第64話 勉強合宿 三日目

  観月


「ん、ここは?」


 アタシは目を覚ますとまず目に入ったのは無機質な真っ白な天井だった。

 アタシが寝ているのは簡易的なベッド。

 それを覆うように備えられているカーテンレール、そして鼻につくような薬品の匂い、アタシが着ているのは病衣。


 なんとなくだけど、ここがどこか理解できた。


 ――なんで、アタシ……病院なんかに。


 とりあえず、頭のところにあるナースコールを押して看護師さんを呼ぶ。

 すぐに看護師さんとお医者さんが駆けつけてくれた。


「よかった、目が覚めたんですね。先生を呼んできてください」


「はい」と返事をして看護師さんは外へと出ていく。


「あの、アタシどうしてここに……よく覚えていなくて」

「よくあることだよ」


 お医者さんから話を聞いていると、アタシはその時のことをはっきりと思い出した。

 つかみかかってきた仏田の手を振り払おうとして勢いあまって落ちたんだ。

 あんなに流れのはやい川に落ちて、よく助かったよねアタシ。 

 あれから半日経過しているみたいで外はすっかり夜になっていた。日付だって変わっているみたいで合宿の3日目になっていた。


「水もあまり飲んでなかったし、おぼれたときに慌てて体力を消耗して疲れて眠っていたみたいだね。先生の処置も適切だったし、すぐに退院できるよ」


 先生?

 あ、そういえばだれかにつかまった記憶がぼんやりとある。

 つかまった瞬間に何だか安心しちゃって、力が抜けちゃったんだ。誰かが呼んでくれたような気がするけれど、あまり覚えていない。


「沢詩さん、大丈夫!?」


 ノックもせずに向島先生が病室のドアを開けた。

 少し驚いたけど、それだけ心配してくれたということだ。


「先生、落ち着いてください。少し水を飲んで、疲れて眠っていただけですから」

「でも高い岩場からから落ちたんですよ! 頭だって打ってるかも」

「もう大丈夫ですから」

「ああ、本当に何事もなくてよかった……」


 うっすらと目に涙を浮かべている向島先生にアタシは少し申し訳なさを覚えた。


「ことの顛末は高城先生からうかがっています。乱暴されそうになって岩場から落ちてしまったようですね」


 乱暴、なのかな。

 無理やり振り向かされそうになったことに抵抗したんだ。しばらく仏田の顔を見たくなかったし。


「ん? なんであ、高城先生が知っているんですか?」


 あやうく、先生の前で歩ちゃんって言いかけた。

 誰にも話せる内容じゃないし、そもそも事情を知っているのはアタシか仏田のどっちか2人だけだ。


「沢詩さんを助けたのが高城先生だからですよ」


 そういえば、なんとなく覚えのある手の感触だった。

 そっか、助けてくれたのは歩ちゃんだったんだ……。心配かけちゃったかな。


「でも、素人が川へ飛び込むだなんて、自分も危ないのにあの人は……」

「あ、あのアタシを助けてくれようとしたので、あまり怒らないでください」

「私からはもう何も言いませんよ。さっきまで消防署の方に厳重注意をされていましたから」


 うわ、歩ちゃん……ごめん。アタシのせいで叱られちゃって


「でも、それだけあなたのことが心配だったのでしょうね。ホテルにも帰らずここで目が覚めるのを待つって聞きませんでしたから」

「……」


 期待するなよアタシ。

 あの人は生徒だから助けてくれたんだ。アタシだからっていうわけじゃない。


 けれども、心臓が高鳴るのは止めようがなかった。


「高城先生呼んでくるから、元気な姿を見せてあげて」

「はい」


 そう言って、向島先生は病室から出ていく。

 助けてくれたことに感謝と、危ない目に合わせてしまった罪悪感でどんな顔して会えばいいのかわからなくなってきた。


 ――どんな顔して会えば……ん?


 その時アタシは今の自分の格好を思い出した。

 メイクは今更だけど、高校生になってからはノーメイクの顔なんてほとんど見せたことはない。


 アタシは今病衣を着ている。けれど、その下はどうなってるのかを――。


 当然、下着は濡れて脱がされた。なので……。


 ――アタシ、ノーブラじゃん!


 下はおそらく病院のものであろう白のダサい下着が履かされていた。

 けれどもまずはブラだ!


 慌ててアタシの着ていた服を探す。


 だめ、見つからない! どこにあるの!? 今ならあの時の夕葵の気持ちがわかる。これは焦る!


 あ、この椅子下に収納スペースがある。座面を持ち上げるとアタシの制服が片づけてあった。

 乾かしてくれていたみたいで、きれいに畳まれた状態でアタシの制服があった。


 ――急いで着替えよう!


 甚平タイプの病衣でそれさえ脱げばすぐに下着だけになった。

 病室でパンツ一枚なんて気にしていられない。だってあの人にこんな格好を見せる方がもっと――


「観月……あ」


 恥ずかしい……え?


