2012.10.31風見【最終章】02

 ヒナはきちんと答えるために、振り返った。すぐに入口の扉とのにらめっこに戻る。なにも言わなかったが、風見の下半身をがっつり見たのだろう。

 そっぽを向いたヒナの耳が真っ赤になっている。中学生みたいな反応に、風見はなぜか嬉しくなった。


「にしてもさ。ズボンを下ろす必要もないのに、下ろすってところは変わってないね」


「なんで知ってんだよ」


「何年か前に、スーちゃんと会ったの。そのとき、風見は超腰抜けだって 言ってたから」


「スーちゃん? ああ。須東のことか? 他にも変なこと言ってそうだな、あいつ」


「須東特派員は事実しか言わないでしょ。たとえ、それが都合の悪いことだとしてもね。だからこそ、親友だと思えるんだ」


「そっか。あいつ、夢が叶ったんだね」


「うん。言ってたよ。私なんかと話すのを目標として、大事な二十代を棒にふったって笑い話を語ってくれた」


 中学時代、須東と風見は同じ新聞部の部員だった。

 そこに、転校してきたヒナも入部した。最初は仲の悪かった女性陣だが、風見の知らないうちに仲良くなっていて、ひと安心したのを覚えている。

 ヒナが姿を消して一番動揺したのは須東だった。ヒナの事情を知っていた風見は、須東になにも教えなかった。どんな風に話したところで、ヒナのためになにも出来なかったという結論を隠すことはできない。

 クソみたいなプライドを優先させて、かたく口を閉じた。


 沈黙を続ける風見が、誰よりも傷ついているのを察したのか、須東は風見を気にかけてくれるようになった。そんな優しさを素直に受け止めることもできなかった。

 すれていたせいで、風見は疑った。女の勘で、風見がヒナの事情を知っていると気づいたに違いない。

 おおかた情報を引き出そうとしているのだろう。勝手な思い込みで暴走し、須東に風見は理不尽に怒鳴り散らしたこともある。

 なのに、須東はずっと優しかった。


 高校の卒業式に話して以来、須東とは会っていない。ヒナを探すから、見つかったら教えてあげるね、と夢を語ったのが最後の会話だ。

 須東の夢をヒナが知っているということは、夢が叶ったと考えていいのか。他にも可能性はあるが、気づかないフリをして様子をみる。


「思い出話に華を咲かせてる場合じゃないよね。そもそも、そういう場所でもない。ここは、のみこんだものをはきだすところだ」


 排便をしていないのに、便器の水を流す。音が消えるのを待たず、ヒナが口を開く。


「時間がないのに、わざわざ水を流すんだ?」


「なんの時間のことをいってる?」


「片岡潤之助は、ここに来るよ。そうなったら、面倒なことになるのは目に見えてる。もう、どうしようもないってわかるでしょ。逃げないと、なにか大変なことが起こる前に」


 便座から立ち上がり、パンツとズボンをはきなおす。

 焦っているヒナとは打って変わって、風見はおそろしいほど落ち着いている。

 今日こそは、のみこんだものをはきだせるかもしれない。

 確信にも似た予感がある。


「なにか大変なことが起こるって思ったあの日、須東がヒナに声をかけてたな。それで、仲のいい友達がボク以外にもできたんだって思った。安心した。でも、ちょっと寂しくなった」

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