ。」

「はっ。」

「取り敢えず回収袋の付け方を復習するか。」


 そう提案した所で扉が開く。やってきたのは隊長である。どうやら依頼者との最後の打ち合わせを終えてきたらしい。


「お疲れ様です。」

「うむ。準備は整った。そちらは?」

「今からもう一度アプリコットに回収袋の手順を教えようかと。」

「なるほど。確かにそれは重要かもしれないな。これから何度も行う事だが、本番で迅速に行わなくてはいけない事だ。前回はハルの指揮があった為に然程協力出来なかったが、今回は私も力になろう。対象役を申し出ようではないか。」

「いえ、その……隊長は一般的な体格ではないので。」

「……確かに。そうであるな。では、せめて運転をしよう。後部席でレクチャーを頼む。」

「承知致しました。」


 何気ないやり取りだったが、それが気に食わない者がいた。


「ベルウッド様。」

「どうした、ロッタ。」

「そろそろ教えていただきたいのですが、何故ベルウッド様はそのホビット族に従っているのでしょうか。」

「ホビッ!? 何を言っている! この方はれっきとしたヒューマンだ!」

「ヒューマン!?  馬鹿な! まだドワーフの方が理解出来ます! しかし、清潔感があるのでホビットに思えたのですが……。」

「口を慎め! この方は……この、方は……我の父であるぞ!」

「おち、ちちち、御父上様!? では、私の祖父であるという事でしょうか!」


 我ながら馬鹿な事を口走ってしまったと、隊長の顔色を窺う。しかし、無表情だ。何を考えているのかわからない。


「絶対嘘でしょ!」


 そう叫んだのは口調からしてアプリコットだろう。


「いえ、アン! 確かに言われてみればヒューマンとは思えない威厳、貫禄のある顔立ち、荘厳な眉毛。……何故私とした事が気付けなかったのでしょう。己の不明を恥じるばかりです……! 大変な失礼を……!」

「良き。」


 は!? 隊長……! まさかノッて下さると申すか! 


「既に全てはベルウッドに託したのだ。今は萎びた魂をヒューマンの身体で受肉したに過ぎぬ。」

「か、寛大なお心……! 貴方様は間違いなくベルウッド様の御父上なのですね! お会いできて誠に光栄です! アン! 私この世界に付いてきて良かったわ!」

「騙されてるってロッタ。目を覚まして。」

「はぁ……確かに常人からしたら至高なる御二方が眼前に降臨なされているという事実は信じられないわよね。何を笑っているの? ムーンランドとやらもスィトゥーとやらも、この恩寵に気付けないだなんて哀れだわ。まぁ、この喜びは私だけが気付ける至福。貴方達も五千兆回転生して徳を積んだ頃に自分たちの愚かさに嘆き悔いるでしょう。無様ね!」


 高らかに勝ち誇るロッタの横でムーンランドとスィトゥーが呼吸困難に陥っている。


 俺は絶対二人を助けない。


 絶対にだ。

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