(1)
何時間乗っていたか分からない。まだ寝ぼけたまま目を開けると、すでに奇妙な世界の内部にいた。
見上げると首が疲れる程の建物。その中の物も、全てが高そうだ。敷物の柔らかさを感じながら、どこかの部屋の一室で止まった。
その中に男が一人いた。変な奴だ。腰の下まで伸ばした長髪に、一応スーツのようなものを着ているけど、そのスーツは柄がバラバラ。サイズもあってないのか、シャツがズルズルと飛び出している。
扉が開いた瞬間、にこりと笑ってこちらへ駆け寄ってきた。男の、決して小さくはない体を父親だという男が抱きとめる。そのままぴったりと腕を絡ませて、椅子まで一緒に歩いた。そこに座ってからも、その足元に寄り添っていた。猫みたいだ。父が全く動じていないのも、奴が大人の体格なのに幼児みたいな行動をしているのも、不気味だった。
そいつに何か告げて、頭を撫でた。男の顔は常に惚けたようだ。伝えることは少しだったのか、父は再び扉へ向かった。
扉が閉まった瞬間、男の顔から笑顔が消えた。ギロリと敵意を持った目がこちらを睨む。
「ハク……とか言ったっけ。あぁー……なんであんたなんかと組まなくちゃいけないんだ」
一方的に迷惑みたいな目を向けられてイラついてきた。こっちだってお前みたいな奴と……こいつがいなくたって、こんなところにいたくはない。
「組むって……よく分からないけど、俺だってお前みたいのと仲良くする気はない。一秒だって早くあいつのところから去りたいんだ。人のこと放置してたくせに、自分はこんなイかれた奴飼ってるなんて。ただの変態かよ。育てられなくて本当よかっ……」
「ご主人様のことをそんな風に呼ぶな」
言い切る前に、胸元を掴まれていた。
「……っはな……せ」
強い力が込められているはずなのに、表情が全く動いていなかった。怖い程の無表情。これなら分かりやすく嫌いだと睨んでくれた方がマシだ。
「ジン、ダメだよ。離してあげて」
優しい声色に、一瞬誰だか気づかなかった。後ろに振り返ると、すっと力が抜ける。咳き込むこちらには全く関心を示さず、またあいつの方へ駆け寄った。
ちぐはぐな態度。自分の感情をすぐに消したり殺したり操れる姿が、道化師のようだと思った。それがジョーカーの最初の印象だ。
何かの資料を取りに行っていたらしい。椅子に座ると、先程と同じ光景が繰り返される。顔色が変わらないことから、ジョーカーが足元に擦り寄るのはいつも通りのことみたいだ。この二人の関係性が気になったけど、声には出さなかった。そこまでこいつらのことを知りたくないし、あっちも俺に話しはしないだろう。
人探しと言われて、そういえばそんな条件でここへ来たのだと思い出す。それはこんな計画だった。
アリスと呼ばれる少女、それと繋がる少年がいるらしい。アリスを見つけるのは難しいが、少年からだったら分かるかもしれない。アリスは必ず少年と繋がっている。
父はその少年を探していた。その少年がいる可能性のある場所で、そいつを見つけろという話だ。
少年を見つけるのが一番の目的らしいが、実験も並行してやるようだ。この年の子供からどのような思想が生まれ、閉鎖的な空間でどんな動きをするのかを観察……このクラスは檻と一緒だ。何の責任も持たない奴らが、外から無遠慮に覗いている。
それからしばらく、俺とジョーカーはこの建物内で暮らすことになった。主にその計画へ向けての準備だ。基本的に無気力なジョーカーと、いまいちやる気の出ない自分。まだ日数もあるので、何もしない日も多かった。
ジョーカーと二人きりは息がつまるので、大体は自室にいた。暇な時は廊下に飛び出して、ホテルのような場所を意味もなく散歩する。一人の時はいいけど、少し歩くと誰かに出くわしてしまう。会うのは全員あの男の部下達だ。ここは、あの男がトップらしい。何故か皆から慕われている。俺は一応あいつの子供だからか、坊ちゃんと呼ばれていた。上部だけの媚びだ。ジョーカーのように、あいつに盲目的な奴は少なくない。俺を利用する為だけの下手なおべっか。そう呼ばれるたびにイライラした。あいつの子供だと、そんな自覚はないのに、そうだと肯定されているのが嫌だった。
現代の学生に合わせる為に、漫画やゲームを一通りやった。ジョーカーはマジックの練習に勤しんでいる。上手くできると、あいつに誉められるらしい。人の前に立つ為の振る舞いや言葉遣いなども、二人で研究した。あいつはあれでいて忙しいようなので、仕方なく俺が観客役になっていた。
プロフィールが届いた頃にはもう、ほとんど部屋から出ることがなくなっていた。意外と熱中していたのかもしれない。ジョーカーと仲良しになることはなかったけど、一緒にいてもあまり気にならなくなってきた。良くも悪くも干渉しない間柄だ。
一人一人の好みや性格を記憶する。写真を見ただけでは、誰が少年なのか分からなかった。そもそもそんな人物が本当にいるのか。俺はほとんど信じていなかった。それでも一応ここまで計画を進めた以上、やったという事実だけは残しておいた方がいいだろう。適当に遊んで、適当にあいつを落胆させてやろう。
ジョーカーが学生役というのは無理がある。俺が転校生として先に入ることにした。あんな奴は先生役でも受け入れられないだろう。当然、他人のフリをする。バレたところで何もメリットがない。
あいつの姿が見えなくなってから、スタッフが忙しなく動き始めた。よく知らないがジョーカーの落ち込みっぷりが半端じゃなかったので、しばらく会えないみたいだ。
窓の外はいつも工事中で、見えるのは変な色の空だけ。たまに七色になったりしているので、本物でないことだけは確かだ。ここが何の為の空間なのかは知らない。聞いても、誰も答えなかった。もうすぐ完成しますとだけ、告げられる。
結局何が起きているのか分からないまま、シャッターの中に閉じこめられた。
――ねぇハク坊ちゃん、どうなさるのですか?