 ノックもせずに入ってきたのは向島先生が呼びに行っていた歩ちゃんだった。

 その歩ちゃんはアタシを見た瞬間に固まった。アタシも固まったけれど、動いたのはアタシの先だ。


「き……」


 大きく息を吸い込む。すぐに扉は閉められたけれど、アタシは声を止められなかった。だってアタシが歩ちゃんの前で見せたことのある中で間違いなく一番恥ずかしい姿を見せたのだから。


「きゃぁぁあああああああ!!!」


 


 ◆


 とりあえず、夜間の観月の絶叫を聞きつけた看護師さんたちを観月が追い返して、一発殴られた後のことだ。


 まだ、顔を赤くして衣服を整えながらベッドへと戻る観月を見て「ああ、無事なんだな」とようやく実感できた。

 少しの間お互いに何も話さなかったっけれど、観月のほうから口を開いた。


「……なによ、じっと見て、えっち」

「おとなしく殴られたんだから許してくれ」


 これはしばらくこの件で責められそうだ。

 確かにノックを忘れた俺が悪かったけれども、一刻も早く無事な姿を見たかったのだから仕方がない。


「……ありがとね」


 それが俺に対するお礼の言葉を言われたと少し遅れて理解する。


「ああ、すぐに助けられてよかったよ」

「川に飛び込んだんでしょ、危ないことしないでよ。歩ちゃんに何かあったらって思うと……」

「それについては、レスキュー隊にめちゃくちゃ叱られたから言わないでくれ。そもそも、俺が最初に見つけていたらこんなことにはならなかったはずだ」


 あの後のことを俺は少しずつ話していく。


 おぼれた観月を岸へあげると処置を済ませている途中で、ほかの先生が俺たちを見つけてくれた。

 すぐに救急車が呼ばれたがその時には呼吸も落ち着いていたので、俺と向島先生がここまで付き添ってきた。


 観月を心配していた生徒がいたことや、一生懸命に動いていた人がいたことを伝える。


「あ、ママや涼香たちに連絡しないと」

「お互いのスマホは水没して使い物にならなくなったからな、連絡は向島先生に頼んである」

「スマホかー、アプリのデータも消えちゃったかな」


 そういう心配をするあたりは女子高生らしい。俺だってスマホは壊れた。新しいのを買わないとな。


「……そういえば仏田は?」

「あのバカならホテルで謹慎だ。処分は学園に帰ってからの職員会議で決める」

「ふーん。でも、よくアタシと話していたのが仏田だってわかったね」

「あの時、電話はまだつながっていたからな、俺が観月が落ちる現場も見た。あの後、逃げて部屋に引きこもっているのを無理やり引きずり出されたらしい」


 どのみち観月の意識が回復したら逃げ場なんてないだろうに。無駄な抵抗だ。


「そっか、聞かれてたんだ」

「……今までも、ふざけた告白されていたのか?」

「まあねー。ぜんぶ断ってきたけど。今回、言ってやりたいこと全部言ってやれてすっきりしたよ」


 観月がそんなことをされているなんて知らなかった。

 罰ゲームで告白だなんて自分がされたらどんな心境になるかはわかるだろうに。

 それを観月は誰にも言わなかった。結構、こいつも自分の中にため込むタイプだな。


 俺も観月に秘密にしていることはある。

 恋愛にはちょっと潔癖な観月には言わないでおこう。ショックを受ける可能性だってある。


「……そうか、なんかあったら言えよ?」

「うん」


 そういうけれど、いまいち信用できないんだよな。

 じっと観月の顔を見て嘘じゃないだろうかと疑う。観月は俺の視線に気が付いたのかさっと顔をそむける。怪しいな。


「……あんまり顔見ないでよ。メイクしてないから恥ずかしいから」

「別にあんまり変わらないだろ」

「はぁ? なに? 化粧映え顔しない顔って言いたいの?」


 え? 何で怒ってんの?


