第3話 桜咲 涼香

「あ~~~~……」


「高城先生? 大丈夫ですか?」


 職員室に戻り自分の席に座り天井を仰いでみていると向かいの席に座っている水沢先生が尋ねてくる。


「……正直あまり大丈夫ではありません。頭が……」

「ええっ! 頭がおかしいんですか?」


 その言い方はどうかと思いますが、心配してくれるのは伝わってきましたよ。


「なんだかものすごく疲れました……精神的に……」

「やっぱり先生は生徒に好かれてますね。すごいなぁ」


 水沢先生がどこか尊敬のこもった眼差しでこちらを見ている。

 水沢先生の方が生徒から人気があるんじゃないだろうか。しっかりしようとして以外に抜けているおちょこちょいな所が親しみがもてる。


「いやいや、俺のはからかわれているだけですよ。水沢先生は疲れてませんか?」

「あはは、実は私も」


 男子生徒から似たような質問を受けていた。

 全ての質問に正直に答えてしまったのが疲れの原因だろう。恋愛話をフラれた時おろおろする先生は年上には失礼かもしれないが可愛らしかった。俺も似たようなものか。


「みんな先生に興味があるんですよ。やっぱり年が近いと話しやすいんでしょうか」

「水沢先生だって俺より1つ上なだけじゃないですか。また明日からあのテンションかなぁ」

「きっとすぐに静かになりますよ」



「そうだな。対面式くらいもう少し静かに行えないのか?」



「え?」


 慌てて姿勢を正し振り返ると1人の男性教諭が俺を見降ろしていた。

 ジャージを着ていてからも筋肉が浮き出ている。意識的なのか大胸筋がジャージの下の着ているタンクトップがぴくぴくと動いていた。顔は50代だが実年齢は30代と言われている先生で、あまり俺は好かれていない。


剛田ごうだ先生。すいません五月蠅かったですか?」


 剛田先生の担当しているクラスは2年4組。

 そこまで声が響いていたとなると申し訳ない。あとで2、3組の担任の先生にも謝罪に行かなければならない。


「ふん。若い教師が珍しいだけだ。お前の人望じゃない。勘違いするなよ」

「はい。なるべく気を付けるようにします」


 何かと目を付けられていることは知っているが、なにが原因かはわからない。

 言いたいことだけ伝えると、鼻息を荒くして俺から離れていく。入れ替わるように江上先生がこちらに向かってきた。


「あの江上先生」

「どうかしましたか高城先生?」

「対面式で五月蠅くして申し訳ありません」


 江上先生は学年主任と3組の担任を兼任している。俺と水沢先生は江上先生に謝罪した。が、江上先生はキョトンとしている。


「え? 確かに笑い声は聞こえましたが、そこまで五月蠅いまでとは……あれくらいは普通だと思いますよ」


 あれ? 剛田先生と話していることは違う。


「さっき、剛田先生から注意を受けて」

「ああ、彼は少々神経質な所がありますから。それより私には彼の怒号の方がうるさかったですけれどね」


 はははと笑いながら話す江上先生には大人な余裕が感じられた。

 俺にもこれくらいの余裕が欲しいものだ。


「きっと生徒に人気のある高城先生に嫉妬してるんですよ」

「水沢先生、剛田君に聞こえたら余計にうるさいですよ」


 小声で俺に話しかけてくる水沢先生を江上先生が注意する。剛田先生がうるさいということは否定しない。


「担当となった生徒たちとは、上手くやって行けそうですか?」

「少し話した程度で、まだそれは分かりません」

「はは、何かあったら相談してください。私でよければ力になりますから」


 ありがとうございますと返事をし、コーヒーを口に含む。


「さて、そろそろ学年集会ですね。私たちも向かいましょう」


 江上先生に促され俺たちも職員室を後にした。


 ◆


 第二講堂は主に2年生が学年集会などで使用する。

 学年のクラスは8クラスまであり生徒数はおよそ320人程度だ。


 各クラスに担任と副担任が付く今は担任となっているクラスの後方に立っている。髪を染めている子も中にはいるが禁止されることはない。さすがに刺青やピアスは認められないがそこまでする生徒もいない。あとは身だしなみの基準は教師によって異なる。


 男女比はクラスと同じで前方から見ても全体的に女子の方が多い。今は江上先生の言葉を拝聴している途中だ。


「……では最後に2年生は高校生の中で一番楽しい時期と思われます。ですがあまり羽目を外しすぎないようにしてください」


 立場ある人の長ったらしい演説のような話とは異なり言いたいことがシンプルにまとめてあり聞き取りやすい。


「最後に今日より高城先生が復帰されました。まだ病み上がりの身ですのでどうか気を使ってあげてください」


 その言葉を結びに学年主任である江上先生の話が終わる。

 学年集会も終わりこれで今日やるべきことは終了した。あとはホームルームが終われば今日は解散となる。





「先生……」





 教室に戻ろうとしたときに誰かに呼ばれた気がした。

 振り返り探そうとするがそこにいるのは生徒たちだ。だが、誰も俺の事を呼びとめた様子はない。


 その後は、他クラスの生徒たちに囲まれクラスに戻るのに時間がかかってしまった。


……

………

…………


「じゃあHRはこれで終わりだ。明日は委員会決めとかがあるからな。遅刻しないように遅刻したら俺が独断で決める」

「先生ー。なら迎えに来てくださーい」


 くだらないやり取りをしながら、生徒たちは下校を始める。

 明日からは授業が始まるので、俺たち教師は授業の準備をする必要がある。


「あ、そういえばあの今も資料あるのか」


 結構古い資料だったから年末の掃除のときに処分されてしまったかもしれない。歴史史料室に確認に行くため外に出ようとするが


「先生」

「ん? どうした桜咲さくらざきさん」


 桜咲さくらざきさんに呼び止められ、俺は足を止める。


「何かお手伝いできることはありませんか?」

「いや、大丈夫だよ」

「でも、まだ病み上がりですし、お手伝いさせてください」


 と言っても資料を探して職員室に置いておくだけだから、さほど手伝ってもらうこともないの。けれど、俺の身を案じて手伝いたいと申し出てくれる桜咲さんの表情を見たら断るのは少し気が引けた。


