治療魔法でも癒やせない君の心

だーふじ

僕の力と君の病

「ねえ、大島さん。転生って信じる?」


 僕の記憶に強く残るあの日、僕の隣に座る少女がそんなことを言った。まだ冬の気配が残る風が吹き荒れる肌寒い日のことだった。


 僕は火の玉をつけた白い棒を口にくわえながら生返事を返す。先端からは陽光を浴びた紫煙が踊り、なんとも言えない匂いをまき散らしている。いわゆるタバコだ。僕はメンソールという香り付きのタバコがどうにも苦手で、シガレットという一般に広く流行している普通のタバコを好むのだ。


「あるなら、大歓迎なんだけどな」

「あるとしてよ。ねえ、どう? 新しい体になって、見たこともない世界で生きていくの。夢があると思わない?」

「転生ねえ……記憶や意識はどうなるの?」

「大抵そのままよ。そんでもって、特殊なパワーも使えちゃうの。山をまるごと吹き飛ばしたり何でも好きなものを生み出せたり」


 遠く、山をかき分けるように進む電車が見えた。静かなこの場所ではその音はよく響く。ガタンゴトン、と定期的な振動を伝えるそれを聞いているとこちらも眠くなってしまいそうだった。


 そんな音をじっくりと聞いてしまうほど、会話が途絶えていることに気がついた。しかし、慌てるでもなく会話を続けた。


「特別な力なんて、そう良いもんじゃないかもしれないぜ」

「えー、そうかなあ。絶対楽しくなると思うんだけど。ほら、こんな風に。水魔法!」


 綾瀬が手に持っていたペットボトルのミネラルウォーターで僕の指先にあったタバコの火を消してみせた。


「馬鹿! 何すんだよ!」

「だってタバコ、クサいんだもん」


 喫煙所に来てその言い草はあんまりだ。もちろん彼女の言うがままにされる謂れもない。二本目をさっさと取り出してまた火をつけた。


 綾瀬はまだ不満げな表情を浮かべていたがそれ以上は何もしてこなかった。


「綾瀬は転生したいわけ?」

「したい、したいね。うん、したい」


 何度もうなずく綾瀬。強い日差しに照らされて透き通ったような金髪が肌を裂くような風に揺られていた。


 肌はぞっとするほど白く、今にも頬が透けて見えそうだ。青と茶色の入り交じったような瞳にはアジサイの花が咲いているようだった。


「魔法も使ってみたいなあ。火をぼっ、て。風で空を飛んで、フィギュアスケートみたいに水で絵を描くの」

「子供みたいだな」


 ぱっと見開かれる綾瀬の目。まるで季節外れの花火でも打ち上がったかのようだ。


「子供も大人も、誰もが夢見ることでしょ? ねえ、そんなもしもがあるのなら……行ってみたいと思わない?」

「本当にもしもの話だな……でも、僕にはそんな憧れはないかなあ」

「えー、面白い話だと思ったのに。知らない? この街に住む天使の話。今の人生が嫌になった人を、新しい世界に転生させてくれる神様がいるんだって」

「へえ……神なのか天使なのかハッキリしないけど、そりゃなんとも親切な奴がいたもんだね。自分が生み出した存在を自ら殺すなんて」

「殺すって、言い方があるでしょ、もっと」


 僕は乾いた笑いを挟み、ちらりと後方にそびえる病院を見やる。いかにも年季の入った風体で各所にナツヅタを這わせている。僕は医者ではないが、ここは僕の叔父がやっている病院なのだ。住居を提供してもらっている見返りに小間使いのような真似をしている。この辺りでは一番大きな病院で……とはいってもそれでも小さいが、幅広い患者を受け付けている。


