第80話 日常②
夕葵との会話から3日が経った。
あれから特に彼女と何かあったわけではない。
夕葵は学校を休むことはしないし、率先して俺の手伝いをしてくれる。
ただ、よく彼女の笑顔を見る機会が増えてきたような気がする。
――吹っ切れたのか、それとも俺が彼女をよく見るようになったのか。
朝のHRも終わり、次の授業までの準備時間。
俺は1組で授業があるので、HRが終わってもそのまま教室で待機していた。ざわめく教室中では、昨日のテレビの話をしたり、SNSの話題で盛り上がったり、今日の予定について話している生徒がいて、それぞれ過ごしていた。
文化祭まで1ヵ月を切っている。
文化祭が近いからか学園内の空気に学生たちも釣られ楽しげな雰囲気を出している学生。
実行委員会が準備進めているが、これからは設備の設置や地域住民への許可など放課後も使って準備していかなければならない。ますます忙しくなってくるというわけだ。
チャイムの音が響くと、廊下からバタバタを足音を立てて、教室に入り自分の席に着く。
「起立」
夕葵の凛とした声が教室に響く。
彼女の声だとやっぱり、気を引き締められる。
生徒たちが席に着くのを確認し、教室内を見渡し授業を始める。
「じゃあ宿題の答え合わせからしようか」
3日前に宿題として、渡したプリントを解いてくるようにと伝えた。
俺の発言によるクラスの子たちの反応はまちまちだ。
明らかにやっていないという顔をしている生徒もいれば、当然のようにプリントを机の上に出す生徒もいる。今日の授業は宿題のプリントを説明しながら授業を行っていく予定だった。
「じゃあ、歩波。問1から答えを言ってみろ」
「何で私から!?」
何の脈絡もなく歩波を指名したのでバカ妹は驚く。
これはにちゃんとした理由がある。
「お前が宿題やってないのを知ってるからだよ」
昨日まで俺が寝るまでずーっとテレビ見てたりとか仕事の自主練してたもんな。やれる機会はいくらでもあったのにやっていなかったのを知っている。俺が怒っていないとでも思ってるだろうか。
「だったら言ってよぉ」
「お前だけ特別扱いしないよ。ほかに宿題忘れた人は手を挙げなさい」
おずおずと、手が上がり始める。大体、クラスの三分の一程度か。
いくらなんでも多い。ここは少しきつめに言っておこう。
「文化祭が近いからといってちょっと浮かれすぎ。特に男子、全滅はひどいぞ」
とりあえず、一番前にいる相馬から忘れた理由を聞いてみる。
「しょうがないですよ。昨日はカナエに「会いたい」って言われて」
「相馬! お前彼女ができたのか!?」
「裏切者!」
相沢、斎藤が相馬を問い詰める。とりあえず授業中だから席に座ってろ。
「ふっ……両親を紹介してもらい、とうとう告白された。今日も彼女は俺のことを待っていてくれるんだ。画面の中で」
「あ、なんだゲームか」
「カナエって確か、前のアップデートで登場したキャラだろ。もう攻略かよ」
だったら、その彼女はきっと電源を入れるまで待っていてくれるだろうよ。
というより、そのカナエというキャラで思い出したが、歩波が収録したゲームにそんな設定があるのを思い出した。
ちなみにそのゲーム、スマホ版もあるらしく、どこぞのメイドがシャレにならない金額をささげているのでよく知っている。
最初は、主人公にやたらと媚を売る女キャラだったのに、選択肢によってはヤンデレとなるようで、声に出して読むから耳に残っていた。決してスマホのギャルゲーをプレイしたというわけではない。ただ夜中に病んでるセリフを練習すのはやめてほしいんだよな。
男子たちが話している間に歩波は隣の子の宿題を見せてもらっていたので、生徒名簿で殴っておいた。
「それで、もうじき彼女の誕生日なんですけど。そのプレゼント……ワンピースか指輪で迷ってしまっていて、付き合って最初のプレゼントに指輪は重いかなって、でも俺の変わらない気持ちを表現するには……けれど、あのワンピースも絶妙で、気が付いたら朝でした」
まあ、今はそれより――
「今日の放課後に反省文か。ここで
ちなみに相馬の保護者からも適度な指導の許可をもらっている。
お母さん曰く、もう少し現実に目を向けてほしいとのことなので、「ゲームの話をしたら、顔面平手打ちまで可」だそうだ。なかなかにハードだ。
「彼女と過ごす時間を減らしたくないので、生徒名簿で」
「了解!」
