第22話 日曜日の終わり
俺は私服に着替えていつものスーパーに来ていた。
休日もスーツであったからか、すごく私服が心地いい。何というか仕事から解放された気分だ。
タイムセールで獲得した惣菜物が今日の夕飯の予定だ。今日くらいは少し手を抜きたい。
「歩先生」
俺に声をかける女子がいた。
以前もここで出会ったことのある女子だ。
それに俺の事を「歩先生」とよぶのは俺の知る限り1人しかいない。
「夏野さん、今日も買い物?」
「はい。先生もですか」
「飯食うか買い物にするか迷ったんだけど、面倒事は先に終わらせたくてね。それにラッキーなことにタイムセールで今日の夕飯が確保できた」
そう言って俺は戦利品を夏野さんに見せる。
夏野さんの買い物かごを見れば、まだ何も入っていない。
今日の彼女の姿はベーシックなニットにロングスカートをはいている。モデルのような容姿の彼女によく似合っていた。
そのまま、前回と同じように一緒にスーパーを見て回る。
「夏野さん、今日は楽しかった?」
生徒目線から、今日の合宿の感想を聞いてみたかった。
「はい、仲良くなった子たちとメッセのIDも交換しました。今度、遊びに行く約束もしているんです」
合宿から始まる前の準備段階で仲良くなっていたようだが、さらに親睦が深まったみたいで何よりだ。
「そういえば先生、覗き犯の件お疲れ様でした」
「いやいや、俺は何もしてないよ。警察に電話しただけだし」
罠に引っ掛かっているのを警察に引き渡しただけ。
「それでも私たちを守ってくれました」
そうやって持ち上げられると少し恥ずかしい。
「あ、そういえば女子寮のドッキリの件は知ってる?」
「はい。みんな騒いでましたよ。ほんとに怖かったみたいです」
「あはは、教師を驚かそうとするからだな。逆に驚かされるパターンもいいだろう、あれは荒田先生が貸してくれたんだよ。前回の復讐だってさ」
俺の話に笑顔で相づちを打ってくれる。
彼女はなんというか話を聞くのが上手い、こちらの話に相づちを打ちしっかりと耳を傾けてくれる。
「あ~ら、
夏野さんの名前が呼ばれて俺もそちらへ振り向くと、小柄なおばあさんがいた。
「八重塚のおばあちゃん。こんにちは」
「こんにちは。まだ栄さんの調子悪いの?」
栄さんとは夏野さんのお婆さんの名前だったはずだ。
そういえば以前に腰を痛めていると言っていたのを思い出す。
「いえ、だいぶ良くなってきています。今日は大事をとって私が、重いものもありますし」
「いつも偉いわねぇ」
おばあさんは夏野さんと談笑しているが、途中で俺に気が付いたようだ。
一度首をかしげるが、すぐに何かに気が付いたように笑顔になる。
「ああ、ごめんなさいね。デートの邪魔しちゃって」
「デ、-ト」
ぼっと夏野さんの顔が赤くなる。
あまりこういう話題には、免疫がないようだ。
「お詫びに“日和”の券をあげるからいってらっしゃい。またお話聞かせてね」
「あ、待って」
言うだけ言ってお婆さんは向こうへと行ってしまう。
夏野さんの弁明は聞こえていない様子だ。
耳が悪いのか聞こえないふりなのか、おそらく後者だろう。だってめっちゃいい笑顔だったもの。
「あ、あの申し訳ありません……私と、こ、こ恋人同士と思われちゃって」
「俺が私服着てるせいもあるから」
よく私服を着ていると未だに学生に間違えられたりする。
まだ大学卒業して2年しか経っていないから仕方がない。うん、仕方ない。
「それに夏野さんなら恋人くらいいても不思議じゃないし」
「私に恋人なんていません!」
おおう、なんかすごい即答された。
「いませんから! 本当にいませんから! 信じてください!」
俺に詰め寄り恋人がいることを否定する。
「わ、わかったから。落ち着こう、な?」
そして、俺との距離感に気が付いた夏野さんは、ようやく俺から距離をとった。
