第60話 小休憩

 全員とウォータースライダーを滑り終わって、休憩場所に戻ってくる。


「随分とお疲れみたいですね」

「6回も連続で滑れば疲れても不思議じゃないけどな」


 疲れているのは肉体的だけじゃないのを知っているくせに聞くなよ。

 シルビアが買ってきてくれた昼食を取り出す。

 料金は俺が預かっているみんなのお金から渡した。こういうところの食事は、味は普通なくせに高値だ。


「私、カレーがいい!」


 歩波が真っ先にカレーに手を伸ばす。みんなも各々が食べたい食べ物に手を伸ばす。

 カレーは俺も食いたかったけど仕方がない。ロコモコ丼でいいか。


「あ……」


 カレーを食べようとしていた歩波の手が止まる。


「兄やん、ごめん。これシーフードカレーだった」

「なら、俺の食え」


 食べようとしていたロコモコ丼とシーフードカレーを交換する。


「魚介類は苦手でしたか?」


 俺と歩波が食べ物を交換したことに疑問を覚えたのかシルビアが訪ねる。


「いや、海老アレルギーなんだよ。知らせてなくて悪かった」


 歩波は重度な海老アレルギーだ。

 生の海老はもちろん、スナック菓子でも駄目だ。

 小学生のころ食べて救急車で運ばれたことだってある。それ以降は食事には十分に気を使っている。食べる直前に気が付いてよかった。


「そうだったのですね。申し訳ございません」

「ううん、私も言わなかったのが悪かったですし。食べる前に気が付いたから大丈夫です」


 昼食を摂りながらパンフレットを開き午後の予定を考える。


「この、闇プールというのはどうでしょうか? 水中で足を引っ張られるらしいですよ」

「引っ張るのはお前だろ」


 そんな危険なアトラクションあってたまるか。


「午前中も流れるプールでナンパしてこようとしたやつ沈めてただろ」

「夏のナンパはほとんどが“身体”目的なので自衛です自衛」


 何が自衛だ。

 やられるまえにやりすぎるくせに。今まで何人の男がお前に泣かされてきたと思っている。大桐に至っては声かける前に沈められていたぞ。


「ねえねえ、兄さん気になってたんだけどさ」

「ん? なんだ?」


 歩波がどこかわくわくするような目で俺に尋ねる。


「シルビアさんって兄さんの彼女なの!?」

「は?」

「「「――っ――!!」」」


 俺は一瞬何を言われたのか分からなかったが、少し遅れて理解が追いついた。

 彼女はいないってこと伝えていたし、なんでそんなことを思ったんだろうか。ほらシルビアがあきれたような目で見てるぞ。


「違う」

「ありえません」


 2人そろって即座に否定した。


「えー」

「こいつとは、そういう関係じゃないからな」

「シルビアさんはどう? うちの兄さん。顔はまあまあイケてると思うし、身長も高いし結構いい線だと思うけど」

「おい、俺のアピールポイントはルックスだけか」


 しかも身内びいきもあるだろう、信用性もない。


「それにほら、私も”お義姉さん”ほしいし」

「……………………」


 推しキャラから“お義姉さん”って呼んでもらえることを想像しているな。お前、本当にそれでいいのか。


 だが、ちらりと俺を見ると、大きくため息をついて――


「やはりこの人と結婚はしたくありません。勘弁してください」

「そこは普通「ごめんなさい」だろうっ!!」


 ていうか、なんで俺が振られたことになってんだよ。

 いや、別にショックでも何でもないんだけどさ。


 歩波もこの場で彼女の話とかするんじゃない。特に後ろの2人の前では。


「シルビアとはあくまで友達、それ以上も以下もない」

「うわ、つまんねー」


 俺とシルビアがそういう関係じゃないことわかっていて聞いたよな。彼女はいないって知っているはずだし、なんでそんなこと聞いたんだか。


「まあでもシルビアさんみたいな人、兄貴には勿体ないか」

「……フ」


 シルビア。どや顔で俺を見るな、腹が立つ。


「なんでお前は俺の彼女事情がそんなに気になるんだよ」

「えー、女子高生ならこれくらい普通だって」

「そういうお前はどうなんだよ」

「私はぁ~、おにいちゃんが一番大好きだから~」

「うっざ」

「酷くないっ!?」


 かなりうっとうしいわ。

 妹萌えとか言ってる連中は本当に意味が分からんぞ。シルビアそんな妬ましそうな目で俺を見るな。


「でさ、みんなは好きな人とかいないの?」

「「「「ふえ……」」」」


 歩波がいきなり話題を振るものだから聞きに徹していた4人は間の抜けた声で返事をする。夕葵さんもとは珍しい。


 ――っていうかそんな話題、今ここでするんじゃないっ!!