とういうことで遠慮なくさせてもらった。
でもきっとこいつには効果はいだろう。本格的に何か対策を立てたほうがいいかもしれない。
「それで、ほかの子は?」
「はーい、私もでーす」
元気よく返事をするのは、皆口さんだった。
この子は俺のことを「お兄ちゃん先生」と最初に呼びだした生徒であり、色々な意味を含めて俺限定の問題児だ。
「皆口さん……なんでキミ。ほかの先生の宿題は忘れないのに、俺の時は忘れるのかな?」
あまりにも忘れ物が多いので、他の先生方に聞いてみたことがあるが、「そんなことはない」という回答をされた。
つまり、俺の授業だけ忘れてくるのだ。この子は……。
「そうしたら、先生がいっぱいかまってくれるじゃないですかー」
ほかの女生徒たちは「その手があったかー」みたいな顔しないで。これ以上増えたら、俺が叱られるから。
「俺はちゃんと宿題やってきてくれる方が嬉しいけどね。今期の成績表がひどいことになっちゃうから」
「はーい」
「本当にわかってる?」
あとは純粋に忘れてきたとか、やってきたけど忘れたという、ありきたりな理由だった。男子たちは遠慮なく生徒名簿で叩いていくと、一人の生徒の前に立つ。
「あ、あの、月曜日は休んでいたので、宿題を知らなかったのですが……」
「夕葵か……」
珍しいこともあるものだ。報告を忘れていた俺の所為でもある。
仕方がないといえば仕方がない。周りの子たちも、夕葵なら問題ないと思ったのだろう。現に涼香さんが手の平を合わせて夕葵に謝罪している。
シュンと肩を小さくして落ち込む夕葵。
「……まあ、今回は仕方がないね」
「気にしないで」という、ニュアンスを含んで頭をなでる。
夕葵はうつむきながら小さな声で返事をするが――、
「なんだそれは! 不公平だ!」
「男女平等!」
「女子には叱らないのか!」
「そうだ! なんで私だけ殴られたんだー!」
男子の猛抗議が始まる。
歩波も混じるな。お前は厳しめにしないと贔屓だとか言われるから、あえてやってるんだよ。
「夕葵は、たまたまだからだよ! 普段の自分を見直せ!」
そう言われると、男子たちは心当たりがあるのかおとなしくなり、俺は授業を始めた。普段の信頼ってこういう時に大事だよな。
◆
観月
「高城先生と何かあった?」
「前に話した通りだ。少し話をさせてもらっただけだ」
授業が終わって昼休み。
アタシたちは昼食を食べながら、涼香が夕葵と歩ちゃんの関係を尋ねた。確かに前よりも距離感が変わった気がする。けれど、夕葵の返答は「特に何もなかった」って、冷静に返すだけ。
「頭まで、撫でてもらっちゃって」
「カレンや観月もよくされているだろう。むしろ、私の方がうらやましかったくらいだ」
「アタシも宿題忘れてこればよかったかなー」
「そんなことしたら、観月はきっと私と同じ目に遭ってたよ」
歩波にそう言われると、確かにそんな気もする。
なんだろうか、普段の行いの差かな。
「今回忘れた人には、また別の課題出されちゃってさー」
「文化祭で放課後はみんな忙しいですし、終わったらすぐにテストがありますから」
「あー……大変だねぇ」
「歩波、他人事じゃないよ」
テストか。確かに、もうちょっとはやっておいた方がいいかな。
「前みたいに勉強会でもする?」
「お願いします!」
アタシは涼香の提案にすかさず食いついた。
「それって、今度の土日から?」
歩波も乗り気なのか涼香に尋ねる。
「特に決めてないよ。平日でも集まれる人だけ集まって勉強するだけだし。今度の土日に用事でもあった?」
「お母さんたちがこっちに引っ越してくるから、その手伝い。それを知ってるのに、追加で宿題出すとか……鬼ですか、あの兄貴は」
「歩波さんも引っ越すのか?」
「うん」
せっかく仲良くなれたのに、陽太もさみしがるだろうな。
ほかにも今まで何人の人が引っ越していったけれど、友達だった人はいない。アタシも寂しいかも。
「なら、私たちも引っ越しの手伝いに行こうか?」
「え、悪いよ」
「私は大丈夫だ」
「私もお手伝いします」
手伝いたいという気持ちもあるけれど、歩波の両親ということは歩ちゃんとも家族みたいなものだし、会ってみたい。
ということでアタシも便乗させてもらう。
「ウチとしてはすごく助かるけれど、いいの?」
「もちろん」
「ありがとう。家具とか大きいものは業者さんがやるみたいだから、詳しい時間はまた連絡するね」