 その手伝いをするうちに、僕は彼女、綾瀬桃華と出会った。初めて彼女を見かけたのは随分前のことで、精神科の診察室から出たところでバッタリ出会ったのだ。


「ま、僕はごめんだね。死んだ後も自分の意識があるなんて。ぞっとするよ」

「新しい自分になれるなんて素敵なことだと思うんだけど」

「それならいっそ、全部最初からやり直したいね。今までの記憶や人格なんてまるごと放り出して生きたい」


 嘘だ。僕は綾瀬が本当に消えてしまうことを想像して、恐怖したのだ。ただなんとも気軽に生まれ変わりの話をする綾瀬の口を塞いでしまいたいだけだった。だってそれは、先の未来の話だ。彼女が死んでしまった後の話だ。


 そんなもの、考えたくもない。


「私はまずこの体を捨てるかな。それで猫にでもなってのーんびり暮らすの」

「そんなに今の体は嫌いか?」

「嫌いよ……大っ嫌い。体中痛くて頭おかしくなりそうだし、私の人生狂わせられっぱなしなんだから」


 僕はそんな綾瀬にかける言葉を持たない。彼女が今どんな状況にあるかをよく知っているからだ。彼女は線維筋痛症という、全身を痛みに支配される病に侵されている。その治療のためにこの病院にやってきているのだ。しかしながら、治療法は依然として開発されていない。


 想像してみて欲しい。手を振る、頷く、歩く、そんな当たり前の行動をするために必ずそこを針でつつかれるという生活を。非常に鬱陶しいことこの上ないことだろうと思う。


 では、それがハンマーで殴られるような痛みだったら? それが毎日、毎時間、毎秒発生する痛みだとしたら?


 おそらくそれは、その想像を超越した辛さで。現実に、この病は精神病を併発してしまい、自殺に至ることも珍しくない病なのだ。


 トドメに、何をどうしても治る保障はないときた。原因は未知、治療も手探り、患者数の割に知名度がとても低いため、一般にはあまり理解されない。


 今、綾瀬がいるのはそういう状況だ。ハッキリ言って今生きているのも望外と言える。だが、僕に何ができるわけでもない。だから、そこに踏み込まないという暗黙の了解のようなものが僕らの間に存在した。


 かつて、どうにかできないかと治療のために必死に走り回ったこともあるが、全てが裏目に出てしまった。それ以来の約束事だ。


 カリカリと小さな水色の手帳に何か書いている綾瀬。僕は話題をそらすためにあえてそこに水を向けた。


「そこに何を書いてあるんだ?」

「言ったでしょ、この町に住む天使の話。私、自分で調べてるんだー……。私が死ぬまでの間に、会えるか分かんないけどね」

「……まだそんなことを言っているのか」

「何度だって言うよ。約束でしょ? 冬になったら、私の人生は終わり! あ、大島さん以外には言ってないけどね。かわいそうな子だと思われちゃう」

「頭が、だね」

「うるさいよ!」


 軽いやりとりだが、その中には冗談では済まされないものがある。


 いつの間にか、タバコは根元まで燃え尽きてカゲロウのような薄い煙を吐き出していた。それをグリグリと灰皿に押しつけるとまた新しいタバコに火をつけた。


 タバコの味わい方にも数はあると思うが、僕は最初の一口がたまらなく好きだ。害の塊である煙を肺に閉じ込めて鼻から抜けていく、その風味を最も味わえるのがその一口目なのだ。


「大島さん、タバコ増えたね」

「ストレスの多い職場なもんで」

「学校じゃ吸っちゃダメだよ?」

「いやな校則だよな。二十歳越えたんだしタバコくらいいいだろうに」


 そう、僕はもうすぐ高校生だ。世間のみんなとは数年ほど遅れたが、どうにか世間様の言うまっとうな道に戻ることができた。それもこれも、実は綾瀬のせいというかおかげである。