 声に出して叫びたかったが、ここで動揺すれば歩波に何を疑われるかわからない。それにここにはシルビアもいるんだぞ、妙にカンのいいこいつだ。正直この話題は避けたい。


「涼香さんとかいないの? 彼氏がいても不思議じゃなさそうだけれど」

「う、ううん。彼氏なんて今までいたことないよっ!」

「ウッソ、そんなにかわいいのに!?」


 歩波は心底驚いたかのように反応する。確かに歩波の気持ちはわからなくもない。


「同級生の男の子って乱暴でがさつだし、下品な話ばかりするし苦手で……」

「あー……わかるー」

「まったくだ」

「ハイ」


 それだと、大半の男子は撃沈するな。

 彼女に好意を寄せる多くの男子生徒は今この瞬間に止む無く撃沈した。


 だが、俺だってそういう例に漏れない学生生活を送ってきた。

 現状、そういうことができない立場だからしないだけだ。男同士で集まればバカみたいな話だってする。男なんていくつになっても子供みたいなところがあるものだ。


「ふーん、でもその言い方だと同級生以外で好きな人はいるの?」

「……今は片思い中かな」

「え、え!? どんな人!?」


 歩波が問い詰める中、一瞬だが涼香さんの目が俺のほうを向いた気がした。


「……いつも私が困っていたら助けてくれる素敵な|男性(ひと)だよ」


 好きな人のことを話す涼香さんは気恥ずかしそうだが、とても愛らしい表情をしていた。 


「女の私でも見惚れるくらいかわいいのに、いったいどんな人よ……」


 歩波は本当にどういう人かわからないというように、首をかしげる。

 俺もそれが本当に俺なのか疑わしいくらいだよ。


 もしかしたら、彼女の中では好きな人はとうに変わっている可能性だってある。俺の友人の家事の女は別れてから二日後には新しい彼氏ができていたし。


「いてっ」


 このまま恋愛トークが続くかと思っていたら、何かが俺の頭部を直撃した。柔らかいものがあったので痛みはないが、つい反射で声が出た。


「ビーチボール?」

「あ、きっとあそこからだよ」


 どうやら俺たちが座っている場所はビーチバレーコートの真裏のようだ。そこから飛んできたんだな。


 届けに行くためといいつつ席を立つ。


「すいませーん」


 ビーチボールの持ち主が俺たちのもとへと駆け寄ってくる気配を感じる。

 俺はボールを持ち主へと返すために互いに向かい合った瞬間――。


「あ?」

「あれ? 歩くん」


 俺の大学時代からの友人である百瀬だ。百瀬も驚いて足が止まる。


「「どうしてここに?」」


 と同時に口を開く。

 タイミングが全く一緒だったため俺たちは答えるのに一瞬間が空いてしまった。その間に――


「おーい! ちーちゃ~ん! はやく~~」


 職場でいつも聞く声が百瀬のことを呼ぶ。

 でも、あの人からこんな猫なで声が出るとは思えなかったし、聞きたくなかった。

 つーか百瀬、あの人に“ちーちゃん”って呼ばれてるのか。


「あ、嵐さん。ちょっとボールをぶつけちゃいまして……」

「そっか~。因縁つけられてるの? そういうことなら早く言ってよ~。またナンパ野郎は物理的に沈めてきてあげるか……」


 恐ろしいことを言いながら荒田先生は俺の顔を見て固まる。

 というより百瀬。またナンパされたのか。


 水着だから、上半身をさらしていればすぐに男だってわかるが、今みたいにTシャツを上に着ていたらわからないか。もしかしたら男だと知っていながら声をかけた可能性も捨てきれない。


「た、高城……」

「あ、荒田先生。ご機嫌よう」


 バカみたいな挨拶がつい口から出た。

 俺たちは互いに硬直しながら何もできずにいたが先に荒田先生の方に動きがあった。


 顔を真っ赤にして照れくささとごまかすためか、足元にあるビーチボールを俺の顔面に向かってブン投げた。ビーチボールとは思えないほどの威力が俺の顔面に突き刺さった。冗談抜きでホントに痛い!


