忘却の希望
僕の心に一番残っている場所はどこだろうか。三人で過ごした煉瓦の家? 二人で暮らした、屋敷の端にある木の小屋? そこから見える木々や草花の方が、自分達より幸せそうに見えた。
だったらあの汚らしい路地裏か? いや……やはりここだろう。
窓を開けると、今までの人生と一変するような世界が広がっている。
「……っ」
それが少し霞んで見えた。次に浮かんだのは静かな森。小鳥のさえずりもほとんど聞こえないような奥地で、僕と彼女は楽しそうに……。
「違う!」
それは私のものではない。なぜだ……なぜこんなにも、彼女は私にまとわりついてくる? ああ、そのせいで何かを思い出せないのだ。暖かく大事なはずの何かが……だから私は求め続ける。
間違っていないはずなんだ。これが、これこそが世界にとって、全てにおいて正解だ。ほらとても楽しそうだろ? 僕も早く笑顔にならなければいけない。
「ご主人様、彼らが」
「……ジン」
道化師はおどけなくてはいけない。人々を笑わせる為に滑稽なことをする。
「私は、操り人形ではない……君もだよ」
なぜこんなことを思ったのか分からない。けれどすべきことが終わった今、どうしても感傷や考え事に浸ってしまう。
あの子の最期の姿が脳裏に現れた。
「……ジョーカー、君は悪い子だったから……外の世界を知らない鳥を籠から出すものじゃないよ」
【灯りのないステージの上で】
三回程ターンをすると、如何にも今気がついたというように振り返った。
おや、また会いましたね。お前は一体誰なんだって? ハハハ……名乗る程の者ではありませんよ。どうでした? 物語の幕開けのお話は。ああそうだ彼……アーネストが昔読んでいたおとぎ話があるのです。そちらも如何ですか……え、それよりも月夜のパレードの続きはどうなったって?
ふふ……一を知ると十を知りたくなる。貴方は好奇心旺盛のようです。ええ実に立派なことで。
しかし全てを知ると、もう追いかけることはなくなります。そうなったら、もう私のところには来てくれなくなる。それはとてもとても残念でなりません。ということで、もう少しお付き合いくださいね。貴方の望むままに……。
【 操り人形とオルゴール人形】
僕には自由がない。生まれた時から全身に糸が張り巡らされていて、自由の利かない身体を勝手に動かされて、笑われるだけ。
こんなことの為に生まれたんじゃない。僕は色んな世界を、自分の意志で歩きたいんだ。
そんな夜に、一つの箱を見つけた。淡いピンクの可愛らしい箱だ。その箱が開いて、中からバレリーナが現れた。
クルクル踊りだす少女と、美しい旋律を奏でるオルゴール。僕は一瞬にして目を奪われた。
「とても素敵だったよ」
「あら、ありがとう」
「僕はマリオネット。操り人形さ」
「私はバレリーナ……一生踊り続けなきゃいけない人形よ」
「一生?」
「そうよ。このネジが巻かれる限り、この箱の中で踊らなければいけないの」
「僕はこの糸のせいで、自由に身体を動かすことはできないんだ」
「なんだか似てるわね、私達」
「僕もちょうど、そう思ってたところさ」
僕らはすぐに気が合った。自由になったらどんな物が見たい、食べたいとか、外はどんな世界が広がっているだろうとか、そんな話で盛り上がって、夜が明けた。
彼女は箱を閉めて、僕はまた見世物に使われる。いつもは憂鬱だったけど今日は違った。また夜に会おうという約束をしたんだ。彼女のおかげで嫌な気分も晴れていった。
夜になっていつもの倉庫にしまわれる。張り切り過ぎたのか、すぐに眠くなってしまった。
ポロロン――オルゴールが開く。
「今日はマリオネットさん、いないのかしら?」
「やぁお嬢さん」
「あなたは誰?」
「僕は座長のキツネだよ」
シルクハットを被ったキツネの立派な人形は、この劇団の目玉だ。
「ごきげんようキツネさん。マリオネットさんをご存知ないかしら?」
「アイツは寝てるんじゃないかな。ぐーすかとね。そんなことよりお嬢さん、美しいね」
「そんなことは……」
