疑惑の行く末

 僕らの学園生活はうまくいっていた、そう思っていた。だが、それは僕の思い込みだったらしい。僕は今まさに非常事態にあった。


「大島、黙ってないでなんとか言え。その歳だからって許されると思うなよ!」

「大島君……その、ちゃんと理由があるのよね? 何かの間違いなのよね?」


 勘違いしないで欲しいが、ここは取調室でもなんでもない。犯罪を起こしたわけでもない。ただちょっと面倒なことになったのだ。


 その原因は……、と視線を壁際に向ける。そこには、目を閉じた宮代先輩と、僕を怯えたような瞳で見つめる平井先輩が立っている。


「こわあ、先生。大島が僕を睨んでますう」


 どこから出しているんだ、と思うような猫なで声だった。もっとも、それは宮代先輩の本来の声を知っているから分かることなのだが。


「お前の相手は今こっちじゃろがい! 人を脅すな!」


 ぐりん、と強引に首を回されて僕は厳つい顔と対面する。骨格のあちこちがゴツゴツとしていて、まるで岩石のような顔だった。今僕がこうなったのは宮代先輩のせい……というだけではない。確実に、僕の不注意もあった。


 話を遡ると、放課後直後にまで時間は戻る。授業を終え帰宅しようとした僕を、見知らぬ先生が呼び止めたのだ。例の岩石顔の先生だ。その時、僕はああ、確か生徒指導の教員か、くらいにしか思っていなかった。


 それが突然僕の胸倉を掴みあげ、胸元に顔を押し付けてきたものだからそれは驚いた。


『匂いはないなあ……。おい、これ、見覚えあるだろ?』


 岩石先生がそう言って差し出してきたのは、一本のタバコだった。中途半端に吸った後のある吸い殻だった。そして、見覚えがあるも何も、僕が好んで吸っているものと同じ銘柄だった。


 その察知を気取られたのか、岩石先生はそのまま僕の腕に手を回すと容疑者よろしく生徒指導室へと連行していったのだ。抗議も抗弁もする余地はなかった。


 そして、連れてこられた部屋には宮代先輩と平井先輩、担任の安室先生、確か今年赴任したばかりの女の先生だ、それと朝礼でくらいしか顔を見たことのない校長先生がいた。


 満を持して、暴行及び喫煙裁判が始まった、というわけだ。


 二人の先輩の顔をみた瞬間、僕は全てを察していた。きっとあの時持って行かれたタバコをチクられた、というわけだ。いや、それだけだったらまだいい。


「お前なあ、人を傷つけるなんて最低だぞ。しかも年齢を盾にとって先輩を殴るなんて。年長なら年長なりの振る舞いがあるんじゃないのか!?」


 どうやら、平井先輩に行った暴行も僕のせいにされているらしかった。曰く。


「僕と平井が旧校舎を散歩してたら、突然そいつがタバコをくわえながら殴りかかってきたんですわ。僕らもびびりあがっちゃって、一方的に殴られ蹴られ……」


 全く、どの口が言うんだ、という話だ。上手いのが、完璧に嘘ではない所だ。確かに僕は脅しのためにタバコをふかしながら二人の前に出て行ったし、暴力沙汰一歩手前まで事は進んだ。


 だが、それだけならまだ弁解の余地はあった。しかし、今ではもうそれもできない。


「なあ、平井。怖かったなあ」

「……うん」


 正真正銘の被害者である平井先輩まで僕の敵となっているとは思わなかった。二人の言い分は嫌なくらい一致していて、僕の暴行容疑はもう確定してしまったようなものだった。


「ごめんな、二人とも。もう顔も見たくないかもしれんが、ちょっとの間、勇気を出してくれ。それと、旧校舎への立ち入りは今禁じているんだから、その件についてはちゃんと叱るんだからな」

「ほーい」

「……はい」


 さて、と再び岩石先生は僕に向き直る。


「いい加減白状しろよ。お前がやったんだろ? このタバコも! 校則違反のオンパレードだ。これは退学も考えてもらわなきゃならん。お前はそれを分かってるのか?」


 僕のこの一件に限って言うなら間違いではないが、そういう叱り方はよくないと思った。生徒の言い分も聞かずに頭ごなしに怒鳴るだけではただ相手を怯えさせるだけだ。今までがどうだったのかは知らないが、古い考え方の人なんだろうな、となんとなく感じた。


 しかし、まずいことになった。これでもし退学なんてことになったら、僕の将来はともかく、綾瀬がどうなるか分からない。どうにかして言い逃れをしなければ。


「で、ですから、タバコに関しては心当たりがありますけど、暴力は振るっていません。そちらの先輩の言うことはめちゃくちゃです。僕の意見は変わりません」


 ひどく久しぶりに口を開いた気がする。口の中が妙に乾燥しているのはきっとそのせいだった。気持ち、早口になっていたかもしれない。


「認めるんだな!?」

「タバコは、持っているってだけですよ。当然見たことはありますし、僕も年齢が年齢ですから、興味がなかったわけじゃありません。でも宮代先輩の手にあるのは分かりませんね」


 頭を下げようとした僕の髪を掴みあげ、強引に目を合わせようとしてくる。くそっ、これだから脳筋は理不尽で嫌いなんだ!