「わかった。なら一緒に資料室に行こうか」

「はい!」


 特に会話があるわけもなく資料室にまでたどり着く。

 職員室から持ってきた鍵を開け教材として使用する資料探す。


「じゃあ、ちょっとだけこの資料をそこの机に置いて行ってくれ」

「はい」


 比較的軽量な資料を桜咲さんに渡していく。


「いやー、しばらく休んでいると物の配置が換わったりして、探すのにひと苦労だ」

「高城先生……」

「ん?」


 すると背中に僅かな重みを感じる、それにほのかに温かい体温。

 振り返るまでもなく桜咲さくらざきさんが俺にもたれかかっているのが分かった。


 自分自身をそのまま預けてくるような行為に俺は戸惑った。


「さ、桜咲さくらざきさん?」

「先生……お返事聞かせてもらってもいいですか?」

「え……」


 お返事?

 いったいいつの? なんの返事だ? 


 どちらにせよこの距離は少し不味い。少なくとも教師と生徒の距離間ではない。


 振り返り桜咲さくらざきさんの肩を掴んで少し引き離す。


 だがそれはミスだった。

 真っ赤に染まった顔に少し潤んだ瞳を直視してしまう羽目になった。


 ――うわ、可愛い……って違うだろう!


「高城先生?」

「いやごめん、少しびっくりしただけで……あの時の返事って何かな?」


 誤魔化すような言葉だがそれは本当の話。


「え……」


 何を言われたわからないと言った表情で桜咲さくらざきさんの眼から一筋の涙が零れ落ちる。そして、笑みを無理やり作って、震える声を発した。


「そう……ですよね、ごめんなさい。ご迷惑でしたよね」

「いや……」

「いいんです。私に気を使っていただかなくても、対面式の……あの時の言葉が先生の答えなんですね。ほ、本当にすみませんでした!」


 無理矢理作った笑みを踵を返して、隠すと走って資料室から出ていく。

 急いで資料室から出たがその時には既に廊下にはいなかった。


 あの時? 何か彼女から言われてたか?


 桜咲さくらざき 涼香すずか――


 1年の時に授業を受け持ったことがあり、知らない子ではない。

 授業態度もまじめであり成績も悪くない、むしろ学年トップだ。


 俺との接点と言えば彼女の実家である本屋の常連だということくらいだろうか。


 大学の頃から使用していた本屋で接客をしていた彼女を見た時は自分の生徒になるとは思わなかった。彼女と交流が始まったのは1年位前でそれから本屋でお勧めの本を教えてもらいその感想を彼女に伝えるくらいだ。


――彼女から勧められた本の感想……? 


 確かに彼女から勧められた本は面白かった。けれどその感想は、もうすでに伝えてある。主人公の今後の展開の所で結構盛り上がった記憶がある。


 他に心当たりは……


「もしかして事故の日か?」


 その答えを知っている人はこの場にはいない。あの日の事を思い出そうとしても何も思い出せない。


 ◆


 たった1日記憶がないだけで問題ないと思っていたツケが回ってきた。

 とりあえず彼女から話を聞こうとしたがすでに帰宅しているとのことで、話を聞くことは叶わなかった。


 資料室から帰ってくると職員室にはわずかに人が残っているだけだった。


「はぁ……」


 どことなく気分が重くなりため息をついてしまう。


「おや、高城先生どうかなさいましたか?」

「江上先生……」


 そんな様子をみて江上先生が話しかけてくれる。


「担任をもって不安ですかな?」

「……それもあるんですが、ちょっと……思い出せないことがあって」

「……もしかして事故の日ですか」

「はい……その日の記憶がまるっと何もないんです。その日、何か生徒に言われたことがあるらしくて。医者からは事故のショックで記憶が飛んでしまっているのではないかと」

「そうなのですか」


 江上先生が少しは悩むように顎に手を当てて思考している。


「もしかしてその日って、何か仕事とかを任されてましたか?」

「いえいえ、そんなことはないです。もしよかったら以前から交流のあった生徒たちに聞いてみてください。私といるより生徒と話す方が多いですからね。何かきっかけになるかもしれません」


 江上先生に相談してもどうにかなる事ではない。


「そうですね……わかりました」


「江上先生……これ遅くなりました」


 一度話を区切るとそのタイミングを見計らって、ほかの男性教師が江上先生に茶封筒を渡した。


「ああ、はい確かに」


 江上先生はその中身を確認することなく受け取る。


「江上先生なんですかそれは?」

「ああ、ホワイトデーのお返し代ですよ。今回は私が買いましたのでそのお金です」


 そういえば入院している間にそんなイベントが終わってしまった。

 というよりもらってないよな? あれ俺だけ? だが男性教師全員が集めているならばと財布を取り出すが


「高城先生は結構ですよ」

「え、ですが……」

「いえいえ、先生はチョコもらってないじゃありませんか」


 グッフ……!!

 やっぱ俺だけハブられてましたー。なんか泣きたい。


「高城先生チョコに手を付ける前に事故にあったじゃないですか。それに先生が事故のあった日ってバレンタインデーですよ。もらったことも覚えてはいないでしょう?」


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