「わ、私はまだ弓道に集中したいので、そんなものを作っている余裕なんてありません」
「そっか、たしか夏休みに大会があったよな」
「はい、それまでにもいくつか他校との練習試合があるので、集中していかないと」
買い物を終えるとレジへと並ぶ。
会計を済ませると夏野さんの大きなエコバックに目が移った。
「多すぎないか?」
「ちょ、ちょっと買い過ぎました」
運が良いのか悪いのか、一緒に見て回っている途中でちょうど日用品のタイムセールが始まったのだ。
そこで大量に買い込んでしまったのが裏目に出た。
夏野さんの両手がめちゃくちゃプルプルしている。いくら弓道で鍛えていると言ってもやはり女性の腕力だ。
「荷物車に乗せて。送っていくから」
「で、ですけど」
「いいから、困っている生徒を助けるのは教師の仕事だ」
「………あ、ありがとうございます」
そう言って彼女を車に乗せた。
彼女の家の道程なら依然、送り届けたので既に知っている。
助手席に乗っている夏野さんは何も言わず、ただ前だけを見ている。すこし強引に誘い過ぎたかな。
◆
夕葵
――どどど、どうしよう、また先生の車に乗れた。しかも今日は……。
チラリと視線だけで先生の横顔を見る。
――助手席に座れた……。
買い出しの時に観月と涼香が羨ましかったが思わぬ形で座ることができた。
涼香は「大人の男性の顔」だと言っていたけれど、確かに同級生たちにはない雰囲気がある。
車は私の知っている道をどんどん進んでいく。
――もう、終わりか……あ、そういえば…
「先生、そこの角曲がってもらってもいいですか?」
「ん? いいけど」
先生は頷き車を左折させる。
「この先に何かあるの?」
「はい、さっきのお婆さんに甘味処の券をもらったので、お礼をさせてください」
「いや。これくらいでお礼なんて、生徒に驕ってもらうわけには」
「……でも、これ今日までなんです」
券を見せると今日までの日付が記されている。
好意でくれたものだしもったいない。
券は割引券などではなく、引換券なので別に奢るわけでも、奢られるわけでもない。
「……わかった。そこに少し寄って行こうか」
「はい」
甘味処“日和”へと向かってくれた。
――ああ、八重塚のおばあちゃん。ありがとう!
◆
「へ~こんなところに甘味処なんてあったのか」
この町には5年以上住んでいるのにも関わらず、この“日和”という甘味処があるのは知らなかった。
「祖母と昔から来ているんですよ。結構、穴場なんです」
「へ~彼氏とは?」
「だから、いないと言っているじゃないですか!」
「ハハハ、ごめんごめん、入ろうか」
「もう」
がらりと扉を開けると、店内の落ち着いた和の雰囲気が心を落ち着かせてくれる。甘味の匂いもあるのだろうか。。
「いらっしゃいませ」
和服を着た若い従業員が、丁寧に俺たちを迎えてくれる。
それなりに広い店内には別の客も入店しており、ここの甘味を堪能している。
店の雰囲気にあてられているのか、店内では大きな声で騒ぐ人もいない。
「2人でお願いします」
「はい……あら、夕葵ちゃんじゃない」
「どうも」
どうやら顔と名前を憶えてもらえるほどの常連らしい。
少し目を大きくして驚いていた店員さんだが「ああ」と何かに納得したする。そして――
「あら、あらあらあらあら。うふふふふ」
にんまりとした笑みを浮かべる。
「今日はお婆さんと一緒じゃないと思っていたら
主に後半の部分を妙に声を張り上げて、そんなことを言い出した。
「「「「なにぃいいいいいいい!!!!」」」」
先ほどまで静かだった店内は一気に騒がしくなる。
店の奥から別の店員さんもやってきた。
調理中だったのか手には包丁が握られている。危ないな。
「祭さん!?」
この和服従業員さんは夏野さんの知り合いらしい。
じっと店員さんが俺を見る。
「かっこいい人じゃない!