「ちょ、ちょっと石見先生。いけませんよ、暴力は。それをしてはいけないって今教えてるばかりじゃありませんか!」


 いいぞ、安室先生。もっと言ってやれ。


「甘いですなあ、安室先生は! これは指導というんですよ。そんなんだから先生は生徒にも親にもナメられるんですよ。聞きましたよ? この間また木崎さんのところの親が怒鳴り込みにきたって……」

「やめてください! 子供たちの前で!」


 悲鳴のようなものをあげながら安室先生は僕たちの間に割って入り、僕を抱え込むように両手を回した。軽く陶酔してしまいそうな香水の匂いを感じたのも一瞬のこと。心配するような表情を浮かべる安室先生。くるりとした丸い瞳が可愛らしく揺れている。


「大丈夫よ、大島君。何も心配することなんてない。ただ、真実だけを話して。私はそれを信じる。私がついているんだから、大丈夫よ」

「困りますな。説教中にそんなことを言われたらまるで私が悪人みたいじゃありませんか」


 そう言う岩石先生、改め石見先生をきっ、と睨みつける安室先生。というか、その体制で振り返られると……胸、胸が。もうそんな初心な年でもないが、なるべく他人との接触を嫌ってきた僕はこういうことに耐性がないのだ。


「……大丈夫です。僕も先生のことは信じていますから。ありがとうございます」


 ありがたく、言い訳のキッカケをもらったので素直に白状する。


「僕は誓って、殴ったりなんかしていない」

「お前はまだそんなことを!」

「じゃあ先生、お尋ねしますが」


 おお、早速安室先生の援護が入った。


「宮代君や平井君のどこを殴ったというんですか? 話によればつい最近のことらしいじゃないですか。それも一週間も経ってないと。二人の体には、どこにもそんなアザや傷なんてないじゃないですか!」


 実際は、平井先輩の体は傷だらけで僕が治したのだが。情けは他人のためならずとはこのことだ。


「そんなん、服で見えへんとこ狙われたに決まってるやないですか。もしかしてここで脱げってんですか? あむろん、やっらしー」

「ちがっ、違います!」


 しかし、宮代はこの返しも予想済みだったらしい。ううん、本当に脱がしてやろうかな。


「とにかく、目撃者もいなければ証拠もタバコ一本。こんなことで一方的に大島君を責めるのは間違っています!」

「安室先生……そりゃ、自分のクラスから問題児を出したくないのは分かりますがねえ」

「両者の話を! ……聞くべきだと、そう言っているだけです。本当なら、大島君を処罰するだけです。こんな、尋問のような形はおかしいです!」


 話っていったってねえ、と首をかしげる石見先生。そして、すっと僕の顔を指差す。


「見てみなさいよ、そのすっとぼけた面を。あれはね、まだ教師人生の短い安室先生には分からんかもしれませんが、万引きした品目の前に並べられて素知らぬフリしてる奴の顔なんですよ。自分は関係ありません、興味もありませんって面だ」


 言われて、ドキリとした。反射的に言い訳をしようとして、だが言葉が出てこなかった。ただ唇が虚空を噛んだだけだ。


 確かにそうかもしれない。いつだって僕は傍観者でいた。それは幼い頃から痛みにさらされて生きてきたことへの防衛本能のようなものだと自認している。例え車に轢かれて死んでしまったとしても、僕は肉体が死ぬ前に魂だけになってその様を呆然と眺めるだろう。


