第111話 カレンの話

 カレン


 観月は私の替えの下着を買ってきてくれると帰っていきました。


 センセは今お風呂に入っています。

 今のうちに着替えておきましょう。

 観月が買ったくれたといってもさすがにコンビニの下着はシンプルな黒色の物でした。黒というのはちょっと恥ずかしいですけど、仕方がありません。見せるような出来事が起きるわけがないのですから大丈夫でしょう。


 リビングで着替えるのは恥ずかしいのですが、他人の部屋に勝手に入るわけにはいかないので仕方がありません。


 歩波さんの家ですけど、センセの家でもあります。

 センセが一緒にいるわけですから服を脱ぐというのに変な気分になります。少し大きめの歩波さんのパジャマを脱ぎました。


 ◆


 俺は前に泊まり込みに来ていた時に何着かを着替えを置いていたから困ることはない。カレンの着ていたドレスはハンガーにかけて歩波の部屋に置いてある。


 念のため脱衣所の鍵はかけておいた。何もないとは思うが念のためだ。


 濡れた髪をタオルで乾かしながら脱衣所の鍵を開けると、カレンが部屋の中から窓の外を見ていた。


「サンタでも見えるのか?」

「ムゥ……そんな子供じゃありません」


 カレンを見ているとまだサンタを信じていそうだ。

 だって、シルビアですら日本に侍がまだいると本気で思っていたくらいだ。ちなみにこれはシルビアという特殊な人間に限った話だけではなく、本気でまだ侍がいると思っている外国人は大勢いるらしい。


 俺は窓の外から離れるとカレンも俺の後ろについてきて俺と同じソファに膝を抱えるように座る。


 スマホをいじっているとカレンがじっと俺の方を見ていることに気が付く。


「どうした?」

「センセは……どうして私を家に入れてくれたんですか?」


 誰かに見られでもしたら俺の立場が危うい。確かに事案案件だ。

 家出娘を保護していたら誘拐事件として処理されていた、というのはよく聞く話である。


 けれども、あんな顔をしたカレンを他人に任せることなんて俺にはできなかった。

 もちろん、この判断は自分でも間違っているとは思っている。本来ならば警察に届けるべき案件だ。


「……まあ、なんとなくだ。あんなところにずっと一人でいたら変な奴に声をかけられてもおかしくないし」

「あ……」

「もしかして声かけられたのか?」

「だ、大丈夫です。英語で話すと大抵の人は逃げていってしまうので」


 大学時代のシルビアも似たようなことをしてナンパを撃退していたな。日本人ではない2人だからできる技だろう。


「ケーキありがとうございました。とても美味しかったです」

「なら、あれは俺からのクリスマスプレゼントっていうことにしておいてくれ」

「えへへ……嬉しいです」


 カレンははにかんで笑う。そういう笑顔を見るとちょっとドキッとしてしまう。


「……センセ、私の話を聞いてくれますか?」


 笑顔からちょっと気丈に顔を挙げて俺に話を聞いてほしいという。

 きっと家に帰れなくなったという理由だろう。


「……ああ。俺でよければ」


 すると、カレンは少し腰を浮かして俺の方へと近寄り座りなおす。彼女からはほんのりとボディソープのいい香りが漂う。同じボディソープを使っているはずなのになぜこんなに違うのだろうか。

 俺は距離を取ろうにも端に座っているのでこれ以上は移動することができなかった。


 そのままカレンは横に倒れると頭を俺の膝の上に乗せる。


「お、おい。なにやってんだ」

「顔を見ながらだとちょっとできないお話なので……このままで……」

「……」


 それを言われると引きはがすこととは難しくなった。

 カレンの頭がちょっと微妙な位置にあるので、むやみやたらに動くこともできなくなる。俺は持っていたスマホを横に置くと、仕方なしにこのまま話を聞くことになった。


 音のない部屋にカレンの声だけが聞こえる。


「……私は今の家に養子として引き取られたのは中学生になった時です。血の繋がったお父さんとお母さんが事故で亡くなってから遠縁の……今のお父さんとお母さんに引き取られたんです」