「な、何でこんなところに居る!?」

「いったぁ~……前の球技大会の景品で招待券もらったからですよ」

「あ、歩君! 大丈夫!?」


 顔を抑えつつ、百瀬が俺を心配して駆け寄ってくる。男性の指とは思えないほど細くしなやかな指で俺の顔をソフトタッチする。

 おい、荒田先生がものすごい目で俺を睨んできるからやめておいたほうがいいぞ。


「兄さん大丈夫!? いますごい勢いで顔面に直撃してたけど」


 一部始終を目撃していた歩波が俺のもとへと来た。ちょっとまて、お前がここに来るってことは――


「高城先生! 大丈夫ですか?」

「痛そうです」

「あれ? 嵐ちゃん?」


 やっぱり君らも来るよね。

 うわ、どうしよう、どうやって誤魔化そうか。


「な、お前らまで何でここに……」


 荒田先生も驚いている。


「招待券を使って遊びに来ました」

「みんなはもう来たみたいだけれど。あたしたちは夏休みに使うって決めてましたから」

「くそ、迂闊だった。終了期限が近い日なら生徒は来ないものだと」


 自分の予想が外れて、荒田先生は忌々しそうに舌打ちをする。

 ああ、そういえば百瀬との交際どころか、彼氏がいるっていうことすら生徒には秘密にしてましたものね。誰かに話したら殺すと俺に念を押してましたし。


「嵐さんの知り合いですか?」

「あー……なんていうか」

「俺の生徒たちだ」


 荒田先生が言いにくそうに言うものだから俺が代わりにこたえてやる。


「歩くんの生徒かぁ。でも、なんで歩くんと生徒の子たちが一緒に?」


 当然の疑問を百瀬が俺に尋ねる。

 教え子と遊びに来ましたなんて、言ったらどう思われるか。


「それは私たちの引率として付いて来てくれたんです」


 歩波が一歩前に出て事情を説明する。あ、そういえば引率だったわ。すっかり忘れていたな。


「この子も歩くんの生徒さん?」


 妹がいる事だけは伝えてはあるが百瀬は歩波とは初対面か。

 透は昔から俺の家に遊びに来ていたこともあったからかよく知ってる。


「いや、こんな子は知らないぞ」


 うちの生徒ではないので荒田先生も首をかしげる。


「この子は俺の妹で、その付き添いだ」

「あ、そうなんだ。初めまして、百瀬といいます。いつもお兄さんにはお世話になってます」

「いえ、こちらこそ。百瀬さんですよね。兄さんがよく話してくれるので知っています」

「え、そうなの? なんか照れるなー」


 あいさつを終えると、歩波は百瀬に近寄ると百瀬の着ているTシャツをつかみ一気にまくり上げた。男とは思えないほど華奢な身体が外気に晒される。

 いきなり何やってんだお前は!?


「え!?」

「ちょっと! 歩波ちゃん、何してるの!?」

「センセ! 見ちゃだめです!!」

「目をつむってください!」


 歩波のいきなりの行動に涼香さんはおどろき、観月は歩波の行動をたしなめる。そして、カレンと夕葵さんは俺の目を手で覆い隠す。たぶん、この子らも勘違いしているな。


「うわ、兄さんから聞いていた通りに本当に男性なんですね。半信半疑だったんですけど」

「どういう風にボクのこと聞かされてるの!?」


 見たまんまだよ。女みたいな男がいるって伝えた。

 でも、歩波の行動はいただけないのでとりあえず一発殴っておく。

 そして、歩波の言葉に驚いたのは観月たちだ。


「……え、男性なんですか?」

「確かに胸はなかったけど、観月みたいな可能性も」

「どういう意味よ! 涼香!!」

「男の娘です!!」


 百瀬の性別が疑われるのはもうお約束みたいなものだ。


「うぅ……またこんな展開に……僕は男だよぉ」


 だったら百瀬。そんな風に頬を膨らませるな、すねた女子にしか見えんぞ。まだ疑いの目を向けている4人に対して俺がいろいろと補足してやる。


「顔とか外見はアレだが、俺と一緒にフットサルもするくらいだぞ」


 そうなのだ。外見は確かに華奢な女子にしか見えないのだが、フットサルでは意外にいい活躍をしてくれる。こう見えて運動神経は抜群にいいのだ。ぶっちゃけ白いワンピースと大きな帽子をかぶって砂浜を散歩している方が絵になるくらいだけれど。


