第8話 テスト

 入学式が終わり夜が明けると、いつも通りの日常が始まる。

 HRのため教室に向かう途中、廊下を歩いていた桜咲さんに声をかける。HRまでまだ十分時間があるので少しだけ話をさせてもらおう。


「おはよう。桜咲さん」

「あ、おはようございます。……母から事情を窺いました。昨日は、すいませんでした」


 店長は、桜咲さんに事情を説明をしてくれていた。

 だが桜咲さんが謝る必要はない。

 問題は、記憶喪失の事をうやむやにしていた俺の方にある。


「先生は、本当に何も覚えていないんですか」

「うん、たった1日記憶が無くても大丈夫だと思って、君を傷つけた。本当にごめん」

「いえ、大丈夫です」

「で、改めてなんだけど、なんの話だったか教えてくれる?」

「それは……内緒です」


 それだけを伝えると彼女は教室へと戻ってしまった。

 元気になったのならいいのだけれど。少し顔が赤い気がしたが、風でも引いたのだろうか。


 今日の3、4時間目のLHR――


「まずはクラス委員を決めよう。クラス委員長と副委員長、あとは各委員会何かやりたい役割があれば言ってくれ」


 まずはクラス委員を選出し後はそのクラス委員に進行役を委ねてしまおう。

 だがクラス委員長と言っても、教師の雑事を手伝ったりといろいろと面倒な役割だ。


 やりたがる人は……


「はい」

「え?」


 昨日と同じように、ピシッと手を伸ばし立候補をしたのは夏野さんだった。


 責任感も強く、真面目な彼女であれば十二分に勤まるだろう。

 クラスのみんなもそれをわかっているのか、ほかの立候補は現れない。


「でも、夏野さん部活は大丈夫?」


 弓道部のエースである彼女だ。部活に影響が出るのであれば、あまり好ましいことではない。


「それほど差しつかえはありません。やる人がいないなら、ぜひやらせてください」


 だが、彼女はそんなことはどうでもよさそうにクラス委員を引き受ける姿勢を見せる。

 ここまで言うのだから任せてみよう。


「それなら夏野さん。よろしくね」


 そこからは、夏野さんに進行役を委ねることにした。


 男子の副委員長を決めるのは時間がかかった。

 なぜならクラスで10人しかいない男子が全員、副委員長に立候補したのだから、おそらく夏野さんとの距離を縮めたいからだろう。下心が見え見えだぞ男子諸君。 

 その後は死闘じゃんけんが勃発し余計な時間をロスしてようやく決まった。


 席順もくじ引きが行われ各々自分のくじに当てられた番号の席に座った。


 LHRが終了すると、俺は教室から外へ出ていく。

 学生たちは授業があるが、俺は俺でその後も色々な雑事をこなしていくとあっという間に今日の午前が終了してしまった。


 昼休みとなると校舎全体が賑わしくなり始める。

 学校での1時間という休息時間は学生にとっては貴重な時間だ。


 それぞれ食堂へ向かったり、弁当を取り出し始め食事に舌鼓を打つ。

 俺は、まだまだ食事にありつけそうにない。5時間目からは、俺の授業も始まるのだ。その前に、このプリントを印刷しに行かなければならない。


 今日の授業は、現在学生たちがどこまでの学力があるか把握したかったので、テストを行うことにした。

 テストと言っても成績に反映させる気はない。

 現在の学生たちの学力調査を目的としてものだ。自分が担当しているクラス分あるので結構な量となっている。


「歩先生」

「夏野さん。どうかした?」


 夏野さんが後ろで縛った髪を揺らしながらこちらへ寄ってくる。ポニーテールがなんだが犬のしっぽのように思えてくる。


 彼女の手には小さなお弁当包みが握られている。その後ろには弓道部の部員たちが追随していた。


「もう食事は終わった?」

「まだのですが……よろしければ、プリントを運ぶのをお手伝いさせてください」

「……でも昼飯まだだろ?」


 後方の子を見れば律儀に夏野さんを待っている。


「クラス委員になったのであれば、それらしいことをしたいです」

「ありがとう、なら少し頼んでもいいかな」


 手伝いを申し出てくれた彼女に少量のプリントを渡した。

 手伝ってくれるといっても大量に持たせるわけにはいかない。


「先生ーこれなんですか。授業の資料?」