 その辺りの事情は聞いている。

 学校では家庭の事情に不用意に触れてしまわないようにそのようなことは秘密裏に知らされる。


「もしも引き取ってくれなくなったら、私はここにはいません。もしかしたら、こうやって学校に通うこともできなかったかもしれないので、今のお父さんとお母さんには返しきれない恩があるんです。だから、私はできるだけ両親の願いに応えたいです」


 引き取ってくれた両親への恩返しか……。


「日本語も最初は大変でした。最初は髪の色も顔立ちも珍しがられていましたが、言葉の通じない私は中学で腫れもの扱いされることが多かったんです」


 日本には外国人に閉鎖的な部分がある。

 中学の時にカレンへのいじめも一因しているのだろう。


「けれど、家に帰るとお父さんもお母さん温かく迎えてくれてました。シルビアさんも一緒に暮らすようになってもっと楽しくなりました。言葉の通じやすいシルビアさんに日本語もちょっとずつ教わって、学校の勉強にも何とか追いつきました」


 言葉も通じない、常識も異なる中で生活をするのは決して楽なことではなかったはずだ。カレンの努力は途方のない物だったのだろう。


「先日、私の母国の親戚が家に来たんです。その人がお父さんとお母さんに私を故郷に帰すという話をしているの聞いてしまったんです。「年の近い子供もいるから一緒に暮らさないかって」今日はその打ち合わせを兼ねて話をしに行く予定だったようです」

「転校ってことか?」


 俺の問いかけにカレンはゆっくりと頷く。


「お父さんとお母さんもとても乗り気で……今日の準備をしている間に私は家を出てきてしまいました」


 親としては子供に最適な環境を用意してやりたいということだろうか。

 カレンのことを嫌っているというわけではない、むしろ大切に思っているからこその判断なのだろう。ただそこに、カレンの意思が伴っていないだけだ。


「カレンは故郷のことが嫌いなのか?」


 俺が尋ねるとカレンは俺の膝の上でフルフルと首を横に振る。


「嫌いではないです。けれども……」


 カレンは俺の膝から頭を挙げると俺に訴えるように話し出す。


「私は日本で暮らしたいです。お父さんもお母さんも大好きです。部活の友達も好きです。観月たちも好きです。みんなと離れたくありません」

「それを、ご両親には伝えたのか?」

「いえ……私がそんなことを言える立場でないのは……」


 両親の言う通りにしないと家にいる資格がないか。

 カレンは自分の立場に負い目のようなものを感じているのかもしれない。

 カレンもカレンで自分の気持ちを伝えることをしていなかった。



「……だ、そうですよ。そのあたりのことをもうちょっと話した方がいいのではないのでしょうか」



「え?」


 俺はスマホに向かって呼びかけるように話しかける。

 俺のスマホは真っ暗だが、画面の明かりを暗くしただけで通話中になっている。


 通話先はカレンのご両親の電話だ。父親か母親かのどちらかはわからない。

 カレンが風呂に入っている間にシルビアから連絡が入った際に、俺の連絡先を教えておいたのだ。


 それでカレンの気持ちを聞き出すためにカレンが話をするタイミングでカレンの両親スマホに連絡を入れた。こちらの話は全て電話向こうに筒抜けだった。


 俺はカレンにスマホを渡すと電話に出るようにと促す。

 カレンはまだ状況が呑み込めていないようだったが、スマホを耳にあてる。


「あ……お父さん……はい、はい……すいません」


 そのままカレンには通話を続けさせると俺はリビングを出る。

 俺が聞いていい話題ではないと思い、カレンの電話が終わるまで俺は席を外すことにした。


 カレンを騙した様であまりいい策とは言えないが、今回は大目に見てほしい。

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