ジョーカーは笑みを崩さない。そのまま頭を抱えた篠宮の元に近づいた。
「うるさい! もういい……もうこんな奴ら全員落とせ! あいつには、ここにそんな奴はいなかったって言って、またやり直せばいい!」
「……それは私も同感ですが」
フフッと嫌みな笑みを浮かべた。
「貴方がそれを言える立場なんですかぁ? あんなに馬鹿にしていた人達に欺かれて、哀れに泣き叫んじゃう貴方の方がよっぽど無価値なのでは! あはは、本当に汚いですねぇ……その怒りに歪む顔……ああでも、貴方といてこれほど気分が良いのは初めてですよ」
「黙れよジョーカー……」
「なんですか、負け犬の坊ちゃん? 以前はこう呼べと仰っていたのに今は呼ぶなと? 良いですよ。私も貴方のことなんて……名前を呼ぶのにどれほどの苦痛があったかなんて、お分かり頂けないんでしょうね」
「お前だってどうせあの中の一体なんだろ? そんな機械の言葉なんか、俺には聞こえない……っ」
「貴方が何故ご主人様、お父様に捨てられたかご存知ですか? まさか全部ご主人様が悪いと思っているのですか?」
「どういうことだ……」
「ご主人様はアリスが欲しかったのです。わざわざその為の女性も連れてきたのに……そこから産まれたのは、なんとまぁ汚らしい男の子でした。ご主人様はどんなご気分だったのでしょう……きっとガッカリしましたよね、お可哀想に……。そんな貴方を見捨てずにお育てになるなんて、ご主人様は本当にお優しい……。貴方が今日まで生きてることが証拠ですよ。ご主人様は捨てても良かったはずなのに、わざわざ代理の母まで用意し、貴方の様子を報告させていたのです。ああ、なんと慈悲深いお方……。それなのに例の少年すら見つけられず、挙げ句の果てに実験をぐちゃぐちゃにしてしまった。……そんなお前にまだ生きる価値はあると思うのか?」
「……っ」
「あ、そうだ。貴方が心の拠り所にしていた本当の母親だという人物……あれはもうただの肉の塊ですよ。汚らわしい……ま、そういう意味では貴方とそっくりですね。健康な状態で生きていたら、貴方に会いに来るでしょう? 仮にも母親なのですから。まぁ彼女にそんな意識がないだけかもしれませんが。ふふ、私お肉の気持ちは分からないので、真相は闇の中でーす。あーあ、可哀想ですけど、もう貴方には何もありません。……いや初めからお前は何も持ってなんていなかった。終わりですね、坊ちゃん」
「嘘、だ……嘘だ、そんなの……っ!」
「いい加減、夢から覚めろ。お前は無価値だ」
「……っあ、ああぁああっ!」
篠宮の悲痛な叫び声が響いた。
「皆さんお騒がせしてすみませんでした。そこでゴミのようになってる篠宮君は無いものとして放っておいてください。あの箱の中へ落とす価値すらないのですから。……明日、最終日とします。やっと代表者が決まりますね。このクラスの象徴は誰になるのでしょうか。自分に正直になり、心に問いかけてみてください。私は……その選択に従いましょう」
去っていくジョーカーの背中に、何も言うことができなかった。
明日で終わる? こんな状態で全てが終わるなんて信じられない。それよりもあの篠宮が別人のように変わってしまった事実が受け入れられなくて……いっそ全てが夢であって欲しかった。
終わったらここから出るのか? 出たらどうなる? いつもの日常に戻るのか? でもその日常には……きっと篠宮はいない。落ちたクラスメート達も。俺が残ったら、自分だけが平凡な毎日に戻る。またつまらない日々を繰り返して……そんなものに意味はあるのか?
確かに過ごした日数は少なかったかもしれない。ただクラスが一緒だったってだけだ。でもだからこそ、これから分かり合える可能性を秘めていた。まだまだ知らないことばかりだ。それなのに、もう会えないのか……?
俺はなんでこんなところにいるんだ。ここはどこなんだ、何なんだ……一体。説明して欲しいことばかりだ。誰かを信じて裏切られて、それでも残りの生徒に託した。ここまで残った俺に、そんな価値はあるのか? 代表者になったからなんだよ。このクラスで一番だと認められたから何なんだ……! それを認めてくれた人は、もうここにはいないのに……。
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