 僕が悪いのだろうか。意思を覆い隠して孤独を気取ってきたから、今こんなことになっているのだろうか。だとしたら、ここで退学処分でも決められるのが罰だとでも言うのか。


 窓の外では、もう雲が茜色に染まり始めていた。だがその色はどこか褪せているようにも感じられた。


「先生、白熱してるところ悪いんですけど……僕、早く帰りたいんですわ。両者の話をでしたっけ? なら僕らから始めましょうよお」


 相変わらずねっとりとした喋り方の宮代先輩。どうにかしてそれを崩してやりたいけれど、僕には取るべき手段がない。


 ……当然だ。きっと色々と仕込んできたのであろう宮代先輩と、いきなりワケも分からず連れてこられた僕では、張り巡らされた策略の数が段違いなのだから。


「そうだ、お前から話せや。平井。お前も色々話したいやろ? な?」


 瞬間、あの剃刀のような鋭さが宮代先輩の目に宿る。平井先輩は、ビクリと体を震わせ、小刻みに揺れる指で僕を指差した。


「お、俺は……」

「決定的な証拠があるやろ。それだけや、頑張れ、平井」


 その細枝のような指の向く先は……僕の、ズボンの左ポケットだ。その瞬間、さっと血の気が引くのを感じた。そして、何かの勝ちを確信したような石見先生の顔。固唾を飲んで両手を合わせて見守っている安室先生。


 そう、そこには未だタバコが入っている。何度も綾瀬に忠告を受けたにも関わらず、だ。だって僕にとってこれは精神安定剤のようなもので、常にそこにないと落ち着かないのだ。……もはやそんな言い訳に、何の意味もないが。


 今僕にかけられている嫌疑は二つ。暴行と校内喫煙だ。その片方でもバレてしまえば、きっと僕の発言なんて何の信用度もなくなってしまう。


 どうする。どうすればいい。


――それじゃあ、一緒だよ。離れていっちゃ、嫌だよ。絶対に二人で学校、卒業しようね。


 脳裏に綾瀬の言葉がよみがえる。そうだ、こんなことで退学になんてなるわけにはいかない。あの子の笑顔は、死ぬまで守ると決めたんじゃなかっか。それとも、これが、今まで僕が逃げてきたツケとでも言うつもりか? ふざけるな、何かあるはずだ。この局面を乗り切るための一手が……!


「その、ポケットに……」


 しかし、現実は無慈悲に、平等に、事は進む。平井先輩の潤んだ瞳が、僕の心に突き刺さる。触れていなくても、その痛みを感じ取れたような気がした。


 その瞬間。生徒指導室の扉が強引に開かれた。


「やあ、ここでやっていたのかい。探したよ」


 果たして、そこにいたのはあの褐色の保険医、佐々木先生だった。真っ白な白衣を風になびかせて、しかし揺れもしない長い前髪のせいで表情は読み取れない。


「佐々木先生……今指導中でしてね。用があるなら後にしてもらえませんかね」


 それに明らかに難色を示したのはのは石見先生だ。いや、宮代先輩も若干顔をゆがめているな。


「いやいや、私のせいで何か問題が起こっていると聞いてね。いてもたってもいられなくなったのさ。ええと、そっちの子。悪かったね。私のせいで」


 飄々とそう言って僕に近づいてくる佐々木先生。はて、面識はあったはずだが……と首をかしげている間にぎゅっと両腕で抱かれてしまった。ついさっき吸ってきたばかりなのだろうか、僕のとは少し違うタバコの匂いがした。臭くはなく、むしろそれがひとつの香水のような匂いをかもし出していた。


「ちょっと、佐々木先生!?」


 安室先生の慌てたような声。いや、あなたもさっき同じようなことはしていましたけどね。


「すまなかった。まさか私の不注意がこんなことになるとは思わなかったんだ……。これは、この間の詫びだ」


 後半は囁くように、僕にしか聞こえていないような声だった。詫びってなんだろう。僕が何か佐々木先生にされたことがあっただろうか……。


 そして、僕の体は解放される。同時に、ズボンのポケットから何かが抜き去られた。


「石見先生、今議論されてるタバコって、これじゃないかな」

「えっ、えっと……すまん、私はタバコに関しては明るくないもので」

「フィルターの先に銘柄が書いてあるだろう。一致していないか?」


 予想外の展開に石見先生も慌てていた。僕らも何一つ口を挟むことができない。よく分からないがこの先生、僕のことを庇うつもりらしい。


「あっ……同じもの、ですね」

「私が喫煙家なのは知っているだろう。以前、廊下で宮代とぶつかった時にタバコをばらまいてしまったことがあったんだ。それはきっとその時のものじゃないかと思うんだが、どうだろうね」

「違いますよう……先生、めちゃくちゃ言わんといてください」

「では聞こう。その暴行があった日時はいつだ?」


 宮代先輩は口ごもりながらも、僕がケンカの現場に出て行った日のことを正直に言った。ここで嘘をつかないのは流石だな、と僕は場違いに感心した。


 嘘は嘘を呼び、絶対にどこかで破綻する。嘘をつくなら大量の真実の中に一つだけ。それを彼は知っていたのだろう。


「その日、平井はそこの一年生に連れられて保健室にやってきたよ。原因は宮代と平井のケンカだってことも分かっている。中身はあまり部外者には見せられないのだがね。保険室来室記録も持ってきている。お見せしようか?」

