8
「ごめんね。気を遣わせて」
ゴホンゴホン、としょうちゃんの声が電話越し聞こえた。どうやら夏風邪は本当らしい。ひどい鼻声だった。
「もう熱は下がったんだけど……ヘックション! ごめんごめん。まだ咳と鼻がでるんだよぉ」
練習が終わり、祖母の家へ向かう道中、圭司は彼に電話をかけたのだ。2コールほどでしょうちゃんは出てくれた。きっとゲームでもしてたのだろう。圭司はどことなくホッと胸を撫で下ろした。
「見舞いにいこうか?」
「本当にもう大丈夫だよ。それに……」
「今日はお祖母ちゃん家に行くから」
「あっ! そうなんだ」
ゴホンゴホン!
驚きと一緒に咳がしょうちゃんから出てくる。
「来てくれるのは嬉しいけど、うつしちゃ悪いし……」
「咳と鼻水以外には、なにもないの?」
お祖母ちゃんの家――実家の瓦屋根が見えてきた。
「え?」
「いや、その……本当に風邪なのかな、って」
「うん、そうだよ」
「本当に?」
「昨日、エアコンつけっぱなしで寝ちゃったから」
圭司は家の前で立ち止まった。
呪いとかじゃないよね? 口が裂けても言えないと分かっていても、喉のすぐまで来ているその言葉をグッと堪えて、彼は聞いてみた。
「何か分かった?」
ううん――。
電話越しに、申し訳なさそうに友人が答えた。
実家の、気持ち程度の中庭が開けっ広げに見える。父と母の車を置いていた場所には、今は錆びた自転車や、水が入ったままのバケツだけ。母屋の横に、小さな溝を挟んで続く物置小屋もある。ベビーカーやなんやらを詰め込まれたそこは、学生時代の父の部屋だったのだ。
やっぱり、お化けの正体はクラスメイトたちじゃなかった。これで思い付くすべての道が閉ざされた。
「まだ充分に調べられてないから、今日もできる限り洗ってみるよ」
「うん。俺もそうする」
本当に、お前はいったい誰なんだ?
電話を切った圭司は、実家の玄関を開けた。
◯
微かにお線香の匂いがする実家の中は、隅々まで掃除が行き届いていた。
ヘルパーさんのお陰だ。仕事柄なのか、それとも順子よりも一回りほど歳をとっているからか、年寄りの扱い方には慣れているようで、頑固でプライドだけは高い祖母と、仲良く話していた。
「しっかりしたお孫さんですね」
「ええ。もう受験生なのよ」
二人はリビングで再放送のドラマを見ていた。祖母は、窓際の自分専用のチェアに腰掛け、ヘルパーさんはその隣でテレビに見いっている。
「あの俳優さんに似て、男前ですねぇ」
「礼子さんったら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
圭司が来たからと、机の上にお煎餅とチョコを並べてくれていた。
勉強はどう? 部活は? と、色々な質問をしてくる祖母には、痴呆の影は見られなかった。だけど、新しい暮らしのことだけは決して聞いてこなかった。
やがてドラマが終わり、ヘルパーさんがテレビを消して立ち上がった。
「買い出しに行ってきます。何か食べたい物はありますか?」
圭司くんも食べるでしょ? と聞かれ、圭司は「うん」と答えた。そうだ、母に連絡しなくては。
「なら、腕を奮わなきゃ」
笑顔で出掛けるヘルパーさんを見送り、リビングには祖母と二人きりになった。
祖母はチェアに揺られ、小さくなる鼻唄を歌っていた。網戸の窓から風が入り、カーテンレースが揺れる。
次第に鼻歌は小さくなり、寝息となった。圭司は広げていた勉強ノートを閉じると、見計らっていたかのように持ってきた数学のノートを代わりに広げる。
――ぼくはころされた。
実家の薄暗いリビングで、居眠りをする祖母の隣でノートを見つめていると、風も無いのにどこからか風鈴の音が聞こえてきた。
何かの気配が感じる――。
この家には祖母と自分しかいないはずなのに、足音は聞こえずとも、誰かがどこからかやってくるような気がした。
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