歩波から詳しい住所を聞くと、駅の近くのマンションだ。
「あ、それと。手伝いにはちゃんと兄さんも呼んであるから」
と、茶目っ気を含んだ笑みで一言添えると、アタシたちの中で今回の要件が最重要案件へとなった。
◆
金曜日。
大学の同期や後輩もちらほらと顔を見せる小さな集まりであるフットサル。
駅前のデパート屋上で透たちと楽しんでいた。
今日のフットサルには静蘭のサッカー部もいれば透の学園の生徒もいる。部活動の一環でもないし、強制でもない。週末に時間のある部員だけが集まっている。
ウチと透の学校だとレベルの差がありすぎるから、練習試合を組んでやることはできないが、こっちはいい勉強になる。
「へー、景士さんたちもこっちに引っ越してくるんだ」
休憩中に透たちと近況を報告しあっているとそんな話題となった。
グラウンドでは、藤堂や長井たちが透の学園の生徒と試合をしている。静蘭で天狗になっていた長井ら推薦組には同学年の格上選手というのはいい刺激になる。
「やっぱり、仕事の関係?」
「それもある」
「僕も手伝いに行こうか? 昼からになるけれど」
「それでも助かる」
貴重な男手を確保できた。今度の飲み代は俺が出させてもらうことで取引は成立。
業者といえどあまり、見知らぬ人を家族の住む家に入れたくはなかった。
その点、透なら何も心配いらない。無条件に信頼できる。
「へー、高城の妹か……どんな子だ?」
大桐がふと疑問に思ったのか、そんなことを透に尋ねる。そういえば、こいつには会わせたことがなかった。
「可愛い子だよ。ちっちゃい時はよく歩の後についてきたりしてた」
あれは俺じゃなくて透に付いていこうとしてたんだよ。
勉強しているときでも意地でも透の膝の上に座りたがるわ、試合の応援に来ていた。それを透は全部俺に付いてきていると思っている。歩波の気持ちは当分空回りしそうだ。
「ボクもプールであったことがあるよ。ちょっと似てるよね」
百瀬も本来ならこの時間帯は仕事だが、今日はオフだったらしく参加していた。
首にかかっているタオルがウサギの詩集が入っている。そういうところが誤解を招くんだぞ。
「百瀬。俺と似てると言われてもあいつは喜ばないぞ」
「そうかな? ボクだったら歩君に似てるって言われたら嬉しいよ?」
素でそう返されると、照れ臭い。
「荒田先生にも「男らしい」とか似たようなこと言ってないだろうな」
「あ……」
この反応、無意識のうちにカッコいいとか男の人に向けるような称賛の言葉を送っているのかもしれない。人によっては結構傷つくから控えたほうがいい。普段、女っぽいって思われているお前ならよくわかるだろ。
「そうだよ! それだよ!」
「何がだ、大桐」
突然、百瀬に詰め寄る大桐。
ぶっちゃけ襲いかかろうとしているようにしか見えない。荒田先生が見ていたらを思うとゾッとする。
「百瀬に彼女だよ! お前だけは俺の同志だと思っていたのに!!」
「百瀬は結構、モテるぞ。お前とは違う」
「男からだろ!」
その通り。
フットサルに参加している生徒たちの中にも百瀬を女性と勘違いし、必死に口説いていた哀れな被害者がいると聞いている。
「お前こそ。CAとナースとの合コンはどうなったんだよ。またダメだったのか?」
「馬鹿を言うな! 手ごたえはあったぞ。そのうちの1人と11月31日に会う約束していてる。ゴールは近い! お前らを置いて先に彼女を作ってやる!」
「「「11月31日?」」」
大桐の話を聞いて、俺たちは憐れむような視線を大桐に向ける。
「大桐。片付けが終わったら飲みに行こう。おごってやる」
「今日は好きなだけ食べていい」
「武蔵くん。ならできることはするから、ね」
俺たちは大桐の肩を叩き、飲み屋へと誘った。
大桐は馬鹿みたいに食べるが、今日はいいだろう。好きなだけだべさせてやろう。
「俺の前祝いみたいなものか。いやー悪いねぇ」
「「「………」」」
嬉しそうに言う大桐。そんな彼に俺たちは何も言えない。百瀬に至ってはちょっと涙目だ。
「なあ、なんでそんなかわいそうなものを見るような目で俺を見るんだ?」
今日だけ、今日だけは大桐にやさしくしてやろう。
真実を告げるのも、もう少し後でいいだろう。
――暦に11月31日は存在しないと。
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