「やだよ。私より先にいなくなっちゃったら。せっかく同じ学校に進めたのに」

「さて、どうなるだろうね……。そろそろ診察の時間じゃない?」

「おっと本当だ。じゃあね、大島さん」


 綾瀬は僕との会話に何の未練もないかのようにさっと立ち上がろうとした。その瞬間、めまいでも起こしたかのようにグラリと彼女の体が揺れた。


 危ない、と口に出す間もなく、僕は綾瀬の体を受け止めていた。そして、肌と肌が触れ合う。


 同時に全身を内側からハンマーで殴られたような痛みを感じた。骨が粉砕するのをその身で感じたような。これは決して彼女が重すぎるだとか僕の体が弱っているわけではない。


「っ……。大丈夫かよ」

「う、うん。あはは、ちょっとふらついちった」

 ちょっと、という程度のふらつき方ではなかった。だが、僕はそれを言及したりはしない。いや、できない。それに向き合おうとすれば、僕には何もできないことを思い知らされるからだ。


「大島さん、私に触れる時、いつも辛そうな顔するよね」

「……元カノに似てるんだ」

「嘘だー、彼女なんていたことないくせに!」


 くすくすと笑う綾瀬に、僕はわざと不機嫌そうな顔を作ってしっし、と手を振った。


「ありがと。なんだか体の調子もよくなったし。じゃあ、ほんとにバイバイ。学校、一緒に行けるの楽しみにしてるからね」


 そう言い残して、綾瀬は病院の自動ドアの向こうへと消えていった。きっとこれから診察を受けて薬を受け取るのだろう。通院している彼女の日常だ。そして同時に、この病院でお手伝いをしている僕の日常でもあった。


「……」


 先ほど彼女に触れた右手を開いては握ってを繰り返す。あの時感じた痛みは僕のものではない。綾瀬のものだ。


 さっきの話ではないが、僕にはちょっとした特殊能力がある。それは生まれながらにして持っていたものだ。他人の痛みを自分に移して治すことができるという力である。


 こけてすりむいた程度の怪我なら数分も触っていれば治すことができる。幼い頃には末期がんの進行を止めてみせたこともあった。綾瀬風に言うのなら、回復魔法とでも呼ぶべきか。


 しかし、そのためには本人が感じている痛みを僕自身が体験しなければならない。簡単に聞こえるかもしれないが、これは大変なデメリットだ。親の金稼ぎに重病患者ばかりの場所を連れ回された時はそれはもうこの世の地獄かと思ったほどに。


「相変わらずだな、あいつの痛みは……」


 ぼんやりと、誰もいない空間につぶやきを投げ込んだ。その波紋に、健気に笑う綾瀬の顔が映し出されたように感じた。


 そんな力を持ちながらにして、大病の痛みに苦しむ綾瀬を放っておいているのは、責められるべきことかもしれない。だが軽率な力の行使に強い躊躇いがあることはどうか理解してほしいとも思う。


 それに、綾瀬の病気はまた特別だ。いくら痛みを吸い取っても底なし沼のように痛みはあふれ出てきて、とてもその全てを吸い取ることはできなかった。これはもう、僕が失敗したことである。


 大体、僕自身がこの力には嫌気がさしているんだ。出産の痛みを知っている男なんて僕くらいのものじゃないだろうか。


 人に触れればもちろん問答無用で痛みを吸い取るし、動物だって意外な痛みを持っていたりするのだ。まともに頭も撫でられやしない。もし自分が普通の体なら、と思ったことは夜の数だけある。


 そんな考えが、今の生を呪っている綾瀬との距離を縮めた一因ではあるかもしれない。


「転生して来世に希望を、か……。悪くないかもな」


 ふと漏れ出た声に、誰でもない僕自身が一番驚いた。それがなんだか可笑しくて、僕はいつまでも一人で笑っていた。

 その後、なんでもない馬鹿話であったそのことが、現実味を増してやってくるとは、この時の僕は夢にも思わなかったのだ。


 今の僕は知っている。綾瀬が絶望に死んでしまうことを。僕が逃げたせいで、向き合わなかったせいで。自殺でもなく、地震に呑まれ、重たい岩盤の下、一人寂しく死んでいく彼女を知っている。


 僕は冷たくなる彼女の体を抱えたまま、後悔をした。せめて来世にくらいは希望を持たせてやるべきだったんじゃないかと。

 だかそれは、もう少し先の話である。まずはそれに行き着くまでの話を、語ろうと思う。


彼女の未来を目指す話は、その後だ。

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