「いえ、それはまずいでしょう……となると、ええ、いや、どうなるんだ。宮代」


 話を振られた宮代先輩はもう口を開くことはなかった。代わりに、後ろ手に平井先輩をつついているのが見えた。


「妙な話じゃないか。ケンカしていたはずの二人が揃って無関係の人間にやられたと言う。私にはむしろ、宮代が今までタバコを所持していたことのほうを問題にしたいんですがねえ。吸った跡もあるんでしょう?」

「いや、それは! ……まずいですよ。分かるでしょう、佐々木先生」

「私は一介の保険医だ。お上の言う難しいことは分からなくてね。それで、どうなんだい。平井。君は本当にあの日彼に襲われたのかい? そして、そのままその本人に保健室まで運ばれてきたと?」


 いつの間にか話が佐々木先生を中心に進んでいる。何かをしたわけでもないのに、誰もが彼女を立てている。ただの不良教師かと思っていたら……一体何者なんだ。この先生。


「それは……」

「そうやんなあ、平井」

「君の話は後で聞くよ、宮代。それはもうたっぷりとね。だから今は黙っていたまえ」


 佐々木先生がぴしゃりと言い放つと、宮代は再び口をつぐんだ。


「それより今は、君の話を聞こうと思ってね。平井。日ごろから言っていたじゃないか。今を変えたいと。その変えたい今は、この瞬間にあるんじゃないのか?」


 平井先輩も俯いたまま何も言わない。


「ねえ、平井君。怖がらないで。ただ私は、真実を聞きたいだけよ。やられたなら素直にそう言いなさい。でも、もし違うなら……私の生徒を陥れるための片棒を担いでいるなら、それを下ろして頂戴。私の生徒を……そしてあなた自身を、助けてあげて。お願いします」

「ちょっと先生、そんな言い方ではまるで平井が悪いみたいじゃあないですか」

「違います。私は、平井君の痛みが分かるんです。彼の良心の痛みが。それを楽にする手助けをしたいと思うのは、教師として間違っていますか? 石見先生」


 しばしの間。そして、平井先輩の口は開かれる。


「俺は……僕は、暴行を、受けました」

「それは誰にだい?」

「……」


 平井先輩はまた黙り込んでしまう。僕にはその理由が分かっていた。隣にいる宮代先輩が恐ろしいのだ。裏でどんなやりとりがあったかは知らないが、何か脅しを受けているのだろう。


 だが迷っている。迷ってくれている。僕の目を見つめながら、深い考えに沈んでいるような様子だった。


 そして、何かを告げようとして、隣の宮代先輩に小突かれてまた口を閉ざしてしまう。しかしその顔つきは先ほどとは違う必死さを湛えていた。


 誰もが言葉を飲み込み、落ち着かない沈黙が部屋に降りかかる。思えば、こんなに静かな部屋だった。


「……ふう、平井。全然関係ない話なのだけどね、強さとはなんだろう、と私は思う時があるのだよ」


 ツカツカと平井先輩に歩み寄る佐々木先生。僕から見える横顔からも、彼女の目は見えなかった。


「大きな存在に立ち向かう勇気、何に押されても折れることのない柳のごとき精神、色々あるだろう。しかし、沙羅ちゃんの求めていた強さとは、一体なんなのだろうね」

「っ! ……沙羅が、求めていた強さ」


 その言葉は、平井先輩のどこか深い部分に突き刺さったらしい。少なくとも、はたから見ていた僕にはそう見えた。


「僕は、暴行を受けました」


 そして始まる、平井先輩の陳述。しかし、もうそこに迷いやためらいはなく、静かな口調だった。それはまるで津波の前に潮が引いていくような、物騒なものだった。


「それは、宮代とのケンカによるものです。大島は関係ありません!」

「……っ、てめえ!」

「タバコだって、宮代が持っていたものを持ってきただけです! 大島のものではありません!」


 そう叫んだ平井先輩は、ひどく晴れやかな顔をしていた。そして、すぐ隣にいた宮代先輩に胸倉を掴まれる。


「ぐあっ、ああ……!」


 危ない! と小声で叫んだのもつかの間、宮代先輩は瞬きの間に地に伏していた。その腕を握っているのは、佐々木先生だ。


「暴行の現行犯……ってことでよろしいかな?」


 誰も異を唱えるものはいない。あわあわと手を震わせている安室先生くらいしか、動けている者はいなかった。

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