「い、いや違うぞ! 決して悪い意味じゃない!」

「ふんっ」


 ――化粧していなくたって可愛いだなんて言えるわけがないだろう。


 そういう男の照れくささは察してほしい。

 そのあと、拗ねた観月をなだめるために売店でプリンを買ってくると観月の機嫌を取ることができた。


 ……

 ………

 …………


 夜もだいぶ更け、今日1日は安静のため入院という形をとらせてもらうことになった。回診の際に先生が再び様態を見に来た。


「よし、もう元気そうだね。先生の処置も適切だったようですしね。過去に救命にかかわったことがあるのですか?」

「講習を受けただけですよ。思い出せてよかったです」

「ご謙遜なさらないでください」


 決して謙遜ではないので、ちょっとこの話題は避けたいんですよ。

 だが、先生の口は止まらない


「とっさの場面で動けるだけでも大したものですよ。いきなり”人工呼吸”なんてなかなかできませんから」


「……え? 人工呼吸?」


 その言葉に反応したのは観月だ。

 先生、患者がそういうことに敏感なお年頃だというのをお忘れではないでしょうか。


「では、私はこれで」


 言いたいことだけを言った先生が病室から出ていき、何も言わない観月と何も言えない俺だけが病室に残された。


「……」


 観月は自分の指を唇にそっと当てる。

 何を意識しているのかは俺でもわかった。

 さっきあんな格好を見たときに一度俺を殴った観月だ。


――これは一発どころじゃあ済まないかもしれないな。


 いや、もしかしたらしばらく口をきいてはくれないかもしれない。それはそれで結構きつい。さっきみたいにプリンで機嫌は直ってはくれないだろうか。


 そんなことを考えているよりも先にすべきことがある。

 黙っていた方が双方のためって思っていたのだが、ばれてしまったのならば仕方がない。


「……悪かった。その、助けたときにな……」

「……」


「言い訳にしかならないだろうけれど、あの時はこれしかないと思ったんだ」

「……」


「観月がそういうのを大切に思っているのは電話で聞こえてきた。だから、謝って済む問題だとは思えないが……すまん。好きな人がいるとは聞いたけど」

「うん」


「今回のは犬にかまれたものだと思って忘れてくれ」

「……歩ちゃん」


 妙にはっきりと聞こえる観月の声。

 なんだろう、いやな予感がする。


「ちょっと、顔こっちに近づけてくれない?」

「……わかった」


 いよいよ殴られるかと思い覚悟を決めて顔を差し出す。


 そっと妙に優しい手つきで頬に手を添えられる。

 頭突きでも来るかと思い、歯を食いしばると――


 俺の左頬に柔らかい感触をしたものが押し当てられすぐに離れた。


 一拍間があいて、観月が俺の頬に唇を当てたのだと理解できた。

 驚いて観月を見ているとイタズラが成功したというような笑みを浮かべている。


 けれども、観月がイタズラでこんなことをするわけがない。


「……歩ちゃんにされてイヤなわけないじゃん」

「観月……?」


 ――おい、それってどういう意味だ。


「あー何も言わなくていいから。アタシの気持ち知ってくれているだけでいいから。知っていると思うけどアタシ、冗談でこんなことしないし」


 そう言われて、観月と仏田のやり取りを思い出す。


 ――まてまてまて! ということはなにか、観月のずっと好きな人って……。


「さっきのは犬にかまれたものだと思って忘れてよ」


 俺が言った言葉をそのまま返す。

 真っ赤な顔で小さく舌を出した後、いつもの意地悪い笑みを浮かべる観月だった。だったら、あの時のキスのこともやっぱり――。


 問いただそうとすると、部屋の扉をノックする音が聞こえてくるので慌てて観月と俺は距離をとった。


「高城先生。もう遅いのでホテルにお戻りください。ご家族の方が朝には沢詩さんを迎えに来てくれるそうです。あら、沢詩さんは顔が赤いわね。風邪でも引いたのかしら。高城先生も」

「あはは、そうかもしれません」

「じゃあ、俺帰りますね!」


 結局、向島先生が部屋に入ってきたことで何も聞くことができなかった。


 ◆

 観月


 向島先生も部屋から出て行って、スマホも故障しちゃったから何もすることがない。

 部屋の電気も消して、月明かりだけがアタシの病室を照らしている。布団をかぶってもう寝るだけだ。時間的にも眠ったほうがいい。


 けれど、アタシはなかなか寝付けないでいた。


 目を閉じると思い出すのはさっきのこと。


 唇に手を当ててあの時の感触を思い出す。もうこれで何度目になるのかもわからない。


「~~~っ~~!!」


 嬉しさや後悔、恥ずかしさいろんな感情がまじりあってアタシは布団の中で何度も悶える。シーツや布団がもうぐちゃぐちゃだ。


 枕を抱きしめて、顔をうずめる。


 ――……ほっぺ意外に柔らかかったなぁ。


 パパのはひげがあってやすりみたいだったけれど、歩ちゃんはそんなことはなかった。それに唇と指ではまるで感触が違った。


――もうちょっとロマンチックにしたかったのにっ!! 


 後悔したってもう遅い。

 知られちゃったんだから、アタシの気持ちを、ずっとずっと伝えたかった大切なことを。


 これから、どんな顔をして会えばいいんだろう。

 家だって近所なのに、会わない生活なんて絶対に無理っ!


 ――なに? 「犬にかまれたものだと思って忘れてよ」ってバッカみたい!!


 何でそんな風に格好つけてるんだか、恥かしくて穴があったら入りたい気分だった。


 もう以前とは同じような関係ではいられないと思う。けれど、近すぎるから恋愛対象として見られないのはいやだ。


 ――っていうか、嫌がられてたらどうしよう。歩ちゃんのことも考えずにしちゃったけれど。


 その可能性のことはあの時は考えてもいなかった。

 でも、嫌われてはいないはずだよね。そう信じたい。


 今度はだんだんと不安に駆られる。

 これを機に嫌われることだってあるかもしれない。

 そもそも、アタシと歩ちゃんは生徒と教師の関係だ。生徒からこんな気持ちを向けられるのは迷惑だって思っても仕方がない。


 アタシより先に想いを伝えた2人――願っていた返事ではなかったけれど、2人もこんな気持ちになったんだ。


 けれど、諦める気なんて微塵もない。むしろもう後には引けなくなった。


――それに、これでおあいこだよね、歩ちゃん。


 アタシはもう一度目を閉じると今度は眠ることができた。

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