「照れなくてもいいよ。もしかしてマリオネットが好きなのかい?」
「マリオネットさんは良い人です。いつか自由になったら、二人で色んな世界を見に行くんです」
「そう、叶うといいね」
「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」
箱を閉じて、キツネは思う。
美しい少女。彼女はこの先も箱から出られずに、ただ踊り続けるだけだ。なのに当人はまだ望みがあると思っている。
……なんとも悲しいね。気に入った、私が可愛がってやろう。……マリオネットか、邪魔だな。なんとかせねば。
朝になって僕は目が覚めた。
あぁ! つい眠ってしまった……彼女に悪いことしたなぁ。
「おや、ため息なんかついてどうした?」
「あ! キツネさんおはようございます。実は約束を破っちゃって……」
「もしかしてバレリーナのお嬢さんと、かい?」
「え、知ってるんですか?」
「昨日たまたま会ってね。君は疲れてるだろうから安ませてあげてと言っておいたよ」
「あ、ありがとうございます……」
「君達自由になったら、色んな世界が見たいんだってね。良い夢じゃないか、素敵だよ。でもどうするつもりだい?」
「それが……分からなくて困っているのです」
「僕が教えてあげようか」
「あるのですか? そんな方法が」
「簡単だよ。君を縛るその忌々しい糸、まるで蜘蛛に捕まったようだ。それを無くしてしまえばいい。良ければ僕がやってあげようか」
「お願いします! この僕を縛りつけている、この糸を無くしてください!」
この糸が無くなれば自由になれる! もう好き勝手振り回されることもないんだ。早く、早く彼女と一緒に自由な世界へ!
「……分かった」
キツネさんは銀色に光る鋏を持ってくる。
「さぁ、いくよ」
シュッ、バラバラバラバラ……。
支える糸が切れ、人形は動かなくなってしまった。
「操り人形に自由? 笑わせるな。お前に自由なんて、初めからないんだよ」
「キツネさん! マリオネットさんがいないの。どこにいるか知ってますか?」
「彼は壊れてしまったよ。そんなことはいいから、さぁ僕の元へおいで」
「壊れた……? そ、そんな……嫌よ!」
「物わかりの悪い奴だな」
「返してください! 彼を……彼を返してっ」
ギッギッ――あぁ! ネジを巻かれる。私の忌まわしい体は泣き叫ぼうとも、止まってはくれない。
「そういう姿も愛らしいね」
「私は絶対あなたのモノなんかにはならないわ! 連れて行って、あの人の所へ!」
「フッ……何を言ってるんだい? 君も自由になんかなれないよ。その箱すらも出られやしないくせに」
……ギャアギャアうるさいな。面倒になってきた。
「分かった。じゃあお前も自由にしてやろう。彼を助けにいくといい」
「……どうするおつもりですか?」
簡単さ。
ボキッ、カラカラカラ……。
さようなら、儚い人形達よ。
糸を無くした操り人形と、オルゴールから外されたバレリーナは、そのまま一生動くことはありませんでした。
ふふ……何て顔をしているのですか。もっと楽しい話を期待していましたか? それはそれは失礼……。しかし彼に関することで楽しい話が出るなどと、思った貴方にも罪があるというものですよ。
この物語で悪いのは誰なのでしょうか? 優しい貴方は誰も悪くないなどと申すのでしょうか。実はキツネが一番辛い思いをしていた可能性も否めないのですからね。まぁ、物語は物語なので考えても仕方のないことですよ。
おっと、つい長居をしてしまった。そろそろ関係のない私は去りましょうかね……。
また会えるかどうかは、貴方に望んで頂ければ……あれ、彼と同じようなことを口にしている。少々恥ずかしいですね。彼らと私が同じ舞台に立つことはありませんが、一度サーカスとやらを拝見してみたいものですね。
ではお付き合い頂き、ありがとうございました。
――ひらりと幕が揺れた。
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