 弓道部の部員たちが、俺の持っているプリントに興味をひかれ、尋ねてくる。


 俺にとっての君たちの学力を測るための資料になるかな。

 だが、口に出すわけにはいかない。せっかくのリアクションがなくなってしまう。


「そうだよ。なら夏野さん、社会科教員室まで行こうか」

「はい」


 夏野さんはみんなに一言断りを入れて、昼食を食べる場所へと移っていった。


 そのまま、夏野さんと社会科教員室までの道程を歩いていく。

 社会科教員室はその名の通り、社会科科目を担当する教諭が待機する場所だ。

 俺は職員室以外はここにいることが多い。


「クラス委員、引き受けてくれてありがとう。もっと時間かかると思ってたから助かったよ」

「いえ、私がしたかっただけですので」

「最悪、くじ引きでもさせようかと思ってた」

「あ、あの先生!」

「うん?」

「これからもこういう手伝いがあったら言ってください。私、一生懸命頑張りますので!」


 ……めちゃくちゃいい子だ。

 こういう子は内申点とかそういうのは気にしていないのだろうな。純粋に人の役に立ちたいという思いが伝わってくる。

 自分の机にプリントを置く。ようやく仕事もひと段落した。


……

………

…………


「夏野さん。食事それだけで足りるの?」

「はい、あまり食べすぎるのは良くないので」


 現在、俺は夏野さんと食堂の一角で昼食を摂っている。

 なぜ一緒なのかというと、クラスの今後について話がしたいからという、夏野さんの誘いがあったからだ。

 俺も担任を持つのは初めてだし、生徒目線の話がきけるのであれば、ありがたいので乗っかることにした。


 今は“何が分からないのか”が分からない状況なので、必然的に会話は夏野さんに尋ねる質問になっている。


「女子って不思議だよな。昼飯そんなに食べないのに昼動けるんだし、俺だったら腹減って無理だ」

「でも、お菓子とか食べたりしてるんですよ。それに、食べる女の子って太って見えてしまうというか……男の人に嫌われてしまうので」

「美味そうに食事している女の子ってかわいいって思うけどなぁ」


 あの幸せという言葉を100%表に出した笑顔はいいものだ。


「そういえば、買い物してたってことは、その弁当も夏野さんが作ったの?」

「はい」


 可愛らしい小さなお弁当箱には、野菜や卵焼きなどがある。栄養バランスも考えてあるようだし、彩もいい。手先が器用なんだな。


 そんな風に夏野さんの弁当をじっと見ていた。


「あの、よかったら少し食べてみますか?」

「あ、ごめん見すぎてた? 大丈夫だよ。俺はこっちの学食で十分だ」

「よければ食べてもらってもいいですか? 祖母に合わせて作っているので、薄い味かもしれませんから。祖母以外の方からも感想をいただきたいです」

「……なら、ちょっとだけ頂きます」


 俺の家は醤油だけの味付けなので卵焼きが少し黒い。しかし、この卵焼きは綺麗な焼き色をしている。

 半分に切られた卵焼きを一口で頬張ると、出汁のほのかな甘みが口の中に広がる。卵のそのものの味も感じられ十分に美味しい。


「美味しいよ。丁寧に作られているのが伝わってくる」

「本当ですか?」

「うん、俺には作れないよ」

「よかった」


 卵焼きの感想を伝えると、嬉しそうに夏野さんは答えてくれる。

 そのまま食事を終えると夏野さんは一礼して教室へと戻っていった。


 ◆


 あと数分で、5時間目の授業が始まる。

 次の授業は2年1組であり、俺が受け持っている教室だ。

 チャイムと同時に教室に入ると、生徒たちは既に席に着いており教科書を並べている。


「起立――」


 夏野さんの凛とした声が教室に響き渡る。

 彼女の声には空気を引き締めさせられる。


「「「「「お願いします」」」」」

「みんな今日は、教科書をしまってくれ」


 俺の発言ににわかにざわつき始める教室に俺は、言葉を続ける。


「今日はテストします」


「「「「ええーーー……」」」


 おうおう、いいリアクションだなぁ。


「いきなりですかぁ?」


 観月がふてくされたように唇を尖らせ抗議するが、俺はその程度では怯まんよ。


「今日は、みんながどれくらいの学力あるのか見させてもらおうと思ってね」