「そ、そうなんですね……間違えてしまってすいません」

「……もういいよ。気にしないで」

「それで百瀬さんは嵐ちゃんとどういうご関係なんですか!?」


 観月が面白いものを見つけたといわんばかりに尋ねる。男女が二人っきりでこんなところに来れば答えはわかりきっているだろうに。

 荒田先生もあきらめたかのように顔を手のひらで押さえてうなだれている。


「えっと……まだそんなに長くないけれど、お付き合いさせてもらってます」


 百瀬が男らしく交際を認める発言をして生徒たちは黄色い声を上げる。

 荒田先生もどこか恥ずかし気でうっすらと頬を赤くした。


「あんまり言いふらすなよ。言いふらしたりしたら、体育の成績下げるからな」


 女の子に暴力はダメだという気持ちは理解できますが、権力を使うのはやめましょうよ。


「ほら、俺たちは邪魔だから戻るぞ」

「え、そんなことないのに」


 百瀬が俺を引き留めるようなことを言うが、お前の後ろで荒田先生ものすっごい顔してるぞ。「早く向こうに行け」と視線がつげてます。


「また、一緒に飲みに行こうぜ」

「う、うん。連絡、待ってるから」


 百瀬はうれしそうに破顔する。

 けれど、このやり取りがいけなかった。


「高城いぃぃいいい!!! やっぱりお前はちーちゃん狙いかっ!!!」


 いきなり荒田先生に詰め寄られる。首絞められそうな勢いなんだけど。


「なんでそうなるんですか!?」

「ちーちゃんを酔わせてナニするつもりだ。この前酔って帰ってきたときは、何もなかったみたいだけどな!! 今度は許さんぞ!!」


 どこぞのお父さんみたいなことを言い出した。


「なにもしませんけど!」

「そんなわけあるか。あんなにかわいいんだぞ。酔って家に帰ってきたらベッドに押し倒すくらいはするだろ!!」


 ちょっと! 教え子の前で何てこと言ってるんですか!!

 その先を想像してあの子たち顔真っ赤にしている。っていうかもうそんな仲なのか。


 暴走を止めようかと思うが荒田先生は止まらない。


「でも、残念だったな! 今日、私たちは一泊して帰るからな!!」

「嵐さんっ!?」


 初耳だと言わんばかりに百瀬は荒田先生の方を見る。

 なぜか脳裏にサバンナでインパラがライオンに捕食されるシーンが浮かび上がった。

 百瀬はこれから大丈夫だろうか。


 肩を掴まれてぐわんぐわん頭をゆすられる。


「百瀬、見て、ないで、止め、てくれ!!」

「あ、うん!」


 そのあと、暴走する荒田先生を百瀬がなだめどうにか騒動は収まった。この人の暴走には百瀬が一番効くみたいだ。ここまで暴走する原因でもあるが。

 百瀬たちとここで別れる。去っていく二人をみて俺たちは――


「な、なんだか、すごかったです」

「うん、学校での荒田先生はまだおとなしい方だったんだね」


 それについては完全に同意だ。俺もこの人のこんな一面知りたくなかったよ。今後この人が暴走した時には百瀬を差し出そう。


 ……

 ………

 …………


「じゃあ、いってくるねー」

「荷物番よろしくー」

「おう」


 荒田先生と百瀬との会合でものすごく体力を消費した俺は、歩波たちにはついていかずに一休みさせてもらうことにした。ナンパ対策についてはシルビアが付き添う形になった。あいつがいれば安心だろう。ナンパを仕掛けた人らは無事では済まないとは思うが。


 シートに横になる。昼食後ということもあってか俺と同じように食後休憩で日光浴をしている人を見かける。

 日差しは強いが、植物が影を作ってくれているからそこまではまぶしくはない。今日は朝も早かったせいもあってか、眠気に襲われる。


 ――少しだけ……。


 そう思った次の瞬間には俺の思考はプツリと途切れてしまった。


 ◆


 涼香


 ――今日は楽しいなぁ。


 友達とプールに来るなんて小学生ぶりだ。

 中学になると遊泳施設に来ることにも抵抗があった。

 ほかの子たちに誘われたりしたこともあったけれど、学校で水着を隠されたことがあってあまり行かなくなった。


 中学の時の友達を疑いたくはなかったけれど。実際にその子たちがいたずらでやったなんて知ってしまったら、もう友達とは呼べなくなった。


 いたずらのつもりだったと言っていたけれど、返された水着をよく見ると肩紐には切れ込みが入っていた。そのまま水着を着ていたらいつかとんでもないことになったのは目に見えてわかる。