「ち、違うから、この人は学校の先生だから」
「え? それって……」
ヤバい。やっぱり生徒と2人ではまずかったか?
「いいわねー。禁断の恋じゃない!」
何か胸をキュンキュンさせている従業員さんに俺は内心、頭を押さえ、夏野さんは弁明に必死になっている。
「あ、こんなところでお待たせしたら悪いわね。どうぞ、ご案内します」
ようやく入り口での談笑をやめ、店内を案内してくれる。
席に着く間に幾人もの視線が俺たちに突き刺さる。
それは席に着いた今でも続いている。包丁を持った従業員さんは仕事をしなくてもいいんですか?
「あ、これ使える?」
夏野さんは貰った券を渡すと従業員さんはそれを受け取り、持っていたメニューを見せてくれる。
「この中からお好きな甘味をお選びください」
結構な種類があるのだが、今回はこのサービス券を使用すれば無料で食べることができるらしい。
サービス券自体もあまり手にはいる物ではないという。
「
「はい」
「じゃあ彼氏さんは?」
「祭さん!」
「ハハハ……なら俺はこのクリーム小豆で」
もう、めんどくさいので否定しない。
店員さんも分かっていて、からかっているのだろう。
夏野さんも疲れている。
「では、先にほうじ茶を」
ほうじ茶が俺の前に置かれるが、夏野さんの前には何も置かれない。
「私は抹茶とぜんざいのセットを頼んでいるので、お先にどうぞ」
夏野さんに促され、ほうじ茶を口に含む。
温かく、あっさりした味わいが口の中に広がる。
少し待つと夏野さんの前にはぜんざいと抹茶のセット、クリーム小豆俺の前にが置かれる。
「「いただきます」」
つやつやした白玉に抹茶クリームには、本物の抹茶がふんだんに使用されており、一口食べるだけで口の中に抹茶ならではの香りが広がる。
冷たいクリームに温かいほうじ茶がまたよく合う。
「美味いな」
「よかった」
「連れてきてくれて、ありがとう」
「いえ、私のセリフです」
そのまま甘味を味わっていると、あっという間に完食してしまった。
「先生、お茶飲まれますか?」
「ありがと」
夏野さんが気を利かせ、俺にお茶を淹れてくれる。
テーブルの上には急須と茶葉、ポットが置いてありセルフサービスで飲み放題らしい。
少し熱めのお茶なため、少し冷ます必要があったので少し彼女に話題を振ってみる。
「本当にここの常連なんだね」
手慣れた手つきを見て俺は尋ねた。
「はい、小さいころからよく来てます。店内にいる人も結構、顔見知りな人が多いんですよ」
そう言って周囲を見渡せば、ニコリと夏野さんに笑みを向けるご老人方やおじさんが目に入った。
「
「なに? 祭さん」
案内してくれた従業員さんが、夏野さんに申し訳なさそうに声をかける。
「うちのお婆ちゃんがね、久しぶりに夕葵ちゃんに会いたいらしいのよ」
「おばあちゃんが? えっと……」
チラっと俺を窺うが、俺の事なんて気にする必要なんてない。
「いいよ。俺は茶を飲んで、待ってるから」
「すいません。ちょっとだけ、行ってきます」
夏野さんは、俺に一礼して店の奥へと足を運んで行った。
「すいません。
「わざわざ、すいません。いただきます」
夏野さんの淹れてくれたお茶とせんべいを食べようかと思った所で、従業員さんが俺の前に座り自分のお茶を淹れだした。休憩だろうか。でも、なんで俺の前で?