「本音は?」

「君らのそういう顔が見たかったから」


 生徒には単なる嫌がらせだろう。

 まあ半分以上の目的は学力の調査なんだけど、あえてこの方法を選択した。


「こーゆーこと嫌われるぞ!」

「そーだよ、横暴だ!」


 男子生徒からのブーイングの嵐だがやると決めた以上はやる。


「俺は君たちのそういう顔見たくて教師やってるところがある。昔から好きな子には意地悪したくなる性質タチなもので。君たちの事を想ってだよ」

「最悪だ! 高城先生ってSだよ!」

「それでもアンタは顔はいいからキュンとするとか女子に言われる。世の中、理不尽だ!」

「はいはーい、今からテストを配ってきまーす」


 これ以上は有無言わさず前からプリントを配布させていく。


「別に成績には加算しない、だからと言って手は抜かないように」


 後ろまで配布し終えたことを確認すると


「はいじゃあ始め!」


 ◆


「ふーん、案外みんな解けてるな」


 授業を終えて職員室で採点を行っていると思った以上に点数は悪くない。


「お、95点……」


 名前を見ると夏野さんのだった。

 1年の時から学年トップクラスの成績を維持しつつ、弓道部で1年エースな彼女はまさに文武両道を体現している。さらに料理上手なことも今日分かった。彼女は物静かな印象を持たれているが結構話すことができた。少しずつだが生徒たちの事を知って行ければいいよな。


「100点、マジかー」


 問題が簡単すぎるということはないはず。

 この綺麗な字には見覚えがある。桜咲さんの字だ。

 1年時のテストでは総合点数学年1位をとっている。だからと言ってガリ勉というわけではなく人当たりもよい。誰にも平等に接するため自分に好意があると誤解して告白して撃沈したという噂をよく聞く。


 そういえば前に強引な告白をしている生徒を止めたことがあったなそいつはもう卒業したけど。


「45点……」


 前の2人比べてしまうと何とも反応に困る。この丸っこい字を見れば、案の定俺の良く知っている子だった。


「観月……」


 まあ中学時代の彼女の成績を知っている身としてはこれくらいだろうな。

 意外に暗記力はいい。暗記力で静蘭高校の合格を勝ち取ったようなものだし。


 でも、中三の時に「勉強を教えてください!」と必死に頼んできたときには驚いた。


 俺が静蘭に就職してからは、近所に生徒が住んでいるということを考慮して、テストなどは学校で作り、保管するようにしている。


「最後は……カレンか。えーっと点数は……80点。悪くはないんだが」


 彼女の勉強方法を知っている身としては正直なぁ……。

 でも、それが自分の力に繋がっているのであればいいことだ。うん、そう思うことにしよう。


 テストの平均点は大体70点前後だ。採点の終えたテストは帰りのHRで返却する。

 思っていた以上な点数に自分の事ではないが少しうれしい。


 ◆

 涼香


 ――本当にあの日の記憶がないんだ。


 テストが終わった後の先生の授業を聞きながら、そんなことを思う。


 告白がなかったことにされたのは少し、残念だけど。前と同じように勧めた本の感想を伝えあえるのはすごくうれしい。

 最近、先生に勧める本も少しずつだが恋愛要素の強いものも含めている。少しは異性として意識してほしいという思いを込めてだ。


 ――でも……誰かに告白されたりしてるのかな。先生が先生になる前の事を知っている人なんて……そう相違ないだろうし、知ってる人がいたら話を聞いてみたい。


 あ、いま沢詩たくしさんがくしゃみした。


 ギャルっぽいけど友達も多くて、以外に頼りになる。

 コミュニケーション能力の高さには正直、舌を巻く、それに――


沢詩たくしーテスト中に寝るな~」

「もう終わったから~」

「ほう……もう、いくつか間違いを見つけたぞ」

「え、ウソ! どこ? 歩ちゃん!」

「おしえなーい」


 先生の事を名前で呼べるのはすごく羨ましい。

 そういえば夕葵もさりげなく歩先生って呼んでる。この学園には高木先生って読み方が同じ先生がいるからかな。

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