 そのあとは、表面上は友人として接しつつも、きっちりと一線を引いて過ごしてきた。中学を卒業してからはもうすっかり疎遠になっている。


 どんなときでも夕葵はいてくれたし、今日一緒にいる子たちはそんなことをする子たちでもない。


 ――けれど、この関係はいつまで続けられるのかな……。


 私たちの関係は時間制限がある。


 この中の誰かと高城先生が付き合うことになったら、私は心の底から祝福なんてできないと思う。私たち以外の可能性だって十分あり得るけれど、そんなこと考えたくない。


 ――私って、いやな子だ。


 プールの中で戯れているみんなを見て私はそんなことを思う。


 それでも、諦めたくない。

 私の中にあるこの感情は多くの人を狂わせて、惑わせてきた。そんな厄介な感情なんだから。


 高城先生の事を考えていたら、少しだけ先生の顔が見たくなった。


「ちょっと私、疲れちゃったから休憩してくるね」


 みんなに断りを入れてから私は先生のいる場所へと戻る。


 ――ちょっと、ズルかったかな。でも……2人きりになれる機会なんてそんなにないし。


 罪悪感を持ちながらも歩いていると、途中で女子大生らしき人たちとすれ違った。


「さっき、あそこで寝てた人チョーかっこよくない?」

「だよねー。一瞬、渉がいるかと思った!」

「今は役作りのために休業してるらしいけど、有名人がこんなところいるわけないじゃん」

「あとで声かけてみよっか」

「やめときなって絶対彼女いるから。傷つくだけだよ」


 ……渉みたいな?

 そんな人は私には1人しか浮かび上がらなかった。

 ちょっと小走りになりながら、プールサイドをかけていくと案の定、高城先生が寝息を立てていた。

 寝ているからか普段の端正な顔立ちが少し、かわいいとも思う。


 先生は寝ていても視線を集めるのか、この場を過ぎ去る女の人たちが視線を送っている。そんな中、私は先生へと近づいて、寝ているとなりに座る。私が先生の近くに座ったことに効果があったのか先生を見る人は少なくなった。


 寝顔を間近でみるのは先生が入院していた時以来だ。


「……そんな無防備な姿を人前で見せないでください」


 寝顔なんて家族や一定以上親しい人ではないとあまり見られたくないもの。特に異性ならなおさら。私だったら絶対に嫌だ。


「疲れてるのかな……」


 だとしたら、私たちにつき合わせてしまったことを申し訳なく思う。でも、今日の事は間違いなく思い出の1つになる。


 ――少しだけ……。


 寝ている先生の髪を撫でる。

 女性とはまるで違う男の人の髪が私の指を刺激する。


「ん……」


 ぴくりと先生の瞼が動いた。

 私はあわてて先生の髪から手を離す。


「……」


 少し身じろいだだけで起きる様子はない。もう、驚かせないでください。

 そのまま私は先生の髪を触り続ける。身体に触れたら起きちゃうかもしれないから今は髪だけで……。


 ――ふふふ、いいなぁこれ……。


 なんだか、アニマルセラピーよりも私にはこっちの方が効果は高いみたい。あれかな、高城成分補充みたいな。


「………」


 先生は起きるような気配はない。

 少し、思い切ってみようかな。


 ◆


 夏の強い日差しが視覚を刺激し、意識が覚醒する。


 ――やべ、どれくらい寝てた?


 転寝気分でいたつもりだが途中から本格的に寝入ってしまったみたいだ。

 いつの間にか枕まで……枕?


 後頭部に感じる柔らかさに驚いて目を開ける。

 もしやという可能性が脳裏をよぎった。まさしく俺の予想が正しかったことが証明された。


「あ、起きましたか?」

「…………」


 俺の顔を上から覗き込むように眺めていた涼香さんと目があった。


 俺は今、彼女に膝枕をされている。


 あわてて体を起こして周囲を見渡す。

 よかった……知り合いの誰にも見られてはいないみたいだ。どうやら、涼香さんの身体が陰になっていたようだ。


「……一応、聞きたいんだけれど。なんで膝枕してたの?」

「枕がないと眠れないかなって思いまして、私もこういうことをやってみたかったですし」

「いや、そんなに眠る気はなかったから」


 うわー……。

 教え子に膝枕してもらうって結構アウトだろう。

 なんで俺はこの子らの前で寝てしまったんだろうか。下手をすれば合宿の二の舞だぞ。


 時計を見ればまだ時間はそこまで経っていない。

 膝枕時間もそんなに長くはないだろう。いや、時間の問題じゃないことくらいわかってるけど。


「みんなはまだ遊んでるの?」

「はい、私は少し疲れたのでこっちに戻ってきたら、先生が寝ていまして」

「……荷物番サボったのは悪かったよ」


 涼香さんとは若干距離を開けて座る。

 特に俺たちの間には会話もない。遠くからプールで戯れる人の声が聞こえてくる。


 いつも彼女とはどんな会話をしていただろうか。

 ああ、そういえば彼女が薦めてくれる本の事について話すことが多かったな。ちょっと前まではもっと普通に話せていたはずなんだけれどな。


 いや、彼女の方は何も変わりないんだろう。


 ――変わったのは俺の方だ。


 そのあとは同じように休憩で戻ってきた歩波たちと合流した。


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