二人の少年の物語

白――目を覚ますと、そこはいつも真っ白でした。上を向いても下を向いても、横も後ろも前も白ばかり。その中で僕の手足は固いものに繋がれていて、体があまり動かせません。

そこでは色んな人が僕のところへ来て、何か話しかけてきます。体にいっぱいコードを繋いだり、絵を書いたり、写真を見て、これがどういうものかを聞いてきたり。でもそれは僕にとって、意味のあることではありませんでした。

ある日、初めて僕ぐらいの背丈をしている子と出会いました。その子は外の世界から来たと言っていました。色々な話はすぐに僕の中に入ってきて……私は年を重ねるにつれて、やはりここが世界の全てではないのだと知りました。

そんな風に私が疑問を持ち始めた時のことでした。真っ白な私の世界が、突然赤に染まりました。

赤赤赤……熱い。触れてはいけない赤――。赤の中で誰かが囁きました。その声に誘われるように扉を開けてみると、そこにあったのは黒。真っ暗闇の中を進んでいくと、だんだん明るくなってきました。音がします。写真で見たものが動いて匂いがして、一つ一つ手触りが違いました。

そんな風に色々探しているうちに、水がたくさんある場所を見つけました。が、私の体はそこで動かなくなりました。

次に目を開けた時に見えたのは青。どこまでもどこまでも見える、広い広い……世界。本能の内に感じていたのでしょう、私は自由になったのだと。

また探索を開始しました。楽しくて走り回っているうちに、また体が動かなくなりました。お腹の部分から音がします。ぐうぐうと変な音です。また眠ったら違う景色になっているかもしれないと期待して、目を閉じました。

次に開いた時、一人ではありませんでした。見たことがない人に、抱き上げられています。

「ふむ……悪くないね」

にっこりと顔が動きました。

「心配しなくていいよ、私のところへおいで」

その暖かさに、また眠くなって目を閉じると、次にはとっても色がある場所にいました。


微かな記憶だ。父さんと母さんが笑っている。俺を抱いて、二人で幸せそうに。でもそれはもしかしたら、自分の中で作った妄想だったのかもしれない。でもそれが真実だと思いたかったんだ。

母さんは馬鹿な人だ。どうして俺には父さんがいないんだと聞くと、しばらくして新しい男がやってきた。別に俺は父親が欲しかったわけじゃない。知りたかっただけなんだ。でも母は、本当の父のことを何も話さなかった。

その男は典型的な屑野郎だった。こいつのせいでギリギリだった俺たちの生活は、更に追い詰められることになる。母さんは毎日殴られて、仕事ができなくなっていた。こんな男なんかすぐに別れさせて、母さんを幸せにしてやる。だから早く大人になりたいと焦っていた。

どうすればいいか考えても、具体的な案は出てこない。帰りたくなかったけど、母さんを守る為には帰らなきゃいけない。毎日毎日そう思って、いざ帰ると同じ景色が広がっている。

だから少しずつ帰りが遅くなっていった。母さんのことが気がかりだったけど、そのうちに恨まれているんじゃないかと思うようになった。俺だけ逃げたなって。そう考えると、誰と遊んでも楽しめなくなっていた。

今日も一人で時間を潰した。誰の目にもつかない場所で、古い漫画を読んだり、眠くないけど横になったりしていた。それでも、辺りが完全に闇に紛れるまでには帰っていた。

アパートの階段を上がるのが嫌いだ。一つ上がるたびに、俺はここから逃げられないのだと絶望する。わざわざ帰る為にこれを、自分の意思で登っているんだ。後ろを振り向いても、上げた足を下げる気は起きない。足が動かない。色の剥がれた小さい扉を見て、溜め息を吐く。着いてしまった。

鍵なんかつけなくても、盗めるものなんて無い家だ。男がどこかに行ってくれていたらいいんだけどな。それだけでまだマシだ。

「ただいま、母さん……」

声がしなかった。ランドセルを置こうとして、手が止まる。

「……っ」

畳が赤に染まっていた。部屋の奥で丸まっている母さんは動かない。その隣で男は煙草を消すと、笑いながら出て行った。

膝から崩れ落ちる。何も考えられなくて、全てが嘘に見えて、全部全部夢なんだと……これは違うんだと、ずっとずっと言い聞かせても、そこにあるのは本物だった。

これは現実なんだと理解したら、次に手にあったのは包丁だった。これで殺さなきゃ、あの男を俺が殺さなきゃ……。自然にそう思っていた。もう涙は出ていない。

扉の前でずっと待っていた。今思えばあいつがここに戻ってくる可能性なんて、なかっただろうに。だってあいつは母さんに興味がないんだから。せっかく逃げられたのに現場に戻ってくる犯人なんていない。

扉が叩かれた。ドクドクと心臓が鳴っている。これは興奮からだ。怖いんじゃない。やっと母さんを守れる。

さぁ来いと意気込んだ時、そこから入ってきたのは男だった。でもこんな奴、俺は知らない……。

シルクハット、杖、マントと小綺麗な格好をしている、生きる時代と国を間違えたような男。奴はこの部屋を見て顔を顰めた。汚い部屋に触れるのすら嫌だという顔をしながら、マントの壁に触れた部分を手で払った。それと同じ目をこっちにも向ける。呆気にとられていると、更に顔を歪めて、成長したなと呟いた。

「お前を作ったのは私だ」

「作った……?」

「ああ、父親ということになるのか。微妙にニュアンスは違うのだが」

本当の父親だとしたら、俺たちを苦しめた原因の男だ。そもそもこいつがロクでもない奴だから、こんなことになったんだ。

「今更……何の用だ」

「別に私も父親面をしようなどとは思っていない。しかしこの現状だ。その年では一人で生きていけないだろう。哀れにそこら中をフラフラと徘徊して、あわよくば復讐しようなどと考えているのかもしれないが……私の息がかかっている以上、そんな惨めな真似はさせられん。見るに堪えない。お前には人捜しを手伝ってもらおう。それが私の元に来る条件だ」

「どうしてお前の言うことなんか聞かなきゃ……」

「本物の母親に会いたくはないか」

「は?」

「お前が母親だと思っていたそこの女。こいつは適当に用意したダミーだ。道端に転がっていた当時に比べたら、余程マシな生活をして生涯を終えられただろう。本物はまだ生きている。お前が条件を満たせば、苦労しない生活と母親をお前にくれてやろう。失敗しても私の配下には置いてやるが。……お前は私の失敗作であり、いらない存在だ。そのことを踏まえた上で来い」

どこまでも勝手な男の言葉。それが真実か確かめることもできない。本当の母親……。確かに母さんは出生のことを話そうとしたことはなかったし、写真も一枚も残っていなかった。本当の母親がいるとしたら、その人もこいつに酷い扱いを受けているかもしれない。

「……分かった」

返事をすると、何も言わずに背を向けた。あえて持っていくような物も思いつかず、母の背を見つめてから外へ出た。この家の何十倍もしそうな車に乗り、俺は全てを捨てた。

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