「それで、聞かせてほしいんですけど。本当に
「……またそれですか?」
どうやら、追求をあきらめたわけではないらしい。
「そうじゃなぁ、それを聞かせて頂かんと儂らはおちおちあの世にも行けんわい」
「聞かせえや」
「遊びだったら……わかっとるな」
いつの間にか、この店の客人に俺は囲まれていた。
反対側は壁で逃げ場はない。
それに何より、おじい様方の視線が恐ろしい。
「ここに
「ああ、「恋人が出来たら、ここのあんみつを一緒に食べるんだ~」って言っていたのを今でも思い出せるわい」
「あの子が友達どころか、男を連れてきたのも初めてだ。いつかは来るんじゃないかって覚悟していたが……こうも早いとは……」
夏野さんの思い出話に浸っているところ悪いけれど、俺は一体どうしたらいいのでしょうか。
とりあえず、一口お茶を口に含んでのどを潤す。
「ですから、俺と夏野さんは教師と生徒です」
「………証拠は?」
教員免許でも見せればいいのか。そんなもの持ち歩いているわけないけれど。
眼光のキツイおじいさんが、手にしている杖でぐりぐりと、俺の足をえぐりながら聞いてくるので答える気も失せてくる。地味に痛いし。
「なら、二人のなれ初めは?」
「結婚式かっ」とおじいさんに声を挙げて突っ込みたかったが、それを堪える。
「俺が、夏野さんのお婆さんを倒れたのを見つけて病院まで同行したんですよ。その時は夏野さんのお婆さんとは知りませんでした」
俺の説明を聞くとおおっと周囲が賑わしくなる。
「ああ、噂のにいちゃんか」「そうか、そうか」と納得してくれたようだ。
「ああ、
……夏野さん、君は一体この人たちに何を話したの?
「よかったわ~、これを使うことなくて」
そう言って従業員さんが、俺の前にフォークを置いた。
そのフォークを俺に対して、何にどのように使う気だったのかは聞かない。聞きたくもない。
「そうかい、そうかい。例の兄ちゃんかなら、これはいらんな」
――パチン
そう言っておじいさんは俺の脚をぐりぐりしていた杖を床に付けた。
杖の隙間からチラッと見えた刃物みたいなものは見間違いだろう。鞘音がしたのも空耳だ。
「そうさね」
そう言って、別の爺は懐から取り出そうとしていた物を手放す。
一瞬、無機質な黒光りした物が見えたが、何を持っているかは俺は知らない。知りたくもない。
どうやら学校外にも夏野さんのファンがいるらしいが、その人気は学校の規模よりもここの方が上のようだ。
『
ここは、本当にあの和の雰囲気で落ち着いていた店内だったのだろうか。
入口に見るからに
「テメエか?」
「何がだよ」
俺は、一歩も引かずに入ってきたやくざっぽい外見の男をじっと見据えてやる。
こういう輩に引いては、さらに付け込まれる。
「劉さんごめんね~。どうやら違ったみたい」
従業員さん、アンタが呼んだんですね。
「おう、劉ご苦労さん」
そして、この劉さんは俺の足をぐりぐり杖で抉っていたおじいさんの関係者らしい。
もう、おじいさんなんて可愛らしい呼び方は必要ない、
「その辺の馬の骨かと思ったが、栄さんが認めたんならしゃあない」
夏野さんのお婆さんに何を認められたのかは知らないが、大人しくこの場から去っていく劉さんたち。
去り際に俺への一瞥は忘れない。
「おい、そろそろ
包丁を持った職人さんから、夏野さんが帰ってくるのをここに居る人たちに伝える。
どうやらここは一般の甘味処じゃない。
多分、穴場とかそういうのではなく、選ばれし
「解散、解散。あ、それと先生。このことは
妙に迫力のある従業員さんの笑みに、俺は頷く事しかできなかった。
女の人のこういう笑みってなんでこんなに迫力があるのだろう。
そのあと夏野さんと合流し、彼女を家まで送り届け、俺のこの日の1日は終わりを迎えた。
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